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来年のことを言えば鬼が笑う

 もうすぐ自分のア式1年目が終わる。コロナのせいで短いシーズンだったなあ。スタメンには入れてないけどAチームでプレーできてるし、まぁ上出来かな。来年は公式戦出れたらいいなあ。もうオフ入るから旅行の計画でも立てよ。 はい、自分失格。たらたらしてんじゃねーよ。 どうも。1年の八代っす。熱で寝込みながら書いてるんで、ちょっと陰気な文章だけど、いつもはもうちょい楽観的っす。 自分の今のア式での立ち位置はセカンド。運良くAチームにあげてもらえたよ、って感じの選手。入部して育成に合流してから今年の目標はAに上がることかなって思ってたから、早い段階であげてもらっときはびっくりしたし、ちょっと調子に乗ってた。Aに入ったばっかの時はビギナーズラック発動。あれ、意外とできるじゃん。俺上手いんじゃね?すげえ上手い人は数人いるけど、成長すればスタメン入るチャンスあるぞ。、、、、現実はそんな甘くなかった。ここで行き詰まる。プレー判断の遅さと基礎技術の無さを露呈。一回ミスするとミスが怖くてボールを受けたくなくなり、視野も格段に狭くなる。早くボールを離したいからとりあえず近くに見えたパスコースに出す。プレッシャーが早くて脳が追いつかない。自信がなく声も出ない。周囲の目線が痛い。またミス。きつ。早く練習終わらないかな。ってな感じで、遼さんに怒られる毎日。お前下手だなー、って何回言われたことか。間違いなく自分がAで一番下手だった。 公式戦に絡めないのもやっぱ悔しかった。高校時代一年の頃から試合に出続けた自分にとっては、初めての経験だった。終了間際の劇的なゴールで逆転した玉川戦は、ア式に入って一番興奮した試合だった。一方でその劇的な勝利の喜びをピッチの中で分かち合えないことが悔しかった。自分と一緒にAに上がった一年の2人がリーグ戦デビューをしていくのをベンチ外から見ていることしかできなかった。試合に絡めない以上、いつ育成に落ちてもおかしくなかった。 こういう中でもメンタルブレイクせずに続けられたのは先輩たち、特に4年生の存在が大きかった。いいプレーをしたら褒めてくれ、悪いプレーをしたら改善方法を教えてくれ、積極的にコミュニケーションを取ってくれた。サッカー上手いし優しいし賑やかだしすげえ人達だなあと思う。旬悦でのまさみさんもうるさいけど明るい気分になれる、ありがたい。 下手なりに成長してる実感はある。

作者の気持ち

今年は、コロナの影響で無観客でのリーグ戦が続いている。 コロナはア式から一つの文化を無くそうとしている。 "応援" 今年のリーグ戦は、部員以外の試合観戦を認めておらず、観戦するにしても、密になっての観戦や声を出しての応援が禁止されている。 毎年、卒業していく4年生の誰かはこう言う 「リーグ戦に出る喜びを味わってほしい」 2年前、東京都2部でゴールに、アシストに大活躍の佐俣さんは素晴らしいプレーをするたびに、応援側からの大声援に包まれていた。 1年前、東京都1部で、城後さんが前年関東リーグ所属の東京農業大学から、終了間際に、その年のチーム初ゴールで同点に追いついてみせた。応援席は喜び爆発、ベンチも試合に出ている選手に駆け寄って、祝福。そして、生まれる城後さんのバンザイ。 今年は、こういうことが一切ない 寂しいリーグ戦になった 今シーズンからAチームに上がり、守備面が評価され、リーグ戦第1節東工大戦に後半15分から出場することができた。 公式戦初出場の選手には、出場と同時に応援歌が歌われるような風潮があったが、拍手のみ。 ちょっと寂しいデビューとなってしまった リーグ戦第5節武蔵大学戦、スタメンでの初出場。こういう時も、 「テンション上げてけよ!」 があるはずだったが、行われず。(この日の主役は石川さんだったので、普通になかったかもしれません。) だいぶ寂しい初スタメンとなってしまった 俺、リーグ戦に出る喜び味わえてるか? 東工大戦では、幼小中高で同じだった奴や高校の先輩と闘うことができたし、武蔵戦は昌平高校のやつと闘え、チームは4ゴールの快勝で、勝利の喜びは味わえているとは思う。 足りないのは、実力と応援 2試合に出場し、勝ち点6。しかし、そのうちの0.1ぐらいの活躍しかしていないだろう。 守備面では、2部相手ならもっと完璧にシャットアウトできなければならないし、攻撃面でも、奪ったボールを確実にエース達につないでいかなければならない。 翠嵐高校が、高校では全国クラスの奴を圧倒するというのは、かなり楽しいものだろうと考えるともっと力をつけていきたい。 実力も足りないが、もっと足りないのは応援。 2年前、内倉さんが守備で尽く相手のチャンスを潰して、応援歌が連発されていたのを思い出すと、なんか悲しい。もちろん、近くにいた久野や槇さんが「ごつ、ナイス!」と

