投稿

10月, 2016の投稿を表示しています

回想

昔サッカーをしてたチームには、 凄い上手い人たちがたくさんいて、 迷惑かけないようにプレーするので精一杯で何も自分からアクショ ン起こせなかった。言い訳になるかもしれないが、 いろんなことがあってサッカーに集中できていなかった。 あんなにすごい人たちと恵まれた環境とコーチのもとサッカーして いたのに、全く自分の全てを出すことができず、 出そうとする努力ができず、 悔しく情けない思いで終わっていった。 たかが小学生のサッカーの思い出だけど、強く残ってる。 そして、 時は経ちこのア式というチームで上手い人たちの中で自分を出しな がらやれるのか、試してみたいと思った。 サッカーに向き合う時間は充分にあるし、 上手い人にどんなに怒られながらでもやってみたかった。 ア式は自分を昔と限りなく似た状況におくことができるのではない かと思っていた。 10年間いろんなことを経て多少なりとも人間的に成長できたはず 。そこで変われているか、確認したかったし、 変われてなかったらなんとかして変えてみたい。 約2年のブランクを経てやっと多少体が動くようになってきたとこ ろで骨折してしまった。3ヶ月の離脱、 やっとできるようになったと思ったら今度は肉離れ、 それが長引く。自分の目的から全く逸れた方向に行ってしまい、 だんだんと目的を忘れていたし、 たまに何しに来てんだがよくわかんなくなってくることもある。 つまり、、 早くサッカーやって自分を評価できるところまで到達したい。 新チームのミーティング、 今まで仲良くなった沢山の人たちが辞めていってしまったこと、 残念だけど、 いいタイミングにちゃんと考え直すことができてよかった。 1年 大池

変化と連鎖

スポーツは限られた人数の選手が試合に出て行われる。サッカーの場合はピッチに立てるのは 11 人で、それ以外の選手はベンチに入るか、応援団として応援をする。 ではサッカーで試合に負けたとき、負けたのは誰の責任なのだろうか? ピッチに立っていた 11 人の選手の責任なのか? PK を献上したり、決定機を外したりすることができるのはピッチ上の 11 人なので、ここでは仮にそうだとする。 さて、サッカーの試合で発揮できるパフォーマンスは、その準備によるところが大きい。良い準備をすれば良い結果が得られ、悪い準備をすれば悪い結果が得られる。 では、先程負けの責任があると仮定した 11 人は準備の段階で、その 11 人だけで行動しているのだろうか? そんなことはもちろんない。 ア式の場合、 練習では A チームの中でサブ組と一緒に練習している。 スタッフが汲んでくれた水を飲んでいる。 自分の練習の前後で育成チームの練習を見て、誰がどんなプレーをするのか見ている。 部室ではいろんな部員と会って、誰がどんなことをしているのかを見る。 ジムでは誰がどんなトレーニングをしているのかを見る。 試合に出ている選手はあらゆる面で、他の部員と関わりを持っている。ということは試合に出ている選手は試合に出ていない部員から影響を受け、試合に出ていない部員によって形成されているといっても過言ではない。 すなわち、サッカーで試合に負けるのは、試合に出ていた 11 人の責任というより、その 11 人に影響を与えている、試合に出ていない部員の責任なのだ! … というのは言い過ぎかもしれないけど、毎日のように顔をあわせる部員は、お互いに影響し合っているというのは間違っていないと思う。 東大ア式を構成しているのは試合に出ている出ていないに関わらず部員ひとりひとりで、その部員同士が影響し合って活動している。 そんな集団が強くなるにはどうすれば良いのか。 単純なことだけど、自分ががんばることで、誰かがそれを見て、「あいつがあれだけやってるんだから、おれももっとがんばらないとな」と思うことが連鎖していって、高め

M (プリプリじゃないよ)

