惰性

 「どうして今あなたはア式にいるのですか?」


「うーん、そう言われても困るなあ。惰性ですかねえ」


僕にはこんな歯切れの悪い答えしか出てこない。



基本的にア式の人たちはこの質問に「サッカーが好きで楽しいから」と答えると思われるが、僕はちょっと違う(決してサッカーが嫌いというわけではない)。そもそもア式を選んだ理由だって「今までの人生にはなかった新しい世界を知りたい」というものだったし、正直ア式はしっくりは来たがそこに必然性はなかった。


そこから2年間、大好きなスポーツに全力で取り組む人たちの横に、胸張って好きとはいえないヤツが1人。みんなに比べて真剣にサッカーと向き合えなくて、漫然とこの集団の中にいるのを申し訳なく思ったこともある。そりゃなんで続けてんねんって自分でも思うし、思われてもいるかもしれない。考えても何もなく、とうとう行き着く先は惰性である。




ここで惰性について少し考えてみよう。試しに今までの人生を振り返ると、中高でめちゃくちゃ勉強頑張ってたのも惰性といえるかもしれない。勉強が楽しいっていうよりかは、それまでも勉強してたし、智辯に入った以上は勉強するのが当たり前だと思っていたところが大きかった。しかも周りの友人も勉強しているという環境だったので、ガリガリ勉強することに疑問を持ったことはなかった。


そうして晴れて東大に合格し、ずっと進みたいと思っていた薬学部にもたどり着いたわけだが。ではそんな薬学部の授業を、僕は今どんな心持ちで受けているか?

興味を持って聞けているところもあるが、必ずしも前向きとはいえないし、単位を取るための勉強しかしていない。



こうして考えてみたら、僕なんて人は、どういう世界に身を置いたって所詮は惰性に流されるような人間なのだろう。それはいい方にも悪い方にも転がりうるが、気づいたら流されているということは事実だ。まあ惰性の意味が「これまでの習慣や勢い(大辞泉)」だということを考えると、やり続ける中で「したい」が薄れてしまったとき、新鮮味が消えかけているとき、何事も惰性になってしまうのかもしれない。





じゃあもうそれはそれで仕方ない。割り切って、今まさに流されている惰性に身を任せ、その中に都度やりがいや楽しみを見いだしたり、今まで見えていなかった自分自身の新たな一面を知る体験をしたりするのも悪くないのではないか。何したって惰性からは逃れられないと諦めて、今ある「惰性」を大切にしよう。



実際、2年も続けていればいいこともあった。ハイライトとライブ配信の実況なんていうなかなか面白い仕事にも出会えた。それもひょんなことがきっかけだったし、ようことおかぴには感謝している。

テクニカルの本分ともいえるスカウティングも、ようやくほんのちょっと自信を持ってできるようになってきた。

テク長という立場にもつき、テクニカルみんなで整備した環境の中、後輩がバリバリ組織を動かすようになった。


ふと考えたら、惰性で過ごした時間にはいろんな楽しみや嬉しいことが転がっていた。惰性ありがとう。惰性で居座ることを許してくれた皆さん、ありがとう。






これまで退部者が出るたびに、もし自分がア式を辞めたらどうなるだろうとか考えてきた。刹那的な楽しみは増えるだろうし、新たな惰性の流れに身を置いてそれなりに生きていくだろうというのは容易に想像できる。でも他のサークル探してそこでガッツリ活動したり、学校の勉強により一層力を入れたりすることはないだろうし、結局今より充実感(しんどさとも言い換えられる)を伴った楽しみを感じられる生活を送るイメージは全く湧かない。単なる趣味とは違う ’hobby’ を持たない僕は、たとえ何か他の居場所を見つけても、その場で今と同じことを考えるに違いない。


てなわけでおそらく、今後も「惰性」の許す限り僕は部活を続けるだろう。




ここまで書いてきて、果たして最初の問いの答えは惰性なんだろうかと思案する。


実は意外と部活楽しんでたりして──


プロの試合は相変わらず見る気起こらんけど、ア式の公式戦なら見たいと思うし、ア式の選手が活躍するのはめっちゃ嬉しい──


でもこれって他のみんなほどサッカーという競技そのものには熱意を傾けられてないってことよなあ──


しかもこれに限ってはサポーターとしての楽しみで、必ずしも部員である必要はないかも──


でも、好きなア式のためにもっと貢献したいって気持ちはあるし──






うーん、ようわからん。少々内省的になりすぎたからだろうか、いろんな思いが胸に去来して、自分の中でも整合性が取れなくなってしまった。ここまでの文章読み返してみてもツッコミどころ満載だ。




しかしながらもはや手遅れなので、強引に締めにかかります。


僕はスタッフとしてサッカーの楽しさを享受しているとはいえるが、だからってサッカーの楽しさを感じたいがためにア式に居てるというのもなんだか違和感が残る。

けれども、ア式に居続けるという惰性を受け入れた上で、その中に種々の楽しみを感じようとする心づもりはできた。つまり僕の中の「惰性」には前向きなニュアンスが加わった。だから初めの質問には、はっきりとこう答えよう。


「『惰性』です。」




3年 松井誠杜

コメント

  1. 感動しました。松井さんの次回作に期待しています!

    返信削除
    返信
    1. 私もとても共感しました。人生を見直すきっかけになるかもしれないと感じました。

      削除

コメントを投稿