投稿

4月, 2021の投稿を表示しています

優しい世界

  何を書こうか もう引退するまで書くことはないだろうと余裕こいていたから、書く内容なんて少しも考えていない feelings は書きたい人が書きたい時に書けばいいと前々から思っているが、僕の想いが届くことはなく、というか意見すらしていないのだが、僕の中ではある種課題のような存在感がある (滞納すると重い罰があるんです) 今回もまた、やらねばならぬという思いで書いている ありきたりな内容になるけど最近思ったことを文章にしよう 面白いと思える学問に出会えて、その研究ができる研究室に配属することになって、今までとは違う生活になろうとしているが、今後も自分はア式でサッカーを続けていく 何が言いたいかっていうと、ア式は自分にとって欠かせない大事なもの、大好きなところだということ 新しいことを始めるとそれまでやっていたことと比較してどっちの方が大事かとか考えちゃいがちで、それは意識していなくても無意識のうちに選択が行われていて、その比較基準は楽しさだったり満足度だったり人によってそれぞれ違っている 「新しいこと」と言っても、「新しい」のは自分にとってのみであり、「新しいこと」をしているコミュニティに飛び込むというのが大抵の場合であると思う その場合は、比較基準をコミュニティに属する人々に持ってくることもあるだろう 勘違いだと言われればそうであるが、この人たちと話すのが楽しいからこっちの方が大事だというのもアリである いるだけで楽しいコミュニティなんてそうそうないし、そういう場所があるっていうのはすごく幸せなことだと思う 新しいことを始めなくても大事なことが増えていくこともある 増えていくというよりは、より大事になっていくと言うのが正しいか やりたいことが形になってきたり、上がり調子だったり、そういうことがあるとより大事になっていくように感じる 逆もまた然り 失敗したり、調子が悪かったりするとマイナス方向に向いてしまう それでも大事さが変わらないのが本当に好きなことなはず それでもモチベーションを保つのって難しい 本当に好きなことでも、調子が悪いと滅入ってしまうなんてのはよくあることだ めげずに頑張れる人もいればそうじゃない人もいるから、一様に頑張れと声をかけるのは他者からの働きかけとしては効果的じゃない 結局、上昇の起点になるのは自分の行動なのだから、自分でどうにかするしかな

私の選択

 私の大学生活は新型コロナウイルスによって好スタートとは言えませんでした。授業は全てオンラインで学校には行けず、友達もできず、このまま何もしないで1年が終わってしまうのかと不安な毎日を過ごしていました。 そんな時上級生の方からア式蹴球部のお話を伺いました。 私の通っていた中高は女子校だったということもあり、マネージャーやトレーナーと言う仕事がありませんでした。昔から部活のスタッフと言う仕事に興味があった私はそのお話を聞いた時すぐに入部したいと思いました。 これまで18年間、何かに全力で取り組んだことがありません。小さい頃から新体操やピアノ、水泳など様々な習い事をしてきましたが今まで続けているものは一つもありませんでした。 中学ではテニス部、高校ではバドミントン部に所属していましたが運動が苦手な私は全て中途半端に終わってしまいました。 最後の学生生活である大学4年間を通して、何かに熱中し、有意義な時間を過ごしたいと思い、そしてその有意義な時間をア式蹴球部で過ごしたいと強く思い入部を決めました。 しかし、サッカーはテレビでW杯を観戦するくらいで知識やルールは全くといっていいほど知りませんでした。そんな私ですが練習や試合を見ていくうちに、ルールや仕事内容を覚えていくことができています。 トレーナーの仕事は私が想像していたより大変でしたが、それ以上にやりがいがあります。 選手にとってリハビリ期間は、サッカーをしたいのにできないといった辛い時間でもあると思います。精神的な支えにもなれるように信頼関係を結び、怪我から復帰した選手の良いプレーをみて自分の仕事に誇りを持つのが私の目標です。 ア式蹴球部に出会えたこと、本当に嬉しく思います。 まだ慣れない点も多く未熟な私ですが、早く1人前のスタッフとなり、選手の方々がよりよいプレーができるように全力でサポートしていきたいです。 試合で勝った時は一緒に喜び、負けた時は一緒に改善点をみつける。そんなスタッフになりたいです。 たくさんご迷惑をかけてしまうと思いますが、一生懸命努めますのでどうぞよろしくお願いいたします。 読んでくださりありがとうございました! 2年 荒井花

