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18の私より

検見川の合宿からもう2週間以上過ぎたのにまだ頭を整理できていない自分がいる。 自分が何のためにやってきたのか、これからどうすべきなのか、まだ見つけられてない自分がいる。 だから完全に自己満って分かっているけどこの feelings で自分の考えを整理したい。 でも多分普通に書いてたら人に見られることを懸念して強がって曖昧な文章になってしまうと思う。 そこで私の好きな曲に「未来の自分に当てて書く手紙なら、きっと素直に打ち明けられるだろう」ってあるから 30 歳の自分にでも手紙を書こうと思う。なんでこんなに攻めた feelings にしようとしてるのか自分でも分からないが書かせて欲しい。(本当に自己満足だけどお付き合いいただけると幸いです) 30 歳の私へ 拝啓 この手紙読んでいるあなたはどこで何をしていますか? ちゃんと仕事してますか?広島と東京どっちに住むことにしましたか?新しい趣味とかできてますか?まあ幸せならなんでもいいです。 今私はサッカー部のマネージャーをしてます。知ってるか。 ちょうど 1 年目が終わり、入ってくる後輩を楽しみにしている時期です。 なぜ未来の自分に手紙を書こうと思ったかというと自分の考えを整理したかったから。見栄を張らないでありのままの自分と向き合ってこれから何をするべきか見つけたかったから。だからまずは検見川の合宿を振り返りたいと思います。 2 月頭、検見川で合宿があった。ミニゲーム大会とかあったけど、私の検見川合宿の記憶はリクルートミーティングのことでいっぱいだ。 1日目の午後に行われたこのミーティングで皆に言われたことをざっくり要約するとこうなる。 「去年のリクルートは営業に偏りすぎてたのではないか。1番大事な「新歓につなげる」ということを怠っていないか。」 正直に言おう。その瞬間はカチンときた。 リクルートはこだわってやってきたつもりだったから。 4 月、リクルートがやりたくて私はア式に入部した。高校生にア式の魅力を伝える、高校生が東大を受験するきっかけを作る。他の部活では経験できなさそうなことができる、自分のやり方次第でいろんなことに挑戦できると思ってア式に決めた。先輩にリクルートを任せてもらえた時は本当に嬉しかったし、た

決断の時

ア式蹴球部に所属して約1年。もうそんなに経つのか。歳を食うと時間の流れが速くなるというのを実感する。まだ19歳だけど。 この1年間で俺は、東大生として、ア式蹴球部員として、何をやってきたのだろう。 勉強はちゃんとやれたのかな。振り返ってみると、頑張ったはずなのにあんまり頭に残っていない気がする。1年間なにやってんだか。春のうちに復習しとかないと。 サッカーはそこそこ上手くなった気がする。でも正直そこそこ止まり。劇的に何かが変わったわけでもなく、コンバートで才能が開花したわけでもない。 …書き起こしてみると、なんというか中身のない1年間にしか思えなくて、後悔の念が募る。 さて、この1年を踏まえて、最近の悩み事のことでも書いていこうかと思う。 まず、ア式蹴球部員がやらなければいけないことは次の3つで言い尽くされる。 その1 自分の持っているリソースを消費して、部の活動に貢献すること。 その2 ア式蹴球部の持っているリソースを消費して、自分自身の成長に努めること。 その3 ア式蹴球部に所属し活動することが自分にとってベストか否か考え続けること。 このなかで、その3についてが今回の肝だ。 ア式蹴球部に所属することがベストか否かを判断する基準は多岐にわたる。そのなかでも自分が重視している基準は、納得いくだけのリソースを割けるかと、 feelings でもおなじみ機会損失の2つ。 まずはリソースの割き方について述べよう。 当たり前だが、自身の成長を達成するには自分の持っているリソースを費やさねばならない。ほっといてサッカーが上達するはずがない。さらに上記その1の通り、部の活動を維持・発展させるためにも自分のリソースを割かねばならない。 熱量を欠いて練習に参加することが自分自身にとって無駄な行為であることは明白であり、さらに練習のクオリティを下げることによりチームメイトに迷惑をかけることになる。練習を計画してくださるコーチ陣に失礼であるし、練習を補助してくれるスタッフ陣の行為を無下にすることになる。 十分なリソースを割けないまま部に所属することは、まさに百害あって一利なしである。 ところで、自分はア式蹴球部員としてサッカーに取り組む一方で、サッカーだけをやっている

