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紆余曲折

宗近真衣(4年/スタッフ/藤女子高等学校) これが最初で最後のfeelingsになってしまった。確か 2年生くらいの時に一度順番が回ってき ていて、その時は入部した経緯を書こうと思っていたが、ちょうど休部していた時期と重な り、結局書かないまま終わってしまった。 まさか卒部のタイミングで書くことになるとは思っていなかったし、ここまで続けてこられるる とも思っていなかった。 今回自分が書くにあたって先輩方の卒部feelingsを読み返してみたが、どれも本当に文章が上 手で、こんなふうに書けないなと思った。自分は言語化も得意ではないし、特別面白いことも 書けないけど、せっかく最後に書く機会をもらったので、自分なりにこれまでの 3 年半を振り 返りながら、関わってくれた人たちへの感謝の気持ちも込めて書こうと思う。 もともと大学ではマネージャーをやってみたいという気持ちがあった。入学当初は友人に誘わ れていくつか新歓に参加し、なんとなく野球のインカレサークルに入った。しかし活動日に行 ってもマネージャーとしてやることはほとんどなく、ただ集まってお喋りをして終わることが 多かった。チームの一員として関わっている実感もなく、次第に行かなくなってしまった。そ うしているうちに大学一年生の夏が終わった。周りの友人たちはダンスサークルなどで仲間を 作り、夏頃にはみんなとても楽しそうに過ごしていて、充実しているように見えた。その姿を 見て、どこか焦りのような気持ちと、このまま何も頑張らずに大学生活が終わってしまうので はないかという不安を感じていた。 そんな時、東大とのテニスサークルに入っていた寮の同期が「サッカー部がマネージャーを探 しているけど見学に来ないか」と声をかけてくれた。それがア式蹴球部との出会いだった。同期 とその友達と4 人で見学に行ったことをよく覚えている。その同期に声をかけたのがたしか 頼経で、「頼経」という名前に驚いたことを今でも覚えている。源頼朝みたいな名前だと思っ たし、周りがみんな頼経と呼んでいるので下の名前なのかと思っていたが、実は苗字だったと いうどうでもいいことまで鮮明に覚えている。 実際にグラウンドを見た時、それまで見てきたサークルとは比べものにならないくらい、みん なが真剣にサッカーに向き合っていた。練習の空気も、試合に向ける姿勢も、本気で取り組ん...

利他の心

永田祐麻(4年/テクニカル/麻布高校) 小さい頃から、ボールを蹴ることが好きだった。 幼稚園に入る前、ロンドンにいた頃も、公園で同年代のイギリス人と3人でボールを蹴っていたし、幼稚園でもグラウンドでの遊びといえばボールを蹴ることだった。 小学校に上がると、学校のサッカーチームに迷わず入った。入った当初は、自分が一番うまかったように思う。チーム自体がそこまで強くなかったこともあり、レベルの高い相手とやる前に試合はいつも負けていたから、自分よりももっとうまい選手のことを知らなかった。上の学年に混じって練習や試合をする時も、自分の方がうまいことがほとんどで、自分は圧倒的にうまいのだと思っていた。 周りに追いつかれ、追い越され始めたのは、小5くらいの頃だったように思う。僕はただボールを蹴るのが好きだっただけで、ちゃんとサッカーに向き合って練習することもなかったし、トレセンなどの選考会に行くこともなかった。同期がトレセンの選考会を受けて刺激をもらっている間、僕は塾に通っていた。そうしているうちに、いつの間にか実力は追いつかれていた。 中学に入ってもサッカー部には入ったが、どうやったらうまくなれるのだろう、なんて考えてはいなかった。真面目に練習する時間よりも、壁に向かって自由にボールを蹴っている時間の方が圧倒的に楽しかった。当然そんな姿勢で試合に出られていたのは最初のうちだけで、中2になってうまい後輩が入ってきてからは、ほとんど試合に出ることはなかった。 中3になり、ベンチに座っているだけで最後の大会に負け、そのまま深く考えることもなく高校の練習に参加し、部活を続けることを選んだ。 高校の練習に参加するようになってすぐの中3の夏、怪我をして、一年半ほどサッカーができない時間が続いた。当時は、自分がボールを蹴れないのに毎日練習に行き、同期や先輩が練習するのを眺め、マーカーやスクイズを置き、ボール拾いをする地獄のような生活を送っていた。相変わらず、うまくなりたい、強くなりたいという気持ちを持っていなかった僕は、リハビリも適当にこなしていたので、怪我がさらに長引くという悪循環に陥ってしまった。 こんな調子だったので、今振り返ってみても、なんでやめずに毎日練習に行き続けられたのか本当にわからない。そんなこんなで高1の終わりか高2の頭くらいに復帰はしたものの、怪我をかばいながらだったため...