「信頼」される人に

ア式に入部して から 早 2 年。 ついに僕も 3 年生になった。この 2 年 間 、部活の内外で たくさんの 貴重な 経験を させて もらった 。 入部を決めた時には全く想像していなかったくらいに。 しかし、 果たして僕は この場所で 成長できているのだろうか ? と考えること がある。   2 年前、当時テク長だった井上さんと テント列で話したこと が きっ かけ で、ア式にテクニカルスタッフとして入部することを決めた。 皆さんもご存知の通り、1年生の頃の僕は超絶問題児だった ( 今も かな ?笑 ) 。振り返ってみるとお恥ずかしい限りだが、 とにかく遅刻が多かった。公式戦の 応援 集合に遅れることも多々あ り、井上さんに本気で怒られたこともあっ た。 僕のことを思って注意してくださる先輩が身近にいたことは本当に ありがたかったと今なら思うが、 当時の僕は未熟でその厚意に気付くことができなかった。   こんな 体たらく な 僕 であったが、 1 年生の頃から 都学連で活動して いたこともあり、昨年から会場責任者 の仕事を春歌さんから引き継 ぐことになった。 春歌さんと一緒に公式戦の運営をしていく 中で 痛 感したのは、 春歌さんの 人間性の 高さだ。 会場責任者の主な仕事は 、会場設営の監督や必要な書類の準備、マネミの進行など公式戦を 滞りなく 開催できるようにすることである。 春歌さんはそれらの仕 事をそつなくこなすし、 対戦相手や派遣されてくる審判員へ も いつ も 真摯に対応されていた。 そこには周囲の人から春歌さんへの「 信頼」が確かにあったし、 僕 もこういう人になりたいと心から思っ た。春歌さんマジリスペクト。   今シーズンはまだ東大で公式戦を 開催していない が、 その代わりに 対戦相手との 事前 連絡や試合当日の 代表者 的な ポジションをやって いる。 「もし、メンバー表 や マネミ用のユニフォーム 忘れたらどう しよう?」 とか 「もし、 起きた時に試合 始まってたら どうしよう? 」と か 前日には結構考える。 そのせいで中々眠れないこともある。 自分の行動 1 つでチーム全体に迷惑がかかる こと を今は ひしひしと 実感している。 1年生の後期打ち上げの時に 当時 3 年生の 大谷さんに言われたこと をずっと覚えている。 「お前がどんな

サッカーを楽しむということ

  2020 年 12 月某日。冬オフ中の出来事。 このオフ期間は希望者をグラウンドに集めてフィジカルトレーニングを行っていた。トレーニング後、集まった選手達がミニゲームをやろうと言い出したが、人数が 1 人足りなかったため、僕が入ることになった。 3 年以上前にサッカーを辞めてからほとんどボールを触っていない僕が、東京都 1 部で戦おうとしている現役の選手達と張り合える訳もないし、こういうのは楽しくやってれば良いのは分かっているのだが、いざミニゲームが始まるとムキになってしまう。 点を取れたら結構嬉しいし、ボールを取られたら少しイラっとする。 負けず嫌いですぐにムキになってしまうところは自分がサッカーをプレーしていた時からの悪い癖なので、昔と変わってないんだなと感じると同時に、サッカーってこれだよなというような感覚すらあった。 振り返ってみれば、自分がサッカーを始めたきっかけは小学校 2 年生の時に母親に連れられて参加した体験練習のミニゲームで優勝したことが大きかった気がする。そのメニューは、 1 人 1 個ボールを持って自分のボールを守りながら人のボールをグリッドの外に出し、生き残った人が勝ちというよくあるものだった。あの時、ボールを蹴ったことはほとんどないながらも必死に自分のボールを守りながらどうやって相手の隙を突くかを考えに考えたこと、最後まで残ってコーチから褒められたこと、ただの練習の中の 1 メニューでありながらこの上ない喜びを感じたことは今でも鮮明に覚えている。 もしかするとプレイヤーとしての僕は、あの快感を味わうために 10 年近くサッカーを続けていたのかもしれない。 そう考えると、生粋の負けず嫌いな性格に仕上がったのも納得だ。 プレイヤーとしての僕にとっては、サッカーとは勝利を目指してバチバチの真剣勝負をする舞台であり、サッカーを楽しむとは勝利の快感を得ることであったのだろう。 冬オフ中のミニゲームでサッカーってこれだよなと感じたのは、勝利を巡った感情の動きを感じられたからに違いない。 高校でチームメイトよりも一年以上早くサッカー部を辞める決断をしたのも半年以上まともにプレーできない状態が続いた結果、真剣勝負に気持ちが向かなくなってしまったからだった。 部活を辞めてからはサッカーとは距離ができてしまい試合を見ることもボールを蹴ることも全くなかった。

