おかげさまが一番身近な神様やで。
森本帆南(4年/GK/旭丘高校)
大変お世話になりました。女子部の森本です。
他の人のfeelingsを読んでいると自分の経験がなんて些少で傍流なんだと恥ずかしくなりますが、一行で提出する勇気もないのでなんとなく4年間の備忘録を綴ってみようと思います。
1年目(2021~2022)
初めて試合に出る。
6月のリーグ戦初戦に出場した。入部直後に監督から、キーパーだからってすぐに試合に出られると思うなと言われていたので出ないものだと思っていたが、なぜか出ることになっていた。正直あまり出たくなかった。先輩しかいない中で自分の力不足に直面することが怖かった。2年間くらいずっと怖かった。だからいつも、カラーコーンよりは自分の方が多分まだマシだと唱えながらピッチに立っていた。
身体づくりの大切さを知る。
一人暮らしが下手すぎて栄養失調に陥ったため、薬や食事、トレーニングで体重増加に励んだ。
体重の増加に比例してパントキックがよく飛ぶようになった。骨盤にできるアザが減った。身長も3cm伸びた。もう二度とあの頃のへなちょこパントキックには戻らないぞ、と身体づくりに邁進するようになった。
フットサルを始める。
キーパーコーチを探していたら、逆に自分が社会人のフットサルチームに勧誘されていた。そのことに気づけず、成り行きで競技フットサルのキーパー(ゴレイロ)を始めることになっていた。フットサルの練習は週に2、3回で、土日は部活からハシゴした。
しかし、結論から言うとフットサルは向いていなかったと思う。2年弱続けてやめた。
フットサルとサッカーって全然違うじゃんってことがわかった。特にキーパー。だからその頃はどっちも上手くいかなかったけど、やめてからやっとゴレイロの技術をサッカーに生かせるようになった気がする。
また、フットサルを始めていなければきっと出会うことはなかった人たちと交友関係を築けたことは、自分の人生の中でキラキラと輝くものの一つである。
2年目(2022~2023)
コーチがくる。
キーパーコーチの島田さんが来てくれることになった。
第一印象:優しそう→今:優しい。
島田さん、いつでも優しく熱心にたくさんのことを教えてくれてありがとうございました。時々、教えてくれることがクリティカルすぎて衝撃を受けた覚えがあります。それを毎日練習していればきっともっと上手くなったに違いありませんが、他の日にはフィールド練習の誘惑に負けてしまうことも多々あり、全然上手くならなくてごめんなさい。そんな私には勿体無いくらいでしたが、島田さんがコーチで本当に良かったです。あと、試合で私にアシストがつきそうでつかないときに、いつも島田さんが一番大袈裟に残念がってくれるのが地味に嬉しかったです。
勝つことの偉大さを知る。
創部以来勝ったことがないらしい相手に勝った。1-0でギリギリ勝った。この出来事を鮮明に覚えている。キーパーの性なのか知らないけど、過去を振り返ると負けた試合や失点の瞬間ばかりが蘇って、私って勝ったことあるっけ?ってくらい勝った試合を思い出せない。でもこの試合のことはなぜか今でも忘れられない。元々肉離れしていた足がまたブチってなって最後の数分で交代になったけど、足一本じゃお釣りが来るぜってくらい嬉しかったな〜
主将になる。
同期の3人のうち、しっかり者のかわみーときぃちゃんが主務と学連になったから、うっかり者の私が消去法で主将になった。憧れていたチームの主将だなんて荷が重くて、憧れていたチームの主将だなんて少し嬉しかった。
3年目 (2023~2024)
ア式女子が創部10年を迎える。
一度(二度?)の新歓を経て、新入生の東大女子の中から部員を勧誘するのは結構賭けだと感じていた。だからもっと大学の外にも知名度をあげたかった。この部活が存続、発展するためには数年後にア式女子を目指して東大に入る女子を確実に育てるべきだと思った。さらに、コロナ禍を含めた2年間を経て、応援してくださる方々に恩返しをしたい、もっと繋がりたい、もっと応援してもらいたいという気持ちが芽生えていた。「10周年」はやけに響きがいいので、存分に活用してやりたいことを色々やらせてもらった。
かこつけて双青戦にも参戦した。肝心の対戦相手がいなかったから、京大に女子サッカーチームを作って試合した。とはいえ、私はよし双青戦やってやるぜ!と意気込んだだけで、他は全部LB会や男子部、京大の方々が協力、尽力してくださったおかげで開催することができた。それぞれの懐の深さと情熱に感謝してもしきれない。
