まだ終われない

谷晃輔(4年/MF/横浜翠嵐高校)


20241013
 
リーグ戦最終節vs 上智大
 
結果 4-0
 
最終節にして、残留をかけた直接対決という大一番を勝利で終えることができた。
長く苦しんだシーズンの鬱憤を晴らすかのような素晴らしい試合内容で、有終の美を飾った。
シーズン終盤は本当に苦しかった。勝てない期間が続く中で、副将として、10番として、責任を感じていた。昇格を期待されていた中で、自分の代で降格させてしまうのは絶対に避けたかった。
だから、最終節に勝って、えも言われぬ満足感を覚えながら、自分の大学サッカーは終幕を迎えた。
 
 
 
 
 
悪くない終わり方だ。
そう思っていた。
 
 
 
 
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「関東昇格」
 
言わずと知れた長年のア式の悲願であり、自分たちが最後のシーズンを迎える前に定めた目標である。
しかし、結果的に東大はリーグ戦を10位で終え、なんとか降格を免れるに留まった。
 
 
 
 
 
 
 
 
ただ今振り返ってみると思う。
 
自分は本当に関東昇格を目指していたのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
202310
 
リーグ戦最終節、大東文化大学との試合を引き分けで終え、自分にとって3年目のシーズンが終わった。
 
最終的な順位は12チーム中7位、残り4節くらいまで関東参入戦に行ける可能性を残していたシーズンだった。
 
名残惜しい気持ちでいっぱいだった。
この年は劇的な試合が多く、特に後期の玉川、帝京と連勝したのは大学サッカーで最も嬉しかったことの一つだ。
 
陵平さん、八代さんを中心にまとまったチームはとても雰囲気がよく、最後の方はいいチームだなぁ、おわりたくないなぁと思いながらプレーしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
ラストシーズンもこんな良いチームが作れたら最高だな、と思って副将になった。
 
 
 
 
 
 
実際、最初は上手くいっていたと思う。
関東昇格という大目標を設定し、陵平さんが退任し新監督が不在の中、前シーズンの良い雰囲気をそのまま引き継ぎ、全員が高いモチベーションを保って活動していた。
例年すぐに負けて終わっていた11月の東京カップはベスト8まで進んだし、練習試合を含めても来年の都一部で十分に勝負できると感じる戦いができた。
 
自身のパフォーマンスもかなり良く、それに呼応して慣れないながらも副将としてどうあるべきか考えながら活動できていたと思う。
 
 
 
 
 
 
 
しかしながら、それは冬オフまでの僅かな期間だけだった。
 
新年を迎え、オフが明けると新監督が来て本格的な指導が始まった。
 
 
ポゼッションを志向する為に、一から新しいスタイルのサッカーを教え込まれた。正対する、胸を合わせる、手前をとる、など概念は理解できるが、実際どうやってやればいいのか分からないものが多かった。
 
 
 
 
 
 
なかなか自分のパフォーマンスが上がらなかった。
「俺はフラットに選手を評価する。谷でも北川でもパフォーマンスが悪かったらスタメンから外す。」
3年目は公式戦27試合、全てスタメンだった。正直もう出られる、出られないで悩むことはないかなって思っていた。
でも新監督には自分と北川を中心にチームをつくる意思はないようだった。
まっさらな状態から新しいサッカーをつくり上げる。そんな気概が見えた。
そしてその新しいサッカーに自分は適応できないでいた。
監督が日々このように発言する度にプレッシャーがかかった。
 
 
そして実際に2月の後半にスタメンを外された。
その時はすごくショックだったし、納得いかない気持ちもあったが、一番は恥ずかしさだった。
副将なのに、10番なのに、圧倒的な存在だと思われていたのに、ベンチになった。
なんて恥ずかしいことだ。
 
心が荒んだまま、練習試合に臨んだ。
 
 
 
 
何とかその後はスタメンに復帰したが、自分のことで精一杯になっていた。もう1人の副将の章が周りに要求しているのを見て、俺も何かしなきゃ、そう思うことはあっても行動に移すことができなかった。キャラじゃないとか、章は監督のサッカーを理解しているから自分もまずそこから、とか考えていた。
 
 
 
くだらない怪我もあった。ボロボロの中敷を使って足を負傷した。用具の管理という当たり前のことを疎かにした。周りには笑って話していたが、内心自分のアホさ加減に嫌気がさしていた。
 
