親愛なるKへ愛を込めて

 池澤健剛(1年/DF/県立浦和高校)


はじめまして、一年プレーヤーの池澤健剛です。初めてのfeelingsなので、ア式入部の理由と、ア式に入ってからの話も含めた自分のサッカー人生を振り返ってみたいと思います。



遡ること6年前、僕は幸運にもレベルの高いクラブのセレクションを通過した。当時の自分の実力からして絶対に受かるようなチームではなく、周囲の人全員が大きく口を開けて驚いていた。チームメイトのレベルはすこぶる高く、対戦相手もJ下部ばかりで毎日必死にくらいついていた。対戦相手のセンターバックは動かない山のようで、キングダムの汗明を想起させた。あの時敵わないと思った彼らは今ではプロ、あるいは関東リーグの舞台で活躍しているから本当に凄かったんだろう。自分は試合に出れない期間が長く、ベンチ外になることすらあった。それに加えて、俺たちの代はここ数年で1番弱いらしかった。最弱の代の控えってどんだけ雑魚なんだよ、割としっかり挫折した。控えだった原因は明らかにビルドアップで、敵は高速にうごめく一つの物体のように感じられた。猛烈な勢いで近づいてくる物体に逡巡していると、あっという間にボールを奪われる。
 「今日はボールが来る前に相手を見て、味方がフリーになったところでパスしよう」
 というあまりに抽象的すぎる目標を立ててずっとプレーしていた。ア式に入って分かった、本質は相手がプレスをかけたことによりできるスペースらしい。自分にとってこれは大きなパラダイムシフトで、かなり感動した。早く教えて欲しかったってめっちゃ思った。今になって振り返ると、この時上手くいかなかった原因は思考の浅さにあると思う。当時のコーチには口酸っぱく「ゆっくり運べ」と言われていたけど、咀嚼もせずに「ゆっくり運ぼう」と考えていた。今ならなぜ「ゆっくり」「運ぶ」のか説明できる(今も実践できてないけど)。一方で、何の知識も持ってなかった当時の僕は思考するのも難しいわけで、それも鑑みると全ての元凶はプロの試合を全く見ないことにあるのかなとか考えたりもする。フルで試合を見たことがないのにリヴァプールを好きだと言うのは気が引けてきていたし、今年はプレミアみようかな‥


 サッカーに絶望し、中学の初めに少し膨らんだプロサッカー選手になりたいという夢は萎んでどこかに飛んでいってしまった。代わりに言い張った夢は、ロボット工学者か商社マン。どっちとも何をやってるのか全然知らないのに、サッカー選手を目指すより利口だと思い込んだ。
 
 サッカー辞めたいかも
 
 自分の脳内にそんな考えが浮かんだ中3の春

コロナウイルスが蔓延し、緊急事態宣言が発令された。学校は休校。当然クラブの活動も中断。

毎日友達とボールは蹴っていたものの、真剣にサッカーのことを考えることはめっきり減った。

この中断期間は自分がサッカーから逃げるのに良い口実となり、次第に勉強に傾倒するようになった。

活動再開後も低いモチベーションのままサッカーを続け、最後の大会となる高円宮杯もあっさりと負け、静かに引退した。

人生をもう一度やり直せるなら中学時代から始めたい。いつもビアンカしか選べない自分はまた同じことを繰り返すのだろうけど。



辛い記憶をピックアップして書いてるとはいえ、我ながら暗すぎるfeelings。ここから高校の話です。もう少々お付き合い下さい。





駿台予備校附属北浦和体育学校(県立浦和高校)に入学。入学当初は東大に入れるとは微塵も思っていなかったが、「とりあえず東大」という周りの風潮に乗っかって、東大を目指して真剣に勉強に取り組んだ。

部活、勉強、行事に忙殺され、目の前にあることをこなすだけでどんどん時間が経っていく。

 あれだけ猛威を奮っていたコロナウイルスも鳴りをひそめ、非日常となってしまった日常が取り戻されようとしていた高2の秋、


つまり、文化祭の通常開催決定により、切望していた人並みの青春の成就を期待した高2の秋、僕はア式と出会った。


正確には初めてfeelingsを読んだ。今となってはそれが誰のものだったのか、どんな趣旨のものであったのかは覚えていないが、僕の悩みに寄り添い、その先の道を照らすようなものであったのは確かだ。

