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周囲に支えられて

柏木琴葉(4年/スタッフ/不二聖心女子学院高校) 引退して数ヶ月が経ち、ア式での生活を思い出す機会も少なくなってきた。 引退直後は、同期と会ったときに「部活がないの寂しいよね」と話していたが、徐々にその会話をすることもなくなった。 時の流れは驚くほど早く、そんな私は新社会人である。 学生時代は時間を持て余していたが、社会人になった今、その感覚は大きく変わった。 学生から社会人への環境の変化は、簡単に追いつけるものではなかった。ア式に入部した時も同様だった。 目まぐるしい日々で、ただ思い出すのはあのことだった。 ふと振り返ったとき、自分はなぜあの場所に居続けたのだろうかと思う。 何度かモチベーションが下がったこともあった。 何か特別な理由があったわけではない。それでも、気づけば最後までいた。 2022年の春、大学に入学し、新しい環境に胸を躍らせていた。 中高から一緒の友人が東大サッカー部の見学に行くと聞き、私も一緒に行きたいと伝えていた。 普段の自分であれば一歩引いてしまう場面だったが、そのときは不思議と素直に言葉にしていた。 見学で目にしたのは、真剣に練習に取り組む選手と、それを支えるスタッフの姿だった。 その光景に惹かれ、ここでなら何か意味のある経験ができるかもしれないと感じ、入部を決めた。あのときア式に足を運んだことが、その後の自分を大きく変えたのだと思う。 実際に入部してみると戸惑うことばかりだった。 マネージャーという役割も、男性が多い環境も、体育会の部活も、すべてが初めてだった。 人見知りな性格もあり、同期に対しても敬語を使ってしまい、どこか距離のあるままだった。 社会人になった今、少しではあるが変化してきたように感じる。 マネージャー業務では、自分の未熟さを感じる場面が多かった。 観察力には自信があったが、先輩方は選手の動きを理解した上で先回りして行動しており、その差に圧倒された。 最初はただ目の前の業務に向き合うことしかできず、焦りを感じる日々だった。 1年の冬、唯一の同期マネージャーが休部し、ひとりぼっちのような感覚だった。 その後、真衣ちゃんが入部してくれたときは本当に嬉しかった。彼女は何度か休部をしていたため、一緒に過ごせた期間は合計1年強くらいだった。 マネージャーや一部選手が気にかけてくださり、孤独感は薄れていき、次第にその状況にも慣れ、忙し...

ごちそうさま!/食後のペパーミントガム

御明竜蔵(4年/MF/渋谷教育学園幕張高校) ■ごちそうさま!   天神下の喧騒を、自転車でくぐり抜ける。細い歩道は人で溢れ、そこかしこに渋滞が発生していた。   今日は三連休の最終日、成人の日。共通テストが近いからか、湯島天神を目指す人の群れは一段と大きい。彼らを眺めながら、自分の成人式に思いを馳せてみる。 4 年も前の出来事なのに、あれからずっと学生のままなのはなんでだ。おかしいだろ。   なんかよくわからん色のよくわからんチェック柄のスーツに、後輩からプレゼントで貰った深紅のネクタイ。そして銀髪でオーダーしたはずが青く染まった髪。 あまり品のよろしくない事に定評のある地元の成人式でも、少し目立つ装い。   何を隠そう、ア式入部以前の自分である。   ―― 思えば、ア式に入部する気なんて無かった。部活は高校で懲り懲りだった。 ( 僕の高校時代については、僕の最初の feelings を参照されたし。下にある匿名コメントまで読むと、読後の味わい深さ 3 割り増しだ。自分も久々に見てみたら、嫌な思いを新鮮なままお届けされた。最悪。 ) 二度と部活なんて不自由な環境には戻らない、自分は自由に生きるんだと意気込んでいた。派手な髪色もその表れだったと思う。   それでも、“部活”に戻ってしまった。   ―― ―俺の一度目の人生は“腹八分目”ってとこだった ( 中略 ) こういう漠然とした渇きっていうのは厄介だぜ    僕の好きな漫画、『呪術廻戦』の台詞である。その中でも特に好きなシーンから引用させてもらった。   まさに僕の高校時代は“腹八分目”だった。やりきった自負も気持ちもあった。投げ出したい気持ちを何度も抑えて、最後までやり通してみせた。   それでもなお、どこかで自分は渇いていた。その渇きに蓋をして、日常を繰り返した。大学での孤独が大きくなるたびに渇きは強くなった。 そして、いつしかその渇きの正体に気がついてしまった。   僕にとって残りの“二分”は、渇きは、サッカーへの愛情だった。   ―― サッカーは楽しい。スパイクに足を通し、グラウンドに入った時の期待感。ボールに触れ、仲間とパス交換をした時の高揚感。 僕はサッカーが好きだ。好きだったはずだ。...

