未知なる楽しさ

「楽しい」って何だ?アイドルになりきって踊っている時、歌手になりきって歌を歌っている時、楽しい。でも、サッカーでそういうはっきりとした楽しさは容易に感じられなかった。ボールを足で蹴るというのは新鮮で、それが楽しいと言えるかもしれない。だが、もっと、実感として感じる「楽しい」があるはずだ。ずっと知りたかったし、今でも未知の領域がある。

1年の秋に入部してから数ヶ月間は、正直、サッカーの楽しさをはっきりと実感できることがなかった。だんだんボールが蹴れるようになって、教えてもらったプレーが少しできるのが嬉しい、というのはあった。でも、何が楽しいのか、はっきりと「これだ」と自信持って答えられる領域に達してはいなかった。大学から本格的にサッカーを始めた身として、プレーの楽しさを実感するまでに時間が必要だった。


幼い頃に地元のサッカークラブに入っていたことがあるが、当時サッカーをやりたいという気持ちは一切なかった。やる気の無い私は何もできずに終わった。ただサッカーは炎天下の中で走るという辛いものだ、と思ったままサッカーから離れた。その一方で、サッカーに虜になっている同級生や、全てにおいてサッカーすることを第一に考えているような姉とかがいて、そんなにサッカーが好きな人、プレーできる人が羨ましかった。サッカーに普段興味ない人々をも熱狂させるW杯のお陰で観戦の楽しさを知ったが、実際にサッカーする楽しさも知りたいと漠然と思っていた。


そして、1年生の8月に、ミスコンにア式女子の先輩(じゅりさん)が出ていること知った。じゅりさんは、サッカー女子でかっこよくてかわいいという、私の憧れを具現化しているような先輩で、じゅりさんに応援メッセージをDMし、その後メッセージのやりとりをさせてもらった。また、サークルに馴染めず虚無的な生活を送っていた私は、確固たる部活と共に過ごしている人への憧れも強くなっていった。


全ては、憧れから入った。憧れが入部の最大の原動力であった。


こうやって憧ればかり持っていたので、楽しさをはっきりと分からなくても、憧れに近づいていけるものである練習は、苦ではなく、どちらかというと好きだった。練習していけばいずれ楽しさを実感できるようになるだろうと漠然と思っていた。また、先輩や同期がサッカー楽しい、ってかなり何度も言っていたから、いずれ私も感じられるだろうと思った。同期よりもサッカーを始めたのが遅く、できないことが周りより多くて焦りそうになったこともあると思うが、「焦らなくていいよ」と監督や先輩が幾度か言ってくれて、とても恵まれた環境であった。ほぼ同時期にサッカーを始めたかれんの存在もとても心強かった。


コロナでの活動自粛が終わった後の夏に、守備の動き方を何も分かっていない私のために、監督が守備のメニューを重点的にやってくれた日があった。ボールを奪われた後の戻り方を指摘された時、「あ、そういうことか」とすごい腑に落ちた。その時、サッカーをし始めてから初めて視界が開けたようなすっきりとした気持ちを感じた。それからは、いろいろな指摘をされることが、どんどん腑に落ちていき(それまで消化しきれなかったことが多かったのも相まった)、自分で考えて少しずつプレーできていくのが嬉しかった。動きには全て意味があって、それを理解しながらプレーをする、っていうのが楽しい。そう実感してすごく嬉しかった。
サッカーの楽しさを何か分かり始めた気がした。


そんな中でリーグ戦に入った。サッカーが楽しいと思えた後に試合ができるのが嬉しかった。練習で学んだプレーを発揮できる場で嬉しかった。試合では今まで経験したことのない、試合前のプレッシャー、どうやっても落ち着かない気持ち、試合後の安堵感とか、いろいろな感情が生じた。練習では感じられない、試合でしか感じることのないものが多くあった。試合がもたらす感情の大きさを感じた。この経験ができることは本当に貴重だと思った。今考えると、CiEリーグだからこそ感じられたものだったのかなと思ったりもした。本当にありがたいことだ。


だが、無念も存在した。試合を存分に楽しみきれなかった、という無念である。


私は個人の技術的な実力が周りより足りていないから、自分が試合出ない方がいいのではないかと思ったことが何度もあった。実力がないから自信がなかった。自分でもやれる、「周りを見て走る」ことはやろうと思った。それが点につながって自信になった時もあった。でも、それ以外の技術的な実力が周りよりなかった。「自分にやれることはやろう」止まりであった。勝ちたいと漠然と思ってはいても、その意気込みを強く持って挑む余裕はなかった。


その上、自分は試合に出る資格がないと思ったこともあった。とある試合でファウルをした後、相手に「こいつやばい」と言われた時があった。気にしたらいけないと頭では分かっているのに、その言葉を鵜呑みにしてしまい、自分のプレーに大きな罪悪感を感じてしまった。その後も、「こいつボール見えてない」などと言われ、その言葉が試合中胸に深く突き刺さり、気が気でなかった。相手の言っていることは、悲しいけど、本当であった。相手に抜かれないようにディフェンスするのに必死で、ボールを見ていなかった。本当だったからこそ、傷が深かった。試合中はプレーに集中するという態度を貫けなかった。試合後、挨拶を忘れて泣いてしまった。ただ相手に何かを言われただけで心が折れるという自分の弱さを知った。自分は試合とか競技に向いてないんじゃないかと思った。


決定的に言えるのは、自分のプレーとか試合に対する自信が足りてなさすぎた、ということだ。自分のプレーにある程度自信を持っていたら、相手から何と言われようとどうでもいいのではないか。試合に強い気持ちを持って臨むことができたら、ただ勝つことだけを思って試合に集中できるだろう。
自信を持てるように頑張るしかない。自分の性が試合に向いているかどうかはもうどうでもよくなった。


ただもっと成長したい。そして、自分のプレーに自信を持ちたい。
正々堂々と勝負したい。


まだ知らない楽しさが成長した先にたくさんあるんだろうな。


女子部2年 戸田歌乃

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