死んだ試合を死なせたままにしないでほしい


I. はじめに

4年生の卒部feelingsラッシュの最中にしれっと登場させていただいてます。feelingsを書こうと思った理由は、僕がこの1年間わりと真面目に育成チーム(東大サッカー部のBチーム)の指導を頑張ったからだ。考えたことはアウトプットまでした方がいいって就活のとき読んだ本によく書いてあったし、いい機会なので1年間考えていたことを書いてみようかなと。僕はなかしんvlogのような個人ブログをやっていないので、図々しくこの場をお借りした訳である。





II. 始まり

確か最終節を日曜日に迎える週だっただろうか、内倉から来年の育成チームのコーチをしてほしい旨を正式に伝えられた。それ以前から、なんとなく自分はコーチをする流れになるのだろうなと察してはいたが、はじめからめちゃくちゃ乗り気だったわけではない。というのも、歴代のOBコーチの方々を見ていれば容易に想像できる通り、コーチはとても大変だ。1週間のテーマを決め、練習メニューを考え、練習後に選手とコミュニケーションをとり、翌日の練習メニューを決め、試合のメンバーを決め、練習と試合の映像を見直し、時には選手と一緒にビデオを観る。もしかすると選手のとき以上に時間とエネルギーを、自分のためではなく他人のために使わなければならない。自分という人間が極めて利己的だということを認識していただけに、生半可な気持ちでは務まらないと分かっていた。



そんな中、コーチを引き受けようと思った理由は主に二つある。

一つ目は、4年目でようやく掴みかけたサッカーが上手くできる感覚を、他の選手たちにも応用できるか試してみたかったから。これは言い方を変えれば、自分は選手を的確に導ける自信が多少あったからと言える。凡庸だった選手が、4年はかかったが、頭で考えたことをそれなりにプレーで表現できるようになった過程を、上手く言語化して伝えることができれば、どの選手も例外なく上手くできると思っていた。



二つ目は機会獲得。これからの人生の中で、サッカーチームを率いる経験は、普通に就職して普通に生きていればおそらくできないだろう。人工芝のグラウンドを持ち、同じ志を持って週6回集まってトレーニングするような、環境の整ったサッカーチームを指導できる機会は、選手としてのプレー機会と同様に滅多にないと思った。今までしたことのない新しい経験ができるかもしれないという好奇心もあり、引き受けてみようと思った。こんな経緯で自分は指導者をする決断をしたわけだ。





III. 気づかなかった多くの間違い

新チームの始動から冬オフに入るまでの11月〜12月、年明けの始動からコロナウイルス感染拡大による部活動中断までの1月〜3月は、自分はあまり正しい指導者をできていなかった。そして恥ずかしいことに、そのときは気づかなかった。細かな間違いはたくさんあったが、大きなものは二つ。



一つ目は、自分と全く同じ成長過程を選手に求めすぎたこと。僕がコーチを引き受けた理由の一つ目と通ずるものでもあるが、自分にとって間違いないと信じて疑わなかった考え方を、そのまま指導に当てはめた。僕が選手として上手くいかなかった時期にトンネルを抜け出すことができたきっかけは、相手のことをめちゃくちゃ見ることだった。相手のシステムはこうだからここが最初から空いていて、ここが閉じられたらあそこが空いてという構造をしっかり理解する。これらをピッチ上でどこを見てその判断を下すのか、生まれた選択肢をどう選ぶのか、を自分なりに整理してピッチ上で実践してみることが、僕にとっての解決策であった。これはどんな病気も治す万能薬だと、当時の自分は思っていた。



指導の結果を示す一つの指標であろう新人戦の結果はぼろぼろだった。できるだけ噛み砕いて分かりやすく伝えたつもりなのに、なんで実践してくれないんだろうと、そのときは選手を突き放してしまった。構造をきちんと理解させようと自然とポジショナルプレーの練習が多くなってしまい、選手個々人が抱える真の課題を全く知ろうとしていなかった。