そして私が対外的なことにかまけている間、通常通り運営することに目を光らせてくれていた同期や先輩には頭が上がらない。
女子とサッカー。
10周年の活動の一環で、初めての試みとなるア式女子主催の女子サッカー教室を開催した。まあ言ってしまえばGSSの女の子版である。
ア式にはGSSというサッカースクールがあるのに、なぜわざわざ女子サッカー教室を開いたのか。体格差のない幼少期に男女を分ける必要はないだろうし、実際そう考えられているからほとんどの小学生以下のチームは男女の区別がない。
でも、固定観念ってあるなと感じている。サッカーは男子が主流。
幾度となく聞いた「小学生の時は男子に混じってやってました。中学には入れるチームがなかったのでやめました。」というセリフ。
小学生のチームだって、女子“も”入れるけど、どうしても男子が中心になってしまう。
サッカーエリートなら話は別だが、その下の段階には大きなブランクがあると感じている。
女子もやらせてもらっているみたいな感覚は、小さい頃のそうした環境や空気によって形成されていくのではないだろうか。
環境はテコを入れないと変わらない。置かれた場所で咲きなさいって言われても、置かれたように咲いてしまう。
たかが女の子版。されど女の子版。サッカーはみんなのもの、女の子たちだって主役でいいんだよ!っていう割と熱めの思いを持ってやってみた。
なんだか時代に怒られそうだけど、体裁を取り繕うマスキングなんかより、私たちには現実が、場所が必要なんだ。
一回死んだ。
色々なことが起こった。色々なことが起こったけど、あまりいい色じゃないから割愛。
主将としてリーダーを務めることも、心理学を学ぶ学生として人や心を扱うことも、自分には向いてないと思った。
逃げたかった。でも逃げられなかった。だからフットサルに行く途中、橋の上から綾瀬川を見つめては黒い水面に吸い込まれたくなった。でも母と父に会いたかったからやめた。
少し経ってから、強くなった。あそこで一度死んでいると考えれば怖いものは何もない。今はボーナスステージ、いつ死んだって構わない。それまでにできるだけ多くの人を幸せにして、ボーナスステージの恩を返すのである。
4年目(2024)
過ちを知る。
形成・騒乱・規範・遂行・解散の段階を想定する集団発達のモデルで考えるなら、ア式女子は今どこにいるのだろうか。
10年目で規範期に乗せ、次の10年に遂行期に移行できるようにしようと考えていたが、実際のところはまだ形成期から規範期を行ったり来たりしていると思う。
そしてまた、効果的なリーダーシップのあり方はチーム状況に左右される。援助や委任を主とするリーダーシップは、集団の成熟やメンバーの自律を前提に効果を発揮する。
「楽しく真剣に」を目指すア式女子では、楽しさを求めるのか、真剣さを求めるのかについて度々議論が交わされる。
楽しく真剣に、の両立は不可能なのか。
不可能じゃない。いつも真剣で、それでいて楽しい。何か難しいことがあるのだろうか?…と思っていた。
…でもわかった。不可能じゃない、ただし自律が必要だ。
全ての感情や感覚に明確な定義なんてない。私のそれと誰かのそれは違ったっていい。いや、同じであるはずがない。
しかし、他律を求めればそれは定義されてしまう。同じに見えないといけなくなってしまう。
でも、それは悪いことじゃない。自律の前に他律はあって然るべきだ。そして今求められているのはそれだった。
現状を見誤っていた。
リーダーは自分がやりたいことをするのではない。チームの目的遂行のために存在する。自分はそのことをわかっていると思っていたが、わかっていなかったのかもしれない。
Enjoy Football。
大学最後のリーグ戦の開幕戦。キーパーアップを始める。すこぶる調子が悪い。
前日の練習途中で目を負傷し、あまり動かなかったからだろうか。
緊張しているからだ、というわかりきった答えから目を逸らすために色々言い訳を考えてみる。
それにしても緊張しすぎている。皮膚の下で鳥肌が絶えず生起しているような感覚に襲われる。
結局、身体はカチコチのまま試合が始まった。
7失点もした。ダメだ、勝ちへの欲を出すと雁字搦めになる。
「えーんじょーい、ふっとぼーる!!」という少し腑抜けた高校時代の円陣の掛け声がふと甦り、ハッとさせられる。
引退。
最終節の日。言いたいことは、みんなめっちゃすごかった!!ってことです。
