考える葦

鈴木航平(1年/DF/静岡高校)


ア式に入って、約半年。昨シーズンは当たり前のようにリーグ戦に俺が関わることはなかった。一度だけ、Aチームに練習参加させてもらう機会はもらえたが、練習の強度についていけず、試合でもアピールできず、当然のように育成チームに落ちた。育成チームの中でも、結局サタデーリーグに先発出場したのは1回しかなかった。自分の中では成長を感じつつも、思ったような結果が得られないことに焦りを感じる。特にこの頃は、代替わりでAチームに上がれず、育成チームでも思い通りにプレーできなくて、こんな状態であまりFeelingsを書きたくないが、とりあえず筆を進めてみる。まずは周りの人にならって、サッカー人生の振り返りと入部の経緯から。





サッカー王国、静岡県で生まれた俺は、父の仕事の影響で幼少期は横浜市で過ごした。サッカーを始めたのは幼稚園の年中の頃。おそらくもともとサッカーをやっていた兄の影響だった気がする。年長の時にあるきっかけでサッカーにどハマりした。それは2010南アフリカW杯。本田のスーパーFK、駒野のPK失敗など、ベスト16という結果を残した日本代表の活躍はもちろん印象に残っているが、それよりも決勝スペイン対オランダは当時の俺の心に響くものがあったらしい。試合の録画はフルで10回以上見たかもしれない。数々の印象的なプレー。そして何よりアンドレス・イニエスタの延長後半の決勝ゴール。10年以上前の試合なのに、鮮明に覚えている。多分この頃からプロサッカー選手という夢を持つようになった。

小学生になると、故郷の静岡県に引っ越し、すぐに地元のサッカークラブに入団した。しかし、そのクラブは弱小チーム。低学年の頃は0-10なんて当たり前だった。負け続けてても、サッカーは続けた。好きだったか、嫌いだったかは覚えてない。ただ、諦めたくなかったのだと思う。未だにプロの夢は持っていた。

中学生の時も小学校と同じチームに所属した。中学1年の頃は嬉しいことに、2.3年の試合に出させてもらうことが多かった。1年の中で俺だけ試合に出ることもあった。この時は調子が良かった。だが、そんな時こそ神は人間に挫折を与える。11月、練習中の接触で右腕を骨折。完全に腕が変形していた。救急車で運ばれた。でも痛さよりも悔しさの方が大きかった。なんで俺なんだよ。事はこれだけでは終わらない。2月のある通院日、予定ではその日に運動解禁になるはずだった。にもかかわらず、レントゲンを見ると、真っ直ぐくっついているはずが、曲がった骨。手術をすることが決定した。結局、復帰まで半年かかった。その頃には、学年は一個上がっていて、コーチも変わり、周りのチームメイトも上手くなっていて、先輩の試合に出る事は最後の1回しかなかった。その後、中3ではキャプテンを務めた。しかし、スタメンで出れないことも続き、思うようにプレーできなかった。そこに追い打ちをかける出来事が起こる。9月、再び右腕を骨折した。正直、サッカーをやめようか迷った。今までサッカーをやめるなんて考えることはなかった。でも、俺にサッカーは向いてないのかもしれない。神様は俺にサッカーをやめさせようとしているのだと、変なことも思った。ただ結局やめなかった。やめなくて良かったと思う。ただ、中学のサッカーは不完全燃焼に終わった。

