彼の分まで
髙木勇仁(1年/DF/広島学院高校)
初めまして。1年プレーヤーの高木勇仁です。
やじさんが最初に学年と名前くらいは書いといた方がいいとfeelingsに書いていたので、書いときました。先輩方のfeelingsを読むのが結構好きで、普段はほんわかしてる先輩のア式にかける熱い想いを知れるのがたまりません。最近内田さんが1年の時に書いたfeelingsを読んで、高三の1月のマラソン大会に出場したと書かれてあって度肝抜かれました。どこまでも脳筋でまじ最高です。
同期もみんな熱い文章を書いていてシンプルにびっくりしました。自分はみんなみたいな濃いサッカー人生を歩んできたわけではないしはっきりした入部理由もないので、最近思ったことを書こうと思います。
以降書きやすいようにですます調をやめます。ですます調の対義語ってなんていうんですか。わかる人いたら教えてください。あと、1人称めちゃ迷ったんですけど、普段と同じ俺で行きます。オラオラ感強くなったらごめんなさい。
先日、親友が息を引き取った。19歳の誕生日まであと9日だった。
10月1日、練習試合後、グラウンドでスマホを見ると、最近は動いてなかった中高の時の仲良し7人組のグループLINEからたくさんの通知が来てた。誰かに彼女でもできて盛り上がったのかなと思い、中身を見ると様子がおかしかった。他の5人がなにやら同じような体裁の文面を続けて送っていた。読んでみてなんとなく理解できた。と、同時に涙が溢れ出た。親友の母が彼が息を引き取ったことをグループLINEで送ってくださり、それに対し5人がお悔やみを申し上げる旨の文章を送っていたのだった。
なんとなく理解できたとさっき書いたがちゃんとは理解できてなっかた。もう彼はこの世を去り、会うことも、話すことも、触れることも、一緒にサッカーをすることも出来ないということを、その一瞬で理解するのは無理だったし、今でもどこかで会えるんじゃないかとふと思っちゃう自分がいる。頭は真っ白で混乱してたのに、不思議なことに涙は枯れることなく流れ続け、ただただ鮮やかな緑の人工芝にしたたり落ちた。
彼と俺は同じサッカー部で中高6年間を共にした。俺らが通っていた中高は部活は週2だったが、毎朝グラウンドは開放されており、公式に朝練するようなちゃんとした部もなかったので、自由に使用できた。俺は毎朝7時半にグラウンドに行って1時間ボールを蹴るということを高三の6月まで6年間続けた。ただただサッカーが好きだから別に苦ではなく楽しかった。うまくなろうという気はなく、ほんとただ楽しんでいた。上手いやつは結構いたが、弱小校故、そんなことを一緒に続けてくれる奴なんていない。彼を除いては。彼はほぼ毎朝グラウンドに来てくれた。彼とサッカーをした日々は本当に楽しかった。彼は誰よりも小さかったが、誰よりも足元がうまくて、そして誰よりもサッカーが大好きだった。俺の6年間のサッカーの思い出は、ジャイキリした試合でもハットトリックした試合でもコテンパンにやられた試合でもなく、毎朝積み重ねた彼とのパスコンだ。
病が彼を蝕み始め脚に痛みが出だし、とてもボールを蹴れる状態ではなくなっても、左足なら蹴れる!と彼は笑顔でグラウンドに来てくれた。あの時、もっと彼に寄り添い気遣ってやれば良かった。朝彼がグラウンドに来てくれることが俺の中で当たり前になっていた。もっと彼に向き合っとけば良かったと強い後悔が残る。
彼は最後まで自分の病気(骨肉腫)のこと俺たちには言わず、高二の冬入院するってなった時も、ちょっと股関節が悪いからとだけ言った。股関節が悪いだけで入院するかな、と多少の違和感は抱いたが、それ以上考えることはしなかった。あんまりこういう事は深く詮索するべきじゃないかな、と考えることを最後まで避けていたように思う。もっと彼のことを想ってやれば良かった。部活もあり受験も控え彼女を欲しがる普通の高校生だった俺は、おそらく自分のことで精一杯だったのだろう。決してそんなつもりはなく、むしろ一応キャプテンだったし周りに気を配るよう心がけていたのに。キャプテン失格だ。自己嫌悪に陥る。
結局それから6月の引退試合まで、彼とサッカーはできなかった。彼と最後にボールを蹴ったのがいつかは正確には覚えていない。もっと一蹴一蹴大切にしとけば良かった。
引退後本格的に受験勉強が始まった。今やアゴと色黒に並ぶアホキャラみたいになってしまっているが、当時はすこぶる頭が良く親の転勤のこともあったので、高2の終わりくらいから東大を目指した。彼もそうだった。俺と同じくらいすこぶる頭が良く、中一の時から勉強の教え合いとかもよくした。特に彼は数学がめちゃめちゃ得意で(ジュニアオリンピックファイナルに出場するくらい)、完全に文系脳の俺は本当に助かった。
高三の間彼は入退院を繰り返した。彼が松葉杖で学校に来たときはC組まで行ってたくさん話した。彼が学校に来ないときはLINEでたくさん話した。勉強の話もしたし、うちのサッカー部随一のアホのやらかし話とかもした。楽しかった。W杯の試合は彼とLINEしながらみた。LINEに夢中になって試合に集中できなかった。楽しかった。あの歴史的な決勝戦は寝落ちしてしまったのだが。
共通テスト当日、彼は松葉杖で来た。久しぶりの再会だった。あんまり勉強が捗らないとLINEで言ってたので不安だったが、いつも通り余裕そうな口調だったのでほっとした。自分の緊張も全て吹っ飛んだ。
結局彼は阪大を受験し見事合格した。LINEで報告が来た時、マジで嬉しくて涙が出た。本当に自分の合格発表の何倍も嬉しかった。これはあとに彼の両親から聞いたのだが、この頃にはもう座るのもしんどい状態で、試験の合間トイレにこもって鎮痛剤を飲みながら受験していたのだという。そんなこと俺たちには一切言わなかった。弱音も全く吐かなかったし、あんな小さな身体で誰よりも強かった。
親友だった俺たちには弱いところも見せてほしかった。しんどいならしんどいと言ってほしかった。できないとは分かっているが、痛みを一緒に分かち合いたかった。俺たちがもっと彼に寄り添っていれば違っていたのかもしれないと、やはり後悔が残る。
結局彼は休学という形で阪大には通わなかった。足も痛いしこれが治ったらまた通うと、LINEが来た。
入学後、俺はア式に入り忙しくもなり彼とのやりとりは格段に減った。彼から連絡が来ても後回しにする日々が続いた。なんですぐ返信してやらなかったんだろう。また自己嫌悪に陥る。それでも俺の誕生日には、
なんとか覚えてたー
とLINEを送ってくれた。中高の時から、敢えておめでとうとは言わないノリを二人でやっていた。それを久々に思い出しなんか心があたたかくなった。このノリを今年の彼の誕生日にもやりたかった。
9月25日。きっかけは全くなく、ただなんとなく彼の体調が不安になり、脚が悪いだけではないんじゃないかと思い、ついに単刀直入に聞くことにした。
俺 どこが悪いん?