ああもう私いらないじゃんって少し寂しくて、すごく嬉しかった。キーパーのいいところの一つは、みんなの勇姿を特等席で見られることだと最後に改めて実感した。
0-0のまま、試合終了のホイッスルが鳴った。ああ、終わった。
主将じゃなくなった。
最終節の日は、主将じゃなくなる日でもあった。
イレギュラーで2年務めた主将。正直、主将でいるのは辛かった。後悔や葛藤、迷い、自分への失望は尽きない。大切なものを守ろうとすればするほど、傷つけてしまう矛盾に耐えられなかった。責任を纏った言葉はなんて鋭利なんだろう。その刃は両端にある。
しかしそれはいつも誰かが代わりに発してくれていて、今までの私はそこから逃げてきただけなんだと知った。だから、もう二度とリーダーをやることはないと思うけど、世の中の全てのリーダーを尊敬するようになった。
そして、本当にたくさんの人に支えてもらったことに感謝している。
いつも大きなご支援と激励をくださったLB会の皆様や大里さん。
何かと力を貸してもらった男子部の皆さん。
もはや家族のような、会うたびに元気をくれた文京LBレディースの皆さん。
いつも近くで見守ってくれて、時にエネルギッシュな昔の逸話を教えてくれたOGの皆さん。
それぞれのやり方でサッカーの面白さを広げてくれた前監督やコーチたち。
的確で温かいアドバイスをくれて、まさに指針、道標となってくれた一個上の二人の先輩。
勝手に沈んでいきがちな私の両脇を支えて引っ張り上げてくれた同期の二人。
会うといつも幸せをくれる可愛くて仕方ない後輩たち。
他にも、これ以上ないくらい応援とサポートをしてくれた家族、生活面も気にかけてくれたフットサルの人たち、離れても切磋琢磨した高校同期、永遠の師匠公文さん、挙げ始めたらキリがないくらい、それくらい多くの人に支えていただきました。
ふと見たテレビでアンミカさんが言っていた「おかげさまが一番身近な神様やで。」っていう言葉が妙に忘れられないのは、そういった人たちに確かに生かされていた覚えがあるからだと思います。
おかげさまで私はちょっと頼りないままだけど、これからは誰かを支えられるような人間になりたいです。
今はとにかく、ア式女子を消滅させないという一番小さくて一番大きな目標を達成することができてホッとしています。
女子部 森本帆南
他の人のfeelingsを読んでいると自分の経験がなんて些少で傍流なんだと恥ずかしくなりますが、一行で提出する勇気もないのでなんとなく4年間の備忘録を綴ってみようと思います。
1年目(2021~2022)
初めて試合に出る。
6月のリーグ戦初戦に出場した。入部直後に監督から、キーパーだからってすぐに試合に出られると思うなと言われていたので出ないものだと思っていたが、なぜか出ることになっていた。正直あまり出たくなかった。先輩しかいない中で自分の力不足に直面することが怖かった。2年間くらいずっと怖かった。だからいつも、カラーコーンよりは自分の方が多分まだマシだと唱えながらピッチに立っていた。
身体づくりの大切さを知る。
一人暮らしが下手すぎて栄養失調に陥ったため、薬や食事、トレーニングで体重増加に励んだ。
体重の増加に比例してパントキックがよく飛ぶようになった。骨盤にできるアザが減った。身長も3cm伸びた。もう二度とあの頃のへなちょこパントキックには戻らないぞ、と身体づくりに邁進するようになった。
フットサルを始める。
キーパーコーチを探していたら、逆に自分が社会人のフットサルチームに勧誘されていた。そのことに気づけず、成り行きで競技フットサルのキーパー(ゴレイロ)を始めることになっていた。フットサルの練習は週に2、3回で、土日は部活からハシゴした。
しかし、結論から言うとフットサルは向いていなかったと思う。2年弱続けてやめた。
フットサルとサッカーって全然違うじゃんってことがわかった。特にキーパー。だからその頃はどっちも上手くいかなかったけど、やめてからやっとゴレイロの技術をサッカーに生かせるようになった気がする。
また、フットサルを始めていなければきっと出会うことはなかった人たちと交友関係を築けたことは、自分の人生の中でキラキラと輝くものの一つである。
2年目(2022~2023)
コーチがくる。
キーパーコーチの島田さんが来てくれることになった。
第一印象:優しそう→今:優しい。
