ヒーロー論

坊垣内大紀(2年/テクニカルスタッフ/聖光学院高校)

憧れ。理想の自分を他の誰か、特にスーパーな存在に投影すること。誰もが一度は経験したことがあるだろう。そういう存在になることを人生の目標にし、追いかける人も多い。例に漏れず、かつて憧れに手を届かせたいと願った自分の半生は、憧れにあまりにも振り回されたものだった。

 

 

幼少期を川崎で過ごした自分にとってサッカー、とりわけ川崎フロンターレというクラブは身近な存在だった。近所のお店にはいつもフロンターレのタペストリーやのぼりがあった。試合がある日には、スタジアムの声援が家まで聞こえてきた。選手たちが商店街に挨拶に来たり、清掃活動に参加したりしていた。物心ついた時点で、フロンターレは日常の一ページになっていたのだ。ボールを蹴り始め、フロンターレに興味を持つのは当然と言ってよかった。それからというもの、自転車を飛ばしてスタジアムへ足を運んだ回数は数え切れない。当時のフロンターレは撃ち合い上等のストロングスタイル。その攻撃的サッカーは必ずと言っていいほどドラマを起こしてきた。最後の最後、お粗末な失点で負けることもあれば、悪天候の中奇跡のような逆転劇を見せることもあった。良くも悪くもスリリングで豪快で目が離せないサッカーは、見るものを惹き付けた。自分が年を重ねるとともに、お世辞にも満員とはいえなかったスタジアムの入場者数は増えていった。スタジアムでそんなサッカーの面白さを存分に味わっていた一人のサポーターとして、そしてサッカー選手になりたいと子供ながらに思っていた一人のサッカー少年として、ピッチで躍動するフロンターレの選手たちは、自分にとって最高のヒーローだった。一つ一つのプレーでたくさんの人を魅了し元気を与えていることがカッコよく見えた。自分もいつかあのユニフォームに袖を通したい、かっこいいヒーローになりたい、そう思っていた。そして彼らに憧れ続けていたからこそ、ヒーローというものは表舞台で輝いて見えるものなのだと信じていた。

 

 

だが自分はサッカー選手という名のヒーローになることはないのだろうと何となく気づいていたし、いつの間にか諦めてもいた。少年サッカーでたまにいる、相手を全員かわしてゴールを決めちゃうような子でも将来プロになれるかどうか分からないような世界で、ただの下手くそが語る夢は自分のことながら根拠の無い絵空事のようにしか聞こえなかったのだろう。サッカーを早々に「夢」から「趣味」へと変えてしまった逃げの行為には、そんな思考回路が露骨に表れていた。サッカーに限った話ではない。たくさんの人から憧れられる存在というのが世の中にはいる。例えば俳優やアイドル、医者にプロ野球選手。こういう人達に羨望の眼差しが向けられるのは誰しもがなれるわけでは無い、いわば「ひと握り」の存在だからだろう。そして言わずもがな、自分はそんな存在には到底なれそうもなかった。別にそうなれると思っていたわけではないが、それにしても「ひと握り」との距離があまりにもありすぎた。というのも、自分なりに頑張って積み上げたものを他の誰かに難なく超えられてしまうのだ。敗因が才能だったのか努力だったのか、それともそれ以外の何かだったのかは分からない。一つだけ言えるのは、当時の自分にプラスアルファを手に入れる余力なんて無かったということ。みんなが当たり前に出来ることをこなすので精一杯だった自分にとって、誰かに追いつき追い越す事というのは絶望的に高いハードルだった。憧れていたヒーロー像とかけ離れている自分、何の取り柄もない自分のことが情けなかったし、大嫌いだった。そして、それを仕方ないと受け入れている自分がいることがあまりにもカッコ悪く思えた。

 

 

何を目指しても届かない。何をやっても上位互換がいる。悲しい事実に悔し涙を流したこともあったけれど、泣いたところで事態は何ひとつ好転してくれない。そんな日々を過ごすうちに、どうせ叶わないことを望むのが馬鹿らしく感じるようになった。あまりにも冷めていて刺々しい感情の発端は、これ以上敗北を真正面から突きつけられたくない弱気で子供な自分の中にあった。そしてそんな考えに支配され、負け癖がこびりついた頃には、夢や未来を語る自分はどこにもいなくなった。その代わりにやって来たのは、恐怖と焦燥感。やりたいことは何だ、将来の目標は何だと聞かれがちな世の中で、それで食っていく覚悟が出来るほど夢中になれることが見つけられないって事は、これから生きていけないってことなんじゃないのか?一気にやってきた現実との向き合い方を、僕は知らなかった。夢にも現実にも居場所を見つけられない気持ち悪さだけが悶々と残っていた。そんなことは露知らず当たり前のようにやってきた1度目の大学受験に、勝ち目はなかった。

 

