無力
沖原凜久(1年/テクニカル/湘南高校) 初めまして。テクニカル1年の沖原凜久です。高校生の時から読んでいたfeelingsを自分が書くというのはとても違和感がありますが、この機会に今までのサッカー人生とア式での半年間を振り返ってみたいと思います。昔からスカしてしまいがちなので、こういうパーソナルな感情を文章にして曝け出すのは非常に苦手なのですが、最後まで読んでいただけると幸いです。 2006年5月3日、神奈川県の都会とも田舎とも言い難い町に生まれた僕は物心がつくや否や、のちの人生の大部分を占めることになるサッカーと出会った。きっかけは年少の頃の先生が熱心なサムライブルーのファンだったからだそうで、それに出会ってからというもの平日は園庭で、休日はサッカー未経験の父を公園に連れ出して無我夢中でボールを追いかける日々だった。 そのため当然のように小学校に入学すると同時に地元の少年団に入団した。この少年団はお世辞にも強いとは言えなかったが僕の学年は20人以上が入団し、そこそこ有望な代だったと今になって思う。 僕はというと周りより少しだけ歴が長いというアドバンテージがあったのと足が速かったのもあってチームの中では一二を争うくらいには上手かった。(余談だが、この頃掛け持ちしていたスクールで以降ずっと先輩となる野澤さんと出会う。)したがってこの頃は僕も例に漏れずプロサッカー選手になることを志していた。丁度ロシアW杯があったのもあり、卒業文集には『選手と監督の両方でW杯で優勝したいです』などと恥ずかしげもなく将来の夢を宣言した記憶がある。ここまでは順風満帆なサッカー人生だったと思う。 中学校ではクラブチームに行く選択肢もあったが地元の中学校のサッカー部が強かったこともあり、少年団の仲間と部活でサッカーを続けることを選んだ。この部活にはリフティングテスト(合格するまでスパイク履けない+試合出られない)なるものが存在したが少年団時代からの対策もあって数日で合格することができた。この時くらいまでは中学でも今まで同様にやっていけると思っていた。 まったくもってそんなことはなかった。 中一の2月頃、コロナウイルスがやってきた。丁度この頃、明らかに僕は伸び悩んでいた。理由はいくつも考えられた。サッカー歴の長さだけでは通用しなくなったから。シンプルにフィジカルがどんどん周りに追い抜かれ...