スマホって便利だね

 これは私事なのだが、この文章を書くちょっと前に自分のスマホを壊してしまった。手が滑ってスマホを落として画面が割れるという、、、まあ、よく聞くような話だが。スマホが壊れてショックでもあった。だがそれ以上に新しいスマホと交換して再び使えるようになるまで、非常に不便だった。連絡取れないし。普段どれほどスマホに頼っているかが実感できるものだなって。もはや生活の一部になってるし、連絡を取るのはほとんどスマホでだし。俺は高校生までスマホ持ってなかったイマドキにしては珍しい?存在だったはずなのだが、いつの間にかスマホを片手に持っていることが当たり前の日常の風景になってるような、、、        便利なものに限らず、何かずっと頼ってる ” もの ” 、利用している ” もの ” があるといつの間にかそれがあることが当たり前のように感じてしまうことはよくある。それが無くなり困って初めてそのありがたみに気づくこともしばしばである。頭で分かっていても大体こうなる。仕方ない。普段からそれは当たり前じゃないことを意識しろだなんて普通無理だよな。  今年は春頃からコロナが流行って(しかも世界的に)、コロナにかからなくても大変な思いをした、あるいは今もしている人は大勢いるだろう。大変な思いをしたとまではいかなくても、いつもの生活ができずに不便だったという人がほとんどだっただろう。        ア式ももうすぐ ” 当たり前にあるもの ” がいなくなる時期がやってくる(この文章を書いた現在)。サッカチームである以上毎年あることなんだけど。とはいえ、だから今を大事にしろだとか四年生に頼るなとかなんて陳腐なことをここで言ってもほとんど意味ないと思う。大切なことだけども。どうせみんな俺よりも分かってるだろうし。学年関係ないとかいっつもみんな言うしね。    しかし今年は例年より多い。少なくとも来季も残る人にとって特に上級生になるほどこのチームにおける ” 当たり前 ” であったことが変わる。チームとしてはそれに対する準備をしているが、うまくいかない可能性は十分にある。そのことに対する覚悟は必要だと思う。もちろんこんなこと考えるのはシーズン終わった後でいいだろうが。油断してたらア式のサッカーのあり方や組織のあり方さえいつの間にかガラッと変わってたということになりかねない。今のア式のあり方でさえ ” 当

残り少ない今シーズン頑張りましょう

 feelingsの名の通り、2年近くなったア式生活で感じてきたことを書きます。 まずはサッカーについて。 2年間リーグ戦を戦ってきて感じたことは色々ある。 けどそれをまとめるなら「勝つのは大変」の一言になる思う。 これはよく言われることだしずっと前から分かっていたけど、去年と今年では別の大変さを感じた。 都1部で戦った去年は、単純に相手より多く点を取るのが大変だった。 こっちが苦労して1点取る間に相手に易々と2、3点取られるような試合もあったし、勝ち越しても追いつかれて再び突き放されるような試合もあった。 それに比べればリーグのディビジョンが落ちた今年は勝利を重ねているとはいえ、勝ち続けるという別の大変さがある。遼さんがよく言うように、相手より勝ち点が上だからといってその試合が有利な状態から始まることはない。その辺の認識の甘さが一橋戦では出てしまったと思う。コロナでチーム作りが一度途切れた不運は他も同じだとして、怪我人をなるべく出さずに毎試合勝利という結果を残し続けるのはどのレベルで戦うにしろ大変なことだ。今年のリーグ戦ではこうした勝ち続ける難しさを感じた。 これらの難しさを乗り越えて勝っていけるチームを目指す時、チームがどの段階にあるか認識することがまず大事だと思う。 簡単に言えば去年のように周りとの質や完成度の差を埋める段階なのか、今年のように自分たちの力を発揮することの方が重要な段階なのか。チームの段階を明確に区分できるわけではないけど大きく分ければこの二つになるだろう。 残り少ない今季に集中している今だけど、あえて来季に目を向けると、4年生が抜ける来季のチームは間違いなく前者からのスタートになると思う。仮に都の1部に昇格できたとしたら、他のチームと比べても劣らないのはゲームモデルと戦術ぐらいだろう。それだけで勝てるわけがない。しかも今年はリーグ戦が長引いたせいで新チームの準備期間が短い。期待と不安でいっぱいです、じゃなくて不安の圧勝。 ただ、サッカーで人を集めていない、周りから勉強だけだと思われていそうな東大ア式蹴球部が他の強豪を倒して関東に行くのが夢のある話なのは間違いない。厳しい戦いになるのは目に見えているが、都1部での挑戦はこの夢を実現するために必ず通らなければならない道になる。その過程を経験できるならとても幸せなことだ。そこで自分は何ができるかとか