今年の春、昔からの友人 M と大きな勝負をした。 どちらが先に大きなステップアップをできるか。 僕らには明確な基準が確かにあった。兎に角それはプレイヤーとして、いや 1 人の人間として大きな成長をできるもの。 夏までにお互いが成長しようと意気込んだ。 こうして始まった戦いだが、二人ともなかなか目に見えた行動を起こさない。 確かに自分を変える、周りを変えるというのは面倒くさいし、実際に大変な労力を要する。 その労力を想像しただけで逃げ出してしまう人も多いだろう。 頑張ってる自分をどこかで客観的に見てしまう。痛々しい、恥ずかしいと思ってしまう。 その恥ずかしさで辞めてしまう人もいるだろう。 いつも口だけの二人は現実をなめていた。そんな簡単に人間的成長など出来るわけがなかった。 進歩のない日々が続いた。 そんなある日、僕に絶好の機会が訪れた。リミットとしていた夏を目前とした日の事だった。 これを逃せばおそらく二度とチャンスはないだろう。自分を奮い立たせた。 結果は惨敗…最後の最後で恐れてしまった。素の自分を全く出せずにあっという間に終わってしまった。 自分を変えることがこわかった。他人からどう思われるかを気にしてしまった。 僕はその場から逃げ出してもう二度と試みることもなかった。 「まだ来年がある」自分にそう言い聞かせて戦いの場から立ち去った。 そのまま僕の部活は夏のオフ期間に入った。僕は部活の友達と旅行に出かけた。完全に現実を忘れ去ってしまいたかった。 M もどうせ目の前の練習だけをこなし、なんの生産性のない日々を過ごしているのだろう。あいつはいつも口だけは偉そうなことを言い現実では行動を起こさない、そんなやつだ。 そう高を括っていた。 そんなとき M から着信があった。 勝利宣言だった。 M はとうとうやったのだ。僕が現実逃避をしている一方で彼は自分に真摯に向かい合い、自身の成長を常に考えていた。そしてやり遂げたのだ。 急に自分が恥ずかしくなった。何度も失敗を繰り返し、恥ずかしい姿を晒し、泥臭くも成功を掴み取った

「データ」で何が出来るか?

2 勝 2 分 14 敗、最下位降格という厳しい現実を突きつけられた今シーズン。 9 勝 4 分 5 敗、 3 位ながらも棚ぼたで昇格を手にした昨シーズン。対称的な2つのシーズンをテクニカルスタッフとして過ごしてきたが、今振り返ってみると手応えや収穫は多くある一方で、「データ」が持つ可能性に期待しつつも、現実の壁に阻まれて結局そこの部分では大きな成果は上げられなかったという反省が残る。 データの可能性に魅せられてテクニカルスタッフに転向したのはちょうど 2 年前のこの時期だった。当時テクニカルスタッフという役職はなく、選手のうち有志数名で構成される「データ班」が存在し、自分もその一員として活動していた。しかし、前年までデータ班を率いていた広川さん (2014 卒 OB) の引退以後は組織運営に綻びが生じ、 DataStriker のような高度な分析ソフトを持ちながらも、それを使いこなせない状態が半年程度続いた。そんな現状を見て、ア式が強くなるための可能性の一つであるデータ分析・スカウティングといった分野を疎かにせず、今後さらに発展させて行く必要があると感じ、「テクニカルスタッフ」という専門職を作った。 ア式が勝つために、強くなるために、そう考えた結果行き着いた場所が、テクニカルスタッフだったという訳であるが、一方で自らの持つ能力を最大限発揮し、そしてそれをさらに伸ばす事が出来る場所がどこかを考えた結果であったとも言える。ア式で 4 年間を過ごす事には多くの「機会損失」を伴うが、それだけ膨大な時間とエネルギーを費やすからこそ得られる「成長のチャンス」が多く散らばっている。そのチャンスをどれだけ多く見つけ、そして自分のものに出来るかで、得られる経験値は大きく変わってくるはずだ。当時はそこまで意識していなかったが、今思えばそう強く感じる。 成長のチャンスという意味では、自分自身やり残した事は多い。中でも一番大きなものは、データの活用でわかりやすくチームを勝たせる事、言うなれば大学サッカー版『マネー・ボール』の再現である。『マネー・ボール』は、データの活用により球団再生を果たしたメジャーリーグのあるチームとその GM の物語である。流石にここまで実現するのは簡単ではないが、もっと「データ (※ 具体的には数字をベースとした統計データ

理想の大道を行き尽くす!