 
結局、プレシーズンは自分のパフォーマンスを良くすることでいっぱいいっぱいになってしまった。
 
自分ができていないのに、他人に要求することはできない、いや普通に自己中なだけかもしれない。周りに影響を与える存在になることはできなかった。
 
 
 
 
 
 
 
チームの状況も芳しくなかった。
 
低い位置からボールを丁寧に繋いでいこうというスタイルで取り組むも、低い位置で失って失点したり、裏のスペースを使う動きが極端に少なくなって、なかなかチャンスが作れなかったりと、スタイルの変化にチームとして適応できない状態が続いた。
 
個々人のコンディションについても、主将のましろは怪我をして離脱している期間が多かったし、北川も怪我をしたと思ったら、何があったのか育成に落とされていて、プレシーズンはほとんど一緒にプレーしなかった。
 
 
昨シーズンからコンスタントに試合に絡んでいた歌やイシコ、陶山もスタメンから外されるなど、あんまり調子が上がってないように見えた。
 
 
代わりに入ったメンバーのパフォーマンスも良いとは言えなかった。
 
 
 
 
結局1月から3月までのプレシーズンの練習試合で勝利したのは数える程で、リーグ戦で当たるような都一部レベルと同格、または格上の相手には一回も勝てずに開幕戦を迎えることになってしまった。
 
 
 
 
いざリーグ戦になったら変わるのではないか。おそらく自分以外も多くの人が抱いていたであろう、淡い期待はあっけなく打ち砕かれた。
開幕から成蹊、帝京という厳しい2連戦。急造で5バックを組んで戦うも、地力の差を見せつけられて、2連敗。
この相手に勝てる気がしない。自分以外にもそう思った人は多かっただろう。この時点で昇格という目標がかなり厳しいことがわかった。集合で「昇格」という言葉が使われることがだんだんと減っていった。
 
 
 
 
 
 
 
自分が怪我をしたのはその直後の3節目であった。
 
 
2-2で迎えた後半終了間際、ドリブル中に思いっきり足首を捻ってしまった。
ハーフタイムに監督からパフォーマンスが悪いと言われたことに納得がいかず、もやもやしたまま、プレーが荒っぽくなっていたのが原因だったかもしれない。
 
試合はラストプレーでPKを獲得するも、決めることができずにそのまま引き分けに終わった。
 
ゴール脇で応急処置を受けながら、誠二郎が蹴ったボールがクロスバーを越えるのを間近で見て、さらに落胆した。
 
 
 
 
 
 
シーズン中に長期間離脱することは始めてだった。1ヶ月余りを長期間というのかはわからないが。
 
 
 
 
 
練習も試合もピッチの外から眺める日が続いた。
 
復帰後に出場できる試合は10試合余りと多くはないだろう。
そこに対して確かに焦りを感じることはあったが、それとともにどこかホッとしている自分もいた。
 
 
 
リーグ戦が開幕して、3試合で12敗。
毎試合勝てない度に昇格という目標が遠ざかっていった。
絶対に達成するって決めたはずの目標が早くも頓挫しかけている事態を直視するのが辛かった。
だから怪我をして、戦線を離脱して少し開放された気分にもなっていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
自分が離脱してからは、武蔵に引き分け、学芸に負けと、変わらず厳しい戦いが続いていた。
 
 
 
 
その一方で、戦い方に関して言えば、だんだんと仕上がっていった。
学芸戦では確かに負けはしたものの、昨年まで関東リーグで戦っていた相手に対して、ボールを持って主導権を握っていた。
 
 
 
学習院戦では終始相手を上回り、3-0で今季初勝利を飾った。
快勝だった。
 
「お前いらないんじゃね。」
 
 
 
試合後、誰かに冗談でこう言われたが、なんかそんな気がしてきて不安になった。怪我をすると元のパフォーマンスに戻せる自信がなくなるからいけない。
 
 
 
 
 
章と北川は言わずもがな、歌とかひかるとかがすごく上手くなっていて驚いた。
 
 
 
 
 
 
 
ボールを持って主導権を握って、終始相手を圧倒して勝つ。
そんなサッカーが公式戦でできたら楽しいだろうなとは思っていたが、みんなはそれを体現しつつあった。
 
 
自分もそんなサッカーがしたい。
昇格云々よりもその思いが強くなった。
 
 
そう思うと、大学サッカーで残された時間が急に短く感じられてきて、焦りを覚えた。
 
やっと100%焦ることができた。
 
 
 
 
 