彼らに学ぶ

いつも通りだ 今日も車内は満席 席が空くのを待って立っている人が数人 普段通りだと乗り換え駅に着くまで座れそうにない 漫然と外の景色を眺めるが、何百回と見たその景色にはもう飽きた 外の景色から目線を外す ふと、目の前に座る女性のバッグに目がとまった 普通は内側あるはずのライナーが外側に飛び出すデザイン カレンダーのように並ぶ数字 匿名的で非匿名的な四つタグがその脱構築の歴史を物語る 彼らは習慣に疑いの目を向け、既存の価値を分解し、 時には他の価値を取り入れながら新たな価値を再構築した 前後・裏表逆のジャケット、足袋ブーツ、ボロボロのニット、 ジャーマントレーナー… 分解と再構築の賜物は今なお燦然と輝く その業績が評価され、 歴史上世界で最も偉大なブランドの一つになっている 3月に行われた卒部式で前主将はこんなことを言っていた。 自らが進む道を疑うことが大事だと。 今私達が部活をやっているのは何故か、機会損失ではないか、 といった疑問を抱いた部員は少なくないと思うし、 もし考えたことない人がいれば今一度考えて欲しい。 既存の価値観の分解と新たな価値観の再構築 辞めるのであれ、続けるのであれ、 その判断は価値観の再構築であり、 その後の生活に新たな意味を与える。漫然と過ごすよりよっぽど。 人生だなんて大それた話だけではない。 たとえばプレーの一つをとってもそうだ。 ボールを受ける準備、受けた後の判断、思い描いたプレーの実行、 そのそれぞれに癖がある。 走る動作もそうだろう。基礎的な動作であるが、 改善の余地がほぼないと言える人はどれだけいるだろうか。 今の自分のプレーに、動作に疑いの目を向け、分解し、 悪いところがあればより良いものに取り替える。 そして次のプレーや動作を再構築する。 これが成長するということなのだろうが、 そんな簡単にいかないことは想像に難くない。 そもそも悪い癖があったとして、 それを直すべき癖だと認識することすらできないことも多々ある。 1人であればなおのこと。 これに関し、最近弊部ではslackで個人のチャンネルを作り、 そこでその人のプレーを批評している。 前から一緒に動画を見て批評しあったりはしてたが、 改めて場を設けたことにより前より要求は増えたし、 文字や切り取った映像として残るから振り返りやすい。 みんなで書き合う動画付きサッカーノート