僕がやっていたことは、たくさんの場合分けがあるうちの一つの場合の解決方法を、全ての場合に当てはめようとしていた愚行だった。自分が思っているよりも、この場合分けは幾パターンもある。育成チームの場合はなおさら多い。その中で一番根本的な問題にアプローチした指導ではなかった。



二つ目は、選手たちに「自分から聞きに来い」と伝えたことだ。選手は、上手くいっていないときはどうしても閉鎖的になる。逆に、上手くいっているときはどうしても盲目的になる。そういう生き物だ。だから、指導者が気づいたちょっとしたこと、これくらいは選手自身も当然分かっているだろうと思うことでも、実は気づいていない。頭では分かっていたとしてもプレーしているうちに意識できなくなってしまうことなんて山ほどある。「察して」は通用しない。



僕が1年生のシーズンの最後のTRMで、自分のパフォーマンス自体は決して悪くなかったが、とてもモヤモヤしていた。自分がこれからどういう選手になっていけば将来的にトップチームに必要とされる選手になれるのかが全く分からなかった。頭の中は混乱していたけれど、コーチに何かを聞きにいこうとは全く思わなかった。僕のような無駄にプライドがある人間は尚更である。自分で何とかもがいて考え抜いて答えを出そうとしていた。そんなときに自分に声をかけてくれたのは当時のOBコーチの嶺さんだった。声をかけられた瞬間色んな感情が爆発して訳の分からない大泣きをしたことは置いておいて、こういうときに声をかけられるコーチにならないといけない。



自分の頭で考えて導き出した答えは自分の頭の中の域を出ない。そういう状況に陥ってしまいそうな盲目的もしくは閉鎖的な選手には、コーチから話を聞きにいくべきだ。全体集合で皆に訴えかけても何も届かない。極めて当たり前のことだけど、自分にはできていなかった。





IV. アンケートと自粛期間で考えたこと

3月下旬、コロナの感染拡大により部活の中断が決定した。漠然と指導が上手くいっていない感覚があった中で、なんとなく自分のコーチングを客観視したくて、育成コーチの指導に関するアンケートを実施した。これが想像以上に僕にとっては意味のあるものになった。



“チームとしての原則をやる練習が多い印象があり、ア式のゲームプラン的にはそれが良いのは分かるが、育成の場合もっと個にフォーカスした練習もしていいのかなと思った。”


“もっとプレー中にはっきりと良いことと悪いことをフィードバックしてあげて欲しい。プレーが切れてから、集合になってから、じゃ思ったより伝わらない。”


“もうちょっと選手との相互のコミュニケーションがあって良い。練習後にOBコーチ陣だけで固まって喋ってるなら、選手とコミュニケーション取る方が有意義だと思う。”


“スタッフです。チームが死んでしまった試合になってもコーチはなんらかの声をかけて欲しいです。死んだゲームでも、良いプレーは出ます。チームのためにもっと走るよう、叱咤激励することだって出来ると思います。やる気が無いように思える選手がピッチにいるならやる気を引き起こす方法を考えるのも、コーチの役目だと思います。「やる気なんて本人しかどうにもできない。そんなことまでコーチに頼るなよ。もう大人だろ。」てのは自分も思いますが、それでも選手のやる気を引き起こす方法を考えて欲しいです。自分は死んだゲームでコーチが黙ってるのがあまり好きじゃないので今回こういうことを言いました。”



とても刺さった。コーチというのは立場上どうしても自分の言動が正しいと思ってしまいがちだなと改めて思った。突きつけられたのは、「自分は本当に選手と同じ方向を向けているか?」ということ。指導始めてすぐのときは、自分が選手としてピッチ上で感じ取っていた感情を忘れずに、選手視点での指導を心がけていたつもりだった。



