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短期間のア式経験

ブリオゾ慧(1年/MF) ア式には短い時期(2ヶ月半)しかいられなかったので、多分このfeelingsは他の部員と少し違うと思います。期間は短かったが、毎週練習が多かったおかげで、チームのみんなと本当に楽しめました! 日本に住むことは僕にとって初めてで、東京では誰も知り合いがいませんでした。来る前から、友達を作るためと、好きなスポーツをするためにサッカー部に入ることは心に決めていました。しかし、東大の部活に入れるとは全く想像していなかったので、入れたことは僕にとって素晴らしいチャンスでした。日本人の大学生活を経験できたことにとてもとても感謝しています。みんなにとっては、部活のコンセプトは普通かもしれないが、フランスの大学にはそんな高いレベルでサッカーをできるチームはありません。だからこそ、部活は日本以外で絶対に経験できなかった貴重な体験でした。 ア式に入る前、僕は8ヶ月間、治らない足首の捻挫に苦労していました。ほとんど運動できない生活から、週6の練習に変わるのは体力的にかなりきつかったです。それでも3ヶ月あまり痛みを感じずにプレイできて嬉しかったです。ア式のサッカーについては、様々なタクティックスを学べてとても感謝しています。特に守備の時のポジショニングが興味深かったです。僕のフランスのクラブでは、特に学んでなかった事で、もっと本能的にプレーすることが多かったです。しかし、ア式ではなぜそのポジショニングを取るのか少し理解できるようになりました。もちろん、みんなも見ていた通り、東大のサッカースタイルに慣れるのはとても大変でした。それは、僕にとって全く新しいスタイルだったこと、そして言われていることを全て理解するのが難しかったからです。しかし、チームの皆はいつも優しく説明してくれました。また、最後の方にあった火曜日のミーティングもとても学びが多くて好きでした。 毎日インターンシップがあったので、部活に入るのは本当に大変なリズムになるだろうと分かっていました。日本にいる期間が短いので、旅行できないことを後悔するんじゃないかとも思いました。でも、フランスに帰ろうとしている今、自信を持って言えます。チームに入ったことを全く後悔していませんし、もしもう一度やり直せるとしても、また同じ選択をすると思います。本当に忘れられない、特別な経験でした。もちろん犠牲も必要でした...

「生徒諸君によせる」

泉澤輝(3年/DF/盛岡第一高校) 部室から出てイヤフォンをはめる 聴くのは3houseと決まっている 彼の曲を爆音で聴きながら帰るこの時間は至福のひと時 夜と3houseという組み合わせは、例えるならば白米と納豆のように 付け入る隙がないほど完璧なのである しかしながら またに煩わしいと感じることがある 音が大きすぎるせいだろうか 音量を下げてみる あまり変わらない いっそのことイヤフォンを外してみようか 途端に気分が戻る 聞いている曲は好きな曲のはずなのに この気持ちは何だろう そこでふと気づく 木の葉が擦れる音 鳥が囀る音 子供達の笑い声 この世は素晴らしい音で溢れている 哲理学作家のさとうみつろう氏は、100年ほど前に全ての音が純正律から平均律(12平均律)に塗り替えられたと述べている もっと分かりやすく言うと、我々が今聞いている音の大半は不協和音なのである つまり、私たちは日頃から不協和音を聴くことによって、言いようもない不安に駆られているのである 逆に、水の音や焚き火の音に癒されるのは、それらが純正律であるからということになる 音(振動)はかくも絶大な影響を持っているのである ここで、振動にまつわる興味深い話をもう一つ紹介しよう 「シューマン共振」というものをご存知だろうか これは地球の表面と電離層の間で起こる共鳴現象のことで、基本周波数が7.83Hzとされている この周波数は、集中したい時に聴くことでお馴染みのα波と一致しており、生まれながらにシューマン共振にさらされている私たちはこの波長を聴くとリラックスしたり、集中したりできるのだ 面白いのはここからで、シューマン共振は地球が誕生してから続いている そして、振動とは音に見られるように情報を伝える性質がある つまり、シューマン共振には地球が誕生してからの歴史全てが記録されていると考えることも可能なのだ 俗に言うアカシックレコードというやつである ここまでの話を聞いて、ほとんどの人は胡散臭いと思うだろう 今の時代に天動説や地球平面説をXで唱えようものなら即炎上することは言うまでもない しかしながら、ほんの数百年前までは地動説を唱えようものなら文字通り炎上していたのである チ。を読んだことのある人ならお分かりだろう 結局、陰謀論と人々の常識なんて紙一重なのである どれだけ多くの人が正しいと信じているかに過...

