投稿

4月, 2022の投稿を表示しています

友かつ敵

八代快(3年/DF/麻布高校) Feelings=気持ち・感情・想い 普段は隠している情熱や悩みを部員が綴り、部員や関係者に訴えかける。部内ブログでありながら外部の人から見ても魅力があるコンテンツ、だと思う。自分も高校生の頃からfeelingsを読み、ア式部員一人一人の内に秘めた熱さに感服。入部を目指す原動力の一つになったものだった。ア式に入ってからも、読むたびに部員の新たな一面が見え、刺激がもらえる。 そんな自分にも一年半ぶりに執筆依頼がやってきた。何を書こう。普段は言わない想い、悩み、、、  何も無い。 これは考え、感情、エピソード、自己についての全てをベラベラ人に喋る性格のせいだ。多分。いいことがあったらすぐに自慢するし、悩みや不満は他人に吐き出す、そんな生き方をしてきた。部活に対しての要求や感謝、様々な想いがないわけでは無いが、副将である以上普段の練習やミーティングなどの場で発信すべきだと思う。だからここでは差し控えさせていただく。 ということで今回は自分についてではなく、ある友人について話そうと思う。彼への感謝とリスペクト。個人的な文章なので読み飛ばす人はどうぞ。 彼と出会ったのは中1の4月、初授業日。放課後、サッカーをしに行った公園でだった。色黒。背は小さい。童顔。何より印象的なのが普段着として日本代表のユニフォームを着ていたこと。サッカー部で同期になるんだろうなあ、うまそうだなあと思った。あんま上手くなかった。 けどそこから部活一緒になってわかったのは本当にいいやつってこと。真面目で好青年。クールで仕事できるけど時々言語障害。文化祭実行委員会でも一緒だったし、中2の時はクラスメイト。そりゃ仲良くなる。一緒にサッカーして、プレミアの話して、だらだら遊んで、時々言い合ったりもして。高校に入ったら副キャプテンになって自分を助けてくれた。部の仕事もほとんどやってくれたし練習メニューも一緒に考えたりした。その頃から戦術に対する理解が深くて、サッカーをよく知っている雰囲気があった。サッカー談義を頻繁にしてたけど、あっちの知識がすごいからちょくちょく知ったかぶりして答えてた。自分がスタメンを決めていたから、使ってやれない時は申し訳なかった。 そんなこんなで気づいたら高3。春の総体予選、代としては最後の大会。2次予選出場決定戦で負けた。強豪とは言え互角以上に戦える試合

目標

堀祐大朗(2年/スタッフ/長岡高校) ア式蹴球部 ( サッカー部 ) スタッフ 2 年の堀祐大朗です。ア式にはスタッフが約 35 名おり、練習や試合における選手のサポートはもちろん、戦術の分析、広報、スポンサー獲得に向けたセールス、地域のコミュニティ活動、 etc. を選手と協力しながら行っています!サッカーに興味がある新入生、 2 年生以上の方、大学を問わず大歓迎なのでぜひ一度見学にいらしてください!!   ア式に入ったきっかけと自分の目標   ア式のスタッフの特徴の1つにサッカー未経験でも活躍できるということがあると思う。大学に入って戦術を学んでチームにアドバイスを送っているテクニカルスタッフもいるし、サッカー観戦が好きでサッカーに関われることが幸せといっているマネージャーもいる。   私も大学までサッカー部に入ったことがなかったが、サッカーを見ることは大好きだった。特に地元新潟のプロサッカーチーム、アルビレックス新潟の熱狂的サポーターで、ゴールに涙することもある。将来はアルビレックスに何らかの形で関わりたい!社長になってクラブに貢献し感動を届けたい!とまで思っている。   この目標は中学 3 年の頃から公言している。目標は周りに言ったほうが責任が生まれる、また思わぬ出会いを生むと考えているからである。高校 2 年の時にはアルビレックスの社長になってレディースの強化をすることでなでしこリーグを活性化させジェンダー平等に少しでも貢献したいというスピーチを行った。さらに、社長を目指す上で組織の長としての経験を積みたいと考え、英語ディベート部の部長も務めた。   そして、受験期の 1 月、東大のサッカー部に林陵平監督が就任するというニュースを聞き、ア式蹴球部のことを知った。大学サッカーは自分の目標を達成するためのラストチャンスだと考えた私は思い切ってア式に入った。   ア式に入っての 1 年   テクニカルスタッフとして入部して、新鮮な経験をたくさん積ませてもらった。対戦相手の戦術分析や、ア式の戦術提案、撮影、戦評、リアルタイム分析、データ分析などを通して、これまでなんとなく見ていたサッカーが頭脳戦でもあることに気づいた。対戦チームの弱点をア式がうまく突けると嬉しいし、分析を担当した試合では特に緊張して試合を見て

