スタッフとして

髙橋俊哉(3年/テクニカルスタッフ/武蔵高校)



ピッチ外からサッカーを眺め出して3年目。分析のいろはを学びがむしゃらにサッカーを見続けた1年目と、強化の仕事に奔走した2年目。どちらも刺激的で、貴重な経験も色々させてもらった。しかし、胸を張って「充実した大学生活を送っています」とは到底言えない自分がいる。
 
この現状が過去のどの選択に起因するものなのかは分からないが、サッカーをしていないというのが一つの要因であることは間違いないと思う。正直に言って、「スタッフとして入部する」という選択に後悔を抱いている。競技者としてサッカーに情熱を注ぐ選手たちの姿が、今は本当に羨ましい。そして選手としてもそれなりのレベルでやれる自信はあったし、選手をやっていた方がア式の勝利に貢献できているんじゃないかとさえ考える時もある。
 
とは言いつつも、もし選手の道を選んでいたとしても間違いなく悩み、後悔していただろう。好きなバンドの歌に「後悔しない選択肢なんてない」という詞があるのだが全くその通りで、スタッフという道を選んだ以上、この選択が正しかったと自らを肯定できるように、そして今の立場でア式に貢献できるように、これからも精一杯やっていくしかない。
 
 
 
 
 
少し話を変えて、というかここからが本題なのだが、スタッフについて書いていきたい。
 
2020年は自分にとって良いものではなかった。
コロナによる日常の不足感と学業面の失敗に引きずられるようにして、ア式での生活も悪い方へ転がっていった。テクニカルとしてはスカウティングに意義を見出せなくなり、気持ちが入らず分析が「作業」になった。リクルートの高校生スカウトは全く進展を見せられず、強化の仕事も遅れ迷惑をかけ続けた。ア式での将来について悩んだこともある。これ以上ここにいて何ができるのだろうか、と。
 
言い方を変えれば、失敗続きの1年だった。
 
ここでふと考えた。「失敗」とは何なのだろう。「成功」とは何なのだろう。
 
テクニカルにとっての成功とは?
スカウティングが当たること。自チーム分析を見てもらうこと。新しいデータを出すこと。監督や選手に褒めてもらうこと。チームが勝つこと。ボリスタで記事を書くこと。twitterでバズること。Jのクラブにアナリストを輩出すること。
 
更に範囲を広げれば、スタッフにとっての成功とは何なのか。この問いを考えることは自動的に次の問いに行き着く。すなわち、そもそもなぜア式でスタッフをしたいのか、ということだ。
 
これは本当に人それぞれで、将来の目標に直結するからという理由の人もいれば、豊かな大学生活を送るため、楽しいから、という人もいるだろう(当然ながらそこに貴賤はない)。ア式は同質性の高い集団と言われるが、その中でも差異は確実にあって、もし共通した「成功」の基準があるとすれば「入部当初の欲求を叶えられているか」「自分が満足できるか、成功と思えるか」という非常に抽象度の高いものしかない。
 
 
 
これは個人だけでなくグループにも当てはめることが出来て、たとえ戦績が振るわなかったとしても「今年のチームは良かったな」「ここ最近のア式は良いな」と全員が共有できていれば「成功」なのだと感じている。
 
また、仕事の質や量についても同じだ。たとえ人から文句を言われたとしても、自分にとって満足のいく仕事ができればそれで問題ない。ア式に入った動機が人それぞれである以上、「満足」の基準は人によって高低があるからだ。ただし、集団で活動している以上基準が低いことで周囲に迷惑をかけるのは避けねばならないし、基準を上げる努力はした方が良いと思う。その辺りの塩梅は非常に難しい。
 
更に難しいのは、人それぞれが持っている基準を人に押し付けることは絶対にできないという点。無論全員が100%満足しているなんて絶対にあり得ないからそこには妥協が存在する。そして妥協のレベルが大きいほど個人の満足度は下がっていき、チームへの感情は悪化してしまう。けど、全体のベストを考えて妥協をするしかない...というジレンマ。全員に同じレベルの基準を持たせようとするなら、選手はセレクションを課すしかないし、多分スタッフは殆どいなくなる。
 
 
 
話が逸れてきたので元に戻すが、重要なのは自分が満足できるようにやるしかない、ということ。他人から褒められて喜ぶこともあるとは思うが、自分を認めさせることができなければ絶対に心は満たされないはずだ。また逆も然り。いくら他人から認められなくても、自分で満足できれば大いに結構だと思う。
 
自分にもまだまだここが足りていない。「人から認められたい」「必要とされたい」という思いが大きく、他者の評価が自分の行動の原動力・基準となっている。部の仕事に限らず、勉強や交友関係においてもそう。他者の評価に一喜一憂するせいで精神的に安定せず、自分では満足しても他人から認められないことで自己の評価基準も揺らいでしまった。こうなると、着実に自信は失われていく。
 
21年間そうしてきたから簡単には直せないのだが、残り2年のア式生活では少しでも自分の中の評価基準で自分を評価できるようになりたい。
 
 
 
 
 
最後に、部員へのメッセージのような形で締めたいと思う。
 
最近、同期のスタッフが2人ア式を辞めた。辞めるという決断に至った真意は分からないが、その決断自体は少し理解できてしまった。2年間を終え、自分自身モチベーションは殆ど失われていた。強化の仕事で燃え尽きたのもあるかもしれないが、やりたいと思える仕事が見つからなかった。今もまだはっきりとは分からないままだ。
 