C’est la vie.

森田桃香(2年/スタッフ/不二聖心女子学院高校)  フィーリングスを書くにあたり、すべてフランス語で書いてみようと思ったが、まだ完璧ではなく淡々とした文章しか書けないため諦めてしまった。卒部フィーリングスではフランス語で書くと宣言しておこう。実りある大学生活であったと胸を張れるように。 拙い日本語ではあるが、最後まで読んでいただけたら幸いだ。 まず、私について少し紹介をしようと思う。サッカーのプレー経験はないが、観戦は好きで今も見ている。私と同じく山梨県出身の父の影響で幼い頃からヴァンフォーレ甲府の試合に連れていってもらったが、私はサッカーの複雑な戦術や詳しいルールが分からなかったため、声を出して応援するしかなかった。青基調のユニフォームを着て、スタジアム全体で応援をする雰囲気に幼いながら魅了された。私のちょっとした自慢は、エスコートキッズとして一度ハーフナー・マイクと手をつないでピッチ内に入場したことだ。ただ、活気に満ち溢れていたスタジアムに手をつないで入っただけでとても緊張していた。唯一覚えているのは、右手でつないだことと、彼の背が高く大きな手だったこと、それだけ。手をつなげたことがとても嬉しく、「もう手は洗わない!」と言っていたくらいだ。しかし、中高時代は親元を離れ寄宿舎で生活していたため、地元山梨と、そしてサッカーとも自然と離れていってしまった。 中高では、富士の裾野に広がる広大な自然の中でのびのびと過ごした。中学では水泳部、高校では写真部と、学内ではいろんなことに挑戦した。また、福祉に当時から興味を持っていたため、障がい者ボランティアへ定期的に参加するなど課外活動も頑張ってきたと思う。第一志望の大学の推薦を無事貰え、大きな波はなく比較的順調に私の人生は進んでいった。 そんな中、サッカーを忘れていた高校三年生の私にもう一度サッカーの楽しさを思い出させてくれるきっかけがあった。それは天皇杯である。2022年10月16日、ヴァンフォーレがJ2ながらもサンフレッチェ広島相手にPK戦で天皇杯を制し、ACLへの切符を得た。広島相手では無理だろうと思い、日産スタジアムには足を運ばず、父の運転で寄宿舎へ帰っている時に試合を見ていた。だが、1-1でPK戦になる前、「もしかしたらあのチームに奇跡が起きるのではないか」と思い、コンビニの駐車場に車を止め、車内の小さなスク...

