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5月, 2022の投稿を表示しています

ホームページ見てください

3年 吉田彩伽(スタッフ/四天王寺高校) お疲れ様です、3年スタッフの吉田です。 ア式のホームページは、ページごとに閲覧数がわかります。 HP班に入るときは、ホームページいじれるの面白そうくらいに思ってたんですけど、 初めて編集画面に入った時、閲覧数出てるのを発見して震えました。 意外なHP閲覧数ランキング 1. feelingsページ… トップページのメニューの所に「feelings」ボタンがあるのですが、 そこを押すとbloggerのサイトに移動します。 それとは別で、feelingsの説明がされているページがあります。 そこにアクセスするには、「feelings  東大」とかネットで入れないといけません。 ということは、feelingsを読もうと思って 「feelings 東大」 ってわざわざ調べてやってくる人が結構いるのかもしれない、 ってことなんですかね。知らんけど 2. ニュースページ… 公開日がかなり最近のわりにアクセス数が多くて、 公開日が2年ほど違う「記事」ページよりも閲覧数が多いです。 ア式のニュースに興味を持ってくれてる人がいるのかな!と思うと嬉しい限りですけど、 何とかして「記事」ページも見てほしいです。 3. 選手・スタッフページ… 驚きの、全ページの中でダントツ1位の閲覧数です。 フロントページよりも多いです。 選手・スタッフの個人情報なので、公開する情報には気をつけないとなとは思います。 せめて詳細は部員だけの公開にした方が良いかなとか思っています。 ちなみに、このfeelingsも匿名じゃだめですか? SNSのご時世ですが、ホームページも忘れないでほしいです。 3年スタッフ

青空わたるあまつ日は

2年 吉本章(MF/武蔵高校) はじめまして、2年プレーヤーの吉本章です。 いよいよ自分にもfeelingsを書く番が回ってきたので、他の人同様ア式に入部した理由を書こうと思います。 自分が初めて読んだfeelingsは、高1の頃に高校のサッカー部の先生がお前らはこれを読んでなんか感じろと怒って渡された高校の4個上のキャプテンのfeelingsで、そのfeelingsには、先輩のために声を出し続けて、先輩には後悔を残させないという決意表明が書かれていた。うわすげぇ、俺も明日から先輩のために頑張ろっとはならないのが高校生のクソガキ、自分もその典型であった。だが、そのfeelingsが面白く熱い文章だったので、それからというもの、ふとした時にfeelingsを読むようになった。feelingsを読むとそこにはおそらく部員の人にも明かしてなかったような気持ち、家族も知り得ないような秘密が書かれていた。 その時から東大サッカー部に本格的に興味を持ちはじめ、兄や高校の先輩が出てることもあり試合を見に行くために御殿下グラウンドに訪れるようになった。そこで見た光景に非常に驚かされた。試合前に配られるマッチデープログラム、病院の隣だということを忘れさせるくらいの試合中の本気の応援、勉強だけしてきたとは思えないほどボールを持ち相手を圧倒する東大、そのどれもが考えもよらないものだった。 その頃から、東大に憧れを持ち、大学でもサッカーをやることを考え始めるようになった。 そうして、高3になり志望校を決める時、高校の先生にとりあえず東大にしとけと言われたこともあり、サッカーがしたかった自分にとって東大を目指すことに悩むことは一切なかった。 だが、ここで学力という大きな壁が立ちはだかる。高3まで大した勉強もして来ず、部内でも一二を争うほどの馬鹿であった自分が合格するには相当な努力が必要であった。だから、授業の空きコマの間もとにかく勉強し、夏にあるインターハイで悔いのないような結果が出たら部活をやめることも頭をよぎった。 そうして迎えたインターハイ、自分達はくじ運にも恵まれ、勝ち進んでいった。だが、怪我をしたわけでもないのに、急にスタメンを外された。なんでなのか全くわからなかった。結局、前半途中から出してもらえたが、一矢報いることもできず0-4で完敗、それがインターハイ最後の試合になった。自分