 
 
 
早く復帰したい。
そう思ってリハビリを急いだ。
 
幸いなことに、順調に回復した。ヨネのメニューをちゃんとこなして良かった。ヨネありがとう。
 
 
 
朝鮮戦で復帰した。
後半途中から出場し、結果は1-2で負けたものの、個人的には終盤にシーズン初ゴールを決めることができて、ホッとした。
 
 
 
 
 
続く一橋戦では後半途中から出場し、決勝ゴールを上げた。自分のゴールでチームが勝ったのは久しぶりだったので、とても嬉しかった。
 
 
その後の玉川戦は引き分け、前期最終節の上智戦でようやくスタメンに復帰した。
 
上智戦でのパフォーマンスは良かった。ビルドアップに上手く関われたし、チャンスメイクもかなり多かった。自分が前半に決めたゴールが決勝点になり、勝利した。
 
 
 
 
こうして、335敗で前半戦を終えた。
 
 
 
 
チームとして中盤から終盤戦にかけて、ボールを持って戦うスタイルが仕上がってきて、結果も少しついてき始めた。後半戦は巻き返しができるんじゃないかという期待感がその時点ではあった。個人的にも、部分的ではあるがやっと中盤でボールを捌くというタスクをこなせた気がして、これなら上位陣にも通用するんじゃないかとワクワクしていた。
 
 
 
 
概して、いよいよ大学サッカーも終わりが近づいている中で、自分たちの結末はきっと良いものになるだろうと、楽観視していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今思うと、あまりにも見通しが甘かった。
 
 
 
 
 
 
勝てない。勝てない。勝てない。
 
 
 
 
 
 
 
成蹊と帝京には前期以上に差を見せつけられて敗北。
今まで格下だと思っていた日文や武蔵にも負けた。普通に俺らが格下だった。
 
学芸には1-7という大差をつけられた。
1年の時、山梨学院にやられた0-10を思い出した。
 
 
圧倒的な相性の良さがある学習院にも負けた。5年ぶりくらいだった。
 
 
 
大東戦ではスタメンを外された。
パフォーマンスが良くないと集合で言われて、また心が荒んだ。
後半から出場するも得点は奪えず、0-1で敗戦。
 
 
 
 
 
 
 
連敗が続く中で、リーグ戦も残りわずかになってきていること、このままだと降格してしまうことが重くのしかかった。
 
 
 
 
 
なんで上手くいかないんだろう。
 
まさか降格争いに巻き込まれるとは思いもしなかった。
 
 
 
なかなか答えが出ない中、父にこんなことを言われた。
 
「勝ちたいのか、上手くボールを回したいのかわからない。」
 
 
ハッとさせられた。確かにここ数試合、ボールを持つことに固辞しすぎていた。そして固辞するあまり、他のプレーをおざなりにしていた。
 
 
 
前監督の陵平さんがよく言っていた。
「点を取るためにボールを持つんだ。ボール保持が目的になってはいけない。」
 
 
 
 
 
振り返ってみると、前年もその前の年も上手くボールを保持しながら主導権を握って勝利した試合は数える程だった。
 
 
 
 
勝利したほとんどの試合は相手に主導権を握られたり、終始落ち着かない展開だったりした中で、粘って、粘って、粘り勝ったものだった。
 
 
 
3年時、帝京に1-0で勝利した時なんて、試合内容自体はひどいものだった。
 
序盤に陶山のミラクルゴールで運良く先制してからは、防戦一方。前半から自陣でブロックを敷いて、相手の猛攻に耐え続けた。FWだった自分はほとんどボールに関われず、守備に奔走させられ、正直なんも楽しくない、苦しいだけの時間だった。結果的になんとか勝利したものの、帝京の強さを嫌という程思い知らされたし、「俺今日なんかしたかな」と個人的には手放しに喜べない試合だった。
 
 
それでも試合終了の笛が鳴った時、自分は帝京という明確な格上に勝利したという事実に大きく感動したし、守備に奔走したことを後悔はしなかった。別に大して活躍してなかったのに、泣きそうになってしまい、必死に涙を堪えたのを覚えている。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
球際で闘う、チームのために走る、守備から入る。そういう泥臭いことを愚直にこなして勝利を掴んできた3年間だった。それなのに、今年はいつからか「綺麗にボールを回して相手を圧倒しよう」という楽な考えに進んでしまっていた。無意識にリーグ戦で今まで味わってきた苦しさから逃げていた。
 