島田さん、いつでも優しく熱心にたくさんのことを教えてくれてありがとうございました。時々、教えてくれることがクリティカルすぎて衝撃を受けた覚えがあります。それを毎日練習していればきっともっと上手くなったに違いありませんが、他の日にはフィールド練習の誘惑に負けてしまうことも多々あり、全然上手くならなくてごめんなさい。そんな私には勿体無いくらいでしたが、島田さんがコーチで本当に良かったです。あと、試合で私にアシストがつきそうでつかないときに、いつも島田さんが一番大袈裟に残念がってくれるのが地味に嬉しかったです。
勝つことの偉大さを知る。
創部以来勝ったことがないらしい相手に勝った。1-0でギリギリ勝った。この出来事を鮮明に覚えている。キーパーの性なのか知らないけど、過去を振り返ると負けた試合や失点の瞬間ばかりが蘇って、私って勝ったことあるっけ?ってくらい勝った試合を思い出せない。でもこの試合のことはなぜか今でも忘れられない。元々肉離れしていた足がまたブチってなって最後の数分で交代になったけど、足一本じゃお釣りが来るぜってくらい嬉しかったな〜
主将になる。
同期の3人のうち、しっかり者のかわみーときぃちゃんが主務と学連になったから、うっかり者の私が消去法で主将になった。憧れていたチームの主将だなんて荷が重くて、憧れていたチームの主将だなんて少し嬉しかった。
3年目 (2023~2024)
一度(二度?)の新歓を経て、新入生の東大女子の中から部員を勧誘するのは結構賭けだと感じていた。だからもっと大学の外にも知名度をあげたかった。この部活が存続、発展するためには数年後にア式女子を目指して東大に入る女子を確実に育てるべきだと思った。さらに、コロナ禍を含めた2年間を経て、応援してくださる方々に恩返しをしたい、もっと繋がりたい、もっと応援してもらいたいという気持ちが芽生えていた。「10周年」はやけに響きがいいので、存分に活用してやりたいことを色々やらせてもらった。
かこつけて双青戦にも参戦した。肝心の対戦相手がいなかったから、京大に女子サッカーチームを作って試合した。とはいえ、私はよし双青戦やってやるぜ!と意気込んだだけで、他は全部LB会や男子部、京大の方々が協力、尽力してくださったおかげで開催することができた。それぞれの懐の深さと情熱に感謝してもしきれない。
そして私が対外的なことにかまけている間、通常通り運営することに目を光らせてくれていた同期や先輩には頭が上がらない。
女子とサッカー。
10周年の活動の一環で、初めての試みとなるア式女子主催の女子サッカー教室を開催した。まあ言ってしまえばGSSの女の子版である。
ア式にはGSSというサッカースクールがあるのに、なぜわざわざ女子サッカー教室を開いたのか。体格差のない幼少期に男女を分ける必要はないだろうし、実際そう考えられているからほとんどの小学生以下のチームは男女の区別がない。
でも、固定観念ってあるなと感じている。サッカーは男子が主流。
幾度となく聞いた「小学生の時は男子に混じってやってました。中学には入れるチームがなかったのでやめました。」というセリフ。
小学生のチームだって、女子“も”入れるけど、どうしても男子が中心になってしまう。
サッカーエリートなら話は別だが、その下の段階には大きなブランクがあると感じている。
女子もやらせてもらっているみたいな感覚は、小さい頃のそうした環境や空気によって形成されていくのではないだろうか。
環境はテコを入れないと変わらない。置かれた場所で咲きなさいって言われても、置かれたように咲いてしまう。
たかが女の子版。されど女の子版。サッカーはみんなのもの、女の子たちだって主役でいいんだよ!っていう割と熱めの思いを持ってやってみた。
なんだか時代に怒られそうだけど、体裁を取り繕うマスキングなんかより、私たちには現実が、場所が必要なんだ。
一回死んだ。
色々なことが起こった。色々なことが起こったけど、あまりいい色じゃないから割愛。
主将としてリーダーを務めることも、心理学を学ぶ学生として人や心を扱うことも、自分には向いてないと思った。
逃げたかった。でも逃げられなかった。だからフットサルに行く途中、橋の上から綾瀬川を見つめては黒い水面に吸い込まれたくなった。でも母と父に会いたかったからやめた。
少し経ってから、強くなった。あそこで一度死んでいると考えれば怖いものは何もない。今はボーナスステージ、いつ死んだって構わない。それまでにできるだけ多くの人を幸せにして、ボーナスステージの恩を返すのである。
4年目(2024)
形成・騒乱・規範・遂行・解散の段階を想定する集団発達のモデルで考えるなら、ア式女子は今どこにいるのだろうか。
