緋色を見抜く。
天は二物を与えず。そんなことわざがあるけれど、それは真なのだろうか。 東京大学に入学して一年が立ったが、今までの人生では経験し得なかったことがたくさん起こったように感じる。その中の一つが、人間は平等ではない、と実感したことだった。 この大学には、優秀な人がたくさん揃っているのは当たり前だと思うが、中には全てにおいて完璧なように見える人がいる。しかも、そんな人は少ないわけではない。学力も、運動能力も、容姿も、全て持ち合わせているような人が掃いて捨てるほどいる。しかも嫌味なく、当たり前のように。 正直に、羨ましいと思う。私はどちらかというと持たざる者であると思っている。色々なものを捨てて途方もないほどずっと勉強をし続けてギリギリ東大に入れたくらいだし、どんなに頑張っても仕事を効率よくこなせない、アホすぎて呆れられることもある。頭がおかしいので空気を読めない。人間として非常に未熟で、まるで道徳心がない。頼りなくて、不安がられることもしょっちゅうだ。多分、全てを手にしている東大生からしたら、私なんてミジンコ同然に思われることもあるだろう。もうちょっとマトモだったらな、と思うこともある。 けれど、最近思った。自分のできないことを気にしても、あまり意味はないのだと。悩んでも解決しないし、何もしなければ何も起こり得ない。恵まれてない、不遇だと言っていても、最後に手に残る結果は自分自身のものでしかない。誰かを羨んだり、恨んだりしても事を悪い方向へ歩ませるだけだ(別に誰かを具体的に恨んでる訳ではない)。 ここでやっとサッカーぽい話をしたい。私は今年からキーパーをやることになったのだが、思ったようにうまくならない。先輩やコーチの言うことを聞かずに自分勝手に動いて失点することもあるしなかなか厳しい。前までは、このポジションにつくと言う重責が嫌でどんよりしていた。私には運動神経があまりないので、本当に何も持っていない人間だなと実感してしまい、ゴールから逃げたくなったことも実はある。止められない時は久しぶりに涙が出た。本当はキーパーなんて怖いしやりたくない、なんで自分なんだと思ったときもないわけではなかった。 しかし最近、嫌だと思うより、与えられたこの状況で、どうするか、どう輝くのかを考えたほうがいいと思うようになった。嫌だ嫌