投稿

1月, 2021の投稿を表示しています

序章

  この feelings を書くために、 iPhone のメモアプリに書き溜めてきた日記を読み返している。   日記とは言うものの、気が向いたら書くという緩いルールでやっている ( 僕は毎日コツコツと何かを継続できるマメなタイプではない ) ので、 2,3 週間空いているような箇所もあるのだが、それでもそれなりの量が溜まっている。 体裁は気にせずありのままを記しているので、とても人に見せられるようなものではない。             ________     書き始めたのは 1 年の冬、 A チームから育成に落とされた日である。 新人戦期間のカテゴリー移動の波に乗ることができ、 11 月頭からトップの練習に加わったが、全く思い通りのプレーができなかった。   体感したことのないプレースピードに圧倒され、萎縮し、ミスをしてはいけないという思考になる。 その消極的な思考が視野を狭くし、判断を遅らせ、ミスを誘発する。   こんなはずではない。   そう思いながら必死に改善しようとするものの空回りし、僅か 2 週間後に再び落とされてしまった。           決して珍しいことでない。弱いエピソードだ。 このような経験は大なり小なり、多かれ少なかれ殆どのプレイヤーがぶつかる壁である。     誰しも選手としてこう在りたいという理想像を持っている。 それは憧れの選手を投影したものかもしれないし、現在の自分から引っ張った延長線上にあるものかもしれない。   ただ、サッカーをする以上、評価を受けなければならない。結果を受け止めなければならない。   それらは往々にして自分が描く理想像から離れている。周りが望むようなプレーができないこともあるし、自分が思うようなプレーができないこともある。   現実と理想との乖離に悩み、苦しむ。そして逃げたくなる。   ただ、その乖離を埋めるべく、理想を手に入れるべく、そのような負の感情と戦いながら一生懸命考え、トレーニングする。再び現実を突きつけられたとしても、それを繰り返す。     何故なのか。         それは、サッカーが好きだからだ。いや、この表現は不十分かもしれない。         「サッカーをする自分」が好きだからだ。         勝利したとき、ゴールを決めたときは元より、スルーパスを通したとき、軌道の美しいロング

ラブレター

習慣っていうのは急には変わらない。 練習が終わって、シャワーを浴びて、10時ごろから晩御飯を食べる。そんな生活を4年も続けたせいで、今でも晩御飯の時間がつい遅くなってしまう。もう何も食べずに寝ようとも思うが、心の中のボディビルダーがそれを許さない。 ボディビルが好きだという気持ちに変わりはない。それでも引退して少したった今、結局はサッカーが一番好きなんだと感じる。 そしてそう感じていることに安心する。 今シーズンはサッカーが嫌いになりそうな時期もあったし、サッカーから離れようとも思ったから。 5歳の時に周りに合わせるようにサッカーを始めた。その頃はサッカー教室が終わって、みんなは試合をして遊んでいる隣で遊具で遊ぶ方が好きだった。それでもいつからかサッカーに夢中になっていた。小学校の休み時間にはずっとサッカーをしていた記憶がある。10分でも時間があるとボールを持って校庭に走った。 中高でもでも迷う事無くサッカー部に入った。練習が週に3日しかなく、練習試合もほとんど無かった。ただ制限されていたからこそ、余計にサッカーが好きになったのかもしれない。 高校1年生のある練習の後、東大サッカー部の部員の方がパンフレットを配りにグラウンドに来ていた。そこで初めてア式を知った。人工芝のグラウンドで週6回の練習があり、リーグ戦を戦い、練習試合も毎週行う。そんな恵まれた環境に憧れを抱いたし、東大に入ることが出来たら、ア式に入ろうなんて考えていた。 ア式の練習に初めて参加した時の事は今でも鮮明に覚えている。 暗くて寒い御殿下で、怖い顔をしたぶっきらぼうな人と対面パスをした。後にその人がなかしんさんだと分かった。そして4人組のメニューで怖い顔でイライラしている人がいた。よしくんだった。  気がついたらボート部に入部していた。大学スポーツならではの暖かい勧誘と、豪勢な新歓コンパに押された。 サッカーは趣味で続けていこうと思い、高校生の頃からやんわりと憧れていたア式に別れを告げようと、最後のつもりで練習に参加した。途中で接触し捻挫してしまい、練習には少ししか参加出来なかった。それでも気が変わるのには十分だった。やっぱりサッカーは楽しかった。 5日程でボート部を退部してア式に入った。受験勉強で丸くなって、あまり動けていない西雄太が入部を決めていたというのも少しある。 こんな感じで入部を決めたが、