自分と付き合う

 このブログを書いているのが、 2021年4月12日。東大の創立記念日で入学式が行われてい るので授業がなかった 。 ラッキー、と思うと同時に、 え、あの入学式からもう2年も 経 ったの? とショックを受ける。 気づいたら大学3年生で20歳。ほんとついこないだまで高校生だった気がす るのに 、成人もしたし大学生活ももう後半戦。周り の友達が いつの間にか就活の話をするようになった。幸い自分 は理系だし 、 親にも院に行っていいと言ってもらっているのでおそらく大学院に進学するが、自分たちがそろそろ社会に出る年齢だという 事実に正直焦る 。 コロナで1年間がすっぽり抜け落ちたような気もするが、それでも大学に入って何 か成し遂げられたのか、何か成長できたのか。自信をもって答えられることは今のところないように思う。 1日1日は、到底満足できるレベルではないけど、それなりに頑張って生活してきたのに 、 感じるのは漠然とした虚無感。 サッカーの話をすると、この前の週末に東京都リーグが開幕、最後から2番目のシーズンに同期の多くはAチームの主力として活躍する が、自分はずっと育成 。この前の土曜日も、去年まで関東リーグにいた青学と同期の選手がやりあってるのを YouTubeで昼飯を食べながら見た。 とまあここまで書いた文章を振り返って、なんかすげぇ暗い声で下向いてぼそぼそしゃべるような文章書いてんな、と感じてます。Feelingsで、ある程度の分量をマジメに書こうとするとどうしても反省、とか後ろ向きなことを書いてしまって、別にそれ自体は良くないことではないと思うし、自分みたいに結果が出せてない人はちゃんと自分自身を批判的に振り返って行動を変えていかなきゃいけないんで必要なことだと思います。 でも、 「 真鍋公介 」 として20年間生きてきて 少しずつ自分のことがわかるようになって、こいつはこういう後悔とかモヤモヤを正のエネルギーに変えられる奴じゃないな、とも思う。むしろそういう 感情を感じたときに、必要以上に重くとらえてしまって、結局それから目をそらしたり逃げたりしてしまうクセがある。ア式でも、正直ずっと何かにビビりながらサッカーしてたし、だからあんまり楽しくなかったし、上手くもならなかったし、部の人とのコミュニケーションにも積極的になれなかったと思ってます。だから、こいつ何甘えた

初めての自分語り

  feelings の担当が初めて自分に回ってきて、改めて他の人たちがどんな文章を書いているか、覗いてみた。やばい。自分がなんとなく思っていた事全部(考えてもみなかったようなことまで)自分より明瞭に、自分より魅力的に、しっかり言語化されちゃってる。締め切り 2 時間前。やばい。 、、、やっぱりはじめての feelings だし、自己紹介も兼ねて、(新歓のタイミングで入り損ねてア式に入るか迷ってる人や、受験生の人に向けて)どんな人間がどんな経緯でア式に入ったのか僕の経歴を書いていこうと思います。 小2の時に親に勧められ、スポ少のチームでサッカーを始めた。その後地元の公立中で三年間サッカーをやり切った僕は、高校に進んだ時も当然のようにサッカー部に入った。結果、完全燃焼することができなかった。埼玉のそれと質の全然違う東京のサッカー(言い訳)に苦しんでるうちに高 2 の秋で早すぎる引退。不完全燃焼のままダラダラと受験勉強をしているうちに気づけば浪人。都内の進学校から一浪して理科 2 類に合格という典型的な道を進んだ(因みに、浪人した方が人間として厚みが、、なんてことはないから現役生はがんばれ、浪人生もがんばれ)。そして入学後、自分に大学サッカーで通用するような実力などないことは分かっていたし、緊急事態宣言下で新歓がほぼなかったこともあり、部活やサークルは特に入らなかった。オンライン授業が始まり、家に籠りスマホ片手に授業を受け、アマプラを見て、高校の友達と夜な夜な通話してゲームをする生活を送った。夏休みも基本、外出を自粛し、たまに高校同期と遊ぶだけ。それは想像していた大学生活とかけ離れたものだった。そんな日々に飽き飽きしていたし、刺激的で熱中できる何かを常に求めていた。 やっぱり僕にとってそれはサッカーだった。 一度サッカーをしてしまうとやっぱりたまらない。遊びでフットサルをやると我を忘れて走り回る。終わってみると、体は疲れ切っていても、心にはもっとボールを追っていたいとどこまでも満たされない欲求が溢れてくる。 そんなわけで今、ア式蹴球部である。 ア式に入ると週に 1 日しかオフがないため旅行とかにも全く行けず、よく遊びに誘ってくれる友達には早くやめろよといっつも言われている。確かにずっと育成チームで、 A チームに上がって活躍する " 勝ち筋 " みた