負けず嫌い

島智哉(2年/DF/湘南高校) feelings こんにちは、新2年の島です。 何を書けば良いのか分からないのでとりあえず新歓の時期ということもあり、ア式に入ると決めたきっかけについて書きます。 まず自分が大学でサッカーを続けると決めたのは高校3年の時だった。湘南高校に入学するまでは高校で終わり、この先はないと思ってサッカー部に入部したがこの考えはすぐに変わることになった。 中学生時代、指導者のいない練習が多く、そのほとんどを自分たち部員のみで活動した。こうした状況下では十分に上達することはできず、試合にもなかなか勝てなかった。普段の練習もゆるく、練習強度など皆無で全くサッカーの楽しさを感じられない、自分にとっての暗黒時代のようなものだ。 高校を選ぶ中でちゃんとした環境でサッカーがしたいと思い、公立の中でもそれなりに強い部活に入部しようと考え、第一志望の慶応には落ちたが湘南高校に入学できた。湘南高校では毎日、コーチか顧問がいて、フィジカルコーチや栄養士もいて今までないほど恵まれた環境の中でプレーすることができた。同期のプレーヤーも21人いてどの学年も20人以上の部員がいたのは今までにない競争となり、大きな刺激だった。 しかし、結果として自分自身が公式戦に絡むことはほとんどなかった。自分達の代になって練習試合で数試合スタメンで出ても一度のやらかしで1番下のチームまで落とされ、肉離れと疲労骨折のダブルパンチで1月から3月までの3ヶ月も棒に振り、結局、Aチームに上がるのにも時間がかかり、夏休みにようやくAに昇格でき、セカンドチームで試合に出るようになった。この後にようやくセカンドチームで出たリーグ戦にスタメン出場し、公式戦での初スタメン、初ベンチ入りとなった。この時の緊張感は今でも覚えている。しかし、選手権ではベンチ入りできず、結局応援席で引退を迎えた。 こうした高校生活を送る中でサッカーが楽しいと思えるようになったタイミングは前述したようにようやく高3になってだった。それまではただガムシャラにサッカーをしていただけで正直サッカーが楽しいと感じるほどの余裕はなかったが高3になり、Aで練習してセカンドチームで試合に出る中で自分のやりたいプレーが上手くできる瞬間が増え、明らかにそれまでよりもサッカーの魅力に取り憑かれていった。それと同時に自分が全くトップチームとして公式戦に出

ヒーロー論

坊垣内大紀(2年/テクニカルスタッフ/聖光学院高校) 憧れ。理想の自分を他の誰か、特にスーパーな存在に投影すること。誰もが一度は経験したことがあるだろう。そういう存在になることを人生の目標にし、追いかける人も多い。例に漏れず、かつて憧れに手を届かせたいと願った自分の半生は、憧れにあまりにも振り回されたものだった。     幼少期を川崎で過ごした自分にとってサッカー、とりわけ川崎フロンターレというクラブは身近な存在だった。近所のお店にはいつもフロンターレのタペストリーやのぼりがあった。試合がある日には、スタジアムの声援が家まで聞こえてきた。選手たちが商店街に挨拶に来たり、清掃活動に参加したりしていた。物心ついた時点で、フロンターレは日常の一ページになっていたのだ。ボールを蹴り始め、フロンターレに興味を持つのは当然と言ってよかった。それからというもの、自転車を飛ばしてスタジアムへ足を運んだ回数は数え切れない。当時のフロンターレは撃ち合い上等のストロングスタイル。その攻撃的サッカーは必ずと言っていいほどドラマを起こしてきた。最後の最後、お粗末な失点で負けることもあれば、悪天候の中奇跡のような逆転劇を見せることもあった。良くも悪くもスリリングで豪快で目が離せないサッカーは、見るものを惹き付けた。自分が年を重ねるとともに、お世辞にも満員とはいえなかったスタジアムの入場者数は増えていった。スタジアムでそんなサッカーの面白さを存分に味わっていた一人のサポーターとして、そしてサッカー選手になりたいと子供ながらに思っていた一人のサッカー少年として、ピッチで躍動するフロンターレの選手たちは、自分にとって最高のヒーローだった。一つ一つのプレーでたくさんの人を魅了し元気を与えていることがカッコよく見えた。自分もいつかあのユニフォームに袖を通したい、かっこいいヒーローになりたい、そう思っていた。そして彼らに憧れ続けていたからこそ、ヒーローというものは表舞台で輝いて見えるものなのだと信じていた。     だが自分はサッカー選手という名のヒーローになることはないのだろうと何となく気づいていたし、いつの間にか諦めてもいた。少年サッカーでたまにいる、相手を全員かわしてゴールを決めちゃうような子でも将来プロになれるかどうか分からないような世界で、ただの下手くそが語る夢は自分のこ

