投企
鈴木武尊(1年/MF/栄光学園高校)
初めまして。1年プレイヤーの鈴木武尊です。始めにこの場をお借りして、いつも僕が楽しんでサッカーをできるように支えてくださっている部内外のすべての方々に感謝申し上げます。
初めてのfeelingsなので、ア式に入った経緯を中心に書こうと思います。
4月の時点で、ア式で本格的にサッカーをやろうなどとは、全く考えていなかった。高校までのサッカー人生に悔いがなかったわけではない。中高どちらもキャプテンを務めたが、中学最後の大会は1日で敗退し、高校最後の大会には怪我で出られなかった。むしろ後悔ばかりである。それでも今までの後悔は、サッカーをやる中での後悔である。今後4年間サッカーを続けた場合の後悔は、サッカーをやったことそれ自体への後悔になるかもしれないと漠然と感じてしまったのである。
大学では、時間を何に費やすかについて、以前より段違いに自由度が増した。急にその重みを知覚させてくるようになった時間を、サッカーのために擲つだけの、サッカーへの執着心と情熱を、十分に持ち合わせている自信がなかった。でもア式の新歓練習に参加しているうちに、(始めは高校サッカー部の同期が行きたそうだったから一緒に行っていた)サッカーへの執着心と情熱が、みるみるうちに僕の中で膨れ上がってしまったのである。
僕の中の変化を生んだのは、ア式で接した「人」と「環境」だった。
新歓練習では、すでに入部を決めている人たちも多く参加していて、その人たちと話したのが、まず大きかった。高3の7月までサッカーを続けていた自分は、東大生の中だとサッカーを頑張った方だろうと漠然と思っていたが、同期の皆と話して、その認識は間違っていたことがすぐに分かった。同期では、僕より上のレベルでサッカーをやってきた人が多く、11月くらいまで続けていた人も少なくなかったのである。極端な例では、泰斗は藤枝東出身だし、大知は共通テストの4日前まで社会人に混ざってサッカーをしていた。これは僕の性である負けず嫌いを刺激するのに十分だった。ア式の先輩と話して、先輩方が、本気でサッカーを愛していて、情熱を注いでいるのを肌で感じられたことも良い刺激になった。
ア式の環境は、僕にとって夢のようだ。入部してから3ヶ月経っても続いているこの高揚感を、うまく抑えてまとまった文章にできる気がしないので、箇条書きさせてもらう。
・人工芝
ア式では全ての練習、試合で人工芝グラウンドを使う。高校までまでほとんど土のグラウンドでサッカーをしてきた僕からしたら、まさに魔法の絨毯。ボールの扱いやすさが段違いである。ボール以外のものに意識を裂きやすくなって、以前よりサッカーを楽しめている。
・部室
額面どおり捉えてはいけない。2階建ての建物を、僕たちは部室と呼ぶ。少し汚れていて、時々変な匂いがする空間が生まれるものの、個人ロッカーや、たくさんのシャワールームがあるのがとてもありがたい。2階ではウェイトトレーニングもできる。
・GPS
全ての練習、試合でGPSを装着する。カッコいい。イケてる。走行距離やスプリント回数、加速・減速回数をチェックできるから、ハードワークが苦にならないし、成長を数字で感じられる。
・冷たい水
マネージャーが準備してくれるボトルは、いつも冷えていて、夏の猛暑の中での練習では特に、欠かせないものとなっている。
・ボール
練習用もMikasaの良質なボール。
・フィードバック
先輩プレーヤーや、テクニカルと一緒にビデオを見返して、自分のプレーのフィードバックを得ることができる。自分の認識を、自分より遥かにサッカーの理解度が高い人とすり合わせると、新しい考え方や視点が自分の中で整理される。練習1回するよりも多くのものを得られることが多い。
・応援
公式戦は、試合に出ない人が全員応援する。初めて自分のチャントを歌ってもらった時は、感動で目が潤んだ。
受験期に勉強したことで、半年後の今も覚えていることは意外と少ない。それに自分では意外なことが、記憶に残っているものらしい。文系では共通テストでは50点にしかならない生物基礎の先生がおっしゃっていたことが、最近折りに触れて、脳裏に浮かんでくる。
「生物は、環境に影響されるだけでなく、環境を形成しながら、絶えず進化を繰り返すことでようやく、生命を繋いでいる。」 須藤先生(栄光学園)
ア式の「人」と「環境」を見て、4年後の自分は僕が恐れているような後悔をしないと直感した。大事なのは何をやるかではなく、どうやるかであるからだ。
大学でサッカーができて、サッカーをするというのは、世間一般から見て普通ではないから、「なぜ大学でサッカーをするのか?」という問いは、常に自分に問い続けなくてはならない。
それでも今すぐに、答えなければならない試験問題とは違う。精一杯前に進んでいるうちに、少しずつ分かってきて、その過程が楽しい。そういう類の問いであると確信している。
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