高校は県内トップクラスの進学校である静岡高校に通った。清水東という同じ進学校でサッカーが強い学校とも迷ったが、試合に出て活躍したいという思いで、静岡高校を選んだ。入学早々、高校生活はコロナに邪魔された。学校は5月末にようやく始まった。部活を決めるのもその時期からだったが、サッカー部に入るのを決めるのは容易だった。3年生がすぐに引退した後、サッカー部には2年8人、1年12人しかいなかった。少ない人数でも、いやだからこそ、練習は楽しかった。入部初期の俺は、実力のある同期とは違い、スタメンに食い込むことなど考えられなかった。ただ、ある日顧問からFWからCB をやるように言われてから状況は変わった。何を評価されたのか今でもあまり分からないが、スタメンで使ってもらえるようになった。初めての選手権予選初戦もスタメンで使ってもらえた。ただ、そんな期間も長くは続かず、徐々に先輩にスタメンを譲るようになっていった。結局、先輩の引退試合もベンチで眺めた。もし、こんなプレッシャーのかかる試合に出て、自分のせいで負けるくらいなら、この試合に出なくて済んだという安堵を感じつつも、それでもPK戦の末敗れ、涙を流しながらベンチに帰ってきた11人を見て、悔しさの方が湧き出てきた。自分の無力さを痛感し、自然と涙は出なかった。
そして自分たちの代になった。目標は高校総体で県ベスト16。俺がチームを勝たせる。そんな意識が芽生えた。頼もしい後輩達も入ってきて、いい方向に向かっている自信があった。ただ、結果がついてこなかった。主力の怪我が相次いだこともあったが、なかなか勝てなかった。選手権、新人戦といい結果を残せなかった。このままじゃダメだ。変わらなきゃ。新人戦が終わってから、学校の中では3年0学期という意味わからん単語で溢れ、勉強に取り組む人も増えていたが、俺はサッカーに捧げた。練習後は下校時間ギリギリまで自主練をし、週末も誰もいない時間帯を見計らい、グランドで1人でボールを蹴る日もあった。オフの日も今まで全く取り組んでこなかった筋トレを始め、試合の動画もたくさん見た。上手くなってる感覚があった。誰よりも勝利を目指してる自信があった。ただ、大会が近づくに連れて、俺の弱い部分が正体をあらわしてきた。それはメンタルの弱さ。負けたらどうしよう。不安だった。ただ、そこに向き合うこともしなかった。大丈夫。俺ならやれる。無理やり思い込むことで弱気な自分から逃げた。そのまま最後の大会、高校総体が始まった。一次予選はなんとか突破した。二次予選初戦は前年の先輩の引退試合のリベンジマッチ。会場、対戦相手、負けたら終わりの状況、大雨という悪天候、全部同じだった。まず、ここを越えなきゃ。ほんとに全てを賭して戦った。この試合も運命のいたずらかのようにPK戦までもつれこんだ。相手が1人外した状況で、後攻4人目の俺の番がまわってきた。ゴール左下に蹴り込み、キーパーに触られながらも決めた。ホントに気持ちで押し込んだ。「っしゃあああああ!」決まった後は思わず、叫んだ。次の相手のキッカーが外し、俺らの勝利が決まった。感情が溢れ出て、涙が止まらなかった。人生最高の瞬間だった。リベンジ果たすことができてホントによかった。ただ、うかうか喜んではいられない。次の日も試合があった。勝ったら県大会出場が決まる。相手は格上の強豪校。前日に死闘を繰り広げた中で、気持ちを切り替えるのが難しかった。なす術もなく負けた。しかし、まだ道はある。こっから2連勝すれば、県大会出場だ。すぐに切り替えた。そして迎えた、次の試合。この試合で俺は大失敗をする。その日は別にいつもと同じように試合に臨んだ。緊張するな。落ち着け。とりあえずミスはするな。そうやって自分に言い聞かせた。しかし、そんな心構えではダメだった。前半開始早々、まさかの2失点。俺のせいだった。とにかく、ミスを恐れ、弱気だった。そんなプレーがかえってミスを生んだ。どうすればいいんだ。正直、途中気持ちが切れた。このまま負けたら引退か。しかし、ベンチ際でアップしてる選手を見て、なぜかこのままではダメだと感じさせられた。今振り返ると、ベンチで終わりを見届ける悔しさを知っていたからかもしれない。そこから、とりあえず「全力で闘おう」と思った。ハーフタイム、顧問に名指しで怒られ、「交代してもいいんだぞ、ちゃんとやれんのか」と聞かれても、即答で「やります。」と答えた。もう変わるしかない。そこからもうミスを恐れなかった。弱い自分を打ちのめすつもりで戦った。チームメイトのおかげで延長戦の末、3-2で逆転勝利できた。自分にとってはひどい試合だったが、だからこそ、成長できた。緊張、不安、焦りといった弱い自分から目を逸らすのではなく、それらに立ち向かうのだと学んだ。その次の試合も1-0でなんとか勝ち、県大会出場を決めた。県大会初戦も1-0で勝ち、2回戦に駒を進めた。いよいよ、目標のベスト16まであと1勝。相手は藤枝東高校。県トップを争う強豪校だった。全国大会出場を目標にほぼ毎日をサッカーに捧げるような選手たち。ベスト16という目標を直前にして、正直勝てるはずがないと思ってしまった。もちろん全力でプレーした。80分間走り続けた。ただ、0-8で完敗した。笛が鳴った瞬間、ピッチに座り込んだ。ああ、終わりか。引退が決定したが、またしても涙が流れなかった。