ア式蹴球部国際的活動のこれまでと今後の展望

野中滉大(4年/スペシャリスト/天王寺高校)  「ア式を使って野中が何かおもろいことをやればいい。」 2020年1月、当時の主将内倉さんにかけてもらった言葉だ。 入部時(2019年4月)に個人として掲げた「公式戦でスタメンとしてチームの勝利に貢献したい」という目標を、先輩の怪我など様々な偶然が重なったこともあり同年11月に実現し、サッカーの他に学生のうちに挑戦してみたいことが沢山思い浮かぶ一方、同時に愛着を覚えるア式に何らかの形で貢献したいという想いを抱き自分の今後について悩んでいた。そんな時に連れて行ってもらった白山の鳥貴族で、内倉さんにかけてもらった言葉が最初の言葉である。 しかしその時にはまだ自分の中で「おもろいこと」をはっきりさせることができず、休部を延長して2020年2月から学生のうちに挑戦してみたいことの一つであった1ヶ月間にわたるトルコのイスタンブールからギリシャやイタリア、フランスを経由して英国ロンドンに至る一人旅に出た。そこでは沢山の景色、人、食べ物、音に出会い、書き留めきれないほどの沢山のことを感じ、考えた、人生においてとても大きな糧となる経験をすることができた。 そうした旅の高揚感を胸に帰国した3月半ば、現在の主将である同期松波から是非野中に会ってみてほしい人がいると言われ紹介されたのが、今は休学しアメリカで研究活動をしており、当時は他の学生団体で代表を務めながら同年1月にスタッフとしての入部をしていた王方成だ。ア式に大きな愛着と可能性を感じ、また同時に海外で得られる学びを自分以上に沢山知っている彼とはすぐに意気投合し「おもろいこと」の輪郭がはっきりしていった。その「おもろいこと」とは、「ア式を、ア式に所属していながら部員が海外に出て様々な経験ができる部活にする」ということだ。それは王をはじめとして入部すると海外に行ける機会がなくなる、あるいは減るかもしれないという理由で入部を断念する人を減らすことになり、部の強化に結果的に貢献すると考えた。また部でできることの可能性を広げることは部の価値を高めることにと直結し「社会・サッカー界に責任を負う存在として日本一価値のあるサッカークラブとなる」というア式の存在目的に合致する取り組みになると考えた。   そしてそうした活動を行う役職として、王と自分には「スペシャリスト」という役職を新たに部内に設けてもら

人生の選択

野口桃(2年/スタッフ/聖心女子学院高校) こんにちは。はじめまして、2年生スタッフ野口桃です。 日々私たちは、何かを決断するときなど様々な「選択」をしていると思います。 そして私は自分が選んだ「選択」に後悔したことがありません。 それほど自分の今までの人生にあの時こうしてればよかったと思ったことがないです。そして今の自分はやりたいこと、続けたいこと、好きなことを見つけて何事にも挑戦してることができていると感じています。 実際、ア式も自分で見つけて、ここで大学4年間過ごしたいと感じ、自ら選んで入部しました。ア式に入った一年前の自分を誇らしく思います。 4月7日、初めて練習見学をした日。 監督、コーチ、選手、スタッフの皆さんの雰囲気が爽やかでこんな爽やか集団見たことない!と思ったのがア式に対して抱いた第一印象です。笑 当時は他のサークルの新歓に行ったこともあり、ななみさんに何割ぐらいで入る?と言われた時7割ぐらいで入りますと答えました。しかし今考えると、当時の自分は10割でア式には入ると決めていたようにもおもいます。 何回か見学にしに来るたびに、素敵な部活だなという思いは強くなりました。 マネージャーというお仕事をしたこともなく、他大学の部活で他の女子マネもいなくサッカーの知識も全くないまま入部した自分は怖いもの知らずだと今考えると思います。笑 入部当初は、毎回毎回の練習で緊張していて仕事が全くできず、先輩方にはたくさんのご迷惑をかけていました。ごめんなさい🙇🏻‍♀️ 一年経ってやっと業務にも慣れてきて、マネージャーのお仕事トレーナーのお仕事どちらも楽しくやりがいを感じながらできています。 私はピッチ外のお仕事にもやりがいを感じています。特に広報ユニットでは、カメラ係・画像班・Instagramの担当をしています。元々、わたしはInstagramでア式を知り、広報ユニットに入りたいなとずっと思ってたのでやりたいことが叶った瞬間でもあります。 カメラ係として撮った画像を画像班として編集し、それをInstagramに載せるといったア式の広報ユニットに携わっている、貢献できてると感じていて、とってもやりがいのあるお仕事をさせていただいています。 最近挑戦したいことは、Instagramを活用して全部員にスポットが当たるような企画をしたいと考えています。 あとは、リール動