お世話になった 4 年生が引退してしまい、自分の出身校がなんだか話題になってしまって、色々と思い返した。 朝 5 時に起きて朝練へ行き、授業は寝て、午後練は走って走って怒鳴らて、帰宅。そして朝練へ、、、。 週末は試合して、走って、走ってても怒られ、また走って笑  1 週間その繰り返し。大会のない時期なんてホントにその繰り返し。 全ては技術のない自分達が、強豪校に勝ち、全国大会に行くためだった。それでも、全国へはあと一歩及ばず。負けた瞬間、悔しさとか 6 年間の生活への思いが浮かび、泣きじゃくってグランドからなかなか起き上がれなかった。 「理想の大道を行き尽くして、途上に倒るる刹那に、我が過去を一瞥のうちに縮み得て、初めて合点がいくのである。」 監督がよく言っていた言葉。負けた時、「あー、こういうことなのかなー」と初めて思えた。終わって初めて気づくことって多い。多すぎる。つらい笑 そして今、東大ア式蹴球部で 2 回、シーズンを終えた。あの頃と比べてどうだろうか。あの頃の経験を活かせているだろうか。東大ア式の掲げる「関東昇格」に向かって全力でやれているだろうか。当然、関東へは行きたい。そりゃそう。だけど、行動は?東大ア式のことだけを考えた東大ア式に最善のチーム体制は? 反省すべきことは多々ある。まだ、反省できる。 だが、 4 年生で引退が決まった時はそうはいかない。今程度の努力で後悔はしないだろうか。高校時代と同じ失敗を繰り返さないだろうか。いや、後悔すら浮かばない可能性もある。 何が言いたいのか分からなくなるのでまとめます。 つまり大事なのは、何かを成し遂げること。結果が伴わずとも、自分の理想の道を全力で突き進むこと。そしてぼんやりと進まず、終わる時のことを考えて後悔のないよう行き尽くすこと。まあ、当たり前といえばそう。でもこれができなかったのがかつての自分で、変えないとかつての経験の意味は、ない。と、勝手に考えている。 具体的に言えば、来年、必ず 1 部に復帰して関東へ挑戦し大学サッカーを終えたい。後輩たちのために組織を変えたい。今年のリーグ戦の終わ

サッカーに貢献するということ

昨日の試合をもって、現役を引退した。 最後に自分がずっと考えていたことを、改めて書き綴っていきたいと思う。 みんなが東大ア式でサッカーをする理由はなんだろうか。 サッカーが好きだから?勝ちたいから? 様々な理由をそれぞれが持っていると思う。 ぼくにとってそれは、「サッカーへの貢献」という言葉に要約される。 そして、東大ア式こそが自分にとって、プレーを通してそれを果たすことのできる唯一の場だと考えている。 ア式の活動は常に「東大」という枠を通して見られている。それはときに重荷になるかもしれないが、それ以上の可能性をはらんでいる。 プレーを通してサッカーに貢献できるチームはいったいどれくらいあるのか? 代表やプロのチームは試合自体に商品価値を持たせることで、サッカーの経済的価値を高めているし、トップレベルのプレーを広く見せることで、ファンを増やし、サッカーを根付かせる意味も持つだろう。 では、いち学生チームとしては? 僕はほんの一握りのチームだけがそれを許されていると思う。プロに多くの選手を輩出するようなチームは日本のサッカーレベルの向上という点で貢献している。でもその他ほとんどのチームはそうはいかない。勝っても負けても、サッカー界に何か影響があるわけでもない。 関東昇格という結果も結局は毎年チーム名が入れ替わるだけで、世間からすればなんの変化もない。 しかし、東大は違う、と僕は考えている。 東大が勝利し、関東昇格 ( その前に東都一部昇格 ) という結果を残すことで、世間のサッカーに対する見方を少しでも変えられる。僕たちが勝てることを示すことで、サッカーをより開かれたものにすることができる。 いわゆるサッカーエリートだけでなく東大のようなチームが勝てることを示せば、それはすなわち、サッカーの奥深さ、面白さを示すことにもなるし、これまでサッカーか、勉強か、どちらかを選んでいた人に新たな選択肢を示せる。 ア式の昇格のニュースを見た人が、自分の子供にもサッカーをやらせたいと思うかもしれない。 ( 少なくとも自分なら、エリートしか勝てないスポーツより、様々な努力の仕方で勝利にアプローチできる競技をやらせたい ) そして、僕