 当時の悩みは2つあって、1つは部活を続けるべきなのかということ。
 
 もう1つは単純にサッカーで思うような結果か出せずにいたこと。実際に自分のせいで負けた試合を列挙してみる。

・選手権(一年)で自分の目の前で二点決められ敗退。

・リーグ戦最後の1ヶ月を怪我して出場せずに降格。

・インターハイ(二年)で延長後半に自分のマークからコーナーを決められ敗退。

・選手権(二年)の県大会三週間前にカラオケ行ってコロナにかかってコンディションを落とし、ひどいプレーをしてボコされて敗退。
 
 大事なところで自分のせいで負ける。ピッチ上での振る舞いにはその人の性質がもろに現れると思う。自分の根本にある覚悟のなさと弱さが露見した結果だった。本当に情けないのはその事実から目を背け続けていたこと。サッカーが上手くいかないのは受験勉強に多くのリソースを割いているからだと言い訳して、環境のせいにしていた。またサッカーから逃げようとしていた。

feelingsにはサッカーのことで悩んでいる人がいっぱいいて、同じようにもがいている人がいるという事実が当時の自分にとっては大きな励みになった。同時にア式の人たちへのちょっとした憧れもあった。それは、僕と同じように悩んでいても、ア式の人はサッカー自体が大好きだという事実は揺らいでいないように見えたからだと思う。それは自分にとって眩しく見えたし、純粋にそういう集団の中でサッカーをしたいなーとかも考えていた。その頃からたまに勉強の10分休憩としてfeelingsを読むようになった。
 
 高三になった。
 
 もう同じ過ちは繰り返せない。一、二年次の悔しさと、お世話になった先輩達への申し訳なさから必死に頑張った。
 
 思ってたよりも結果は残酷で、インターハイもまた自分のせいで負けた。考え得るベストな準備をして臨んだのに結果はいつもと同じ。本気で自分にはサッカー向いてないし、試合に出てはいけないんだと思った。

そして迎えた10月8日、選手権県大会一回戦。
相手は格上だったが、奇跡の先制。人生で一番興奮した瞬間だった。間違いなく、チーム全員のベストゲーム。ずっと努力していたチームメイト達は自分よりも輝いて見えた。しかしそれで勝てるほどサッカーは甘くなく、あえなく逆転負け。おそらく人生で一番悲しかった瞬間。たったの90分でキャリアハイを2回も叩き出せるなんてやっぱりサッカーってすごい。試合終了を告げるホイッスルがなった後、今までは泣いている自分を先輩が励ましてくれたから、自分は泣かないつもりだった。後輩を爽やかに送り出すつもりだった。でも、また自分が一番最初に泣いていた。最後の最後に弱い自分がでた。それなのに励ましてくれる人がいて、試合に出れなかったのに僕より泣いてくれる人がいて、クラスメート十数人が二時間もかけて応援に来てくれて、帰りの電車に乗っているとき、「胸が熱くなる」ってこういうことを言うんだって思った。

ずっと苦しかったけど、最後にサッカーの素晴らしさを享受できた。まだサッカー続けたいかも。ア式に入ろうと思い始めたのもこの時期だったと思う。

実際に、引退した直後に部の中で決意表明みたいなものがあったのだけど、「東大に合格して、ア式でサッカーやります」と言った。


地獄の受験勉強を乗り越えて無事合格。

すんなりア式入部。とはいかずになぜかめっちゃ迷った。週六と聞いて正直ビビってしまった。端的に言えば、feelingsお馴染みの機会損失なのではないかと思ったのだ。一方で他の団体の新歓にも参加してみたけど、どれも四年という歳月を捧げるにはふさわしくないように思えて八方塞がりだった。