10年目で規範期に乗せ、次の10年に遂行期に移行できるようにしようと考えていたが、実際のところはまだ形成期から規範期を行ったり来たりしていると思う。
そしてまた、効果的なリーダーシップのあり方はチーム状況に左右される。援助や委任を主とするリーダーシップは、集団の成熟やメンバーの自律を前提に効果を発揮する。
「楽しく真剣に」を目指すア式女子では、楽しさを求めるのか、真剣さを求めるのかについて度々議論が交わされる。
楽しく真剣に、の両立は不可能なのか。
不可能じゃない。いつも真剣で、それでいて楽しい。何か難しいことがあるのだろうか?…と思っていた。
…でもわかった。不可能じゃない、ただし自律が必要だ。
全ての感情や感覚に明確な定義なんてない。私のそれと誰かのそれは違ったっていい。いや、同じであるはずがない。
しかし、他律を求めればそれは定義されてしまう。同じに見えないといけなくなってしまう。
でも、それは悪いことじゃない。自律の前に他律はあって然るべきだ。そして今求められているのはそれだった。
現状を見誤っていた。
リーダーは自分がやりたいことをするのではない。チームの目的遂行のために存在する。自分はそのことをわかっていると思っていたが、わかっていなかったのかもしれない。
Enjoy Football。
大学最後のリーグ戦の開幕戦。キーパーアップを始める。すこぶる調子が悪い。
前日の練習途中で目を負傷し、あまり動かなかったからだろうか。
緊張しているからだ、というわかりきった答えから目を逸らすために色々言い訳を考えてみる。
それにしても緊張しすぎている。皮膚の下で鳥肌が絶えず生起しているような感覚に襲われる。
結局、身体はカチコチのまま試合が始まった。
7失点もした。ダメだ、勝ちへの欲を出すと雁字搦めになる。
「えーんじょーい、ふっとぼーる!!」という少し腑抜けた高校時代の円陣の掛け声がふと甦り、ハッとさせられる。
引退。
最終節の日。言いたいことは、みんなめっちゃすごかった!!ってことです。
ああもう私いらないじゃんって少し寂しくて、すごく嬉しかった。キーパーのいいところの一つは、みんなの勇姿を特等席で見られることだと最後に改めて実感した。
0-0のまま、試合終了のホイッスルが鳴った。ああ、終わった。
主将じゃなくなった。
最終節の日は、主将じゃなくなる日でもあった。
イレギュラーで2年務めた主将。正直、主将でいるのは辛かった。後悔や葛藤、迷い、自分への失望は尽きない。大切なものを守ろうとすればするほど、傷つけてしまう矛盾に耐えられなかった。責任を纏った言葉はなんて鋭利なんだろう。その刃は両端にある。
しかしそれはいつも誰かが代わりに発してくれていて、今までの私はそこから逃げてきただけなんだと知った。だから、もう二度とリーダーをやることはないと思うけど、世の中の全てのリーダーを尊敬するようになった。
そして、本当にたくさんの人に支えてもらったことに感謝している。
いつも大きなご支援と激励をくださったLB会の皆様や大里さん。
何かと力を貸してもらった男子部の皆さん。
もはや家族のような、会うたびに元気をくれた文京LBレディースの皆さん。
いつも近くで見守ってくれて、時にエネルギッシュな昔の逸話を教えてくれたOGの皆さん。
それぞれのやり方でサッカーの面白さを広げてくれた前監督やコーチたち。
的確で温かいアドバイスをくれて、まさに指針、道標となってくれた一個上の二人の先輩。
勝手に沈んでいきがちな私の両脇を支えて引っ張り上げてくれた同期の二人。
会うといつも幸せをくれる可愛くて仕方ない後輩たち。
他にも、これ以上ないくらい応援とサポートをしてくれた家族、生活面も気にかけてくれたフットサルの人たち、離れても切磋琢磨した高校同期、永遠の師匠公文さん、挙げ始めたらキリがないくらい、それくらい多くの人に支えていただきました。
ふと見たテレビでアンミカさんが言っていた「おかげさまが一番身近な神様やで。」っていう言葉が妙に忘れられないのは、そういった人たちに確かに生かされていた覚えがあるからだと思います。
おかげさまで私はちょっと頼りないままだけど、これからは誰かを支えられるような人間になりたいです。
今はとにかく、ア式女子を消滅させないという一番小さくて一番大きな目標を達成することができてホッとしています。
女子部 森本帆南
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