グラウンドにて

2年 柳町英理(スタッフ/聖心女子学院高校)  はじめてfeelingsを書かせていただきます。2年スタッフの柳町英理です。こういった文章を書くのは苦手なので、温かい目で見ていただけると嬉しいです。よろしくお願いします。悩んだのですが、書くことが見つからなかったので、私も他の方と同じく、入部の経緯について書かせていただきたいと思います。 ア式の見学に初めて行った日に、特に印象に残ったのは、グラウンドです。私の中高にはサッカー部がなかったため、もちろんそのためのグラウンドもなく、これまでグラウンドに入ってサッカーを見る機会もなかったので、グラウンドの光景の素晴らしさが、本当に強烈に頭に残りました。それまで、私の4年間の大学生活にマネージャーという選択肢は存在せず、それどころか部活のマネージャーというお仕事に、私ほど向いていない人間はいないと思っていました。(これは今でも日々痛感しています。)でも、とりあえず来てみてと誘われ、そこまで深く考えずに行った見学で、晴れた日のグラウンドが自分の想像していた以上に気持ちよくて、居るだけで清々しい気持ちになれたこと、紹介してくれた友達はもちろんのこと、同じ大学だという一つ上の新歓担当の先輩も優しくて、こんな素晴らしい人たちしかいない部活ならと思い、あっさり入部を決めました。緑色のグラウンドの上で、一生懸命にサッカーに打ち込む姿は自分が想像していた以上に素敵で、私もこの光景の一部になりたいと思わされるものでした。 この気持ちは入部した今でも変わってはいません。同期にはグラウンドでの私の顔が怒っているみたいだとよく言われますが、緑色のグラウンドでサッカーをする姿を見るのが大好きです。業務では失敗が多く、いつもご迷惑をおかけしてしまってごめんなさい。優しくフォローしてくださるマネージャーの先輩方の姿に、少しでも近づけるように頑張ります。視野の広さを見習って、自分から動けるようになりたいです。ア式に入って、尊敬できる先輩方や同期たちと出会えて幸せです。本当にありきたりすぎますが、人との出会いって本当に大事で、自分自身を大きく変える力を持っていると思います。素敵な方々に出会う機会をくれたア式という場所に本当に感謝です。これからもたくさんご迷惑をおかけしてしまうとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

繋ぐ

4年 大矢篤(MF/FCトリプレッタ U-18)  卒部feelingsまで執筆エネルギーを溜め込んでおく予定だったけど、まさかのこの時期に担当が回ってきてしまった。せっかくの機会とポジティブに捉えて、昨季を振り返り文字に残しておきたいと思う。 怪我でまだ今季リーグ戦に出れていなかったし、気合を入れ直すためにもちょうどいいタイミングなのかもしれない。 昨年、自分たちの力は1部で全く通用しなかった。そのリベンジは、1部でしか果たせないと思うし、いつまで経ってもこの悔しさは残るだろう。だけど、後輩たちにあの厳しく刺激的な舞台を残すため、1年での1部復帰を絶対に成し遂げなければいけない。今年は、2部の全てのチームにリスペクトを払った上で、自分たちが残せる最善の結果である「優勝」を必ず達成したい。 今まで良くしてくださった先輩たちも、そしてもっと上の代の偉大なOBの方々も、きっとこんな思いで最後の一年を戦ったのだろうな、と思う。どんなに人が入れ替わっても、”受け継がれる意志„は止まらないのだろう。 そして、それこそが部活の良さなのだと思う。4年間という限られた活動期間のなかで、自分が組織に残せること、自分が楽しめることを、両立しながら行なっていく。そして、4年間で結果や形に残せなくとも、その意志を後輩に託していく。同じ意志や目標を受け継いで、違う性格や能力をもつ人間が実現を目指して活動を続けていくのはとても美しいことだと思う。 サッカー部なのだから、ピッチ上で紡がれた想いが受け継がれていくのは当たり前かもしれない。だが、様々な活動に力を入れている近年のア式なら、ピッチ上の11人に限らず、ピッチ外でもそんな場面はたくさん多くあると思う。 例えば、5年以上前に上手くいかず、無くなってしまった東大トレセン。横のつながりが薄い進学校の生徒たちの交流の場を創出して、文武ともに刺激を与え合う機会にして欲しいという想いが背景にあった企画だ。1年の頃の自分は、当時の担当者であった森本さんから話を伺い、改善してこれを復活させようとした。だが、コロナで2、3年次はなかなか動けずにいた中で、新2年の希一が主導して実現に向けて進めてくれている。10年間以上あった想いをどうにか今年結実させ、持続可能なイベントとして残せたら、と思う。 完全に脱線してしまった。 ここまでで言いたかったことは、部活は4年