松波さんや八代さんがずっと口酸っぱく言ってきたことを一番聞いてきたはずなのに、いつの間にか失念してしまっていた。
 
 
 
 
 
それに気づいてからは自戒も込めて、意識的に集合で発信するようにした。
 
 
どこか閉塞感のあるチーム状況を打開するために、副将として自分ができることを見つけた気がした。
 
 
やっぱりサッカーって戦術以前に、大前提やらなきゃいけないことがあるよねって伝えたかった。
 
 
 
大東に負けてからの残り4試合、自分は右ウィングでプレーするようになった。インサイドハーフの時よりも、自身のタスクがはっきりしていたこともあり、「目の前の相手に負けない」とか「守備しっかりやる」など、今まで疎かにしていた部分をきちんとこなせるようになった。
 
 
 
 
自分のパフォーマンスに自信が持てるようになったことで、以前よりも周りにはっきり自分の要求を伝えることができた。
 
 
 
最後の4試合で21分1敗。
最低限の結果を残し、何とか残留を決めた。
 
 
残留に向けて後がない状況だからか、北川が離脱したからか、それとも発信を始めたことで責任感を覚えたのか、ラスト数試合の重圧は凄かった。これが歴代の4年生が感じていた重みなのかなと思った。
 
 
ただその重みの分、自分のパフォーマンスは洗練されたような気がした。最後3試合で3ゴール2アシスト。結果もついてきた。
 
 
自分がチームの連敗脱出にどれくらい貢献できたかはわからない。実際に1番大きいのは相手がそんなに強くなくなったことかもしれない。
それでも最後なんとか勝ち点を取って残留を決めることができた達成感は大きかった。
 
 
 
 
ちょっとだけリーダーシップを発揮するとはどういうことか、理解した気がした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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引退して、他チームの結果により残留が決まった直後は、満足感が大きかった。シーズン終盤の苦しい期間を乗り切って、なんとか降格を免れたという一種の成功体験を有終の美として、自分のサッカー人生を締め括ることに何の疑問も覚えなかった。
 
 
 
しかしながら、引退後も育成チームの練習に参加したり、社会人チームの体験に行ったりとサッカーをきっぱりやめることはできなかった。
 
引退後は何もプレッシャーがなく気楽だったし、気楽にやるサッカーはすごく楽しかった。
 
 
 
そんなある日、暇になって自分のプレシーズンの練習試合映像を久しぶりに観た。
 
驚愕だった。
なんてひどいパフォーマンスなのだと。
 
 
オフザボールの動きの少なさ、ポジションの決定の遅さ、雑な守備、そして闘う姿勢の欠如、どれも自分を苛立たせるものばかりだった。
 
 
 
 
勘違いしていた。
 
ラストシーズン、自分はベストを尽くして取り組んだけど、やっぱり関東の壁はどうしようもなく高くて、自分たちの力量では到底太刀打ちできないものだった。むしろ、非力ながら残留して後輩たちに都1部の舞台を残すことができて万々歳じゃないか、と。
 
 
でも違った。自分は全くベストを尽くせてなんかいなかった。
サッカー選手として欠かしちゃいけない部分を疎かにし、新しいサッカーに適応しようと挑戦することもしていなかった。
 
 
それに副将という立場ある人間としての振る舞いも不十分だった。
プレシーズンからリーダーシップを発揮するのは、ましろや章に任せっきりだったし、特に怪我をしてからの数ヶ月はチームのことをほとんど考えなくなってしまっていた。
 
 
 
 
今プレシーズンに戻れるなら自分の取り組み、チームへの発信など、変えられることが沢山あると思った。
 
 
そう思うようになってからというもの、「関東昇格」という目標を掲げながらそれとは程遠い結果に終わってしまった悔しさ、そしてその結果を招いてしまった自らの未熟さをひしひしと感じるようになった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「まだ終われないかな」
 
 
 
サッカーは大学で絶対に終わり、そう思っていたはずなんだけどな。
 
 
もう少しサッカーを続けることにした。
 
 
 
 
 
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ラストシーズンは悔いの残る結果になったものの、1人のサッカー選手としての自分の大学4年間は総じて充実した時間だった。
 
