ラブレター


習慣っていうのは急には変わらない。

練習が終わって、シャワーを浴びて、10時ごろから晩御飯を食べる。そんな生活を4年も続けたせいで、今でも晩御飯の時間がつい遅くなってしまう。もう何も食べずに寝ようとも思うが、心の中のボディビルダーがそれを許さない。

ボディビルが好きだという気持ちに変わりはない。それでも引退して少したった今、結局はサッカーが一番好きなんだと感じる。

そしてそう感じていることに安心する。
今シーズンはサッカーが嫌いになりそうな時期もあったし、サッカーから離れようとも思ったから。





5歳の時に周りに合わせるようにサッカーを始めた。その頃はサッカー教室が終わって、みんなは試合をして遊んでいる隣で遊具で遊ぶ方が好きだった。それでもいつからかサッカーに夢中になっていた。小学校の休み時間にはずっとサッカーをしていた記憶がある。10分でも時間があるとボールを持って校庭に走った。

中高でもでも迷う事無くサッカー部に入った。練習が週に3日しかなく、練習試合もほとんど無かった。ただ制限されていたからこそ、余計にサッカーが好きになったのかもしれない。
高校1年生のある練習の後、東大サッカー部の部員の方がパンフレットを配りにグラウンドに来ていた。そこで初めてア式を知った。人工芝のグラウンドで週6回の練習があり、リーグ戦を戦い、練習試合も毎週行う。そんな恵まれた環境に憧れを抱いたし、東大に入ることが出来たら、ア式に入ろうなんて考えていた。

ア式の練習に初めて参加した時の事は今でも鮮明に覚えている。
暗くて寒い御殿下で、怖い顔をしたぶっきらぼうな人と対面パスをした。後にその人がなかしんさんだと分かった。そして4人組のメニューで怖い顔でイライラしている人がいた。よしくんだった。 

気がついたらボート部に入部していた。大学スポーツならではの暖かい勧誘と、豪勢な新歓コンパに押された。
サッカーは趣味で続けていこうと思い、高校生の頃からやんわりと憧れていたア式に別れを告げようと、最後のつもりで練習に参加した。途中で接触し捻挫してしまい、練習には少ししか参加出来なかった。それでも気が変わるのには十分だった。やっぱりサッカーは楽しかった。
5日程でボート部を退部してア式に入った。受験勉強で丸くなって、あまり動けていない西雄太が入部を決めていたというのも少しある。

こんな感じで入部を決めたが、やるからには公式戦に出たいと思った。

ア式での1年目は、恵まれた環境で毎日サッカーが出来ることが新鮮で刺激的だった。

ア式での2年目。トップチームが勝ちを積み上げるなか、全然勝てなかった。当時はサッカーのことをあまり知らなかったし、どうすればいいかも分からなかった。シーズン序盤は個人的に調子は良かったが、それも上手くいかなくなった。本当に何も上手くいってなかった。それでも筋肉は裏切らなかった。何かを変えたいと思って筋トレに本気で取り組んだ。筋トレはやった分だけ成果が返ってくる。何も上手くいかない時期に出会ったからこそ、これほど自分の中で大きな存在になったのかもしれない。

ア式での3年目。序盤は前のシーズンの勢いそのまま勝てない時期もあった。それでもOBコーチの熱心な指導のおかげもあり、勝つ試合も増えていった。筋トレの効果も出始めたし、体が大きくなったことで自信もついた。今年こそは公式戦に絡みたいと思っていたし、当時行われていた面談で槇さんにもそう伝えたことを覚えている。そしてセカンドの試合に初めて呼ばれた。ずっと目指していた公式戦の舞台に近づいている事が嬉しかったし、プレーに関しても何か掴めそうな感覚があった。

しかしその翌週に怪我をした。奇しくも何かを変えたいと励んだガムシャラな筋トレにより、股関節が硬くなっていた事が原因だった。成長出来ているいい流れが途切れてしまうのが嫌だったし、少しぐらいの痛みなら我慢しようと思ったが無理だった。次に練習試合に復帰できたのは4ヶ月以上が経った後のことだった。MRIを撮って全治半年と伝えられた時は絶望した。勢いのある一年生が入部し、成長を続けるチームを外から見ている事しか出来ないのが苦しかった。