本郷美食紀行

3年 小林和鼓(スタッフ/桜蔭学園高校) こんにちは、スタッフ3年の小林和鼓です。 文章を書くのは得意ではないのでのらりくらりと避けてきたfeelingsですが、書かざるを得ない状況に追い込まれつつあるので書き始めてみます。当初の提出期限を大幅に過ぎていることを深くお詫び申し上げます。 今回は東大周辺のおすすめご飯屋さんを紹介していこうと思います。この辺りに住んでいる方もそうでない方も、参考にしていただけると嬉しいです。 ・はん亭(根津/串揚げ) まずはこちら。根津の町で一際目を引く木造の日本家屋。風情ある建物の中で絶品の串揚げが楽しめる。昼も夜もコースのみ。私の推し串は生麩のゆず味噌塗り。食事メニューの海苔のお茶漬けもおすすめ。 ・釜竹(根津/うどん) うどんつるつるで美味しい。色々な薬味を順番に入れていって何通りにも楽しめる。建物は隈研吾さんが設計したものらしい。 ・バブバル(根津/ベトナム料理) 裏路地にあるので見つけにくい。全メニューにパクチー満載。パクチー好きは是非。営業日がよくわからなくて、行くと大体閉まっている。 ・お好み焼きいちえ(根津/鉄板焼き) 根津神社の向かい、非常にアットホームなお店。サービスで余った焼きそばやウインナーを貰えることも。 ・兆徳(白山/中華) 有名な中華料理店。たまごチャーハンがおすすめ。大体行列ができているが、雨の日は狙い目らしい。最近テイクアウト専門の店舗も近くにできた。 ・福招門(白山/中華) 兆徳から徒歩1分のところにあるので、兆徳が混んでいて入れない時に行く。絶対入れる。提供遅め。かなり遅いが、「オマタセー^_^」と持ってくるので怒れない。会計後は「アリガトー^_^」と送り出してくれる。 ・also(白山/台湾料理) 本格台湾料理が楽しめる。缶の飲み物のパッケージが可愛い。 ・表参道生春巻倶楽部(東大前/生春巻き) 腕くらいある生春巻きが出てくる。非常に食べづらい。 ・小松庵(東大前/そば) 昼練後、そばの気分の時はここ。部室からのアクセス抜群。 ・ビサール(東大前/カレー) ア式部員には説明は不要でしょうか。困った時のビサールという言葉に嘘はなく、クローズしていてもなぜか入れてくれる。 ・牛星(白山/焼肉) これもおそらく説明不要。焼肉に行く時の謎の高揚感を、手軽に楽しめる。東大運動会部員いがち。 ・旬悦(東大前/