備忘録2

ふと落ち着いて自分の今について考えてみると,なんとも言えない気持ちになることが多い . できるだけ面白くしようと頑張ってきたつもりだし , やりたいと思ってきたことはある程度達成してきた実感もある . でも , 「なんだかなぁ … 」という感覚がどうしても残ってしまう .   理由はずっと考えてきたけど ,  正直よくわからない . 自分に原因があることは間違いがないのだけど ,  原因特定はできていない . それでも ,  どうしたら自分の人生が面白くなっていく可能性が高いのかということが ,  少しずつ empirical にわかってきた気がする .  またも備忘録的に記しておきたい .     「面白くしようと頑張ってきた」と言ったが,そのきっかけを作ってくれたのはいつもその時に出会った “ 人 ” であるということが多かったなと感じる .   東大受験のきっかけを作ってくれた高校時代の友人 ,  レイソルに導いてくれた GK コーチ ,  なんか顔合わせから仲良くなった上クラの人 ,  僕をもう一度サッカーに引き戻してくれたア式の先輩方(まとめてすみません) ,  研究室の教授や先輩など …   どんな出会いも自分から意図して起こすことはできないわけで ,  (ここにあげられていない人も含め)これら全ての出会いは “ 偶然 ” あるいは “ 奇跡 ” である . できることであれば,このような出会いを意図して増やしていきたい . しかし,コントロールできることではないということは直前に確認したばかりである .     ではどうするか .   まずは違う環境やコミュニティーにいた状態では,そもそも出会える可能性がないわけなので適切な環境に身を置くことは大事だと考える . ただ,たとえ同じ環境で一緒に時間を過ごしたって,コミュニケーションをとって関係が生まれないと “ 出会い ” とはならないわけで . そういった意味で,関係が生まれていくための工夫も必要である .   “ 他者 → 自分 ” の方向性を持つことは基本的にコントロールできることではないので,新しい環境へ飛び込んでいくなど,自分からアクションを起こしていく “ 自分 → 他者 ” の方向での工夫が必要である . この文脈では “comfortable zone”  という言葉がよく使われるけれども

大人になる

二ヶ月ほど前に成人式を迎えた。中三の冬に同じ市内ではあるが引っ越しをした自分にとっては、小中時代の地元をゆっくりと歩くのはおよそ五年ぶりのことであった。 思ったより代わり映えのない景色とそこにあるわずかな移ろい、そのどちらにも幾らかの感慨を覚え、少年時代を回顧した。 僕は大人になれただろうか。 そう自らに問いつつ、成人した今の自分と比較してみる。 断片的な記憶から当時の思考を再現すると、今と大きな違いはないように思えてくる。 サッカーと出会って以来、チームの練習や試合で仲間たちと、公園で1人、スタジアムやテレビやyoutubeで、と色々な方法でサッカーと触れ合い、そのどれもがとても楽しくて、そんな楽しみを与えてくれるサッカーが大好きなところ。 ゲーム、アニメ、漫画、ドラマ、お笑い、音楽、読書など、どんな文化でも少し知るとすぐにはまってしまうところ。 特に漢字好きでもないのに突然「魑魅魍魎」や「黴」などの気色の悪い難読漢字を書けるように勉強したり、大して進めてもいないゲームの攻略本を読破したり、名探偵コナンで登場人物があらかた出る部分まで読むとそこで犯人を勘で予想し、事件や推理の部分をすっ飛ばし最後だけ読んで答え合わせをしてしまったりなど、どうでもいいようなことを急に知りたくなる謎の知的好奇心を持ってるところ。 実際今でも、部活に入って毎日サッカーしてサッカー見て、変わるがわるいろんなジャンルの文化にはまって、「良いお年を」って挨拶の「お年」っていつのこと指してるんだろとかどうでもいいことを真剣に考えて調べ出してと、これらは今も昔も変わらず持ってる部分である。 それでもやはりもう少し考えを深めてみると、今の僕には10代のうちに構築された、幼い頃にはなかったような心的傾向があることにも気がついた。 それは、自と他、自尊心、この二つについてのものである。 僕は、これまでの人生を通じて色々な人と出会い交流する中で、自分の感じることと考えること、そして他者が感じることと考えることの間には想像以上に違いがあることを知った。 共有してると思い込んでる世界は全て目や耳などを介して各々の脳で解釈してるにすぎないものであるのだからそれも当たり前のことである。 頭で考える分には当たり前だと思えるようなことで、僕自身理屈の上では小さい頃からわかっているつもりだったが、これをきちんと理解し始