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『1週間』の繰り返し

馬屋原翔(2年/FW/千葉高校) 皆さんは、経過していく時間をどのような単位でくくって考えているだろうか。1年に一度のビッグイベントを中心に1年を周期と捉える人、または目まぐるしく毎日に対して1日を繰り返しの単位と捉える人など様々な人がいるだろう。中には分単位、時間単位でくくって考える人もいるかもしれない。 そんな中、僕は1週間を一つの単位として捉えているように思う。もちろん1年に一度の誕生日が来ればあれからもう1年経ったのか、と1年単位の感覚を感じることはあるし、季節が変われば数ヶ月前の思い出に浸ることもある。ただ、1週間というまとまりが個人的には一番しっくりくる。 思えば小さい頃から1週間を基調とする生活を送ってきた。月曜日から金曜日は学校の日課に従って過ごし、金曜日の夕方にはサッカー教室で汗を流し、週末は両親に連れられてショッピングモールへ行き、与えられた予算 300 円の中でゲームセンターを満喫することが楽しみだった。中でも楽しみにしていたのは、決まった曜日の決まった時間に放送される TV アニメだった(このことと自分が今でもテレビっ子であることには少しばかりか関連があるように思われる)。水曜日はイナズマイレブン、木曜日はポケットモンスター、金曜日はドラえもんとクレヨンしんちゃん、という風であったことを記憶している。放送日当日の朝はアニメのために今日も1日頑張ろうと自分を鼓舞し、放送日翌日の登校後は友人とその話題で盛り上がった。小さい頃、特に小学生の頃はこんな生活の繰り返しだった。 そして、大学生になった今も週単位で流れていく時間の中で生活している。相変わらず平日は決まった時間割の中で学んでいるし、ア式の活動はまさに週単位そのもので行われている。火曜日から金曜日にかけて週末のゲームに向けられたトレーニングが行われ、土日が対外試合、月曜日がオフとなって次の1週間を迎える。ここからは、各曜日が自分にとってどのような位置づけであるかを書いていきたいと思う。 まず火曜日。火曜日は部全体としては身体の効率的な動かし方を身につけるトレーニングと約1時間のボールトレーニングが行われる。しかし、僕個人としては授業の関係でボールトレーニングから合流するため短めの活動となる。そのため、翌日から本格化するトレーニングに向けたオフ後の盛り上げ日という意味合いが強い。

出会い

はじめまして。この春、ア式蹴球部女子に入部しました鈴木爽と申します。これからよろしくお願い致します。文才は全くありませんが、最近考えていることを自分なりに文字に起こしてみたので最後まで読んでいただけると幸いです。      私は大学に入学した当時、運動部に入る気は全くありませんでした。二年にも及んだ受験生活がやっと終わったことに安堵を覚え、正直その時は「自由時間の多い楽な日々を送りたい」という思いが強かったです。ア式蹴球部の体験練習に行ったのも、久しぶりにボールを蹴りたいなという軽い気持ちからでした。      しかし、そこで出会った先輩方の真剣にサッカーに取り組む姿はもちろん、コーチの方々も含めた温かい雰囲気に魅了され、自分がこのコミュニティに属せたらどれほど幸せだろうと感じました。ただの部活というよりはまるで家族のような関係性だな、と思ったのを覚えています。その日の終わりには入部を決めました。        それから約2ヶ月が経ちましたが、入学当初では想像もしなかったような充実した日々を送っています。戦術を考えてプレーするサッカーは初めてで、まだまだ未熟なところばかりですが、少しでも成長できたと思えた時の達成感を得るのがとても楽しいです。      また、その感覚を得るたびに、普段から親身に相談に乗ってたくさんのアドバイスをくださる藤岡さん、楓さんを初めとするコーチの皆さん、先輩方、文京LBの皆さんに囲まれてサッカーを練習できるこの贅沢な環境に感謝が止まらなくなります。        この部活では、人のつながりを強く感じます。東大のア式蹴球部と文京LBがこうやって毎週活動できているのは、数えきれない程の人たちの支援があってからだということを常に思い知らされます。  そのような素敵な空間に自分の居場所があることがどんなに貴重なことなのだろうか。この気持ちをこれからも忘れずに、少しでもチームに貢献できるよう精進していきたいと強く思います。      私は運動神経があまり良くないです。足は速い方ではないし、逆上がりもできない程です。本来大学で運動部にわざわざ入る部類の人間ではないのかもしれません。      ですが、一度決めたことを簡単には諦めない頑固さを持っていると自負しております。ア式蹴球部でサッカーを続けて得られた経験や出会いは、大学を卒業する時には必ずかけがえ