その後、受験勉強をやり抜き、東大に合格した。もともと大学でサッカーを続けるつもりはなかった。ただ、俺にサッカーを続けるように考えを変えさせたのはまたしてもW杯だった。ドイツ、スペインを倒し、大躍進を見せた日本。それでもベスト8は叶わなかった。そして、決勝アルゼンチン対フランス。激闘の末、勝利したアルゼンチン。W杯トロフィーを掲げるメッシ。「ああ、いいなあ。日本もいつかあのトロフィーを。」幼少期、サッカーにハマった時と同じような感覚だった。またサッカーに関わりたい。サッカーをやめたくない。だから、素晴らしい環境が整っている東大ア式に入部する以外の選択肢はなかった。もともとテクニカル志望だったが、練習参加するうちにやっぱりプレーしたいと思って、プレーヤーとして入部した。





以上がサッカー人生の振り返りと入部の経緯だ。次にタイトル「考える葦」について。





人間は考える葦である

俺の好きな言葉だ。人間は自然の中では葦のように弱い存在である。しかし、人間は頭を使って考えることができる。考える事こそ人間に与えられた偉大な力である。そういう意味だ。東大生ならば、難しい哲学とかの本を読んで、この言葉を好きになったと言いたいとこだが、残念ながら、俺は本を読むのが嫌いだ。きっかけはアオアシというサッカー漫画だ。漫画に影響されるなど実に子供染みているが、俺らしくていい。

俺は今までのサッカー人生、特に高校サッカーを通じて考えてプレーすることの大切さを学んだ。俺はガリガリだし、足も遅いし、フィジカルで優れる部分はほとんどなく、劣るところばかりで、技術に関しても、胸を張って武器だと言えるものはない(もちろん、これから頑張って、改善していくつもりだが)。フィジカルがないから、技術がないから、だからこそ、どうするかを「考える」。足が遅いなら、相手が動く前に予測して動く。技術がないなら、より良いポジションで準備をする。どうすれば上手くいくかを考える。そうして、考えて、考えて、考えた先に、考えなくても体が動くようになる。そうやってまた一歩成長できる。それが俺の理想の姿、考える葦だ。

ア式に入って、約半年。上手くいかない今だからこそ、考えることにフォーカスしたい。試合や練習の動画を見て振り返り、たくさんの人の意見を吸収し、どうすればいいかを考える。考え続けたその先に理想の自分がいると信じて。

そして、最近思った。考えることは諦めないことだと。高校最後の試合、藤枝東という身体的、技術的に圧倒的に優る強豪校を前に、半分諦めてしまった自分を後悔している。ただ、完全に諦めたわけではなかった。今までやってきたことを発揮しよう。全力で戦おう。とりあえず、死ぬ気で走ろう。それでも、勝てる手段を「考える」べきだった。それだけで勝てるとは思わない。そんなんで勝てたら、人生楽勝すぎる。ただ、考えることを放棄する必要はなかった。ひたすら頑張ることはもちろん大切だが、思考が伴わなければ、ただなる無謀でしかない。サッカーにおいては相手も同じ人間だ。必ず勝つ方法はある。大事なのは、それをもがき苦しみながら探すことだと思う。時に人間は、目標との距離を測って、頭が良いかのように実現可能性を語る。俺も年を重ねるうちに、こういう考えをするようになってしまったようだ。でも、本当は子供みたいに夢を諦めず、どうすれば夢が叶うか考えることが大切というか、そっちの方が楽しいんじゃないか。だから、俺はできるだけ考え続けたい。諦めたくない。この気持ちはサッカー以外においても忘れずに持っておきたい。





最後に、俺は最初、東大ア式という集団に大した思い入れはなかった。別にAチームとしてリーグ戦に出て、活躍したい、勝ちたいというよりは、ただ単にサッカーをもっと知りたい、サッカーがもっと上手くなりたいという方が強かった。今でも、その思いは強い。ただ、昨シーズンが終わるタイミングで、ア式を去る人達の言葉を聞いて、なぜか目に涙が浮かんだ。ああ、ア式っていいチームなんだな。いつもはア式の良いところよりも悪いところに目を向けがちな自分だが、初めて、このチームのために頑張りたいと思うようになった。そう思えたのは、ア式を去る人達全員がこのチームのために闘い、このチームの未来を想っていたからだ。この人達の思いを繋げなければならない。

残り3年という長いようで短い時間、まずはもちろん自分の成長のために。ただ、それだけじゃない。横にいる仲間のために、思いを繋いできた先輩たちのために、チームを応援してくれる人たちのために、チームに関わる全ての人たちのために、そして東大ア式というチームのために、走り、闘い、「考える葦」として頑張っていきたい。





以上、こんな長くつまらない文章を読んでいただきありがとうございました。

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