原点回帰

あの時からちょうど1年が過ぎようとしている。 毎日朝8時から夜の11時くらいまで、ひたすら机に向かって猛勉強。部活を他の人よりも長めにやっていた自分は受かるか受からないかギリギリのラインで、一秒たりとも時間を無駄にすることはできなかった。そんな中で最後まで諦めることなく勉強を続けることができたのは、東大に合格した先に待っているであろう楽しい大学生活のおかげあった。それは友達と遊ぶことや、大学で学ぶことに対する期待でもあったが、それよりも大きなウェイトを占めていたのは大学サッカーに対する期待だった。幼稚園からサッカーを始め、小中高とほぼ毎日ボールを蹴り続けていたのでサッカーを欠いた生活は考えられなかった。絶対に合格してまた真剣勝負をしたい。 なんとか合格することができた自分は、大きな希望と期待を持って目標としていたア式蹴球部に入部した。いざア式に入部してみると大学サッカー生活は良い意味で予想を裏切るものだった。キーパーから丁寧にパスをつないで相手を剥がしていき相手ゴールを目指す、というア式のサッカーはこれまでに自分がやったことのないサッカーだった。今まで以上に頭を使ってサッカーをすることが求められたし、自分がやってきたサッカーと違った部分も多かったので、最初は戸惑ってばかりだったように思える。しかし、それ以上に楽しかった。大学生にして、より高度で魅力のあるサッカーに出会うことができたし、サッカーの楽しさを新たに発見することができた。また、ア式蹴球部には全国各地から様々な経歴を持って、これまで全く違った環境や考え方でサッカーをしてきた人が集まっており、そういった仲間たちと共に新たなサッカーを作り上げていくということも魅力であった。もちろんそれぞれが様々なバックグランドを持っていて考えが合わなかったり連携が取れなかったりすることもあったが、そういう難しい部分も含めて課題を解決して試合に勝とうとする取り組みは純粋に楽しかった。 そんな中で、早くAチームに上がって公式戦に絡んでいきたいという気持ちももちろんあった。6月くらいにAチームで自分のポジションにけが人が出たこともあって、運よくAチームに上がるチャンスがやってきた。Aチームで活躍して試合に出たいという目標も持っていたし、不安を抱きながらも、自分ならできると思いつつ練習へ向かった。しかし、正直に言ってレベルが違った。

欧州観戦記

お久しぶりです。理の方の吉本です。 まずはfeelingsを滞納し大変申し訳ございませんでした。 言い訳になりますが、滞納者ラインで仕事がふってくるたびに書こうとはしていたのですが、自分の文才のなさから全然完成しませんでした。 「理」でなく文章が書けそうなかんじの名前だったらもうちょい文章力あったのかなーなんて思ったりして。(わかる人にはわかるはず) さて、謝罪と言い訳はここら辺にして、題にあるように今回は欧州旅行について書こうと思う。 片道20時間超えのロングリターン飛行機のなか、今回の旅行を思い返しながら書いていきます。 もはや冬オフ恒例となったシンヤ旅海外編、今回はイギリスとスペインに行ってきた。 ロンドン、マンチェスター、マドリード、バルセロナの4都市を周り、5試合を生観戦した。 ウェストハム vs アーセナル チェルシー vs ニューカッスル マンチェスターシティ vs ウルブズ レガネス vs レアルマドリード バルセロナ vs レバンテ どの試合も面白かった。 プレミアの球際、ぶつかり合い、リーガの巧みなテクニックには興奮しっぱなしだった。 普段DAZN越しに見る試合の何倍もパワフルであった。 なによりスピード感が違いすぎた。もちろん僕らなんて比べものにならなかったし、生観戦したJリーグと比べてもそれは圧倒的だった。 ちなみに一番驚いたのはジョルジーニョの首を振るはやさ。 おれが遼くんにビンタされたときよりもはやく回ってた。 一言にスピード感が違うといってもこんな細かいところから違うのかと驚嘆した。 この発見を隣のやつに話そうとしたら、彼は試合中なのにウトウト首を縦に振っていたzzz。 これの前に見た試合では急に涙を流し始めるし、こいつの行動は理解不能だ。 さて、全部の試合の感想を書いていってもいいが、さすがにロングになりそうなので、ここでは印象に残った2チームを紹介する。 ひとつはウルヴァーハンプトンことウルブズ。今年プレミアリーグに昇格してきたチームだ。 格上マンチェスターシティとのアウェー試合でウルブズは5バックでブロックを敷く。 しかし、ラポルトからサネ、そしてそのグラウンダークロスにファーポストのジェズスとシティのお決まりパターンで先制を許す。 さ