同じ中学のサッカーがめちゃくちゃ上手い友達K君に相談してみた。K君もサッカーをするためだけに鹿児島の大学に行くようだった

「色々なこと犠牲にして大学でもサッカーするのってどうなんだろうね。」

 K君は軽く同意した後、澱みなくこう続けた、

「でもこんなにサッカーに懸けてなかったら、ここまでこれてないよね。」

ふんわりしていてよく分かるような分かんないような感じだけど、まぁ要するに
「ア式に入らないことのほうがよっぽど機会損失だ。」ということと同義だろう。
新歓でリーグ戦の観戦をした。初勝利をあげたア式のみんなが、ただ一つを歌っているのを見てこの言葉は確信に変わった。留学とか、サークルとか、バイトとか、他のどんな場所で見ることができる景色よりもこの景色を見てみたいと思えた。

ようやくここでア式入部。新歓期には他の部活に入るか迷ってるとか言っていたけど、とっくにア式入部の決心はついていたように思います。連絡してくださった方はありがとうございました。そして、期せずしてア式入部を後押ししてくれたK君、本当にありがとう。またサッカーしようね。

ア式に入ってからの話も少し。
 
 新入生チームでの練習が終わってAチームに上げてもらった。最初は全然通用しなかったけど、徐々にできることも増えてきた。上手くなっているという実感が毎日あってめっちゃ楽しかった。リーグ戦に出るチャンスがあるとしたら夏休み明けぐらいからかなと思っていたけど、その機会は思ってたよりもずっと早くきた。6/23、対上智、1-0リードの後半アディショナルタイムにセンターバックで出場という嘘みたいなタイミングでリーグ戦デビュー。そのままノータッチで試合終了。正直この時は勝たせてもらった感が強すぎて素直に喜べなかったし、このままお情けで試合に出してもらうのが続くのかなーって思っていた。その2週間後、また想定外のことが起こった。怪我人続出で、帝京戦スタメン。大学に入ってから90分通しで試合に出たことはなかったし、相手のクオリティが高いのは知っていたから正直言うと結構ビビっていた。でも結構通用した。その後のリーグ戦から双青戦までの間ずっとスタメンで出場し、そこでも結構良いプレーができた(pk献上したけど)。しかもなぜかゲームキャプテンもやらせてもらえたし、その試合で1点取った。

ア式生活とんとん拍子

のように思えた。

そんな甘くは終わらない。

This is my soccer life.

対学芸大、1-7のボロ負け。
公式戦で7点も取られたのは人生初めてだわ。
ビルドアップは全部ひっかけて、1対1は全部負けた。振り返ってみれば自分がスタメンで出場しだしてから4連敗。あんまり気にしないようにしていたけど、責任を感じざるを得ない。しかも度々、守備力不足を指摘されるから尚更である。あと、自分がビルドアップうまいけど、守備あんまりみたいな扱いなのもめっちゃ悔しい。「1点取っただけじゃ勝てない」ってなんやねん。バカにしてんのか。でも事実がそれを物語っているのがなお悔しい。自分で変わらなければいけない。
 
俺には個人としての目標がある。それは誰よりも試合の結果に影響力がある選手になること。今いるア式の誰よりも。谷さんよりも。
 
 また、自分なりにチームのことについて考えることも多くなってきた。最近思うことは、ありきたりなことかもしれないけど、1、2年がもっとチームを引っ張っていくべきだということ。つい自分たちのことを大学「1年生」だと思ってしまうけれど、高校3年生の一個上な訳で(言ってることはなんとなく伝わるはず)、元々はチームを引っ張っていた人たちなんだからもっと主体的に行動していくべきだと思う。自分も含めて。ア式に長くいると、「ア式」という構造の中でしか物事を見れなくなってしまうこともあるかもしれない。そのような人たちだけがチームを引っ張っていくとしたら、それは絶滅の一途を辿ると思う。確かに経験は浅いかもしれない、でも僕たちにしかできないこともあるはずだから、もっと発信していくべきだ。あと、ヨネさんとか章さんも言っていたけど、もっと「勝てるチーム」を見てア式に取り込んでいくべきだとも思う。

正直言って、今のア式はうまくいってない(試合に勝つという面において)。でも、このまま終わる俺じゃないし、ア式じゃないと信じている。

負けたままでは終わらせない、

This is our soccer life.

関東昇格を果たせるように、笑って終われるように、そして、自分のサッカー人生全てを肯定できるように、今を精一杯頑張ろう。

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