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天然パーマに悪い奴はいない

こんにちは。 2 年、プレーヤーの矢島です。 みなさんの feelings を読んでいると最初に名前を書かずに始めてる人がいるんですけど、 feelings のサイト内で別の記事に飛んだときに誰が書いたかわからなくなってしまうので学年と名前くらいは最初に書いておいた方が良いと個人的に思ってます。 ただこうやって最初に名乗ろうとするとどうしても文章の始めに敬体を使うことになるので、これからの文章を全部敬体にそろえなきゃいけなくなって面倒くさいですね。最初の自己紹介だけ敬体で本文 ( ? ) は常体にしてる人もいたんですけど、切り替わった瞬間に何とも言えないくすぐったい違和感を僕は感じてしまうのであんまり好きではないんですよね。かといって、自己紹介から常体にして、プレーヤーの矢島だ、とか書いてあったらそれはそれで笑っちゃうので八方塞がりです。   あと、 feelings とか言っておきながら自分の感情ほとんど書かずに、自分以外のことに焦点当てて書いてあるやつ ( ア式の環境褒めるやつとか ) もあるんですけど、読み手的にはやっぱり少し残念ですよね。書き手側の目線では自分の感情 ( 上手くいってないときの感情ならなおさら ) を全世界に向けて発信するのは気が引けるなと思うので書きたくない気持ちもわかるんですけど、自分の感情を書き出すことで気持ちを整理できることもあるだろうし、誰かが悩んでることがわかれば悩んでるのは自分だけじゃないと救われる人とか、誰かの秘められた闘志を読んで自分も負けてられないって鼓舞される人とかもいると思うのでできればそういう感情も吐き出してくれると読者としては嬉しいなと思っております。   こんなことを書いてると結構な文字数になったのでここら辺で終わりたいなと思いつつ、ここで終わりにしたら数行前の自分にがっかりされるので、さらに数行前の自分に違和感を与えながら続きを書いていこうと思います。     昨シーズンは最初の方は楽しかった。夏の終わりくらいに待望の練習が始まった。一年は最初はみんな育成チームに合流するのだが、育成チームは人数が多いため B1 と B2 に分けられる。最初に slack でメンバーが発表された時は B2 でがっくりきたが、確かひでさんが怪我したことにより奇跡的にその枠に入れてもらえて一年は 4 人だけの B1 チームにで練習で

惰性

  「どうして今あなたはア式にいるのですか?」 「うーん、そう言われても困るなあ。惰性ですかねえ」 僕にはこんな歯切れの悪い答えしか出てこない。 基本的にア式の人たちはこの質問に「サッカーが好きで楽しいから」と答えると思われるが、僕はちょっと違う(決してサッカーが嫌いというわけではない)。そもそもア式を選んだ理由だって「今までの人生にはなかった新しい世界を知りたい」というものだったし、正直ア式はしっくりは来たがそこに必然性はなかった。 そこから 2 年間、大好きなスポーツに全力で取り組む人たちの横に、胸張って好きとはいえないヤツが 1 人。みんなに比べて真剣にサッカーと向き合えなくて、漫然とこの集団の中にいるのを申し訳なく思ったこともある。そりゃなんで続けてんねんって自分でも思うし、思われてもいるかもしれない。考えても何もなく、とうとう行き着く先は惰性である。 ここで惰性について少し考えてみよう。試しに今までの人生を振り返ると、中高でめちゃくちゃ勉強頑張ってたのも惰性といえるかもしれない。勉強が楽しいっていうよりかは、それまでも勉強してたし、智辯に入った以上は勉強するのが当たり前だと思っていたところが大きかった。しかも周りの友人も勉強しているという環境だったので、ガリガリ勉強することに疑問を持ったことはなかった。 そうして晴れて東大に合格し、ずっと進みたいと思っていた薬学部にもたどり着いたわけだが。ではそんな薬学部の授業を、僕は今どんな心持ちで受けているか? 興味を持って聞けているところもあるが、必ずしも前向きとはいえないし、単位を取るための勉強しかしていない。 こうして考えてみたら、僕なんて人は、どういう世界に身を置いたって所詮は惰性に流されるような人間なのだろう。それはいい方にも悪い方にも転がりうるが、気づいたら流されているということは事実だ。まあ惰性の意味が「これまでの習慣や勢い(大辞泉)」だということを考えると、やり続ける中で「したい」が薄れてしまったとき、新鮮味が消えかけているとき、何事も惰性になってしまうのかもしれない。 じゃあもうそれはそれで仕方ない。割り切って、今まさに流されている惰性に身を任せ、その中に都度やりがいや楽しみを見いだしたり、今まで見えていなかった自分自身の新たな一面を知る体験をしたりするのも悪くないのではないか。何したって惰性からは逃