最高の環境

  初めて回ってきた feelings 、ア式に入った理由を書こうと思ったが、いざ書くとなるとそんなにはっきりした理由も思いつかない。ア式に入ることはずいぶん前から決めていた。東大に受かる前から、もっと言えば東大を受ける前から決めていた。でもなぜなのかは自分でもわからない。なんとなく入ろうと考えていて、なんとなく入って、そして今、という感じだ。正直自分はサッカーが上手いわけではないし、このままサッカーを続けてプレイヤーとして食べていけるわけでもない。でも自分はア式でサッカーをやると決めた。無駄だと思う人もいるかもしれないが、自分は絶対にア式で 4 年間を無駄にするつもりはないし、無駄にしない自信もある。自分がア式でどう過ごしていくか、期待していてほしい。    さて、ア式の練習に参加し始めて早 3 か月がたった。新しい家での一人暮らしにも、ア式のある生活リズムにもだいぶ慣れてきた。ア式で練習をしていると、今自分は最高の環境でサッカーをしている、と強く感じる。人工芝のグラウンドはそのひとつ。高校の土のグラウンドとは違って雨が降っても練習できるし、ボールはイレギュラーしない。おまけにソックスは泥を落とさなくても洗濯機に入れられる。芝のピッチももう当たり前に感じているが最初は感動したものだ。あとはコーチ。育成チームだけで 4 人のコーチがいて、しかも FW 、 MF 、 DF 全てのポジションを網羅している。こんな最高の環境はないのではないかと思う。 しかし、最高の環境だからこそ、今まで自分がごまかしてきた部分に向き合わなければならなくなった。イレギュラーの無い人工芝のピッチでは、トラップミス・パスミスは全部自分のせいだ。グラウンドのせいにはできない。自分の基礎技術の低さを改めて思い知らされる。また、高校の時、自分でも分かっていながらずっとごまかしてきた、そしてなんとかなっていた守備、フィジカル、中盤で前を向けない、などの自分の弱さを全部指摘される。 4 人の目はごまかせない。今まで分かっていながら見ないふりをしてごまかしてきた部分。それを今課題として目の前に突き付けられている。最高の環境だからこそ、自分に足りないものが明確になる。その課題を一つずつクリアしていくことが選手として成長していくための一番の近道であることは間違いないから、しっかりと向き合っていきたい。    