成長

3年半の現役生活をざっくり振り返ると、一言で言うと成長したなと思う。 入部するとき、1年後くらいには活躍できるようになっているかな?と思っていた。 最初のシーズン、チーム体制の混乱に乗じて前期のはじめの方の公式戦に出場した。 プレーの派手さとか決定力みたいなものがあって出してもらったものの、明らかに実力不足というのはわかっていた。点を取るところさえもっとできたら使ってもらえるかもしれないと思って、周りのいうことも聞かずに滅茶苦茶なプレーをしていた。周りの方々には迷惑をかけていたと思う。すみません。 その年の最後の新人戦では、ほとんど全く使ってもらえず。めっちゃ悔しかった。 次のシーズンは、遼くんがコーチになったこともあって、求められるプレーがはっきりした。 昨シーズンの悔しさをバネに人の言うことを少しは聞くようになった自分は、求められているプレーはなんとなく頭で理解できているものの、点とったらオッケーでしょみたいな価値観が抜けきっておらず、滅茶苦茶なプレーを繰り返していた。そもそもの考え方を変える必要があったと気づくまでシーズンを全部使った。ほぼ毎試合ベンチ入りして途中出場の一発屋として使われるものの、1点も取ることができなかった。1部昇格が決まったシーズンだったが、全く喜べなかった。活躍する先輩と同期を見て素直にすごいなとは思っていたが、自分は全く役に立っていないのが悔しくてたまらなかった。泣きそうだった。 3回目のシーズンに入る直前にいろいろつかむことができ、周りに求められるプレーができるようになってきた。良い感じだと思っていた。周りと話して守備の仕方を決めて、周りと話してビルドアップの手伝いをして、周りの求めるプレーをして、ということばかりしていたら負けまくって前期が終わった。 中断期間もなんとなくチーム全体がうまくいっていないことばかり気にして、みんなで一緒に瞑想して、いつの間にか後期が始まった。また勝てない試合が続いた。そのうち自分が決定機を外して負けた試合が続いて、自分はFWとして全く仕事ができていないということにやっと気付いた。チームに求められる最低限のことしかしようとしていなかったことにやっと気付けた。やっと掴んだ正解のプレーだけをずっと意識して、FWとしてのプライドみたいなのを完全に忘れていた。 それからの試合では、周りにずっと原因を求めていた。シ

続いていくストーリー

    玉川戦の終了の笛が鳴った時、自然とピッチに倒れ込んだ。   「やっとだ」   昇格の喜びはもちろんあったが、安心感や解放感が大きかった。 達成感でいっぱいだった 2 シーズン前の昇格決定時とは違う感情 2 年前よりみんな泣いていた気がする。   未だかつてないほどイレギュラーなシーズンを最終学年として戦ったこの 1 年を 改めて振り返りたい。     毎年 4 年生の存在はチームの核であり、自分たちが 3 年の時もそうだった。 後ろからチームを支える頼れる主将副将、中盤の要、ア式の心臓 彼らが抜け、毎年恒例のように新チームの練習はふわふわしていた。   「もう 4 年はいないんだ」「誰がチームを引っ張るんだ」「基準が低い」 またこの言葉、いつも通り   個人的には最終学年として迎えるシーズンには強い思いがあった。 初めて挑んだ 1 部の舞台、期待されていた中で怪我に不調に何もできなかった前期 後期も復調はしたもののチームに何か残せた訳ではなく敢え無く降格 本当に情けなかった、だからこそラストシーズンは全てを捧げるつもりでいた。   そう思っていただけにオフ前の練習の質の低さはフラストレーションが溜まったし ミーティングの最後に何か言っても手応えがなかった。 赤木とかはこの頃から相当なモチベーションでやってたのを覚えているけど   こんな感じの日々が続いたまま、東京都トーナメントも敗退し長期オフを迎えた。 オフ前の練習に不満を感じていた選手は同期を筆頭に多かっただろうけど、自分を含めてその状況を変えられたわけではなかった。 頭も身体もリフレッシュして新年の練習はいい雰囲気でやりたい、なんて期待していた。   このオフの間、東京都選抜の交流戦や遠征に参加させてもらった。 ア式にいるだけでは感じられない刺激を肌で感じまくった。 他県の選抜との試合を通して、自分はやれると思えた。 JFL のチームとの試合を通して、自分はまだまだだと思えた。 1 部リーグで戦った選手に言われた「東大はうまいけど怖くなかった」が悔しかった。 この経験で得たものを必ずア式に還元すると誓いオフ明けを迎えた。   驚くことにオフ明けからのチームの状態はかなり良かった。 俺が経験した 3 回の中でも、一番いいプレシーズン きっとみんなオフ中に色々思うところを整理してやるべきことを明確にしたんだ