はじめまして

はじめまして。この春、ア式蹴球部女子に入部した梶本未來と申します。これから長らく、よろしくお願いいたします。 私が最初にア式のfeelingsの存在を知って、読んだとき、とても素晴らしいものじゃないか、と思った。自分の感じたことや、思ったことを綴るもの。自分の想いを文字として残しておけるもの。今の想いを整理してまとめられるだけでなく、後から読み返したって、とても良い自らの記録になるもの。このような機会でもないと、なかなか自分の想いを長々と文字として残すことなどないと思う。 いつからだろうか、日記や、写真、動画など、過去を記録して留めておけるものが好きだった。過ぎ去っていく一日一日を、大事にできているような気がして好きだった。以前はここまで、郷愁に浸ったり、今を大切に、などと思って生きる人間ではなかった。これは多分、中高時代の一人の友人、いや親友、に影響を受けたからだろう。 彼女は、「今」を大事にする人だった。思い出を大事にする人だった。彼女はなるべく多くの思い出を残そうとしていたし、最後まで高校生活を満喫していた。初めての寄り道、初めての原宿、初めてのベニエ、最後の運動会、最後の夏服、最後の運針。彼女はいつでも写真を撮りたがったし、スマホの容量不足にいつだって悩まされていた。 そんな人と仲が良かったものだから、自然と自分も、人生の儚さに目が向くようになった。もう二度と戻らない過去。もう二度と送れない高校生活。今しか送れない大学生活。高校生3年生の時には、澄み渡った青空を見るたびに、卒業まで、あと何回この綺麗な青空が見られるものかと考えた。帰りの電車に揺られながら、あと何回、この車窓からの見慣れた景色を見ることができるだろうかと考えては、泣いていた。 終わりがあると分かっているからこそ、終わりへと向かう過程はどうしようもなく寂しく、悲しく思えてくる。そんな風に、卒業という終わりを意識して過ごしていたせいだろうか、実際卒業のタイミングでは、清々とした気持ちでいた。卒業を頭の中でシミュレーションしすぎていたのかもしれない。高校生活を振り返って、最後まで悔いなく楽しんで過ごせた、と断言できるし、もう1度やり直したいとも思わない。最高だった。 この経験から私が学んだことは、いつか終わると分かっているものでも、いや分かっているからこそ、その一瞬一瞬を大事に過ごしていけば、最後ま

命短し恋せよ乙女、登る南の裸猿

上西園亮(4年/MF/ラ・サール高校) feelings を書かねばならない。非常に億劫な話である 大学 2 年時よりア式に入部したため、僕はア式の同期(それ即ち混乱することに、大学においては 1 学年下ということになる)より一年早く卒部しなければならない。活動期間は 3 年間。入部と共に卒部が見えていた。まるで、老人の姿で生まれてきたベンジャミン・バトンが、他とは違った数奇な一生を送ったように。 皆よりも短いア式生活。そう考えると少しだけ、ほんの少しだけ feelings にも愛しさを感じてしまう。元来、 feelings を読むこと自体は好きである。   思い返せばア式入部1年目(つまりは大学2年)の 11 月頃、初めて書かされた feelings がツイッターにて 1000 ほどのイイネを貰ってからというもの、周囲の僕に対する期待は尋常でないものになってしまった。 50 イイネ行けば御の字という世界にあって、大きすぎる数である。   しかし、蝶が舞い鳥がさえずる、そんな芳しい花畑のようなおめでたい脳みそに僕は生まれていない。これでも、数多ある選択肢の中から大学進学という無難な道を選んだ男だ。そんなバズが一過性のものに過ぎないことなど良く分かっている。 だが一方で、あれだけのイイネを貰った当初、伸びあがった鼻は山より高く、上気した顔は夜空に光るアンタレスよりも赤く煌々と輝いていた。足には下駄を履き、背中には翼が生え、まるで遥かな空の高みから地上を見下ろしているかのような心地であったことも否定はしない。   その姿はさながら天狗であった。   人外となった私は野を越え山を越え、空を駆けては地中に潜り、世界の理を探求する旅に出かけたかと思えば、あくる日には炭酸の抜けきったコーラをごくごくと喉の隅々まで行き渡らせた。 そうして永遠に思われた数日の極楽を経てふと思う。   かつて日本中にその名を轟かせた英雄たちは一体どこへ行ったのだろう。   ムーディ勝山、楽しんご。 8.6 秒バズーカに、日本エレキテル連合。ピスタチオ、クマムシ、ひょっこりはん。    正に時の人であった彼らはどこへやら。与えられた称号は一発屋。果たして令和生まれの子供たちに彼らの勇名が轟くことは有るのだろうか。私だけでも語り継ごう。