不変信者

 4年 内田龍吾(DF/筑波大学附属駒場高校) 大学に入学してはや3年が経ち、4年目に突入しているわけだが、最近高校同期はじめ久しぶりに見る顔ぶれに会うと「うっちーちょっと変わったね」と言われることが増えたように思う。大方、高校同期からすれば、文化祭での逆ナンを「LINEやってないっす」とはねのけた男に彼女が出来たことを揶揄しているだけだったろう。自分自身もはじめは変わってるつもりなんて毛頭ないわと思っていたが次第に妙に納得してしまった。 確かに、中高6年間とゴリゴリの男子校という閉鎖環境で醸成された不変の美学のようなものは今の自分の中では綻びを見せているように思う。そしてその変化を肯定している自分がいるのも事実である。6年間こじんまりとしたコミュニティにいるのは心地良かったし、一生の友達になるんだろうなぁという人達と出会えた。だがそのような閉じた集団の中では過度に一貫性やら不変性が求められていたのかもしれないし、変化するエネルギーをもちあわせていなかっただけかもしれない。 高校時代を振り返ってみよう。 ---「ジャージ一筋」「坊主一筋」「サッカー一筋」--- 一途であることは高く評価されるらしい。間違いない。一貫している、不変であるということは誰しもが分かる特徴やアイデンティティを与えてくれる。それも素晴らしいことだ。しかし、その居心地の良さに満足してしまっては意味がない。特にそれが狭いコミニュティの中の場合その中でしか適応できないような考え方になっているかもしれない。一貫性という杭に縛られ、自己がこうありたいという欲求がこうあるべきという義務に変わったとき、そこに成長はないのだろう。一度不変の島に執着し取り残されれば、見事にガラパゴス化した異形の怪物の完成である。 とここまで自己紹介である。 そんな悲しき化物が冒頭で言われたように変化の兆しを見せている。それは紛れもなくア式という環境のおかげだろう。 大学に入り環境が大きく変わった。正直、大学でサッカーをするには未熟過ぎた。何も考えずがむしゃらにやってきたサッカーもミスをする度、心が折られた。あってはならないことなのに試合中に折れたことが何度あったことだろう。 サッカーをするには自分が変わらなければ。 異形の怪物は僕の中に未だ居座っているものの狭いガラパゴスを抜け出し、変化を求めているように思う。 周りから変わっ

神聖なる地

3年 奥谷勇樹(MF/西大和学園高校)  東京で一番好きな場所といったら僕の中では一つしか思い浮かばない。東京都文京区後楽 1−3−61 。ここに構える東京ドームだ。東京ドームといえば、有名ミュージシャンがコンサートを行う場所でもあるが僕にとっては野球場であり、読売ジャイアンツの本拠地である。  関西生まれ関西育ちの僕と東京ドームの出会いは小学一年生まで遡る。きっかけは父親が見ていた野球中継だった。たまたま見たその試合で野球、そしてジャイアンツの虜となった僕は巨人ファンになり、ドームに試合を見に行きたいという思いを強く募らせるようになった。しかし、甲子園の近くで生活していた僕の周りには当然阪神ファンしかいない。どうやら後から聞くと関西にもそこそこ巨人ファンはいたらしいが自分の近くにはおらず、まるで異端者かのような目で見られていた。だが、長崎のキリシタンが迫害されながらも信仰を深めたように、僕の中のジャイアンツ愛もどんどん深まっていった。  そして、遂に小学 3 年生の春。東京ドームと初めて対面することになった。地図も満足に読めない方向音痴な小学生が一人で東京まで向かったのだ。新幹線のチケットを無くして泣きながらも東京に辿り着いた僕にとっては聖地巡礼であり、その時の感動は今でも心に残っている。その時に行ったスカイツリーやサッカーミュージアムの記憶は無いが、 12 年経った今でも試合の内容を鮮明に思い出せるほどである。その後も定期的に東京ドームを訪れ、東京といえば東京ドームという認識を抱いていた。  しかし、中学生ともなると部活や塾などの用事が増え、まとまった休みは家族で旅行となり東京を訪れる機会がなくなった。再び東京ドームは僕から遠いものとなってしまったのだ。何とかしてもう一度東京ドームに行きたい。もう甲子園では満足できない体になってしまった僕は大学生になったら東京ドームの近くに住み、巨人の試合をしこたま見ることを決意し、勉学に励むようになった。  晴れて東京で大学生活を送れるようになり、駒場を勧める不動産屋をよそにドームまで自転車で行ける距離の物件を確保。こうして思い描いていたように、毎日東京ドームへ向かい、溺れるほど巨人の試合を見に行けているのかというと、年 10 試合ちょっとしか見に行けないのが実情である。ドームの座席に座っているはずだった時間東