人知れずスべる男

 去年の秋、feelingsを眺めているとひどく悲しくなったことを覚えている。それは長々しく赤裸々に綴られたある子との馴れ初めから別れまでの物語だった。なんて場違いなことを書くのだろうと思ったが、文字を追うごとに悲しい気持ちが溢れてきた。僕も少年時代に始まって大学卒業に至るまでの少年の物語を一つ知っている。そこまで悲しい話ではない。      昔から何事にも飽きぽかったのだろうか。小学生の頃からちょっと仲良くなった子でも、それ以上仲良くなろうとは思わなかった。誰か特定の子を好きになることに熱心にはなれなかった。 ただ「いいなー、あんな子に好かれるなんて」や「すごいね、モテるね」と言われるのは大好きだった。本当にその子に好かれているかなんて気にもならなかった。好かれていると思われるのが大好きだった。もちろん周りにいたみんなに好かれたわけではない。ただ最初から「あんたとは合わないわね」と面と向かって言ってくる子を見返してやろうという気は起きなかった。そのなか僕は2人の女の子と仲良くなった。もちろんどちらも周りからの評判は抜群に良かった。    一人目はS(仮名)といった。Sは気付いたら僕のそばにいた。かなりの容姿の持ち主であり、 かつ優しく心から信頼できた。Sは誠実であった。ただ誰に対しても優しいわけではないようであった。SはSに対して向きあおうとしない人に対しては厳しく当たった。Sはそんな子であったから、 周りの誰もが「お前ってSにすごい好かれてるよね、どうやったらそうなるの」なんて言ってくれた。ただその実、Sに対して真摯に向き合っていたわけではない。Sの事が好きだったわけではないから。それでも僕は周りの人よりSに気に入られるのがうまかった。Sは誠実であったから僕がSを喜ばせば喜ばせるほど僕を気に入ってくれるようだった。Sに気に入られるほど、周りから褒 められた。その得意な気分が好きだったから、Sが喜ぶようなことをするのは苦ではなかった。Sは気分のムラなんかもなく、常に僕と等身大の気持ちで向き合ってくれる気がした。他の子よりは断然信頼していたし仲も良かった。でもSが好きなわけではなかった。なんとなくそれは違う気がした。僕の気持ちはS以外の子にも向いていたのだ。      それがF(仮名)だった。Fとはクラスが一緒だった。Fは美人であったが、無口であまり人を寄せ付け

あした

10 月 16 日 東京都一部リーグ第 18 節 帝京大学戦 自分が、真剣勝負のサッカーの試合をする恐らく最後の機会だろう 何も失うものはない、持てる限りを尽くして全力で戦おう なんてことは最後の試合に限らず当たり前のことだ。 最初っから失うものなんてなかったはずだ。 それなのに今年のリーグ戦で自分はどこか守りに入ったようなプレーに終始していた気がする。 残留争いのチームに負けられないとビビったのか。名門校やユース出身の選手にビビったのか。はたまた自分より遥かに成長する後輩たちにビビっていたのか。 いずれにせよ、小さなことに気をとられている小さなやつだったと思う。 あしたは情けない自分を変える最後のチャンスだ。 言われたことだけやり、ミスを避ける、そんなプレーで終わりたくない。小さくまとまるチームで終わりたくない。 それぞれが自分の得意なことで積極的に勝負してミスしたらカバーし合う。ごちゃごちゃしているけれど観てる人たちも、やってる自分たちも心の底から楽しいと思えるサッカーをしよう。 失うもののないやつらの底力を見せつけてやろう。 これが今の素直な気持ち。 不思議と落ち着いてる。あした良いプレーができる。そんなきがする。 4年 FW 長久保

