考えること

板倉涼(1年/DF/洛南高校)


東大ア式蹴球部1年プレイヤーの板倉涼です。ア式の皆は自分のことをイジられキャラの(イジっても良い)関西人くらいにしか思っていないと思うので、このfeelingsを通じて自分のことを少しでも知って貰えたら嬉しいです。自分が普段何を考えてサッカーしているのか、自分はどういう人間なのかなどについて、これまでの経験を振り返りながら書いていきたいと思います。


サッカーを始めたのは保育園の先生に教えてもらったのがきっかけだった。ベコベコのボールで友達や先生と遊んでいた記憶がある。その後小学生になり、地元のサッカークラブに入団する。そのクラブは弱小チームで試合にも負けてばっかりだった。とはいえ、プロ選手への憧れは子供らしくあったし、いつか自分もこうなるんだとぼんやり夢を抱いていたからボールを蹴ることは辞めなかった。


中学受験を経て洛南高等学校附属中学校に進学し、サッカー部に入部する。中学も大して強くなく、サッカーを深く学べる環境ではなかった。だが自分には自主性があった様で、自分なりに戦術について調べ、考え、チームメイトと議論し、ピッチ上で表現していくようになった。その過程はとても楽しく、自分もチームも日々成長していく実感があった。下手くそだったけど、サッカーをするのはずっと楽しかった。もっと上手くなりたい。もっとサッカーのことを深く知りたい。そう思って高校でもサッカーを続けることにした。


そして洛南高校に進学し、サッカー部に入る。洛南高校は陸上やバスケ、バレーといった全国クラスの部活をはじめとして、多くの部活でスポーツ推薦を取っている。そんな中サッカー部も推薦を取るが、他の部活と限られた推薦の枠を分け合うこともあり人数は少ない。自分の代はスポーツ推薦5人、勉強クラス2人(自分含む)で、入部当初は3学年で26人と少人数のチームだった。そのためカテゴリーを分けることはなく、3月中旬の入部直後から2、3年生たちと混じって練習することになった。


ここで自分は大きな挫折を経験することになる。


まず、フィジカル面で全くついていけない。ついこないだまで中学生だった自分と、きちんとトレーニングを積んだ上級生の間には簡単には埋められない大きな差があった。それだけではなく、スポーツ推薦の同級生と比べると技術的にも劣っていて、チームの中で自分1人だけ見るからに悪目立ちしていた。ミスを何度も繰り返し、入部して時間が経つにつれプレー中に上級生から怒られることも増えてきた。(設定する練習はハードだったけど、監督は選手想いの人格者で練習中怒鳴ることは滅多になかった。その代わり上級生が怖かった。)それでもなんとか必死に食らいつこうと、中学の時と同様試行錯誤しながら3月、4月、5月と無理矢理にでも部活に通った。


しかし、6月に差し掛かったある日、心が折れる。今でもはっきりと覚えている。IH予選に負け、3年の勉強クラスの先輩が引退したすぐ後だった。ダブルボックスくらいの大きさの3vs3の練習だった。全部で3コートあって、勝ち負けに応じて1回ごとに昇格や降格がある仕組み。1番上のコートはGK付きの大ゴールでゲームが出来るが、下の方のコートになるとミニゴールやコーンのゲートが置かれる。今までこの練習をするときは1年生だけのチームを組んでいたが、今回は初めて1年生も全体に混ぜてチームを組んだ。つまり、自分は上級生たちと同じチームになった。当然自分はチームの足を引っ張った。ただでさえしんどいゴール前の3vs3を、3分間×6回×3セットもやるのだ。フィジカルでも技術でも劣る自分にはどうしようもない。だんだん足が動かなくなってきた。疲れ果て、プレー中にも関わらず両膝に手をつく。やる気ないなら帰れよと怒られる。何度もボールを失い、自分のせいで負けて降格する。先輩が苛立っているのが伝わってくる。ア式みたいにボールを集めてくれるスタッフはいないから、90秒という短いレストの間にプレイヤーがボールを集めなくてはいけない。なのに、自分は両膝に手をつく。先輩はボールを集めているのに。自分のミスのカバーに疲れ、ボール拾いをしていた先輩が来て言った。


「お前プレーで何も出来んくせにボール拾いすら出来なかったら何が出来んねん」


その時、何を言われてもなんとか耐えて来た自分のメンタルが限界を迎えた。何故か内心冷静に「なんでそんな酷いこと言うん?」「そんなん言われたら流石に心折れるわ」とか思った。呆然として何も考えられなくなり、ただ練習が終わるのを待った。


その翌日から、熱を出して10日間ほど寝込んだ。今まで無理していたこともあって心が折れたダメージは大きく、いわゆる燃え尽き症候群になった。自分が何のためにサッカーをしているのか本当に分からなくなった。ミスをして怒られた記憶が何回もフラッシュバックして苦しかった。中学の頃チーム皆で試行錯誤して楽しかったサッカーが、いくら頑張っても上手く行かず、ただ怒られるだけのものになって、全く楽しくなくなっていた。涙が止まらなかった。明日が来てほしくなかった。もうどうすれば良いのか分からなかった…。余談だが、この時梨泰院クラスを一気観した。自分とは比べ物にならない逆境から這い上がっていく主人公は本当に格好良くて、自分もこんな人間になりたいと素直に思った。このドラマのおかげでまた頑張ってみようかなと立ち直ることができた。(今でも試合前にはドラマの主題歌をよく聴きます。I can fry the sky~のやつです。それこそ東大入試の日の朝にも聴きました。)