確かなこと

杉山弘樹(2年/MF/駒場東邦高校) 4/21 ア式に入ろうと思う   部屋の隅に置いてあったノートのとあるページにこう書いてあった。去年の自分によると、僕はこの日に入部を決めたらしい。なんでこんなことが記されてあったのかというと、受験生時代の習慣によるものなのかもしれない。     現役時の受験には失敗し、ひどく落ち込みながらも、悔しさから来年こそはぶっちぎって受かろうと意気込み、もう一年の受験勉強が始まった。勉強する中で、何となく理解していたところを原理から深く理解できたときや知識が頭の中で体系化されていく感覚を得たときには楽しさを感じた。しかし、入試が近づいてくると不安は大きくなっていった。一度解けた問題も入試の極限状態では解けなくなるかもしれない、模試では偶々解ける問題が出ただけで本番では解けない問題が出るかもしれない。浪人した以上、絶対に落ちることはできないというプレッシャーも感じていた。そんなネガティブなイメージで頭がいっぱいになり、何度も不安に襲われた。   そんなとき、自分の気持ちを紙に書いて吐き出すようにした。自分が何を恐れているのか見えるように。そして、今までの自分を肯定し、これからの自分を鼓舞する言葉を書いた。特に、 2 月に入ってからは毎日のように書いている。ある種の日記みたいだ。でもそれだけ不安が大きかったのだろう。結局、大きな失敗はなく無事に合格することができた。     合格後、ア式の HP に訪れる回数が増えた。また、新歓の情報収集のために Twitter で東大ア式蹴球部をフォローした。ア式の存在自体は、以前ふとした時に東大サッカー部について調べたことがあり、さらには高校同期が入部していたこともあり知っていた。 HP の記事を見たりツイートを遡ったりしているうちに、東大ア式への興味が強まっていった。まず、ボールを保持しながら前進し攻撃を組み立てていくゲームモデルに惹かれた。こんなサッカーをやってみたいと思った。サッカーについて詳しくなりたい気持ちもあった。ほかにも、ア式でスポーツ科学を追究するフィジカルコーチがいたり、サッカーを切り口に世界一周した人がいたり、さらには、テクニカルスタッフの分析、元 J リーガーの監督の招聘、企業とのスポンサー契約など、しかもこれらを学生主体でやっているとい

私にとって

光内優花(4年/スタッフ/不二聖心女子学院高校)  feelingsの提出を依頼されたある日、『卒部まで書かないだろうな』なんて勝手に思っていたから不意打ちだった。締め切りは刻一刻と近づいている。 昨年11月 1つ上の代が引退して、私たちがこの部の最上級生となった瞬間。虚無感と不安に襲われた。憧れでキラキラ輝いていた先輩方の姿、親しく接してくれた先輩マネの方々がア式にいる日常は過ぎ去り、これまでの部活を純粋に楽しむ気持ちから、責任感とやるしかないって気持ち。それだけが大きくなっていった。 3月 まだまだ上がいる感覚と寂しさが抜け切れていないのか、違和感しかないまま。 4月 ア式に入部してとうとう4年目に突入。 こんな気持ちだった私もついに最上級生という自覚が湧いてきた。遅いって思うかもしれないけど本当にそう。先輩方が居なくなって、肩書きが変わって初めて自覚が湧いたのだ。大学生活って本当にあっという間。まあ、ここ2年間はコロナもあって特に時間が過ぎるのが早かった。 16名の新たな部員を迎え、私の残り1年のア式生活がいよいよ始まる。 数ある部活、サークルからア式を選んでくれたことに感謝でいっぱいだ。新入生には、自分で選択したのなら、思う存分楽しんで自分なりのやりがいを見つけてほしいし、ア式に入って良かったと思う瞬間をたくさん感じて欲しい。そう感じてくれたのならそれだけで、ここにいる意味があるのではないだろうか。私はそう思っている。 私の理想とする先輩像とは何か。それは、何事も卒なくこなし誰からも憧れられる人。これに当てはまる歴代のスタッフの方々には尊敬と憧れしかなかったし、当時の私は『そんなかっこいい先輩になりたいな』とただ漠然と思っていた。 でも、私にはそんなかっこよさは持ち合わせてないし、憧れる反面、部活と向き合う姿から、優花さんはこんな人って、私なりの先輩像を確立していきたいし、後輩たちに伝えていきたい。 スタッフはモチベを保つのが難しい時期が人それぞれある思う。ただ、そんな時に、私とシフト同じで嬉しな!なんて思ってもらえたり、辛い時や何かあった時に私になら少しでも話を聞いてもらいたいって思われる先輩でいたい。 そう思うのは、弱音を吐いたり心配事を親身になって聞いてくれた先輩たちがいたからだ。本当にありがとうございました。 実習期間中は、部活に顔を出せない日が多く

