いつか、私も。

奈良友花(1年/スタッフ/女子学院)



5/14(

大変すぎない?????? 

 初めて部活に行った日、帰ってきて1番に日記を書いた。 

 なんでもそつなくこなせるタイプを自負していた。勉強も、運動も、友達関係も、特別困った記憶はない。(何でもかんでもすぐ忘れる性格のせいかもしれないが。)だが、東大に入って、そんな自信は粉々に砕け散っていた。授業は何言っているかわからないし、クラスメイトはなんだか私とはレベチで運動神経が良かった。理科一類、そもそも女子の少ない東大でさらにダントツに女子の少ない場所で、友達を作るのも一苦労だった。そんな状況で週5.6も部活に時間を使えるわけないよ!!!と思い、高校の時から憧れていた部活のマネージャーもあきらめた。そんな踏んだり蹴ったりな日々で、少し不貞腐れかけていた時だった。「ア式シフト制らしいよ」とクラスメイトが教えてくれた。神様に、ここに入れと言われた気分だった。二つ返事でやりたいと言って、マネの先輩とLINEを繋げてもらった。そしてはじめての見学の日、練習を見学したその足で部室に行き、入部届を書いて入部した。今振り返るともう少し考えても良いんじゃない?と思う。私の人生は、いつもこんな感じだ。 

 正直基本女子で構成されるマネージャーの仕事がそんなに大変なわけないとも思っていた。仕事内容の説明を受けたとき、半分くらい聞き流していたことをこの2ヶ月何回後悔したことか。というか、聞いていたけど大変さを想像できなかっただけだろうか、もうあまり覚えていないけれど。そんなわけで初日は、ほとんど何もできなかった。何をすれば良いかを整理するのに私にとって十分な時間はなかったし、唯一できたボトルとやかんの重さに、心を砕かれた。 

 向いてないかもしれない。 

 日記にはそんな言葉が続く。ポジティブが売りだった私の日記にしては珍しいネガティブ様だ。 

でも実際、この言葉はすごく的を射ているのかもしれない。昔から、ちょっと鈍臭いところがあった。塾で1番最後まで荷物を片付けているタイプだったし、その上で忘れ物をしているタイプだった。友達を待たせている時、みんなは話しながら片付けできるかもしれないけど私は無理なの!!!と心の中で叫んでいた。マルチタスクがこの世で1番苦手だった。勉強をしている途中に食べ物を出されてペンを突き刺したことは私にとって別に驚くことじゃない。ここまで書けば、納得してもらえると思う。マルチタスクの極みみたいなマネージャーなんて、絶対私には向いていないのだ。 

 じゃあなんでマネージャーをやりたかったのか?端的に言うのであれば、スポーツが好きだったからだろうか。それならば自分がスポーツをすればいいじゃないかと言われるかもしれないが、やるのが好きなのと観るのが好きなのは別物なのだ。スポーツ大好きなみなさんのためにわかりやすく言うなら、世界の衝撃映像を見るのは楽しいが、見ている自分はそんな目にはあいたくないと思う。そんな感じだ。違うかな。シンプルにマネージャーという仕事に憧れがあったというのもあると思う。女子校だった中高で、マネージャーがなんなのかいまいちよくわからなかった私の認識は、選手の1番近くにいて、選手を想って、応援をして、サポートをする人たち。最高に楽しそうで、充実していそうだった。そういうわけで、受験期の私は大学に入ったらマネージャーをやりたいと思っていたし、大学に入ってもそれは変わらなかった。もっとシンプルに言うなら、仕事内容なんて特に考えていなかったというのが一番正しい回答かもしれない。試合をたくさん見れるなんて楽しそー!ということだ。ただ、実際2ヶ月ほどマネージャーとして部活に参加して、間違っていなかったと言えることが一つだけある。スポーツが好きなら、間違いなくマネージャーという仕事を楽しむことはできる。仕事ができるかは別問題だが。 

 でも楽しかったな。 

 試合ではないとはいえ、サッカーをしているところを間近で見られる体験が楽しかったのだろうか。正直この日何をしたのかのか全く覚えていないから、何が楽しかったかは、もう知る由もない。私がこの日のことで覚えているのはボトルカゴで二の腕が鍛えられそうだと思ったこと以外には、何もできなかったという無力感だけだ。でも、そんな何もできなかったシフトでさえ私は楽しめたらしい。それはよかった。いまだに仕事ができない申し訳なさで嫌になる日もあるけれど、こんな1日目の新人でさえ楽しんでいるんだから、今の私が楽しんだって良いじゃないかという気持ちになれる。(だ新人だという話は一旦置いておこう。

 この頃の私がまだ知らないことがたくさんある。先輩の優しさとか、部活後に楽しそうに話してる先輩方の話を聞いて心の中で笑う楽しさとか、プレーヤーが挨拶してくれた時の嬉しさとか、同期が試合に出る誇らしさとか。試合に勝った時の喜びや、負けた時の悔しさなんかもそうかもしれない。試合には出ていないし、私があのピッチでボールを追う姿を想像することもないけれど、不思議と勝つと嬉しいし、負けると悔しいのだ。 

 そして、今の私が知らないこともきっとたくさんある。それを思う時、私はどうしてもア式のマネージャーでありたいと思ってしまう。仕事はできないのに、やらかして迷惑をかけることさえあるのに、そんなことを考えてしまうのは、自分勝手だろうか。 

 先輩すごかったな頑張りたいな。ああなれるのかな 

 3年後(なんなら1年後)私が今の先輩の様に仕事をテキパキして、なんなら後輩を気にかけて、仕事を振ってあげてなんてことをしている姿なんて想像できないし、できるとは思えない。でも、ア式にはいろんな仕事がある。他の部活のことは私にはわからないけれど、話を聞く限りこんなにいろんなことをしている部活は多くはないと思う。そして、そのどれ一つ欠けても、ア式が成りたたないといえるほど、全てが大切な仕事だ。プレーヤーは当然いないと文字通りサッカーができないし、テクがいなければア式とは言えない。マネージャーも、短い時間で効率的に練習をしなければいけない東大ア式にとって、欠かせない存在だと思う。他にも、応援はア式にとって誇れるものだし、プロモの仕事も、強化、広報...どのユニットもア式にとってなくてはならないものだ。そしてそれは、スタッフやプレーヤーの、個人に対しても言えることだと思う。特に上級生は本当にみんな1人でも欠けることができないほど、責任の大きな仕事をしている。そして、それぞれの活動をしている時、どの先輩も皆、全く異なる色に輝いている。そしてその輝きが、私のような後輩をはじめ、周りを明るく照らし、その光を受けて、別の人が別の輝きを見せる。そんな相乗効果が目に見える様な瞬間が、ア式にはある。そんな多様な環境だからこそ、こんな私にも何かできることが見つかるような気もするのだ。今はまだ、与えられた小さな仕事ですら責任の大きさに足がすくむこともある。それでも、私も先輩方のように、私の色で輝ける日を夢見て、そして照らしてもらった分を誰かに返せるような、そんな日を夢見て、明日も私は部室に向かって自転車をこぐのだ。 

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