誰がために鐘はなる

なぜ、東大に入ってまでサッカーを続けているのか。 何回も考えたもの。きっと誰しもがいつかぶち当たるもの。 正直、部活に入っていることのメリットなんて就活以外にないだろうし、デメリットの方が死ぬほど思い浮かぶ。 サッカーを続けていなければ、あの負けた時の、絶望感や無力感を抱くことはないし、自分の弱点を突きつけられ、サッカーが嫌いになるほど思い悩むことはないだろう。もっと言えば、時間的に余裕が生まれ、勉強やバイト、遊びなど様々なことに自由に時間を使えるようになるし、そして将来のために役立つことをした方が自分にとって有益であることは自明である。まぁ時間あっても多分なんもせんと思うけど。 こんなに失うものが多いのに、なぜサッカーを今まで夢中になってずっと続けているのだろう。 プロを目指しているわけでもないのに、毎試合必死になって、努力し、分析し、そして迫りくるキックオフの時間まで、頭の中から吐きたくなるほどの不安が消えることはない。 自分は何を目指して、何がしたくて、何を得たくてサッカーをしているのだろう。 サッカーが好きだから続けているといえば簡単な話だが、これがどうもしっくりこない。好きだから続けるという単純な論理で動けるほど、自分は物分かりの良い人間ではない。 好きなのは確かだが、もっと自分を突き動かす何かがきっと存在しているはずだ。 僕はこう思い、スマホ片手に、筆を走らせた。 てことで、独自の見解をこれでもかと尊重しながら、もう少し踏み込んでみたい。共感してもらいたいな。バズりたいな。という一抹の汚い期待も込めて。 世界中にコロナウイルスが蔓延し、日常からサッカーが消えた。そんな中、ある一つの動画を見た。 https://youtu.be/0iK2DVZ7UOgt 手短に説明すると、横浜Fマリノスのある用具係の人に焦点を当てた動画だ。 もちろん彼の仕事内容には感心したが、それ以上に、心動かされた場面があった。 それは、マリノスがゴールした際に、彼が他のスタッフと大喜びしていた場面だ。(8:30~) これを見てふと思う。 「あーこういうシーン凄く好きだよな。」 振り返ってみると確かにそうだった。小さい頃から、点が決まる度にテレビに映る、監督が喜ぶ姿を見るのがとても好きだし、今でも自分の試合動画を振り返って絶対に確認するのは、ゴールで喜ぶ応援席にいる仲間の姿だ。 あれ、