ごめんね。

 「みんなに謝らなきゃいけないと思っていて、」 そう切り出した彼の息は少し震えていて、いつもより赤くなった目が真剣さをよく表していた。怒る時より、感謝する時より、自分は悪くないけどパフォーマンスとして謝らないといけない時より、自分が悪くて謝るのが一番堪えるのだ。 さて、私もみんなに謝らないといけないことがある。 少し長くなるかもしれないけどよかったら付き合ってほしい。 ===== ア式との出会いはふわっとしていた。練習を2回見学しただけで入部を決めてしまったので、新歓係の槇さんやみっつさんでさえ私の名前を把握していないほどだった。 「なんとなく」。 勢いで決めてしまったこの選択を4年間の働きで正当化する、そう入部式で誓った、はずだった。 同期スタッフの2人がテクニカルスタッフとトレーナーという専門的な役職に就いたおかげで、特にこれといった興味もなく入部した私に「その他雑務」みたいな仕事が回ってくるのは自然な流れだった。 そんなふわふわした私でも面白そうと思うくらい、ア式の活動はバリエーションがあった。 先輩のやること為すこと全部が気になって金魚のフンみたいに後をつけていたし、生意気にも「こうやったらいいんじゃないですか?」って提案をしたりしていた。 だけどあんまり「そういう感じ」にならないように、ア式に対して愛着を持たないように気をつけていた。「そういう感じ」になれば自分が頑張ってしまうのはわかっていた。お節介なところ、頼られるといい気分になって引き受けてしまうところは私の良いところでもあり、悪いところでもある。 ア式のためではなくて自分のその瞬間の好奇心を満たすため、というのを自分自身意識しながら、あくまで軽い気持ちで色々なことを進んで経験した。 でもまあ結局「そういう感じ」になってしまったのだ。 2年生の夏に、糸谷さんと彩さんから引き継いで学生GMに就いた。そして今年、2年半も持っていたこの役職を誰にも引き継がずに引退することにした。 今の1年生は私がやっていた学生GMという役職についてほとんど知らないと思うので少し紹介しておく。 私が入部する数年前(5,6年前?)にこの役職は出来たらしい。 「運動部のマネージャー」と言って一般的に想起される甲斐甲斐しい女子のイメージ。大学体育会の学生スタッフの役割がそこに留まらないのは近くで見ていれば当然わかるのだが、周りも本

