彼らに学ぶ

いつも通りだ


今日も車内は満席


席が空くのを待って立っている人が数人


普段通りだと乗り換え駅に着くまで座れそうにない


漫然と外の景色を眺めるが、何百回と見たその景色にはもう飽きた


外の景色から目線を外す


ふと、目の前に座る女性のバッグに目がとまった


普通は内側あるはずのライナーが外側に飛び出すデザイン


カレンダーのように並ぶ数字


匿名的で非匿名的な四つタグがその脱構築の歴史を物語る


彼らは習慣に疑いの目を向け、既存の価値を分解し、時には他の価値を取り入れながら新たな価値を再構築した


前後・裏表逆のジャケット、足袋ブーツ、ボロボロのニット、ジャーマントレーナー…


分解と再構築の賜物は今なお燦然と輝く


その業績が評価され、歴史上世界で最も偉大なブランドの一つになっている











3月に行われた卒部式で前主将はこんなことを言っていた。自らが進む道を疑うことが大事だと。


今私達が部活をやっているのは何故か、機会損失ではないか、といった疑問を抱いた部員は少なくないと思うし、もし考えたことない人がいれば今一度考えて欲しい。


既存の価値観の分解と新たな価値観の再構築


辞めるのであれ、続けるのであれ、その判断は価値観の再構築であり、その後の生活に新たな意味を与える。漫然と過ごすよりよっぽど。


人生だなんて大それた話だけではない。たとえばプレーの一つをとってもそうだ。


ボールを受ける準備、受けた後の判断、思い描いたプレーの実行、そのそれぞれに癖がある。


走る動作もそうだろう。基礎的な動作であるが、改善の余地がほぼないと言える人はどれだけいるだろうか。


今の自分のプレーに、動作に疑いの目を向け、分解し、悪いところがあればより良いものに取り替える。そして次のプレーや動作を再構築する。


これが成長するということなのだろうが、そんな簡単にいかないことは想像に難くない。


そもそも悪い癖があったとして、それを直すべき癖だと認識することすらできないことも多々ある。1人であればなおのこと。


これに関し、最近弊部ではslackで個人のチャンネルを作り、そこでその人のプレーを批評している。


前から一緒に動画を見て批評しあったりはしてたが、改めて場を設けたことにより前より要求は増えたし、文字や切り取った映像として残るから振り返りやすい。


みんなで書き合う動画付きサッカーノートといったところだ。


自分では気づけなかったことや、恥ずかしながら目を背けていたことにも注文がつく。練習前や試合前にその指摘を確認してプレーに臨む。


先日の試合中、仲間から指摘されていた癖が頭によぎり、それを修正して得点への流れを作ることができた。その指摘してくれた彼、そして今まで指摘してくれた皆に今一度お礼を言いたい。ありがとう。


動作についても勉強熱心なフィジカルコーチがユニークなトレーニングをたくさん紹介してくれている。まさに既存の考えを分解して新たな考えを再構築してくれている。ひたすらに尊敬と感謝。ありがとう。








さて、このタイミングで価値観云々の話をするには少し触れておきたいことがある。


一年と少し前に、私たちの常識、習慣を粉々に砕いた出来事が起こった。


世界中を覆う恐怖。


このような世の中が来るなんて、きっと多くの人は思っていなかっただろう。


弊部も活動制限を余儀なくされた。サッカー部にいてサッカーができない未曾有の事態に陥った。




既存の環境は破壊された




いつ再開できるかわからない。いや、そもそもいつ街に出られるかさえわからない。




サッカーができない。誰にも会えない。閉塞。




そんな苦しい中であったが、再開に向けて努力してくれていた部員達もいた。感染症対策を考え、段階的計画を立てて大学と交渉を行ってくれていた。


他にも、支援をして下さったOBの方々、スポンサー企業の方々、他の運動会の部活、協力する各部員等、あらゆる人の努力おかげで、私達はこの時代に適した環境を再構築し、サッカーができるようになった。


月並みな言葉だが、一度失ってようやく気づいたのは、この環境は決して当然のものではないということ。


この状況で既存の考えは通用しない。色々な方々の支援を頂きながらも、自分達で取り戻しにいくしかない。環境が与えられるのを待っていたら再開は遅れるばかりであっただろう。


そして時に"自分達"は"自分"とならなければならない。"自分達"と組織全体が一致するとは限らないのだから。
あの時のあいつの涙は忘れられない。


またご支援に関して、以前から「練習できることに感謝しよう」といったことは言われていたけど、恥ずかしながらここまで感謝を実感したことはなかった。どこか日常であり、当然のものとして享受していた。そこに疑いを持つことはできなかった。


しかしこれを機に、今ある環境を当たり前と捉えるこの愚かな惰性は自然と崩れ、少し広がった視野の下新たな価値観を持つようになった。


この感謝は再開への支えに対してだけではない。OBはいつでもア式を支えてくださっていて、最近ではスポンサー企業のご支援も頂いている。コーチや監督、スタッフは練習環境を整えてくれ、プレイヤー部員は刺激を与えてくれている。そして両親はいついかなる時も常に自分を応援してくれる。


今の自分を支えてくれるあらゆる人達に対する感謝の気持ち。


綺麗事ではなく、他人から言われたからでもなく、真に湧き上がってくる。


この場をお借りして厚く御礼申し上げます。


この環境でサッカーができて幸せです。











電車が駅に着き、停車する


雄弁を振るった彼らの姿は春風とともに消え、空いた座席に私は座った


少しして遅れてくる駆け込み客が来たが、電車は無慈悲にも扉を閉め、時刻通りに動き出す
 

ホームを抜け、またふと外を眺める


遠くから見てもわかる程緑になり過ぎた桜が見える


葉桜へと移りゆくその姿は儚くも力強い


乗り換え駅まではあと少し




4年 田中秀樹

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