1年目は大学サッカーのレベルの高さを存分に体感した。
当時のチーム状況や監督の起用方針など幸運が重なり、入部してすぐにAチームに昇格、リーグ戦に出場することができた。
プロ内定選手が在籍するなど、自分の高校のカテゴリーからすると考えられない程高いレベルの相手に対して、やられることが圧倒的に多かったが、自分ができることもあるんだと思うことができた。
もう絶対に手の届かない領域だと思ったところに手が届くかもしれない、そんな希望を自分に抱かせた。
リーグは降格してしまったものの、20試合以上の公式戦に出場し、貴重な経験を積むことができた。
 
 
 
 
2年目は飛躍のシーズンだった。
2部リーグに降格したことで相手のレベルが下がったこともあり、自分のできることが増えて自信がついた。
陵平さんが攻撃陣に何より求めていた点を取るという部分に貪欲になり、得意のドリブルからのシュートの他にもクロスに飛び込んだり、コーナーのこぼれをファーで押し込んだりとバリエーションを増やしていった。
結果的にリーグ戦20試合で10得点を記録し、チームの1部昇格に貢献できた。
スタメンの中で足を引っ張っている感覚があった1年目から、攻撃の要としてチームメイトに頼られるようになれた感覚があり、成長を実感できた。
 
 
3年目は最も関東昇格に近づいたシーズンだった。
3421のシャドーとしてビルドアップへの関与など、得点以外の部分でもプレーの幅が広がった。
一方で得点に関して言えば、北川と一緒にチャンスを外しまくってしまったシーズンだった。
特に前期は就活や授業が忙しく、コンディションが整えられず、不甲斐無いパフォーマンスが続いてしまった。
前期の取りこぼしがなかったら、3位以内に入れた可能性も十分にあっただけに悔やまれる。
 
ただ、後期に入ってからは秋になり暑さもひと段落したことで、非常に調子が良かった。
9月の玉川大戦は、自分の大学サッカーでのベストパフォーマンスと言えるだろう。
後半終了間際に相手のコーナーキックからのカウンターで、自陣から一気に相手のペナルティエリアまでドリブルしたシーンは今でも見返してしまうほどだ。
 
 
 
4年目は陵平さんに代わって徹さんが監督になった。
今までよりもサッカーに対する理解が数段深まり、よりサッカーをするのが楽しくなった。
本当に長い時間を要してしまったが、中盤でのボールの受け方、捌き方のコツをなんとなく掴めた気がした。
偉大な先輩方が背負ってきた10番を引き継いで、プレーすることができた。
都リーグの別のチームからも警戒されるような選手になれたと思う。
社会人チームの活動にも何回か参加させていただき、プロに近いレベルを体感することができた。
引退の1週間後には、Jリーグのチームと練習試合をした。15分だけの出場だったが夢のような時間だった。
 
 
非常に充実した4年間だったと思う。
入る前は考えもしなかった成長を4年間で遂げることができた。
それはア式に入って、サッカーをすること自体を楽しむことができるようになったこと、自分が上手くなるための道筋がある程度見えるようになったことが大きいと思う。
 
 
そして引退して思ったのは、自分はまだまだサッカーが上手くなれるし、もっと楽しくサッカーができるようになれる、ということだ。
だから、もちろんラストイヤーの後悔はあるし、後悔したままで終わらせない為に、というのもあるが、純粋にまだサッカーやりたい、上手くなりたいという思いもあり、今年から東京都社会人リーグ1部所属のCriacao Shinjuku Procriarというチームに所属します。
 
 
 
 
 
 
 
 
最後にお礼の言葉を少しだけ。
 
まずはLB会の皆様。
多大なるご支援、ご声援誠にありがとうございました。
特に3年目の夏に、和田さんや中谷さんにご飯に連れて行って頂いてからは、LBが現役の試合をとても注目して観てくれているのがわかって、凄く嬉しかったです。
今後とも宜しくお願いします。
 
陵平さん
ア式に入って陵平さんに出会えて、自分のサッカー人生は大きく変わりました。
自分を信頼して起用して頂いたこと、とても感謝しています。
陵平さんのもとでリーグ戦を戦うのがすごく楽しかったです。
陵平さんから学んだ、結果にこだわる姿勢を忘れずにこれからも頑張ります。
 
 
 
徹さん、高口
 
徹さんと高口のもとで1年間サッカーを学べたことで、4年目の自分はサッカー選手として大きく成長することができました。
学んだことを全て出し切れたシーズンではなかったけど、以前よりもサッカーがわかるようになったし、楽しくなりました。
またサッカー教えてください。
厳しく向き合ってくださりありがとうございました。
 