大事なことは冒頭に

まず、はじめに去年は様々な人の多くの力で部活をやり抜くことができました。本当にありがとうございます。 丸山君、大田君、西山さん、八柳さん、富永さん、天野さん ほとんど会ったことないけど、(一回も会ってない人もいるな)本当に去年の春はお世話になりました。ありがとう。 4年間を振り返ると 中略 Feelingsに書くようなことはないですね。本当に。結構自分の中で振り返って真面目に考えたけど、どう書いてもつまらない内容にしかならないわ。 後輩へのメッセージは、、、 応援してます。頑張って! 以上 4年間お世話になりました。 鶴田智也 P.S 卒業feelingsは書き終わりました。が、流石に字数が足りない。字数稼がないと。みんな長いし。 4年間と言うのは日々の積み重ねだ。1日1日を大切にすることからとよく言われる。というわけで、俺の一日一日でも振り返るか 1/16(日) やっべー、遅れて明日までには出すって言ってたけどマジで内容思いつかない。メッセージ?、部員には引退の日までに伝えたいことは伝えたし、直接会える人には面と向かってお礼言いたいしなー。ブログでお礼書いたって伝えたい人読んでるかわからんし。後輩へ言いたいこと?今更ないよ。マジで具体的なことは言い尽くした。応援してます、頑張ってくださいぐらいしかいうことないよ。 と思ってfeelingsは後回し。伝家の宝刀、先送りである。(この必殺技使いすぎか、俺?) 1/16(日) 最近布団の位置を変えたから、目覚めが良い。お日様が当たって気持ちよく目覚める。そして、気持ちよく二度寝する。 結局、起きる時間は変わらない。でも、気持ちよく布団から出れる。  顔を洗って鏡を見ると、寝癖がひどい。でも、大丈夫、俺には最近買ったワックスがある。ワックスを手につけ、髪を整えれば、ほら! あれ、あんま変わんないな。おかしいぞ。うーん、ワックスの使い方にも色々あるのかもしれない。まあ、良いや。小さいことは気にしない。 家を出て、研究室の人たちに挨拶。そして、松岡修造日めくりカレンダーをめくる。(これは、研究室のクリスマスプレゼント交換会でもらったものだ。)今日は 心の信GO機で、GO! うーん、キレがないねー今日の修造は。ちなみに俺が一番気に入ってるのは シーサーになれ! である。どういう意味かは知らない。訳わからなさが面白かった。 さて、

死んだ試合を死なせたままにしないでほしい

I. はじめに 4年生の卒部feelingsラッシュの最中にしれっと登場させていただいてます。feelingsを書こうと思った理由は、僕がこの1年間わりと真面目に育成チーム(東大サッカー部のBチーム)の指導を頑張ったからだ。考えたことはアウトプットまでした方がいいって就活のとき読んだ本によく書いてあったし、いい機会なので1年間考えていたことを書いてみようかなと。僕はなかしんvlogのような個人ブログをやっていないので、図々しくこの場をお借りした訳である。 II. 始まり 確か最終節を日曜日に迎える週だっただろうか、内倉から来年の育成チームのコーチをしてほしい旨を正式に伝えられた。それ以前から、なんとなく自分はコーチをする流れになるのだろうなと察してはいたが、はじめからめちゃくちゃ乗り気だったわけではない。というのも、歴代のOBコーチの方々を見ていれば容易に想像できる通り、コーチはとても大変だ。1週間のテーマを決め、練習メニューを考え、練習後に選手とコミュニケーションをとり、翌日の練習メニューを決め、試合のメンバーを決め、練習と試合の映像を見直し、時には選手と一緒にビデオを観る。もしかすると選手のとき以上に時間とエネルギーを、自分のためではなく他人のために使わなければならない。自分という人間が極めて利己的だということを認識していただけに、生半可な気持ちでは務まらないと分かっていた。 そんな中、コーチを引き受けようと思った理由は主に二つある。 一つ目は、4年目でようやく掴みかけたサッカーが上手くできる感覚を、他の選手たちにも応用できるか試してみたかったから。これは言い方を変えれば、自分は選手を的確に導ける自信が多少あったからと言える。凡庸だった選手が、4年はかかったが、頭で考えたことをそれなりにプレーで表現できるようになった過程を、上手く言語化して伝えることができれば、どの選手も例外なく上手くできると思っていた。 二つ目は機会獲得。これからの人生の中で、サッカーチームを率いる経験は、普通に就職して普通に生きていればおそらくできないだろう。人工芝のグラウンドを持ち、同じ志を持って週6回集まってトレーニングするような、環境の整ったサッカーチームを指導できる機会は、選手としてのプレー機会と同様に滅多にないと思った。今までしたことのない新しい経験ができるかもしれないという好奇心