「好きこそものの上手なれ」なれ

水本龍志 (2年/FW/洛星高校) 2021シーズンがやっと始まろうとしている。 これを書いているのは5月15日。今現在は新型コロナウイルス対応の関係から部活動が停止していて、日々のサッカーが失われている状況だ。 とはいっても、 オフシーズンにもともと昨年から怪我をしていた足首の靭帯を負傷し、その後再発もあって3ヶ月も離脱していたため、 今年に入ってから、 自分は 実はまだ1日しか(その日もロンドとサーキットをしただけだが)サッカーをできていない。復帰して「さあこれから!」といった矢先での部活動停止だった。   今回の feelings では、昨年の振り返りを含め て 、 今回 の 長 い長い 負傷離脱期間に考えたことを記そうと思う。 気づけばめちゃくちゃ長くなってしまったし、途中 は 結構暗い内容 だし 最後はよくあるいい話にもってこうと してると 思われても仕方ない感じになってしまったが 、 ありのままの気持ちを表現したつもりなので、 よければ最後まで読んでください。   2020年は本当に辛い一年だった。 もちろんコロナによる制限のかかった生活という面でもそうだが、サッカーにおいて本当に辛かった。 好きだから大学生になってまで時間を費やしてサッカーをしているはずなのに、正直昨年はサッカーを全く楽しく感じることができなかった。サッカーに費やした総時間を 100 とすると楽しんでサッカーをしていたのは 10 いくかな、といったところだと思う。 サッカーをしている時間において、圧倒的に「楽しい」より「 辛い 」が先行していた。 どうして なのだろう 。   昨年は自分の実力不足を痛いほど思い知らされた年だった。 足元がない。体力も足りない。戦術も わかってる ようで多分わかってない。瞬発力はひどいものだし、高校時代まで自分の武器だったスピードもどういうわけか全然通用しない。 なんとか改善しようとして筋トレも頑張ったし自主練もしてきたつもりだったが、正直一年を通してほとんど成長を実感できなかった。 そんな中で、おそらく変に自分を追い込み すぎ て、変に悩み すぎていた気がする。自分には悩み出したらとまらないところがあるとは自覚しているが、まさにそれだった。 自分が不甲斐なすぎで、「苦しい状況に際してふさわしく悩むことのできている自分」に さえ 満足感を見出そうとしてい

脱皮

20歳になった。大学3年生になった。 ア式に入って3年 目 。 今年、広報ユニットのユニット長を引き継いだ。 デザインや動画編集は楽しいし、 ブランディングとかマーケティングとか色々関わってきたほう。 他にやる人もいないなら、 と深く考えずユニット長になったけれど。 今までも、 どうしたらこの部を魅力的に見せられるかみたいなことは考えてき た、はず。 けどそれは、真剣にア式のためを思って、 というよりは自分のちょっとした知的好奇心のため。 だから、 ア式の幅広い活動の中でも興味のあることにしか広報の意識は向か なかったし、 自分のキャラじゃないと言い訳してリーダーシップを取って考えよ うとも、行動しようともしなかった。 今まではそれでもなんとかなっていた。頼れる先輩がいて、 やることは決まっていて、 自分はその中で楽しそうなことを色々させてもらえた。 でも、ユニット長になったのにそれはまずいでしょ。 もっとア式全体のことを考えなきゃ。 そんな思いで、最終的に意思決定を任されるような立場になって、 ここ2ヶ月。 単純に部活関係の仕事が増えた。 専修課程になったし勉強にも力を入れたい。 そろそろ就活も考えないと。 そんな物理的・精神的な忙しさもあるけれど。 それだけじゃない、「このままでいいのかな」 というもやもやした感覚。 そんな時feelingsの順番が回ってきた。 正直書きたくなかった。自分で自分の気持ちがよく分からない。 なんとなく、久しぶりに、 由香さんの引退feelingsを読んだ。 由香さんが負っていた立場や責任は、 今の自分と比べようもないくらい重いもので、 共感したなんて烏滸がましい気がするけど。 それでも自分のことのように思えて、心に刺さった。 何度も読み返した。 この「もやもや」の正体は、 立場を与えられたことで突きつけられた自分の無力さ、 不甲斐無さなのかもしれない。 ユニットの部員は、 自分の仕事にやりがいを感じられているだろうか。 義務感や責任感で押し付けず、 興味を持ってもらえるような工夫や、 モチベーションを保てるような働きかけはできているのか。 ユニットに限らず、 そもそも私はみんなとちゃんとコミュニケーションを取れているだ ろうか。 部員全員に向けて、 一人一人が自分の活動を広報対象として見てほしい、 みたいなことを言ったことがある。