誰しもモチベーションというのは失われ得る。どこかで必ずそういう時期は来るのだと思う。スタッフに限らず、きっと選手も。退部をそこまでネガティブに考えるのは良くないかもしれないが、やはり感情としてはどこか寂しいし、ドライな見方をすればア式にとっても能力を積んできた人が辞めるのは損失である。やはり、皆が続けるに越したことはない。
 
ところで、モチベーションがないと何人かに打ち明けたところ意外だという反応をされたが、自分が続けているのは将来の目標のためにその方が得策だからという理由だ。しかし、自分のように将来の目標のためにア式を利用(言い方は悪いが)しているような人間でも、ア式に所属する必然性がなくなる可能性もある。遼さんや田所が好例だろう。外の世界でもプレゼンスを持った人にとって、ア式で時間を費やすのが自らの成長のために必ずしもベストとは限らない。
 
これらの根本は同じだと思っていて、どうすればア式が「なんだかんだ色々あるけど、とりあえず続けたい」という組織になれるか、という問題に通じると思う。最近、その答えを色々と考えていた。
 
確固とした正解は見出せないが、今のところは「人の魅力」が一つの答えなのではないかという結論に至っている。
あいつとなら一緒に働きたい、あいつのために力を尽くしたい、あいつの成長を見届けたい。
「周囲から愛されるチームになる」というのは、分解すると「各部員が周囲から愛される人間になる」とも換言できる。チームとしての魅力を発信していくのも大事だが、一人ひとりが公私ともに人間的な魅力を身に付けていけば、結果としてより魅力的で誇れるチームになるのではないか。そして、内部から愛されていない人間が外部から愛される訳がない。まずは近くの人から愛されるような努力をしていこう。
 
 
 
 
 
選手の皆さんに一言。
スタッフのことを、もっと信頼してほしい。いや、スタッフのことをもっと知ってほしい。
これは何も、仕事について理解しろとか、感謝しろと言っているわけではない。上手く言葉には言い表せないが、もっと根源的な、人間的な部分の話だ。選手とかスタッフだとか、そんな役職の話じゃなく、11の人間どうしとして、もっと腹を割った関係になっていきたいと思っている。
 
 
 
遼さんや陵平さんの指導を受けられて、毎日来てくれるOBコーチがいて、テクやフィジコ、マネージャーやトレーナーのサポートを受けられて。本当に選手たちのことが羨ましいと感じる。長いア式の歴史を見ても、今ほど整った環境でサッカーができたことはなかっただろう。
 
例えばテク。最近、テクのことを客観的に見る機会が増えた。改めて感じるのだが、ア式のテクは凄い。おそらく、周りの人が思っている10倍以上は凄い。それぞれが主体的に新しいことに挑戦し、グループとしても成長を続けている。自分も遅れないように必死の日々だ。
他のスタッフもそう。あらゆる所に目を配り、気を配り、円滑に組織が回るように、そしてア式の魅力をさらに高めるための努力をしている。やはりア式が持つポテンシャルは相当高いと思う。
 
ひょっとすると、今のア式は奇跡のようなものなのかもしれない。だとすれば、今の環境を奇跡でなく当たり前にしていくのが我々スタッフの使命であり、また自分がこれからやるべきことなのかなと思ったりもする。
 
 
 
1つ補足しておくが、選手たちのことは本当に尊敬している。中途半端な思いでサッカーを辞めた自分にとって、カテゴリーは関係なく、苦しい思いを抱えながらも戦っている一人ひとりが本当に尊敬の対象だ。ア式蹴球部が「ア式蹴球部」である以上、どれだけスタッフが頑張ろうと、主役はあくまでサッカー選手であり、ア式蹴球部は選手たちのものです。
 
 
 
 
 
今までのア式生活を振り返ってみると、素直に自分を褒めたいと思うこともあった。しかし、周りを見回してみれば、自分には到底かなわない優秀な人たちが同世代にもたくさんいる。信じられないようなパワーと情熱で組織の成長を支え、あるいはその範囲を超え、周囲を巻き込みながら改革を起こそうとしている。上で「自分の中に評価基準を持ちたい」と言ったばかりだが、こうした人たちの存在がモチベーションとなる瞬間も多々あるのも事実だ。
 
目標のための近道だと考えて選んだスタッフの道。さて、どれだけそこに近づくことができただろうか。近づけば近づくほどその途方もない遠さに気付き、自分の無力さに呆然とする。
 
チームの勝敗に何ら介在できないと感じた去年。田所じゃないが、あんな思いは2度としたくないと思った。とは言いつつ、今年に入っても未だに何もできていない。どうすればア式の勝利や、ひいては成長に貢献できるのか、そして、自らの成長とも両立できるのか。自分にできることを一つずつ模索し続ける日々だ。
残っている時間は長くないが、何もやり残したくない。
 
 
 
 
 
 
由香さん。自分たちこそ、由香さんに謝らせてしまってごめんなさい。由香さんの責任感はちゃんと伝わっていました。そしてその責任感は着実に受け継がれています。自分たちこそは、下の代にもはっきり伝えていこうと思います。
 
大谷さん。自分なりに、外にベクトルを向けてみたつもりです。あ、暇な時はまたコーチしに来てくださいね。
 
3年 髙橋俊哉

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