ようやく復帰できた時には、離脱していた期間を取り戻す事と、1年と数ヶ月という残された時間の少なさに焦っていた。上手くやろうとする事に必死で、あまり成長できていなかったと思う。ア式での失敗の1つだ。育成チームでは実力の差はあまりないし、序列も調子によって決まる事も多いと思う。それなのに成長ではなく、試合に出ることだけが頭の中でいっぱいになっていた。上手く見せようと確実にできるプレーばかりを選択していたと思う。育成では試合に出れていたし、代替わりのタイミングでAにあげてもらえたが、Aでは通用しなかった。

ア式での4年目。落ち込んだ気持ちでプレーをしていた。そんな時期にコロナの影響で部活は活動休止となった。この期間で落ち込んだ気持ちをリセットする事ができた。そして練習が再開したタイミングでまたAにあげてもらえたが、また育成に落ちた。

活動休止前は落ち込んだ状態でプレーを続けてしまったし、準備が出来ていない事は分かっていた。それでも、焦って成長していなかったこと、怪我をしたこと、何かを変えようと筋トレをしたこと、何もかもが間違っていたように思えて、これまでの努力、やってきた事の全てが否定された気がしてしまった。

OBコーチからは、「まだ大丈夫」「諦めるな」と声をかけてもらったが、心は折れていた。ア式を辞める事も考えた。それでも今サッカーから離れてしまうと、サッカーを嫌いになってしまうと思った。それだけは嫌だった。サッカーが大好きだったはずだから。サッカーが好きだという気持ちを取り戻したい、そんな我が儘な理由でア式に残ることにした。目標も失い、気が抜けたようなプレーもしてしまった。そのころ一緒に練習していた育成の選手には本当に謝りたい。ごめんなさい。

それでも徐々にプレーする楽しさを取り戻すことが出来たし、サッカーをまた好きになって終われた事に本当に感謝しています。一緒にプレーしていたかべすと門前と鶴田の存在は心の支えになっていた。そして本人たちも悔しい思いがあったと思うが、それでもチームを引っ張り続けていた事は本当に凄いと思うし、尊敬している。





ア式での4年間はあっという間だった気もするが、振り返ってみるととても長く感じる。悔しいことも多かったが、心が震えるような喜びを感じた試合もあったし、楽しいことも多かった。

そしてア式で過ごした4年間のおかげでもっとサッカーが好きになった。





最後にいろんな人に感謝を伝えたいです。


遼さんに出会って、サッカーのピッチで起きている現象の捉え方を知れたし、サッカーがより好きになったと思います。
最期に引退していく選手に向けて「これからもサッカーを続けて欲しい」と繰り返し口にしていたのが印象的です。引退したら何となくそれで終わりと思っていたし、その言葉のおかげでサッカーを続けたいと思いました。

OBコーチの皆さんのおかげで、成長できたと思います。掛けてくれた些細な言葉の1つが、折れた心の支えになる事もありました。選手の事を考え指導する姿を見て、自分が頼まれた時も引き受けよう、そして恩返しをしようと思わされました。


同期のみんなとサッカーが出来てよかった。
みんながリーグ戦で活躍する姿には本当に感動したし、昇格を決めた玉川戦の時は自分でも驚くほど涙が止まらなかった。今シーズンは内倉も苦しい時期があったと思う。境遇は違えど、少し自分に重なった。ずっとチームを引っ張っていた内倉が最終節に先発し、ピッチの上で躍動する姿が見れたのは嬉しかった。赤木の緊張はスタンドまで伝わってきた。育成で一緒だった3人も本当に感謝している。スタッフのみんなもずっと支えてくれていた。本当にありがとう。

後輩に伝える事は、OBコーチをする時に言おうと思う。ここでは応援してると伝えておきます。

関わった人、そして支えてくれた方、本当にありがとうございました。


人見知りの自分は、サッカーのおかげで本当にいろんな人に出会えたと思う。

サッカーをやっていて良かった。


サッカーが好きだ。



4年 嶋崎駿介


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