 
ましろ
主将お疲れ。
新入生チームの頃からずっと上手いなって思っていて、一緒にやっていて頼りになる存在でした。
試合中に後ろから罵倒されるのはちょっと嫌だったけど、その厳しさがチームを支えていたと思います。
コーチ頑張って。
チームを引っ張ってくれてありがとう。
 
スタッフの皆さんへ
いつも練習、試合のサポートをしてくれて、本当に感謝しています。
ここまで選手が手厚いサポートを受けられるチームはなかなかないと思うし、それが東大の強みになっていると思います。
最後の年はリーグ戦の結果を、みんな自分ごととして捉えてくれて、勝ったときにより嬉しかったのを覚えています。
みんなから受けた恩を自分はピッチ内で返せたかわからないけど、思いを背負って戦うことができた自分は幸せ者だったと思います。
ありがとうございました。
 
 
あとはサッカーを続ける人、続けて欲しい人に向けて
 
 

副将お疲れ。
チーム1の戦術眼で、ピッチ内外でチームを引っ張る存在だったと思います。
中盤でボールを運んで、捌く姿は、なんて美しいサッカーをするんだろうと一緒にやっていて、いつも感心していました。
一緒にピッチに立つのがすごく楽しかったです。
また一緒にサッカーできたらいいな。
色々教えてくれてありがとう。
 
北川
1年目の最初、肉離れを抱えながらリーグ戦に出場している北川を間近で見て、ドン引きしました。
とんでもない鉄人がいるもんだと思いました。
正直その頃の北川はドリブルのキレもそこそこで、そんなに凄いとは思わなかったけど、秋頃に怪我から復帰した際のドリブルを見て、びっくりしました。
1部で普通に通用していて、余裕でチャンスメイクしている姿に少し嫉妬しました。
それからは頼れる仲間であり、良きライバルです。
最後君が怪我をして一緒にプレーできなかったのが心残りです。
北川の縦突破がどのカテゴリーまで通用するのかが今の関心事です。
怪我を治すのは大変だと思うけど、できるならまたサッカーしている姿を見たいです。
一緒に戦ってくれてありがとう。
 
 
歌、陶山
2年生の時に二人とも退部してしまうと思っていたので、3年目でAチーム上がってきて、スタメンになった時はすごく嬉しかったです。
5年目は異例だと思いましたが、チームに馴染んでいるみたいで安心しました。
陶山はこの前1対1をしたときに身体がすごく強くなっていてびっくりしました。
2人が活躍していると、リーグ戦を観戦する時の楽しみが増えるので、頑張ってください。
メンブレには気をつけて。
 
後輩たちへ
関東昇格という自分たちが成し得なかった目標をいつか達成してくれると信じています。
荒には練習からよくドリブルを止められました。怪我さえしなければ、都リーグ1のDFなんじゃないかと思っているので、怪我だけは気をつけて。
誠二郎は去年リーグ戦に出場し始めてすぐに点を決めまくって、凄いFWが現れたと思いました。誠二郎の前線で身体を張ってボールを収めるプレーが大好きです。今シーズンは2桁得点、期待しています。
 
 
まだまだ書きたいことがたくさんあるのだが、提出期限が間近に迫ってきた。
 
 
北川のドリブル、サッカーに対するストイックな向き合い方。章の戦術眼、中盤でのボールの受け方、捌き方。荒の対人守備。誠二郎のDFの背負い方、ゴールへの嗅覚。ましろの統率力。裕次郎のヘディング。希一のシュート、大一番で結果を出すメンタリティ。イシコの絶対取られないターン。陶山のスピード。ひかるの身体の強さ 等々。
 
 
 
4年間一緒にやってきた中で、みんなの色々な部分を羨ましく思っていた。
 
 
だからリーグ戦の時は本当に頼りになる仲間だなって思っていたし、そんな心強い仲間から頼られる面がある自分はすごく誇らしかった。
 
次のチームでもチームメイトから頼られる存在になる、それがとりあえずの目標です。
 
 
まだまだ未熟者ですが頑張ります。
 
 
 
 
 
 
 
*この部分は自分の恣意的な解釈が大いに含まれていること、ご留意いただけると幸いです。

コメント

  1. 04年卒の昔のLBです。時々、試合を生やYouTubeで見させてもらって、こんなに上手い東大生がいるんだとワクワクしてました。サッカー続けるとのことで、また貴方のプレーを見れる機会があったらなと思います。ひとまず4年間お疲れ様でした。

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