空気をつくる

エアコンの話ではない。練習中に楽しい空気を作ろうと心掛けている、というだけの話である。 練習を盛り上げようという意識を持ったきっかけは3つ上の先輩方が卒部されたことだった。入部して初めてのリーグ戦が終わり、オフ期間が明けた後の練習に当時 4 年生の先輩方がいらっしゃらなかった時、強い寂しさを覚えた。その時は単純に人数が少なくなったことと、ずっといた先輩方がいないことによる寂しさだと思っていたのだが、その後の練習に先輩が都合をつけて顔を出してくださった時、改めてその存在の大きさを実感するとともに練習中に掛けてくださる声が全体の雰囲気を盛り上げていることに気づいた。 他の部員たちが声を出していないわけではなかった。「ナイス!」という声やプレーについてのアドバイスは練習中にたくさん聞かれた。それなのに 4 年生がいるのといないのとでなぜこんなにも違うのか、不思議だった。少し考えて、声のトーンと音程がこの違いを生み出しているのではないかと思い至った。 4 年生の先輩方は高めのトーンかつ高低差のある音程で話していて、顔を見なくても「ナイス!」という一言を聞くだけで笑顔が目に浮かぶのだった。 私も真似をして大きめに抑揚をつけて声を出そうとしたのだが、練習中に自分から声を出していくというのは難しかった。決して大きな声を出すのが恥ずかしいとかいう理由ではなく、声に出す内容についていちいち脳内でツッコミが入るからであった。「ナイス」って良いか悪いかの判断を伴う言葉だから目上の人に使うのは失礼なんじゃないか、目上の人に言うなら「流石です」かな、でも練習中に「流石です」って言うのもちょっと違和感あるな、とか。ドンマイって和製英語ではあるけど命令形だし please をつけたくなっちゃう、とか。中学高校と演劇部だった私は運動部特有の声掛けに慣れることができていなかった。最近でも先輩にそうした声を掛けるのを躊躇してしまうことは多く、その分同期や後輩にはしっかり感情を込めた「ナイス」や「惜しい」を言うようにしている。 そんな私でも迷いなく声を出すことができるのがアップの時である。「 5 、 6 、 7 、 8 、 9 、 10 」や「 1 、 2 、 3 」のような数字の並びを口にするだけだが、口角を上げて明るいトーンで音程にも気を配って、なんてやって

サッカーには夢がある

昨今 UAE の地で日本代表が激闘を繰り広げている。特にノックアウトステージに入ってからは終始緊迫したゲームが繰り広げられ、自分も一国民として固唾を飲んでテレビ画面を食い入るように見てばかりである。とはいうものの、自分がサッカーを長年続けていくにつれて、何かしら戦術的、技術的な着眼点を持って客観的に見るようになったことも事実である。実際にプロの試合から学び吸収できるものはないか、と。(自分に限らず世のサッカープレイヤー皆がそうだと思うが。)それでもなお自分の中には、サッカーという1つのエンターテインメントをただ純粋に楽しみながら見ている、小さい頃から何1つ変わらない自分の存在がある。ワールドカップ後の森保さん(同郷として光栄です)率いる新生日本代表のプレイにはワクワクさせられるばかりである。(吉田選手も同郷です) 上京してからは、 J 1リーグを始めプロの試合を見にスタジアムに足を運ぶ機会も増えた。その中でも10月に埼玉で行われたウルグアイ戦は今までで見た試合の中でも一二を争うほどエキサイティングな試合だった。ウルグアイ DF に対して果敢に仕掛けていく前線の選手のコンビネーション、セカンドボールに対する中盤の選手のアグレッシブなアプローチ、正直今までの代表では見たこと、感じたことがあまりなかったワクワク感があった。ましてそのプレーをスタジアムの熱気、サポーターの呼吸を肌で直に感じながら観戦するとなれば、その興奮は言葉で言い表せない。その時、正直戦術とか考えるのを放棄したくなるほど無我夢中で楽しんでいる自分がいた。まるでサッカーをやったことのないちびっ子のように。 「戦術」って何だろう。「サッカー」って何だろう。 こんなことをふと考えた。サッカーとは90分という時間の中で、11人対11人で行う競技である。相手よりも多くゴールを奪うことで勝ち点3を得る。はい、みんな知っている。戦術とはその勝ち点3をいかにして手に入れるか(いかにして相手からゴールを奪い、相手にゴールを割らせないか)、そのための手段・方策である。はい、それはそうです。 現代サッカーには様々な戦術が存在する。ロングボールを多用するチーム、細かく緻密にパスをつなぎ相手をいなすチーム、ガチガチに引いて爆速のカウンターを発動するチーム、ロングスローばっかりするチ