はじめまして

はじめまして。この春、ア式蹴球部女子に入部した梶本未來と申します。これから長らく、よろしくお願いいたします。

私が最初にア式のfeelingsの存在を知って、読んだとき、とても素晴らしいものじゃないか、と思った。自分の感じたことや、思ったことを綴るもの。自分の想いを文字として残しておけるもの。今の想いを整理してまとめられるだけでなく、後から読み返したって、とても良い自らの記録になるもの。このような機会でもないと、なかなか自分の想いを長々と文字として残すことなどないと思う。

いつからだろうか、日記や、写真、動画など、過去を記録して留めておけるものが好きだった。過ぎ去っていく一日一日を、大事にできているような気がして好きだった。以前はここまで、郷愁に浸ったり、今を大切に、などと思って生きる人間ではなかった。これは多分、中高時代の一人の友人、いや親友、に影響を受けたからだろう。

彼女は、「今」を大事にする人だった。思い出を大事にする人だった。彼女はなるべく多くの思い出を残そうとしていたし、最後まで高校生活を満喫していた。初めての寄り道、初めての原宿、初めてのベニエ、最後の運動会、最後の夏服、最後の運針。彼女はいつでも写真を撮りたがったし、スマホの容量不足にいつだって悩まされていた。

そんな人と仲が良かったものだから、自然と自分も、人生の儚さに目が向くようになった。もう二度と戻らない過去。もう二度と送れない高校生活。今しか送れない大学生活。高校生3年生の時には、澄み渡った青空を見るたびに、卒業まで、あと何回この綺麗な青空が見られるものかと考えた。帰りの電車に揺られながら、あと何回、この車窓からの見慣れた景色を見ることができるだろうかと考えては、泣いていた。

終わりがあると分かっているからこそ、終わりへと向かう過程はどうしようもなく寂しく、悲しく思えてくる。そんな風に、卒業という終わりを意識して過ごしていたせいだろうか、実際卒業のタイミングでは、清々とした気持ちでいた。卒業を頭の中でシミュレーションしすぎていたのかもしれない。高校生活を振り返って、最後まで悔いなく楽しんで過ごせた、と断言できるし、もう1度やり直したいとも思わない。最高だった。

この経験から私が学んだことは、いつか終わると分かっているものでも、いや分かっているからこそ、その一瞬一瞬を大事に過ごしていけば、最後まで楽しむことができる、ということである。振り返った時に、あの時間を楽しめたな、と思える。この学びは私にとって大きかった。

今までは、人生を単に、時の経過、としてしか捉えていなかった。過去には戻れないのだから、若い人ほど、これから楽しむ時間がたくさん用意されていて、幸せなように思えていた。いくら終わってほしくない、と思っていても、時の経過には抗えない、人生を不条理なものだと悲観していた。

でも逆に、過去は変えられないからこそ、幸せな思い出を残せば、それは一生、幸せな記憶となって心の中に残る。本当に悔いなく過ごせれば、戻りたいとも思わない。ただただ、幸せな記憶だけが溜まっていく。なんて幸せなことだろうか。人生には、このような楽しみ方があったのか。


これからの4年間、ア式部員としての生活は、間違いなく、素晴らしいものとなる。大学からサッカーを始めたので、まだまだ課題が数え切れないくらいあるし、多分無くなることはない。正直、なぜア式に入ったのか、と今まで訊かれる機会が多々あったのだが、うまく答えられた試しがない。前から「サッカーいいな〜」なんて思っていただけで、直感でサッカー部に入部した。だけれどこの約2ヶ月、ア式部員として活動する中で確信している。皆、愛のある人であり、間違いなく、自分の成長できる場である、と。

かなり頻繁に、先輩が卒部していったり、コーチがいなくなってしまう将来のことを考えてしまう。先輩方がいなくなってしまったらどうなるのだろう、自分達でア式を支えていけるのだろうか。卒業に怯えていた高校時の繰り返しである。でも、いつか終わりが来ると、分かっているからこそ、今に目が向けられるのではないか。それが今までの学生生活で得た、とても大きくて、大切な学びだったのだから。

今ある時間を大切にしたいと思う。今年のメンバーで活動できるのは今年だけ。それは来年も再来年も同じ話である。人生は巻き戻せないし、それはどう考えたって、やはり悲しいものである。

でもその儚さが、今をより輝かせる。

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