体感時間

後期リーグも今週がいよいよ最終節となり、現役引退の時がすぐそこまで迫ってきました。 振り返ってみると、入部してから現在まで僕の中で本当に長い時間が経ちました。とうとうここまで来たんだなあという感じがします。入部式が遠い昔の出来事のようです。 しかしよくよく考えれば、スタッフになってからのア式での日々、特に最高学年になってからの一年間は意外とあっという間だった気もします。 選手だった1~2年生の頃は違いました。あの頃は一回一回のア式での練習が、一日一日のア式での日々が、長く、しんどく、険しい道のりに感じられたものです。その感覚は今だってよく覚えています。 ふと当時の自分が何をして過ごしていたかと考えてみた時も、当然色んなことは思い出すのですが、真っ先に思い浮かぶのはやはり農グラや御殿下での風景です。 改めて、それだけ自身の大学生活の大半をア式が占めていたんだなあとわかります。同時に、あの頃は自分なりによく頑張っていたなあとか、正直すごくしんどかったなあとか、そんな感想も必ず伴います。 そしてそんな選手時代も、今では遠い昔のことのように感じられるのだから不思議です。 でも、スタッフになってからの日々は確かにあっという間でした。 人によって感じ方は違うかもしれませんが、基本的に心に余裕のある充実した日々を過ごすほど時間がたつのが早く、心に余裕のない忙しい日々を過ごすほど時間がたつのが遅く感じられるものだと僕は思っています。振り返った時にその日々がつい最近のことのように感じるか、はたまた遠い昔のことのように感じるかは、当時の己の精神的負担の大きさで大体決まると思うのです。   僕の場合、最高学年にもなるとスタッフとしての自分の仕事に慣れ、ある程度要領よく仕事をこなせるようになりました。つまり、以前に比べれば心に余裕のある充実した日々を送りつつあったわけです。だから、1~2年生のころの選手時代が今では遠い過去のように思えるのに対し、最後の一年間は意外にもあっという間だったように感じられるのだと思います。 では、僕にとって今の日々は、昔の日々に比べて果たしてどうなんだろう? 良くなっているんだろうか?それとも悪くなっているんだろうか? そう自分に問うてみた時、一概に良し

何人でやるのか、何のためにやるのか

2004 年 8 月 22 日 フィーゴってすごい、あんな渋い顔してダブルシザーズ スピードでも抜けるしフェイントでも抜ける ドリブルって楽しい 2005 年 10 月 4 日 サッカーが楽しくない 関トレにいくやつって、なんでこんなにうまいの 2006 年 12 月 15 日 ピルロはやばい、一本のパスから点が生まれる 自分が抜かなくても、ゴールに結びつく アシストって気持ちいい 2007 年 7 月 30 日 本部との試合、歯が立たなかった 悔しいし、おもしろくない 2008 年 2 月 8 日 バルセロナをみて笑うしかない 出し手でも受け手でもない選手が絡んでくるとか、 DF お手上げでしょ これがさんざん言われてきた 3 人目の動きの見本か やっとわかった、やってみよう 2010 年 12 月 7 日 強豪の高校にボロボロにされた 中学のクラブチームのオールスターじゃん どうにかして勝ちたい 2011 年 5 月 8 日 プリンスのチーム抜きだけど、県制覇 とんでもなくうれしい 適材適所、 11 人の特徴を生かして戦った結果だ 2014 年 5 月 3 日 I リーグ、東海大学にボロ負け 大学生になってもこんなに悔しい 力が圧倒的に違う、 100 %の力を発揮しても多分勝てない もっと上手くならないといけない もっとうまくやらなきゃ勝てない 2016 年 5 月 15 日 リーグ戦初勝利、東大だって勝てる 安堵の気持ちが強い ピッチのメンバーだけじゃない 応援メンバーもやっと笑えた 2016 年 7 月 3 日 前期リーグ終了 正直なところ、負け続けて全然うまくいってないが 後期に向けて今からまたやるしかない 2016 年 9 月 7 日 復帰後、体がうまく動かない 何のためにサッカーをしているのかわからなくなってきた しかし、後期開幕は間近だ、自分の何かを変えないといけない 2016 年 9 月 15 日