未知なる楽しさ

「楽しい」って何だ?アイドルになりきって踊っている時、歌手になりきって歌を歌っている時、楽しい。でも、サッカーでそういうはっきりとした楽しさは容易に感じられなかった。ボールを足で蹴るというのは新鮮で、それが楽しいと言えるかもしれない。だが、もっと、実感として感じる「楽しい」があるはずだ。ずっと知りたかったし、今でも未知の領域がある。 1年の秋に入部してから数ヶ月間は、正直、サッカーの楽しさをはっきりと実感できることがなかった。だんだんボールが蹴れるようになって、教えてもらったプレーが少しできるのが嬉しい、というのはあった。でも、何が楽しいのか、はっきりと「これだ」と自信持って答えられる領域に達してはいなかった。大学から本格的にサッカーを始めた身として、プレーの楽しさを実感するまでに時間が必要だった。 幼い頃に地元のサッカークラブに入っていたことがあるが、当時サッカーをやりたいという気持ちは一切なかった。やる気の無い私は何もできずに終わった。ただサッカーは炎天下の中で走るという辛いものだ、と思ったままサッカーから離れた。その一方で、サッカーに虜になっている同級生や、全てにおいてサッカーすることを第一に考えているような姉とかがいて、そんなにサッカーが好きな人、プレーできる人が羨ましかった。サッカーに普段興味ない人々をも熱狂させるW杯のお陰で観戦の楽しさを知ったが、実際にサッカーする楽しさも知りたいと漠然と思っていた。 そして、1年生の8月に、ミスコンにア式女子の先輩(じゅりさん)が出ていること知った。じゅりさんは、サッカー女子でかっこよくてかわいいという、私の憧れを具現化しているような先輩で、じゅりさんに応援メッセージをDMし、その後メッセージのやりとりをさせてもらった。また、サークルに馴染めず虚無的な生活を送っていた私は、確固たる部活と共に過ごしている人への憧れも強くなっていった。 全ては、憧れから入った。憧れが入部の最大の原動力であった。 こうやって憧ればかり持っていたので、楽しさをはっきりと分からなくても、憧れに近づいていけるものである練習は、苦ではなく、どちらかというと好きだった。練習していけばいずれ楽しさを実感できるようになるだろうと漠然と思っていた。また、先輩や同期がサッカー楽しい、ってかなり何度も言っていたから、いずれ私も感じられるだろうと思った。同期より

スタッフとして

髙橋俊哉(3年/テクニカルスタッフ/武蔵高校) ピッチ外からサッカーを眺め出して 3 年目。分析のいろはを学びがむしゃらにサッカーを見続けた 1 年目と、強化の仕事に奔走した 2 年目。どちらも刺激的で、貴重な経験も色々させてもらった。しかし、胸を張って「充実した大学生活を送っています」とは到底言えない自分がいる。   この現状が過去のどの選択に起因するものなのかは分からないが、サッカーをしていないというのが一つの要因であることは間違いないと思う。正直に言って、「スタッフとして入部する」という選択に後悔を抱いている。競技者としてサッカーに情熱を注ぐ選手たちの姿が、今は本当に羨ましい。そして選手としてもそれなりのレベルでやれる自信はあったし、選手をやっていた方がア式の勝利に貢献できているんじゃないかとさえ考える時もある。   とは言いつつも、もし選手の道を選んでいたとしても間違いなく悩み、後悔していただろう。好きなバンドの歌に「後悔しない選択肢なんてない」という詞があるのだが全くその通りで、スタッフという道を選んだ以上、この選択が正しかったと自らを肯定できるように、そして今の立場でア式に貢献できるように、これからも精一杯やっていくしかない。           少し話を変えて、というかここからが本題なのだが、スタッフについて書いていきたい。   2020 年は自分にとって良いものではなかった。 コロナによる日常の不足感と学業面の失敗に引きずられるようにして、ア式での生活も悪い方へ転がっていった。テクニカルとしてはスカウティングに意義を見出せなくなり、気持ちが入らず分析が「作業」になった。リクルートの高校生スカウトは全く進展を見せられず、強化の仕事も遅れ迷惑をかけ続けた。ア式での将来について悩んだこともある。これ以上ここにいて何ができるのだろうか、と。   言い方を変えれば、失敗続きの 1 年だった。   ここでふと考えた。「失敗」とは何なのだろう。「成功」とは何なのだろう。   テクニカルにとっての成功とは? スカウティングが当たること。自チーム分析を見てもらうこと。新しいデータを出すこと。監督や選手に褒めてもらうこと。チームが勝つこと。ボリスタで記事を書くこと。 twitter でバズること。 J のクラブにアナリストを輩出すること。   更に範囲を広げれば、スタッ