友情・努力・勝利

  このタイトルを見てピンときた人もいるだろう。 これは週刊少年ジャンプのテーマだ。 今回の feelings で漫画の名言とか紹介したいなとか思いながら書く内容に悩んでいたら、自分が 10 年近く購読し続けているジャンプが思い浮かんだので、そのテーマに関連することを書いていきたい。   ・友情 いきなり少し困った。というのも自分が 1 年時に心臓の異常が原因でア式に入ったものの5月に退部して 2 年になって改めて入部したこともあり、自分の口数が少ないこともあり、同期たちとの仲が友情と言えるほど深まっていないからだ。 でも、 2 年時になってア式に復帰しようと決断できた理由の1つには間違いなく、同期や先輩の影響がある。同期のチームメートは部活を辞めてからもキャンパスで会った時に体調を気遣ってくれたし、 1 年の2月くらいに内倉前主将が LINE でア式に再び勧誘してくれたし、それらが復帰を決める大きな後押しになった。本当に感謝している。 友情とは違うがチームワークに関しては、最近は自分とチームメートのプレーの特徴に対する互いの理解がかなり深まったと感じる。試合中も自分がプレーする際にやりやすさを感じるようになった。一方で先日、育成チームは久しぶりの公式戦(自分にとっては大学入学後初の公式戦)となったサタデートーナメント1回戦で負けてしまった。ア式は組織戦術で相手を上回ることを重視しているが、改めて個人の力の重要性を実感した。今後は互いに指摘を増やすという形のチームワークを発揮することで個人の力を高めることにつなげたい。   ・努力 小川原や石丸が努力と夢中の違いみたいなことを feelings で語っていたのを読んだ時に、自分はサッカーに関して努力して取り組んでいるのか、夢中になって取り組んでいるのかふと考えた。週6回の練習や試合を苦に感じたことはそこまでなく DAZN で週3試合くらいフルでプロの試合を見ていることを考えると夢中と言えるのかなとも感じるし、好きでもない筋トレに週3回取り組んでいるという点では努力しているという側面もあると思う。 話は若干変わるが、先述したトーナメント敗退後に自分はまだ努力が足りていないのではないかと感じることがあった。実は敗退後にそこまで悔しさを感じず試合の反省やこれから取り組むことに頭が切り替わっていた。振り返ってみれば高校の時に

鹿島田聡のfeelings。

教養学部文科三類1年の、鹿島田聡です。今回は入部理由や意気込み、現状などについて書きたいと思います。 僕はこれまでサッカーを中心とした生活を送ってきました。幼稚園で地元のサッカーチームでサッカーを始め、小学校でサッカーをし、サッカーをするために中学受験をして暁星中学・高校で6年間サッカーをしました。中学ではほぼ試合に出てなくて、高校では途中から出場させてもらえるくらいでしたが、暁星では良いチームメイトと監督とトレーナーの下、ピッチ内外で本当に良い経験をしました。特に高校は非常に充実していた思います(後から考えると)。 これほど今までにサッカーをしているので、大学ではサッカーをやらずに中学や高校では経験できないようなことをやる選択肢もありました。 それでも大学でもサッカーをすることを決めました。その理由はサッカーのプレーに関して、中学・高校でやってきたのでは、自分が満足していないある部分があったからです。高校サッカー部の引退直前の試合で、この部分に自分が満足をしていないことを感じました。そして「絶対に東京大学に入ってサッカーをしてその満足していない部分をやり切らなければならない」という思いが、心の底から湧き出てきましたた。なので簡単に言うと僕の入部理由は、自分がサッカーを辞めて良いと思えるほど自分がまだサッカーを完全にやり切っていないから、です。なお、満足してないある部分についてはここでは書きません。 次に意気込みのようなものについて書きたいと思います。 ア式蹴球部には、自分が今までにやってこなかった戦術や知らなかったサッカーの概念があります。なので、まずはそういったア式蹴球部が目指しているサッカーを理解して、自分が必要とされるプレーをできるようにしたいと思います。またその中で自分が中学・高校などで身につけた自分の特徴も出していきたいと思います。 最後に現状について書きます。 現在、大学でサッカーをし始めて3ヶ月くらいが経ちました。ただ、今の自分のプレーは、はっきりいうと悪く、全く上手くいってません。「今日は良かった。」と納得して家に帰った日はある一回の練習しかありません。何がいけないのかを考えたり、OBコーチに質問したりしても、最近は逆によくわからなくなったり、人への文句が先に出て、よりナーバスモードになります。なので今現在の目標は、焦らずに、毎練習で「これだけはや