最後の一年

Feelings をご覧の皆様、お久しぶりです。 4年スタッフの渥美です。 Feelings に投稿するのはおそらく一年以上ぶりです。 この一年、ひいては東大での四年間を振り返ったときに、ア式と同様に総務も私にとって欠かせない場所となっていました。少し長くなりますが、お付き合いいただければ幸いです。 昨年の9月から一年間、私は運動会総務部の委員長を務めていました。(運動会総務部…ア式、アメフト、ラクロスなどいろいろな部活が東大にはありますが、その事務方のまとめ役です。ほか、運動部員ではない東大生向けのスポーツ普及等も行っています。) 年明けの主将主務合宿に始まり、今年は七大戦・双青戦という二つの大きな大会の運営を東大が担当する年だったため、例年よりも慌ただしい一年となりました。 また、「関東昇格」を目標に掲げて日々練習に励むア式蹴球部(男子)と、部員数の少なさに悩みながらも同じく練習に打ち込むア式蹴球部(女子)を身近で見ていた私は、「各部の強化にもっと直接的に貢献したい」という想いから、運動部向けの講習会などのイベントを運営するチームを総務部内に立ち上げました。実際にそこで運営したイベントについては、自分の至らなさを痛感する点ばかりでしたが、継続的に運動部の強化に携わっていくための第一歩を踏み出せたことは自分を褒めてもいいのかなと思っています。(きっと今年は、頼りがいのある応援部の後輩二人主導で、今まで以上に各部にとって有益なイベントを開催してくれることと期待しています。) 運動会総務部自体は 8 月末で代替わりしたのですが、七大戦が 9 月末まであったので、それまでは何かと仕事が残っていました。 9 月 24 日の七大戦閉会式、 25 日の運営会議で、本当に総務部の仕事は終わりでした。 25 日はその意味で、私の大学生活で一つの区切りとなる日でした。 しかし、それだけでその日は終わってくれませんでした。 25 日午前、検見川での七大戦運営会議を終えた私は、急ぎ御殿下に向かいました。対戦相手は亜細亜大学。東大が1部リーグに残留するためには、絶対に勝たなければならない相手でした。 先制点を東大が獲得し、このままきっと勝てる、勝ってくれ、そう思いました。 しかし、約 15 分後に

いつも延滞していた自分が feelings 再開後 2 番目に投稿できるのは不思議で、最後にこのような機会を得られて嬉しい。 大学でも当然本気のサッカーをやりたいと何の迷いもなく考え迎えた入部式から、はや 3 年半。それまでア式に幾多の迷惑をかけ、それでも辞めたくないとしがみついてきたが、同時に、地元の友達が生活のため必死に働いているのを聞き、趣味の範囲を出ないサッカーを続けていていいのかと迷い、大好きなサッカーを無心でできることは実はすごく幸せなことなんだと知った。 そんな 3 年半も京大戦でピリオドを打った。本当にお世話になったア式にはとても恩を感じているが、スタッフとして恩を返すという選択はしなかった。それは、そもそも残り数ヶ月スタッフとして自分にできることがあるのかわからない、選手としてサッカーできない自分が、選手として戦う同期や後輩と同じ熱を持って仕事ができるか自信がない、という理由の他に、もう一つある。 2 年の冬オフ明けにお前はLB2だと通告され、戦力外なんて知ったことかと、めげずに頑張り、Bチームとして練習できるようになったが、 3 年の夏合宿後に再びのLB2通告。その時はかなり落ち込んだ。ただ、半ば開き直って考えたのは、中学から大学までサッカーを続けてきたのは、ただただ好きなサッカーを楽しめるくらいまで上手くなるためであって、ア式というたった一つのチームで評価されて公式戦に出て活躍するためじゃない、ア式で試合に出て活躍するというのは最終目標ではなく、大きな通過点なんだ、ということだ。だから、その時その時で他人に評価されなくても、上手くなる上へのベクトルの大小で自分を評価して、サッカーを続けてきた。これが甘い考えだったのか、Aチームで試合に出ることなく特にア式に貢献することなく京大戦まで来てしまった。そんな自分でもサッカーを上手くなるという決意は固く、サッカーをできる環境や時間が少ないスタッフという立場になることはできないと思った。 実際、引退後は院試や、卒論のためのフィールドワークで、言い訳だが、サッカーすることができず、また言い換えれば、ア式に残っていてはできなかったこと、自分が今後どう生きていくかを考える時間も得た。 ただ、サッカーを上手くなるという点において、大学 4 年間という縛

