理に依って無理に進む
生田健祐(2年/テクニカルスタッフ/時習館高校) 思っていたより幾分も早くfeelingsの担当が回ってきてしまった。 何を書こうか迷い、なかなか筆が進まないが、簡単に大学に入学してからの1年間を振り返り、ア式に入部した経緯と今後の抱負を記すことにする。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------- 開始早々の脱線をご容赦願いたいのだが、高校生活、とりわけ部活動にはかなりの後悔を残している。 あの路上の伝説朝倉未来を輩出し、現在もポスト朝倉兄弟となるであろう将来有望な兄チャン達で賑わう街・愛知県豊橋市で僕は生まれ育った。 教室を喫煙所と認識するおっかない先輩や、生徒の頭部で窓ガラスを叩き割る、これまたおっかない教師の下で、心身ともに健やかに成長した中学時代。 その後、公立高校敷地面積ランキング全国2位を誇る高校に入学した。 そんな県立時習館高校。敷地面積1位のとある農業高校に負けず劣らず、僕たち第73期時習生はこの広大な敷地で無秩序に放牧された。風の噂によるとこの代で母校の偏差値を3つほど下げたらしい。情けない限りである。 地方ということもあり、僕は周囲よりもほんの少しだけ学業の成績がよかった。そのことを言い訳に使った辛い練習・ラン合宿からの逃亡生活は、実に3年に及んだ。 飽き性な僕が長期間めげることなく続けることができた活動はもしかしたらこの逃亡生活くらいかもしれない。 本当に呆れたものだ。 サッカー部の顧問はそんな僕を完全に見放すことはせず、改心させようと声をかけ続けてくれた。 今思い返すと、仁義を大切にしていたその顧問は、杉原千畝ばりに僕に居場所を提供してくれていたのだろうが、当時の未熟な僕は、その差し伸べられた手を掴んだら最後、引退するまで脱出不可能な監獄で強制労働を強いられると信じて疑わなかった。 その顧問は事あるごとに理不尽かつ的を得た助言(体感9割暴言であった)をくれた名物顧問なのだが、とりわけ1つ今でも頭から抜けずに耳を継続的に痛めつけてくれる言葉があるので自分への戒めとして載せておく。 「どんな組織も上位1/3が組織にポジティブ