行き当たりばったり男、行き当たる。

  行き当たりばったり…計画を立てないで、その場の成り行きにまかせること。   I は無計画で気分屋で行き当たりばったりな奴であり、これまで行き当たりばったりな人生を送ってきた。先のことなどほとんど考えたこともなかった。予定を立ててそれ通りに動く、というのが非常に苦手なのである。今日は何かうまいものを食べよう、と思い立ち、えせ関西人と池袋に行くにしても、なんかあるやろ精神でリサーチなしで行くから結局しょぼい店に行きつくことになる(たいてい松〇やかロッ〇リアである)。 I が東大に入学することになったのも行き当たりばったりの産物である。統一テストの成績では金沢市ワースト 1 位を争う某公立中学校を卒業し、晴れて高校に入学した I の頭に「東大入学」などというパワーワードが浮かぶはずもない。 1 年の進路希望調査ではサッカーが強いという理由で筑波大学を志望した。天皇杯で勝ち進んでいた筑波大学はサッカーバカからすればあこがれの的であったし、 I の定期試験の成績的にも妥当な選択であった。しかし、時が過ぎるにつれ、何故か成績が上がってきた。そして I は京大にかすかなあこがれを抱くようになった。「京大」という響きがなんとなく I にとって心地よかったし、変人が多く生息しているという噂も I の背中を押した。そして 2 年になるころには I はすっかり京大信者になっていた。しかし、成績の向上は止まることを知らず、 3 年になるとついに担任に東大をゴリ押しされることとなる。東京と言えば満員電車のイメージしかなかった I は志望変更を渋った。そして判断を保留にした( I の得意技である)。しかし、放課後補習が始まるころになると志望校を確定させなければならなくなった。ただ、そのころ、無垢な I の中に都会に対する淡い憧れが芽生えていた。   東京タワー、かっこいい。   そしてついに I は東大を志すこととなったのである。このように I の行き当たりばったりエピソードなど挙げればきりがない。自粛期間中には思いつきで 21 時に自転車で江の島に向かう、という奇行に走り(これに付き合ったえせ関西人は気の毒なものである)、天気も確認しなかったため、帰りには(江の島には無事午前 2 時に到着し、カップ焼きそばを食べながら日の出でも見て帰ろうと思ったが、方向を間違え、ただ単にじわじわ明るくな

これからが、これまでを決める

本気でア式を辞めようと思った。 1月のスタートアップ合宿の数日後、右足くるぶしより少し下のあたりに原因不明の痛み。靭帯だ、長いだろうな、と直感がそう言っていた。何度目だろうか。練習を欠席し地元の病院でMRI撮影を終えて、内倉さんにLINEした。話がありますと。 テクニカルスタッフに転向してからの半年間、充実していると思う。進振りでは学びたい学問を学べる、第一志望の学部への進学が決まった。毎日課題に追われる日々でも、やりたいことなのかどうかではモチベーションも変わってくる。初めて担当したスカウティングでは劇的な形で玉川に勝利。昇格を争う上智との直接対決にも勝利。ほんのわずかであることは十分に分かっているけれど、ア式の勝利に貢献できて嬉しい。 こうした話は来年のfeelings、あるいは引退の時のfeelingsにとっておこうと思う。プレイヤーと共に、今後も数多くの歓喜を味わいたい。 feelingsは多くの部員にとって自分を見つめ直す機会になるが、自分にとっても例外ではない。一度吐き出しておく必要があった。他でもない、自分の決意のために。 初めて怪我で離脱したのは入部してすぐの6月頭頃だったと思う。打撲により肋骨にヒビが入ったかどうかみたいな、まあサッカーをやっていれば起こり得る怪我だろう。2週間くらいで復帰したが、出鼻をくじかれたな、と感じた。 が、ここからが地獄だった。 7月頭頃に右足首を捻挫した。双青戦まで2週間とかそれくらい。育成チームで、サタデーリーグに絡めていなかったから、双青戦は大きな舞台であった。そんな機会に、京都まで行って筋トレだけして帰ってくるなんて絶対に嫌だ。幸いサッカーができなくなる程重いものではなかったので、テーピングを固めて練習していると、今度は左足アキレス腱に痛みが走った。無意識に右足を庇って走っていたからであろう。90分気合でフル出場し、そのまま離脱した。 アキレス腱炎は、慢性化しやすく、なかなか治りにくいとされる怪我の一つだ。痛みが一応治るまでには2ヶ月弱の期間がかかった。高2の冬に引退し、1浪して東大に入った自分にとって、再びコンディションを戻すのには時間がかかった。痛みがぶり返すこともあった。 やっとコンディションが戻ってきたと感じていた復帰から約1ヶ月後の10月末、Aチームはリーグ戦を終え4年生は引退し、1週間のオフがあった。O