悲観的な、あまりに悲観的な(仮)

「この試合は勝てる」幾度となくそう 試算 し、その甘さに気付かされたか。 「今日こそは絶対勝つ」幾度となくそう妄信し、その現実に跳ね返されたか。 約4 シーズンを最前線で戦う中で見てきた様々な試行錯誤は、そのほとんどが結果を出せずシーズン半ばで同じ轍を踏むように決まった戦術に辿り着いた。しかし、その到達点も自分たちが望むほどの優位性を与えてくれない。そして、またシーズン始めには希望的観測のもと新たな戦術に向い … 試合に負けるたびに自分たちの実力のなさを感じる。が、大学入学の時点で今戦っている相手とはすでに相当な差があり、それが埋まっていないだけという意味ではあまりに当然の結果。自分たちも上手く、強くなるためのトレーニングをしているが相手も同じように向上している。 まだまだ自分たちに甘さがある。もっとやらなければいけない。もちろんそれは当然なのだけれど、それだけでどうこうなるレベルではなくなってきている気がする。実力の差こそあれ自分たちのせめてもの特徴だった勤勉さや分析能力も、他チームがそこを疎かにしなくなった分、優位性が薄れてきた。 いまいち自分たちの甘さというものには気づきにくい。ワンプレーごとの局面ではそれがあるにしても大局的には「もっとやれる」という文言が宗教的なそれを含んでいるように感じてしまう。ただ、謙虚な向上心には欠けているだろう。自分たちが慶應と練習試合をするときの相手の真摯さと同じだけのそれで東都3 部の相手と試合出来るかといったら自信はもてない。 長らく関東から遠ざかっている中で" 関東昇格" を目標にした先輩は偉大だと思う。大学サッカー創世記とは大学サッカーの構図が大きく変わり、多分に困難な状況のなかでそれを目指そうとしたのだから。ただ、数年で100 周年という歴史的な節目を迎えるチームとして再度指針を考え直すことも必要なのかもしれない。その節目の時にこのチームはどこにどのように向かっていくのか。 歴史にif はないけれど、もしそれを今シーズンで考えるとしたら、前期の初めにもう少し踏ん張れていたら何かが変わっていたかもしれない。ここま

feelings再開のお知らせ

東大ア式関係者・サポーターの皆様 いつも応援頂き誠にありがとうございます。 手厚いご支援・熱いご声援を頂いているにも関わらず、東京都一部リーグでの弊部の成績は芳しくなく、先日 25 日(日)に行われた第 15 節( vs 亜細亜大)の結果を受け、二部リーグに降格することがほぼ確実となってしまいました。部員一同、悔しさと、皆様に恩返しができず不甲斐ない思いで一杯ですが、リーグ戦が続く限り、残り三節、全力で闘っていく所存です。  さて、このようなチーム状況にある今だからこそ、部員の試合に懸ける思い、ア式に懸ける想いを皆様と共有する場の必要性を強く感じ、この度、部員のリレーブログ feelings を再開することを決意致しました。感謝の気持ち、やりきれなさ、サッカーをする喜び…、時に赤裸裸な程にここに記される、部員が普段考えていること・胸に抱く想いを通じて部員の素の姿をもっと知って頂ければと考えております。そして、皆様と部員とで一種の一体感をもって、今後の試合を闘って行ければ幸いです。   feelings を通じて弊部の部員をより身近に感じて頂き、もっと好きになって頂ければそんな嬉しいことはありません。再びご愛読の程どうぞ宜しくお願い致します。 平成 28 年 10 月 1 日  東京大学運動会ア式蹴球部 広報部長 松本彩伽