私が好きなのは

永見涼葉(3年/スタッフ/宇都宮東高校) はじめまして。3年マネージャーの永見です。 今回feelingsを書くことになり他の人のfeelingsを読んでみたところ、入部した経緯や理由を書いている人が多かったので、私もそれに倣おうと思います。 読みづらい部分があったらすみません。 私がア式に入ったきっかけとしては、サッカーが好きだからというのが前提にあると思います。 というのも、私は高校時代もサッカー部のマネージャーをやっていました。 当時サッカー部はマネージャーが1人もいなくて、サッカーを見るのも好きだったし仲の良い部員もいたのでやってみようかなくらいの軽い気持ちだったと思います。 振り返ると楽しいときよりもやめたいと思っていたときの記憶が強いのですが、それでも高3の引退まで続けました。今でもとても良い思い出です。 そしてコロナ禍で大学に入学し、1年生のときは高校時代と比較するとサッカーに接する時間は減ったものの、大好きな川崎フロンターレの試合や選手権を見るなど、やはりサッカーから完全に離れた生活は送っていませんでした。 実際私は大学でもサッカーに携わりたいと思っていました。入学してすぐ、私が通う青学のサッカー部の活動を調べたり見学に行こうか迷ったりしていたのですが、時間的・距離的な面などで青学サッカー部に入部することは断念しました。 そして2年生になり関東1部の大学サッカーを観に行きました。もちろん個々の選手のレベルが高く試合自体もとても面白かったです。しかしそれよりも、ピッチにいるスタッフの方々がとにかくキラキラして見えたのをよく覚えています。 高校時代の思い出がいろいろと蘇ってきた一方で、ある意味もどかしさのようなものも同時に感じました。 おそらくそのときの私は、大学サッカーに携わる人たちがうらやましかったのでしょう。今だって携わろうと思えば携われるのに、と頭のどこかでそう思っていました。 そんな中、東大の知り合いの方にア式を教えてもらいました。 それを機にア式のことを調べ始めて、強く興味を引かれつつも最初はとても悩んでいました。私にできるのか、周りからどう思われるかなど、とにかく不安でいっぱいでした。 しかしなんとなく過ぎてしまった1年を振り返り、悩んでいる時間があるならまずは行動してみようと思い見学に行くことにしました。 そこでサッカーに励む部員の姿に懐
  ざわちん(女子部4年) 最後の feelings ということで何を書こうか迷走した結果、今までサッカーについてあまり書いてこなかったことに気づいたので、サッカーとの思い出をまとめたいと思う。   私のサッカーとの出会いは小学 5 年生だった。父の仕事でアメリカのミシガン州に滞在していた。かなりの田舎なので、前庭と裏庭があり、ご近所さんとよく BBQ をしていた。そこでバスケをしたり、ドッチボールをしたり、サッカーをしたりした。今思えばつま先キックでわちゃわちゃサッカーだったが、楽しい思い出として残っている。   帰国して東京の高校に通うことになった。日本と言えば部活動である。シーズンごとに集まるクラブ活動が主流なアメリカで生活していた私はそんなイメージを持っていた。年中真剣に練習し、 3 年間かけて築いていく仲間やチームの絆に憧れを抱いていた。配られた部活・同好会一覧に「女子サッカー」という言葉を見つけると、体験練習に飛んでいった。 3 人の先輩方が温かく受け入れてくれ、この人たちとサッカーしたいと思った。男子部が使っているグラウンドのコート外でパスの練習をした。高校のグラウンドはあまり使えないので、時々日曜日に個サルに参加する形式を取っていた。日本では部活に入って仲間とバリバリ練習してたくさん試合をしたいと考えていた私は、バスケ部に入部した。兼部も歓迎されたが、活動日が被ってしまいサッカー部への入部は諦めた。当時の私には、ア式女子を創部したなるさんのような行動力はなく、そこから女子サッカー部を作っていくという強い意志もなかった。   大学入学後のテント列でサッカー部のテントに入った。同じ高校の先輩がいた(後から聞いた話では彼女も高校の時にサッカーしたいと思っていたらしい)。週 4 回練習し、 OG 含め 11 人揃えて関東大学女子サッカーリーグに出場しているらしい。体験練習で蹴り方を教えてもらい、上達していく自分を感じた。ようやくサッカーを部活でできる、と思った。でも大学では留学もしたいと欲張りなことを考えていたので、大学でも部活に入ることに躊躇していた。自己矛盾を自覚しながらも先輩に相談してみると、外部の活動も応援してくれる部活だと教えてくれた。もうサッカー部に入らない理由はなくなった。入部式の日は過ぎてしまっていたが、入部を受け入れ