現実逃避

陶山大晴(5年/MF/筑波大学附属駒場高校) 2024年最終節、10月13日     vs上智大学     1部残留がかかった運命の最終戦     序盤から立て続けに得点を重ね、3-0で迎えた後半15分から出場。     後半38分、我らが大エースの谷からのナイスパスを上手く止めて、GKとの1対1を迎える。     冷静にまた抜きでダメ押しのゴールを沈める。     観客席に飛び込む。     同期も後輩も、プレイヤーもスタッフも関係なく全員がなだれ込んで喜びを分かち合う。     スコアは4-0のまま変わらず。     試合終了の笛。           あー、終わっちゃったんだな。俺の4年間。   もうちょっとサッカーしたかったな。     本当はもっと活躍できると思ってたのにな。     でも最高の同期達と出会えたから幸せだな。     楽しいことばかりじゃなかったな。     1、2年の間は半分以上DLにいて、いつまでも治らない怪我に絶望して、辞めようと思う日もあったなあ。     もう無理だと半ば諦めていた舞台に立つことができて幸せだったな。     最高の4年間だった。     さようなら、サッカー。                 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー     去年もし引退していたら、こんな感じのfeelingsを書いていただろう。     なぜ5年目をやったのか     自分の限界を知りたかったから     自分に満足していなかったから     俺ならもっとやれる     同期の絶対的エースの谷を見ながら抱いていた感情は憧れでは...

熱狂

宮川旭(4年/MF/武蔵高校)   生活の中心はサッカーだった。 サッカーに熱狂していた。     他人から見れば、東大に入ってさまざまな選択肢がある中で、大学でもサッカーを続け、週 6 で打ち込むなんて狂気の沙汰だと思うだろう。   ただ、他のことを犠牲にしている感覚はなく、サッカー中心の生活が楽しくて、満足していた。     自分のようにサッカーを楽しみたい人間にとって、東大ア式は最高の組織だったが、それは入ってみてわかったことである。     東大ア式のことを詳しく知っていて、興味を持って入部したというよりは、単純にサッカーを続けたかった。     大学 4 年間で練習に行きたくない日が一度もないぐらいサッカーが好きだったことは、自分の一番の強みだったと思う。     コツコツとした努力が苦手な自分が、サッカーのためなら地道な練習もきつい走りも頑張れた。     ストレッチや筋トレを頑張れるようになるまでには時間がかかってしまったが、大学 4 年目には練習前後に毎日入念なストレッチをしていたし、怪我をするからと避けていた筋トレも毎週必ずやるようになった。     引退してから、ストレッチは気分次第になったし、筋トレにいたっては今のところ 0 回である。   サッカーのためだからやれていたのだと改めて実感している。     好きなことのために、やりたくないことをやれる。   熱狂である。                 サッカーへの熱狂は常にあったが、その度合いは東大ア式に入ってからより高まった。     その理由は、東大ア式でサッカーへの新しい向き合い方を知ったからだと思う。     東大ア式が目指すサッカーは、フィジカルや身体能力、ボールを扱う技術が他の大学に劣る中で、「考えてサッカーをする」ことでその差を埋める、時には上回ることだと解釈している。     確か監督にサッカーの何が楽しいか聞かれた時に、こうしたサッカーを目指す...