ただ、時間が経つにつれその意識は薄れていった。選手たちが悩んでいることを真剣に考えて、それなりに時間をかけて練習メニューを作り、実際の練習に落とし込んでいく。しかし、考え抜いて作り上げた練習でも、低レベルなミスが連発したり、求めていることを選手が理解してくれなかったりすると、有意義な練習にならないことが往往にしてある。普通に腹立つし落ち込む。こんなことが何回か積み重なると、いつしか心のどこかで、「自分はこれだけやってあげているのに、どうしてやってくれないの?」と、とても利己的で傲慢な考えを抱くようになっていた。



このアンケートではっとした。自分が選手だったとして、少なくともこんな指導者の元で練習していても絶対に上手くならないし、何よりサッカーが絶対に楽しくない。せめてコーチとして振る舞う時間だけは、利己的な人間はやめようと思った。練習が上手くいかなかったのは、メニューの作り方や声かけの仕方など、自分が支配できる要素に原因を求めるようにした。



活動自粛期間が明け、活動再開前の全体ミーティングでは、選手のサッカーにかける熱量の大きさを改めて知る機会となった。育成チームが当面の間全体トレーニングができないことが決定したときの、内田の演技まがいの大粒の涙を見て、大げさだけど自分は彼らの大切なサッカー人生を預かっているのだと思った。育成チームにとっては難しい時間を過ごすことになったが、僕にとっては幸い自分の考えを改める良い機会になった。「彼らを成長させる。何より、サッカーを楽ませる。そのために必要なことを考えよう。」と。





V. 選手一人一人と向き合う

育成チームも段階を踏んで活動が再開していった。少人数でのグループ練習も今振り返ると懐かしい。できることは限られていたし、B3グループではリキがいっぱい遅刻していたけど、選手にとってできるだけ有意義な時間になるように、少しでも成長できるようにと考えていた。



育成チーム全員での全体練習が再開した。こんな感じのこと色々考えているうちに、全体練習に対する考え方がコロナ中断前とは少し変わっていた。トップチームのように、チームとして勝利を目指す、チームとして各局面で相手を上回ることが目的であれば、全体トレーニングは最重要議題だ。ただ、育成チームの場合は少し異なる。とても極端に言うと全体練習で育成の選手は伸びないと割り切るようになっていた。全体練習を手を抜いていたわけでは決してない。直前の練習試合で露呈したある程度チーム全体として共通する課題をテーマに設定し、練習メニューを作り、いい雰囲気で練習をするプロセスの質にはもちろんこだわっていた。ただ、育成チームにとってもっと大切なのは、選手一人一人にどういう声かけをするのか、選手個々人に短期・中期・長期的にどういうことを意識させるのか、ということだ。だから、他の3人の育成コーチは自然とできていたことだけど、練習前後の選手とのコミュニケーションの時間が、全体練習よりも実は大切な時間だったりする。「全体練習で言ったから、やってほしいことは分かっているでしょ」というスタンスは捨て、選手一人一人としっかり向き合うようにした。





VI. 育成チームの公式戦

シーズンの終盤に差し掛かると、サタデーリーグと国公立大会の開催が決定し、育成チームにもチームとしての目標ができた。チーム全体としての振る舞い方を整備し、いよいよ待ちに待った公式戦に臨む。



サタデーリーグ

10月31日(土)

1回戦 vs玉川

●2-2(PK 1-4)


今季初めての公式戦。通常なら約10チームで総当たりのリーグ戦を行うが、今年はコロナの影響で一発勝負のトーナメント方式となった。結果は一回戦敗退。


前半は会心の出来だった。長短のパスを織り交ぜながら攻撃を組み立て、相手に的を絞らせない前進ができた。セカンドボールもよく拾えていたし、守備も集中していた。狙っていた前進の形からストライカーが2点を奪い、2-0で折り返す。玉川の監督のおじちゃんも困惑していた。しかし、後半に2失点し、延長ではスコアは動かず、PK戦で敗戦。


