叶わなかった自分にとっての意義
小学 5 年生まで過ごしたタイでプレミアリーグ の視聴に熱中し、中学入学時にサッカー部に入ったことが自分にとってのサッカー選手としての始まりであった。そこからのおよそ 10 年間、サッカーは自分にとって最も大事なものとして、常に自分の心の中で大きなウェイトを占めてきた。これほど夢中になり、勝利に飢え、他のことなどどうでもいいと思わせてくれたものは他にはない。そのサッカー選手として区切りがついたことはやはりとても寂しいし、これまでの人生の中で最大級の出来事に感じる。 何をどう書いていいかもわからないので、 4 年間を振りかえって、思ったことを書き殴ろうかと思う。 ア式での 4 年間はやはり結果を出せなかった悔しさが何よりも大きい。最後に A チームにいれたのは 1 年の秋、公式戦のベンチに入ったのも 2 年の最初の方が最後、その後はずっと育成、洋平や石川に育成のスタメンを奪われることも多かった。育成にずっといるということは、 4 年が抜けるたびに自分の周りのレベルは下がるということであり、それを 3 回も繰り返すのは辛かった。選手としての立ち位置ということで言えば、なんの結果を残せなかった。 こうなった最大の理由は、 1 年の秋から 2 年の春の時期の過ごし方にあることはほとんど間違いない。この時期については、悔やんでも悔やみきれない。以前にも書いたかもしれないが、自分は 1 年のトーナメントの時点では、周りの怪我などもあり、当時 3 年の尾上先輩の控えだった。そして、冬休みのオフ明けには、尾上先輩が怪我をしたことで練習試合では A チームのスタメンで試合に出るチャンスをもらった。しかし、本当にどうにもならなかった。毎試合のように大量失点、多少手応えのあるプレーをしたとしても、結果から見れば誤差、チームとしても結果が出ず、雰囲気も悪かった中、とにかく試合に出ることがプレッシャーになり、苦しくなってしまった。そして、自分の出来ないことにチャレンジすることが全くできなかった。自分はクロスへの飛び出しが苦手だったのだが、上手くなるにはとにかくミスをしてでもチャレンジをするしかなかった。それなのに、これ以上ミスは出来ないといったことがよぎり自分のできる範囲のプレーを淡々と繰り返すような形となってしまい、ライバルが怪我をしていて、成長で