空虚な本音

  こんなに feelings を書いていて、今の自分の空虚さに気づかされると思っていなかった。     feelings は、部員がその時々の自分の思いを、部の内外に発信することは勿論の事、同時にその思いを自分なりに消化する場でもあると思っているが、いつもならば自然と消化したい気持ち、発信したい内容がいくつか思い浮かはずなのに、今回ばかりは、心の底から描きたい文章が一切見つからないまま、ペンを走らせている。本来ならば春先に投稿するはずだった自分の feelings も、その時の自分と真正面から向き合い、感情を整理して、ある程度の納得がいくものは書きまとめることができたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって強いられた、自粛期間という未曾有の空白期間の間に、自分自身の考え方も当然その時とは変化していたため、改めてその文章を表に出すことに強い違和感を覚えた。そこで、改めてテーマを設定して、今の自分と向き合い直そうと努力してみたものの、やはりそれは「努力」の域を超えることはなかった。何を書いても、表面ばかりを取り繕って、下手に美化した、歯切れの悪い文章ばかり。何度もゼロから書き直したが、結局は本当に書き起こしたい自分自身の内なる感情が何一つ見つからなかった。     「感情で物事を片付けるような人生は歩みたくない」といつしか考えるようになったが、今はそれすらも綺麗事のように聞こえてしまう。「感情」には必ず、それが生じるきっかけとなる出来事が存在するもので、自分自身の「行動」という何かしらのアクション無くしては、「感情」というリアクションは生まれない。それゆえ、先に「行動」を起こすことこそが何よりも重要で、「感情」は後からついてくる副産物のようなものと考える。「感情論」は、リアクションという従属変数で物事を語っているという点において、人生における成功や失敗の本質から目を遠ざけたまま、根本的な自己分析と自己変革から現実逃避し、他人ごととして自分を傍観しているようなもので、いわば、プロ野球の試合を見て、ネット上で選手の文句ばかり言う醜い輩と何ら変わらない。しかし、このような議論さえも、どこか表面的で薄っぺらく感じてしまうのは、やはり自分自身に問題があるのか。     今年も、あっという間に夏が過ぎ、心地よい秋風が吹く季節になった。「長崎」という地で生まれ育った人間にとって、特

試合を決められる選手になりたい

  サッカーという競技は1チーム11人で戦うスポーツ。いかに多く相手のゴールへ点を決められるかの勝負。多く点を取るために様々な戦術が考案されてきた。しかしいくら良い戦術があってそれをうまく実行できたとしても、最終的には個人戦術が勝敗を左右する。個人戦術、つまり個の力が試合を決めることは多々ある。ネイマールの技術力・ムバッペの走力・ファンダイクの圧倒的なフィジカル。そういう一面がサッカーにはある。   8/23 に右足の腓骨にヒビが入って以来2ヶ月近くサッカーができていないなか、自分は上のようなことを考えていた。最近、 YouTube でアスリートのインタビューを見るようになったのだが、遠藤保仁選手も同じことを言っていた。 「あいつさえうちのチームにいれば勝てたのに。そう思われる選手が一番強いし、僕はそういう選手になりたい。」 全く同感である。自分もそういう選手になりたい。だけど今の自分を主観的にも客観的に見てもその存在には程遠い選手であるようにしか思えない。どうやったらなれるのか。どう頑張ればなれるのか。頑張っても本当になれるのか。いくら考えてもわからない。   ある日、ふとイチローのインタビューを見てみようと思った。イチローは毎日体のケアを欠かさず続けてきたと聞いたことがあったので、何がその原動力になっているのか気になったからだ。 YouTube で「イチロー 名言」と検索した。多くの動画がヒットした。ご飯を食べながら色々見てみたが、どう頑張ればいいかわからないと思っていた自分に突き刺さるものが多くあった。   イチローは天才で努力家だ。そう思っていたが実際のインタビューで本人は「自分は周りより努力してないし、才能もない。」と言っていた。インタビューだし謙遜しているのかと最初は思ったがどうも違うらしい。「自分はただ野球に夢中だった。」そう語っていたのだ。   他の動画では「努力」と「夢中」の違いについて語っていた。その中で一番印象に残った言葉は「『努力』している奴は『夢中』な奴には勝てない。」この言葉だった。   自分が努力を続けられない原因がイチローのこの言葉に詰まっているように感じた。もちろん自分は成長したいと思っているし、そのためには頑張ることが必要なこともわかっている。ではなぜ続けられないのか。努力の捉え方がそもそも間違えていたのだ。   イチローが「夢中