これだけ内容も結果も素晴らしい前半を過ごしただけに、指揮官としてこのゲームをモノにできなかったことに落胆した。ハーフタイムになんとなく緩い雰囲気が漂っていたこと。後半ボール保持時のDFラインの位置が低くなったこと。右SBを前半同様に大胆に高い位置に置けなかったこと。負けてから振り返ると分かるいくつもの伏線をその瞬間に潰せなかった。監督として自チームを勝たせることは難しいし、だからこそ面白い。新人戦のときとは異なりその面白さに気づくことができたのは、選手を突き放すことなく選手と同じところを目指していたからだと思う。



国公立大会

11月15日(日)

グループリーグ第1節 vs横浜国立

△3-3


11月21日(土)

グループリーグ第2節 vs東京学芸

●0-1


12月5日(土)

3位決定戦 vs一橋

○7-3



それぞれの試合のレビューをすると大変なことになってしまうので割愛。4-2-3-1、5-3-2、4-1-4-1と、全試合異なるシステムで臨んだ。正直これは、自分が貴重な監督擬似体験ができる今のうちにいろんなことやってみたかったという個人的な嗜好が存分に入っていた訳だが、結果的にはとても良かったと思う。選手たちの中で、ピッチを眺める眼や試合中の適応力は目に見えて向上したし、システムを整備する1週間でいろんな話もできた。



当然慣れないシステムを1週間で仕上げて週末の試合でハイパフォーマンスを発揮することは難しいわけで、育成チームも例外ではなく、木曜の紅白戦の時点では散々な内容のことも多々あった。しかし、どの試合でも選手たちは役割をしっかり理解してピッチで堂々と表現してくれた。やはり選手は公式戦の緊張感の中でプレーすることでより一層成長する。公式戦を通して、頼りなかった1年生どんどん頼もしくなったし、上級生もプレーと声でチームを牽引してくれた。結果を出せなかったという意味では悔しかったが、選手たちの成長を実感できる場面と得点シーンを数多く目にできたことは素直に嬉しかった。





VII. 終わり

農グラでの紅白戦を最後に、育成コーチとしての任期を終えた。1年間を通して考えていたことをダラダラと書かせてもらったが、選手のときには抱かなかった感情をたくさん経験した。



自分が選手たちにどれだけ良い影響を与えられたかは正直分からない。少しでも上手くなるきっかけを掴んでいてくれていたら、少しでもサッカーを楽しいと感じてくれていたら、それほどに嬉しいことはない。ご覧の通り至らない点がたくさんあったが、一年間共にサッカーをしてくれた部員たちには感謝したい。



槇さん、ともひさん、なかしんにはとても感謝している。頑固でこだわり強めだったと思うが、皆上手に扱ってくれたと思う。四者四様、性格も考え方もポジションも違う4人だったからこそ創り出せたハーモニーだった。選手一人一人への濃密な個人指導、なんか知らんけど的中する試合中の采配、休みたいときに休めるフレキシブルな働き方は、まさに4人いたからこそ成せた業。最後の集合で言ったけど、1年間を通して育成チームのことを4人でとことん議論した。今となってはあの時間が懐かしく、少し恋しくもある。4人で山田の悪口を言うことがもうないと思うと寂しい。



最後にコーチという役職について少し。なんとなく指導者って皆やりたくならないものだと思う。僕も下級生のときは特にそうだった。ただ、たかがサッカーの指導にすぎないけれど、自分にとってはとても有意義な一年になったことはここで強調しておきたい。選手を引退したOBに限らず現役部員を含めて、いろんな人に指導者を経験してみてほしい。そしてぜひ話を聞かせてほしい。





これで本当にア式は引退。長い間お世話になりました。





小っ恥ずかしいfeelingsを書いてから約一年が経った。4年生のfeelingsを読むのはやっぱり楽しい。これから出される超大作も期待して待っていよう。





OBコーチ 細井


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