なんとか部活を辞めずに済んだ自分は、無理しすぎてまた寝込まないようにということばかり考えて練習を続けた。怒られないで済むし、何も考えなくていいからこの時期は走りの日が1番楽だった。しばらくしたらようやくチームに馴染んできて、だんだん怒られることも減ってきた。


クソ暑い京都の夏が過ぎ、秋になった。そして選手権予選、対京都橘戦を迎えた。京都府ベスト4を賭けた試合で、太陽が丘で行われた試合にはたくさんの観客がいた。全国大会常連の京都の強豪校相手に、押し込まれているとはいえ互角の試合。前半を0-0で折り返したが、後半に力の差が出て0-2で負けてしまった。ベンチから一生懸命奮闘する先輩達を観ていると、初めは怖くて嫌いでしかなかった先輩達がとても格好良く見えた。口は悪かったけど、彼らはただサッカーに真剣で、尊敬できる人たちだった。試合後のmtgで、いつも優しい監督がこの試合に勝ちたかった、お前らと全国に行きたかったと悔し涙を流しているのを見て、いつかこの監督を全国の舞台に連れて行ってやりたいと思った。しばらくしてリーグ戦が終わり、3年生は引退した。


新チームが始動してしばらくして3月になり、新1年が入部した。人数が少ないという理由で試合に出れていた自分はすぐポジジョンを奪われた。怪我もしていたけど、スポーツ推薦の後輩に比べて自分はシンプルに下手だったし、強度も足りなかった。だがその時自分はそのことを受け止められず、試合に出してくれないことに不満ばかり募らせていた。はっきり言って腐っていた。


試合に出れないまま6月になり、リーグ戦で東山B と対戦した。0-7の大敗。この時自分は衝撃を受けた。


全てにおいて、東山は洛南のレベルをはるかに上回っていた。
パスの質、アプローチの速さ、全体のスピード感…どれをとっても段違いだった。自分みたいに腐ってる選手は誰1人おらず、自分より何倍も上手い東山の選手が、自分より何倍も真摯にサッカーに取り組んでいた。彼らのレベルの高さというより、自分のレベルの低さ、特にサッカーに対する意識の低さを突きつけられショックを受けた。


今まで自分は彼らの様に努力していたか?


今まで自分は一体何をしていたんだ?


この日、サッカーの解像度が一気に上がった。今まで適当に流していたプレーにこだわり、細部にまで意識を向けるようになった。普段の練習で出来ないことが試合になって急に出来る訳が無いと考え、日々の練習を大事な試合と同じ緊張感で、高い基準でこなすようになった。このプレーは試合で通用するものなのか?このミスは試合で許されるものなのか?今まで他人に向いていたベクトルが自分に向き始め、チームで1番下手だという現実を受け止めるようになった。そんな自分が試合に出るにはどうすれば良いか?


自分なりに調べ、考えた結果、原理原則の徹底という答えを出した。すなわち、誰にもできることを、誰よりもやること。当たり前のやるべきことを、高い意識でやること。


例えば、
DFラインをコントロールすること
正しい位置、正しい枚数でリスク管理すること
前線から献身的にチェイスすること
ボールを持つ相手に素早くアプローチすること
球際において粘り強く戦うこと
0秒で切り替えて即時奪回すること
浮いたボールはヘディングで競ること
ダッシュでゴール前のスペースを埋めること
ゴール前のボールは明確に弾き返してクリアすること
最後は絶対に体を投げ出してシュートを打たせないこと
などといったサッカーの基本を一つ一つ意識し、徹底するようにした。


この姿勢が功を奏し、夏頃から右SHで出場機会を得て、スタメンに起用されることも増えていった。大した武器を何も持っていないくても、身を粉にして走り回ることでチームに貢献できるのは嬉しかった。とにかく走って潰す。それが自分のプレースタイルだった。
3年生になり、SBとしてプレーするようになった。2年生の頃とは違い、自分に与えられた役割が増えた。プレスやブロックを主導すること、リスク管理、そしてビルドアップ…。自分はあまり上手くなれず、どれも中途半端なまま5月末に引退した。
結局、最後まで全国はおろか、2つ上の代の結果(京都府ベスト8)を越すことはできなかった。
受験勉強をしている間もサッカーのことが心のどこかに引っかかっていた。守備の部分は高校で良くなったかもしれないが、攻撃の部分、特にビルドアップは下手くそなままだった。やっぱりもっと上手くなりたい。上手い選手がどんな景色を見ているのか知りたい。中学生の頃、高校サッカー部に入ることを決めたのと同じ様な理由で、僕はア式に入ることにした。


このfeelingsを書くまで、自分は自分自身のことをチームのために走り回って貢献する献身的な人間と捉えていた。しかし、こうして自分の経験について振り返ってみると、どちらかというと自分の本質は「考えること」にあるのかもしれない。


アオアシでも主人公の葦人が「考える」シーンが何度も出てくる様に、サッカーの上達には「考える」ことが大切なのだろう。自分は、中学で身につけたやり方を一度は完全に破壊し、高2になって逆境のもと気付きを得て、新しいやり方を身につけた。今後もこの試行錯誤する姿勢は大切にしたい。それでいて、たとえいくら上手くなったとしても、チームのために身を粉にして走り回り、貢献する姿勢は忘れないでいようと思う。


人としても、選手としても成長し、いつか自分のサッカー人生を誇りに思える日が来ることを願っています。

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