優しい世界

 何を書こうか
もう引退するまで書くことはないだろうと余裕こいていたから、書く内容なんて少しも考えていない
feelingsは書きたい人が書きたい時に書けばいいと前々から思っているが、僕の想いが届くことはなく、というか意見すらしていないのだが、僕の中ではある種課題のような存在感がある(滞納すると重い罰があるんです)
今回もまた、やらねばならぬという思いで書いている

ありきたりな内容になるけど最近思ったことを文章にしよう



面白いと思える学問に出会えて、その研究ができる研究室に配属することになって、今までとは違う生活になろうとしているが、今後も自分はア式でサッカーを続けていく
何が言いたいかっていうと、ア式は自分にとって欠かせない大事なもの、大好きなところだということ
新しいことを始めるとそれまでやっていたことと比較してどっちの方が大事かとか考えちゃいがちで、それは意識していなくても無意識のうちに選択が行われていて、その比較基準は楽しさだったり満足度だったり人によってそれぞれ違っている
「新しいこと」と言っても、「新しい」のは自分にとってのみであり、「新しいこと」をしているコミュニティに飛び込むというのが大抵の場合であると思う
その場合は、比較基準をコミュニティに属する人々に持ってくることもあるだろう
勘違いだと言われればそうであるが、この人たちと話すのが楽しいからこっちの方が大事だというのもアリである
いるだけで楽しいコミュニティなんてそうそうないし、そういう場所があるっていうのはすごく幸せなことだと思う

新しいことを始めなくても大事なことが増えていくこともある
増えていくというよりは、より大事になっていくと言うのが正しいか
やりたいことが形になってきたり、上がり調子だったり、そういうことがあるとより大事になっていくように感じる
逆もまた然り
失敗したり、調子が悪かったりするとマイナス方向に向いてしまう
それでも大事さが変わらないのが本当に好きなことなはず

それでもモチベーションを保つのって難しい
本当に好きなことでも、調子が悪いと滅入ってしまうなんてのはよくあることだ
めげずに頑張れる人もいればそうじゃない人もいるから、一様に頑張れと声をかけるのは他者からの働きかけとしては効果的じゃない
結局、上昇の起点になるのは自分の行動なのだから、自分でどうにかするしかない、これもなんか違う気がする
一番辛いのは起点が見つかるまでの間
何が正解かもわからずに淡々と模索し続ける、状況が違えば楽しく思えることもあるだろうが、ここでは自身のモチベーションが低い時を想定しているので、辛いことは言うまでもない
自身の経験でもあるが、そんな時にちょっと褒めてもらえたり、前向きな言葉、それもあまり強すぎない言葉をかけてもらえた時は、嬉しかった気がする
あまり考えすぎない方がいいのかもしれない
他人の複雑な心情のことなんて考えてわかるものじゃないから、人として優しさをもって接することができれば、例えその人の心傷回復のための一助とはならなくても、更に落ち込むことは無くなるはず


少し脱線した
本当に好きなことは、自分の中の揺るがないところにあるっていう話だった
では好きなこと、やりたいことがいくつもあったらどうなるんだろう
揺らぐはずのなかったものが揺らいでしまうのかもしれない
両立できたらそれに越したことはないけど、両立できないと知った時、人はどれほど悩むのだろうか
これまた人によりけりではあるが、辛い選択を強いられることもあるはずだ
僕はまだ経験したことがないけど、もしそんな時が来たら後悔しないようにしたい
そんなの無理に決まっていると思われるかもしれないが、もちろん一人では無理である
周りの人の支えが必要だと思う
大分大雑把な言い方にはなってしまうけど、例えば、捨てた選択肢にもう一度帰ってこれるような環境を作ってあげるだとか、選択した道を応援してあげるだとか、そういう支えが後悔しないためには必要になる


誰に向けて書いているのかわからないと思うだろうが、特定の誰かに向けて書いているわけではなくて、これを読んだ人が、大事なものを守るために、少しでも周りの人に優しくなってくれればいいなと思っている



自戒を込めて
4年 松山樹立

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