 

男子校。中高一貫。いわゆる進学校。狭いことこの上ない世界しか見てこなかった自分にとって、浪人していた一年間は新しい世界を多少なりとも知るチャンスでもあった。気分転換がてら、わけもなく知らない街を彷徨うのが好きになった。改造バイクのエンジン音。歓楽街のネオン。すれ違った人の香水の匂い。舗装の剥がれた道路。ボロボロの自販機で買った、まずいブラックコーヒー。五感すべてで「世間」を知った気になって自己満足に浸る生意気な時間を過ごす中でも、僕はフロンターレの試合を観に時々スタジアムを訪れていた。時の流れというのは色々なことを変えてしまう。選手は毎年のように入れ替わる。新しくスタジアムに来るようになった人、逆に来なくなった人もいる。かくいう自分も昔と比べると足を運ぶ回数はめっきり減ってしまった。それでも、変わらないものだってちゃんとある。催し物を楽しむ家族連れの笑顔。試合の日にはいつも売られている塩ちゃんこ。そして誰もを受け入れてくれるような、どこか暖かいスタジアムの雰囲気。いつだっただろうか、ふと、これが好きだったのだな、と思った。試合だけが見たいなら、極論テレビやネットでも良かったはずだ。にも関わらずスタジアムに通い詰めたのは、選手だけではなく、職員、スタッフ、アルバイトも含めた人たちが一体になって作り出すこの雰囲気を感じたかったからなのかもしれない、と。輝く表舞台を作り上げる裏方も、紛うことなく「憧れ」の一員だった。ヒーローだった。姿かたちも分からず、ただ遠いものだと思い込んできた存在は、思っていたよりずっとずっと、近くにいた。

 

 

有名人でなくたっていい。特別なスキルも才能も要らない。誰かに憧れられる舞台にどんな形であれ関わっている全ての人は、等しく素晴らしい。つまり、世の中の誰しもがヒーローたりえるのだ。そう気づいた時が人生最大の転機だった。他人に用意された道は、当然自分にも用意されているはずだと勘違いしていなかったか?もとから無いものを自分の中に探して、勝手に残念がっていただけじゃなかったのか?誰もが羨む生き方だけが良いものだと選択肢を狭めていなかったか?自分自身のことをあんなに嫌っていたのに、他人に誇れる何かを本当はやれたはずだというふざけた自惚れだけは一丁前に残っていたことを知ったあの日、自分への期待はやめにしようと決めた。こう言うと完全に人生に絶望してしまったように聞こえるかもしれないが、そうではない。正確に言えば、今の自分に出来ることと、してみたいという「予感」を大事にしようと思った。「ひと握り」を追い求め続けるよりも、こっちの方が性に合っている。どっちが良いとか悪いとかの話をしたいのではない。高い目標を持って頑張れることというのは凄いことだし、そういう人のことは応援したいと心から思う。ただ自分がそれに疲れてしまったというだけのこと。

 

大学に入って再びサッカーに関わったのも、そういう考えがあってのことだった。高校で部活を引退した時はもうサッカーと近い距離で関わることは無いのだろうなと思っていたし、およそ若者とは思えないほど衰えきった体とも相談して部活には入らないつもりだったのだが、未練はあった。下手なりにそこそこの時間をサッカーに費やした自負はあったし、その経験を何にも還元せずに関わりを断ってしまうのは勿体ないような気になっていた。そんな時に、ひょんなことからア式蹴球部にはテクニカルスタッフなる役割があること、「実際にプレーする」「エンターテインメントとして楽しむ」以外に「深く掘り下げる」というサッカーの見方があることを知った。経験も自信もなかったのに、ここだという「予感」がした。以前の自分なら今更新しいことをしてどうするんだ、と思っていたかもしれないが、「予感」を信じると決めた以上、迷いはなかった。そしてそんな生き方を自分なりに見つけたのは、届かない憧れの呪縛に悩まされた日々があってこそだと今では思っている。

 

 

人生がどうこうだとか偉そうに語ってきたが、自分は何の変哲もないただの学生。礼儀を大切にすること。仲間と一緒に喜び、一緒に悩むこと。時には背中を押し、時には前を歩いて引っ張ること。ナンバーワンでもオンリーワンでもない、誰にでも考えつきそうなことしか出来ない。でも、それで良い。一つ一つの行動が巡り巡ってア式蹴球部のために、そしてア式蹴球部を通して他の人のためになるかもしれない。自分で作った道なのだから、躊躇わずに進んでいこうと思う。

 

 

フロンターレのチャントのひとつに、こんな歌詞がある。

 

『どんな時もずっと 誰よりも強く 戦うヒーローに気持ち込めて』

 

この歌を今日も各々のフィールドで戦う全てのヒーローに、心からのエールと共に。そしてせっかくだから自分にも、ささやかなエールを。

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