咀嚼・嚥下、その繰り返し

御明竜蔵(3年?/FW/ 渋谷教育学園幕張高校 ) 近年のア式研究の最前線において”御明竜蔵は何年生なのか?”という疑問は常に俎上に載 せられている。 通説によると御明は3年生(2024年10月時点)に混じる実年齢22歳の4年生 であるとされるが、つい最近配布された最終節後の打ち上げ案内には名だたる他の4年生 を押し退け、投げキッスをする御明が採用されている。このことは、依然御明が2024シー ズンを以って引退するのではないかという風潮が部内に存在し、御明が何者なのか未だ理 解していない部員が存在することを示している。よって当feelingsでは、御明は結局何年生 なのか、2024シーズンをもって引退するのか、などの疑問について回答することを目的と する。 はい、お堅い文章を書くのに疲れました。御明です。今回、入部以来二度目のfeelingsを書 くことになりました。おそらく次は卒部feelingsになるのでしょう。たった3回しかない feelingsですから、この1回を大切に書かなければなりません。ちなみに最初のfeelingsは自 分なりに痛快な文章を書いたつもりが、恐怖の匿名コメントが自分の高校3年間を否定し にくるというとんでもない呪物になってしまいました。今回は誰も不幸にならない、そん なfeelingsを目指したいと思います。 最初に自分が卒部するのかどうかわからないと思われているという話をしました。ただ、 このfeelingsを書いている時は既に代替わりが終わり、僕の残留が白日の下に晒されてしま った後になります。 まあこの前も高口さんに「お前4年なん?」って聞かれたばっかりなんですけどね。学年 は4年です。でも気持ちは3年です。許してください。 ともあれ、僕は来年までいます。つまりは来年がラストシーズンな訳で、普段なら来年の 目標とか意気込みとかをこれからつらつらと書き並べるのでしょう。期限が代替わり直後 なのも相まって、「来年も頑張る」とか「有終の美を飾る」とかありきたりな結論に着地 すること間違いなし。こういったことは、最近のfeelingsの激しい催促で余裕の無くなった 他の部員が精一杯書いてくれることでしょう。催促スレッドの様はまるで年貢を取り立て られる農民のようです。きっと八公二民くらいなんでしょう。 さて、いい感じに文字数を稼いだところ...

Life is a Journey

野原瑛真   (1年/MF/Newport High School) Hi, I’m Eishin Nohara.  なんで英語で書き始めたかって?それは、僕が中高ずっとアメリカで暮らしてたっていうのを、ちょっとアピールしたかったからだ(笑)。これから書く僕の話は、他のア式のプレーヤーや普通の受験生とはちょっと違うと思う。だから、「受験勉強のハウツー」とか「サッカーで成功する秘訣」を期待してる人には、あんまり参考にならないかも。でも、帰国子女ってこんな感じで人生を歩んでるんだよ、っていう一例として読んでくれたら嬉しいな。 だからちょっとだけ肩の力を抜いて、この旅に付き合ってほしい。 Chapter 1:  ニューヨーク ―― 初めての挑戦 僕は東京で生まれたけど、 1 歳くらいのときに父の転勤で急にアメリカのニューヨークに行くことになった。正直そのときの記憶はほとんどないけど、幼少期の断片的な思い出は今でも鮮やかに残っている。 ニューヨークでの生活は、僕にとっていろんな初体験の連続だった。その中でも忘れられないのが、教会に併設されたプリスクールでのエピソード。英語が全く話せなかった僕は、ある日トイレに行きたくなった。でも、どう言えばいいのかわからない。頭の中で「 I’m pee pee (僕はおしっこ)」とか浮かんだけど、「いや、絶対違うでしょ!」とプライドが邪魔をして結局何も言えず … 。最終的に失敗してしまった。これは僕の「人生最初の大恥」だったけど、同時に「次はちゃんと伝える!」と決意した瞬間でもあった。 こんな爪痕を残した プリスクール だが、 日本人の子どもが多く、クラスの 8 割は駐在員の家庭だった。さらに近所のコミュニティも日本人だらけ。親たちは東大卒がほとんどで、「浪人したの?それともストレート?」みたいな会話が日常的に飛び交ってた。当時の僕には「ストレート?曲がるってこと?」と意味不明だったけど、その空気感だけは何となく感じ取ってたよね。 学校が終わった後は「習い事」に通ってたけど、英会話や KUMON みたいな勉強系じゃなくて、野球、水泳、空手、サッカーといったスポーツばかりだった。特にサッカーは、父が「一回やってみろ」と押して始めたもので、当初は他のスポーツの「おまけ」みたいな存在だった。 でも、初めてボールを蹴った...