良いプレー

中山凛(3年/テクニカルスタッフ/静岡高校) プロの試合を観ていると、今のはナイスプレーだ、と思ったら監督は激怒していたり、それは微妙かな、と思ったらチームメイトは拍手していたりする。こういうことが起きるのは、チームによってするべき(でない)プレーが異なるからだろう。ゲームモデルが違うからとも言える。   では、試合中のプレーの是非は、そのチームのゲームモデルを知っている人達にしか判定できないものなのだろうか。   答えは多分ノーだろう。グアルディオラもクロップもシメオネも森保さんも、どんな哲学を持つ人でも「良いね」と言うプレーがきっとある。どんなチームにいても、どんな相手との対戦でも、それができれば自分や味方が少し楽になるようなプレー。もしもそういった普遍的な良いプレー(の定義・基準)を整理して選手に伝えることができたら、そしてさらに実践に落とし込めたら、チームを勝たせるというテクニカルの目標に大きく近づくはずだ。   この夢を叶えるべく、最近はずっと「良いプレーってなんだろう」と考えているけど、この答えはそう簡単には出ないと思う。一緒に悩んでくれる人がいると心強いし、そういう仲間は1人でも多い方が良い。この文章を読んでいる人達が、その一員になってくれることを願っています。そしてもし答えを思いついたら、ア式テクニカルスタッフとしてピッチに還元してくれると最高です。   入部、お待ちしています。     3年 中山

うまい鍋の作り方

大谷一平(3年/MF/金沢泉丘高校)   「見つめる鍋は煮えない」 とかいう 言葉があるらしい。間違いない。鍋なんてものはちょっと水を入れて、椎茸と舞茸とさつまいもと白菜と鶏肉と鍋キューブをぶち込んで、ふたをして 強火にかけて放置しておけばいい。その間にコンビニ に でも行ってアイスでも買って、鍋のことなんかすっかり忘れてブランコでも乗って帰ってきて、吹き出す鍋を見つけて慌て ふためい て火を止めるくらいがちょうどいい。汁なんか半分くらい こぼれている だろう が 具はめったにこぼれないから問題ない。 鍋なんてものは往々にして 放っておけば勝手に育つ ものなのであって、過保護はいけない。早く煮えろなんて言って 、何度もふたを開けてぐるぐるかき混ぜたりしているうちはいつになっても煮えない。そういうものだ。   今年は、 スノボに行く機会が多かった。 まあ簡単にいうと、世の大半の暇な大学生と同じようにグラトリって奴にはまったという訳である。 私の実家はかの愛すべき石川なのだが、帰省中は暇さえあれば スノボに 行っていたし、こっちに戻ってきてからも 、我ら東京大学運動会ア式蹴球部員にとって 命よりも大事 と言われている 週に一度の「 月オフ 」 を全てスノボに捧げていた。ゆーひ の車と山田の偉大なるお父上様のお車と愛すべきニコニコレンタカーとオリオンツアーには感謝してもしきれない。 今年は通算して1 3 , 4 回くらい行ったかなと思う。この程度の回数じゃ石川県民に笑われてしまうだろうけど、 部活をしている東京都民だと思えばまあよく頑張った方だろう。何度越後湯沢と軽井沢に行ったことか。 そ れ だけスノボに行ったわけであるが、グラトリはなかなかうまくならなかった。ノーリー3までは比較的簡単にできるようになった。ただ、そこからは、一向にうまくならなかった。ノーリー3ができるようになると、まあ当たり前のように次はノーリー5だろということで、 ノーリー5の完成を目指した。ただ、いつまでたっても上手くいかない。スノボに行く時のコンディションがいつも信じられないくらい悪かった、というのは確かにあった。部活をしていると大胆に遊べるのなんて日曜の夜と月オフくらいだから、月曜は6時出発だというのに、何故か知らないが日曜は毎週終電を逃していた。 3時半くらいに家に帰り、シャワーを浴びて1時