彼 まあまあ
色々かな
まぁ復活できるようにリハビリ頑張るわ
体調がダメなわけやないから
心配してくれてありがとうだー
俺 また会える時に言ってな
これが彼との最後のやりとりになった。この1週間後に彼は息を引き取った。明らかに俺に言いたくなさそうだったので、これ以上詮索するのはやめた。彼はこのLINEを15分にわたって送ってくれた。これもあとに彼の両親から聞いたのだが、最期はお茶碗を持つので精一杯だったのだという。そんな状態でこんなLINEを送らせたのが本当に本当に申し訳ない。どうせならもっと楽しい話をしてやればよかった。彼を笑顔にしてやればよかった。
告別式で最後に彼の顔を見た時、震えが止まらなかった。辛くて残酷な現実が突きつけられた。彼はすっかり痩せ細っていたが、その表情は非常に穏やかで彼の強さを感じられた。
思うことがいくつかある。どれもベタで当たり前のことだが。
まずは人を失う喪失感のデカさ。初めて身近な人が亡くなったが、思ってた何万倍も辛い。こんなにも大きな喪失感初めて感じた。本当に胸にぽっかりと穴が空いたような感じだ。遠征のバスでうるさすぎて怒られたり、罰走したり、サンフレの試合を何十回も観に行ったり、文化祭で踊ったり、カラオケに行ったり、下校中1時間くらいコンビニでだべったりした彼との日々に思いを馳せれば馳せるほど、その穴は広く、深くなる。この穴を埋め合わせようと必死になるのではなく、共に歩んでいこうと思う。
そして、身の回りの人のことを大切にするということ。もうこれ以上大切な人を失いたくない。が、残念だがそれは決して叶わないだろう。人は必ずいつか亡くなり、それがいつなのかは神にしかわからない。それなら目の前にいる家族、親友、先輩、同期と共有している今を大切にするしかない。ああすれば良かったとか、こういう風に言ってやれば良かったとか、もう後悔したくない。できる限りのことはしたい。前よりもっと周りに気を配りたい。それでも、一時の感情でそれを怠ることが必ずある。人間なんて所詮そんなもんだから。その時は彼を思い出すようにする。
そして、今を大切にすること。サッカーができ、勉強ができ、同期と箱根に行けるというのは当たり前なんかじゃない。日常すぎて当たり前になっちゃうが、普通に奇跡である。ほぼ勉強しなかったSセメの俺は完全にこの奇跡をないがしろにしてた。ベタでなんか嫌だが、彼の分まで勉強もサッカーも頑張る、そう誓った。
そんな中での育成落ち。流石にメンタルにきた。これまで2回育成落ちを経験したが(こんなハイペースで落ちたやつ今までいるのかな)、今回はその比にならないほどメンタルにきた。彼を失った悲しみをサッカーで紛らわせていたが、それが一気に崩れ落ちた。ガチでメンタル崩壊寸前だった。ネットで鬱病検査を受けてたら、精神科を勧められていたに違いない。もちろんAの中で一番下手なのはわかってたけど、たまにいいプレーも出来てたし、同じポジションの先輩が累積で出場停止になったので、ベンチ入り目指して1週間頑張ろうと思ってた中での育成落ち。彼の分まで頑張ると誓ったのに、サッカーに対するやる気が本当に0になった。これまでのサッカー人生で感じたことない無気力さを感じた。
それでも、久野さんとかが切り替えていこうと声をかけてくれて、何とか持ち堪えることができた。ありがとうございます。
客観的に考えて、このままだと2024年シーズンはずっと育成だろう。何かを変えて劇的に成長しないと公式戦に絡むどころかAに上がることすらできない。自分に足りないことは山ほどあるし、それを一個一個埋めていくしかない。そのために今できることを精一杯やる。冬オフ中はとりあえず筋トレを頑張ってみる。それで上手くなるかはわかんないけど、とりあえず今できることからやっていく。
このままだとダサくて彼に顔向ができない。彼は俺の自慢の親友だ。みんなに自慢したかったからこの場を借りて書かせてもらった。俺も試合でバリバリ活躍して彼の自慢の親友になりたい。そのためにはまず今を大切にして頑張るしかない。彼の分まで。
ですます調の対義語、だ・である調って言うらしいです。そのまんまなんですね。
がちで感動した。
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