試合を決められる選手になりたい
サッカーという競技は1チーム11人で戦うスポーツ。いかに多く相手のゴールへ点を決められるかの勝負。多く点を取るために様々な戦術が考案されてきた。しかしいくら良い戦術があってそれをうまく実行できたとしても、最終的には個人戦術が勝敗を左右する。個人戦術、つまり個の力が試合を決めることは多々ある。ネイマールの技術力・ムバッペの走力・ファンダイクの圧倒的なフィジカル。そういう一面がサッカーにはある。
8/23に右足の腓骨にヒビが入って以来2ヶ月近くサッカーができていないなか、自分は上のようなことを考えていた。最近、YouTubeでアスリートのインタビューを見るようになったのだが、遠藤保仁選手も同じことを言っていた。
「あいつさえうちのチームにいれば勝てたのに。そう思われる選手が一番強いし、僕はそういう選手になりたい。」
全く同感である。自分もそういう選手になりたい。だけど今の自分を主観的にも客観的に見てもその存在には程遠い選手であるようにしか思えない。どうやったらなれるのか。どう頑張ればなれるのか。頑張っても本当になれるのか。いくら考えてもわからない。
ある日、ふとイチローのインタビューを見てみようと思った。イチローは毎日体のケアを欠かさず続けてきたと聞いたことがあったので、何がその原動力になっているのか気になったからだ。YouTubeで「イチロー 名言」と検索した。多くの動画がヒットした。ご飯を食べながら色々見てみたが、どう頑張ればいいかわからないと思っていた自分に突き刺さるものが多くあった。
イチローは天才で努力家だ。そう思っていたが実際のインタビューで本人は「自分は周りより努力してないし、才能もない。」と言っていた。インタビューだし謙遜しているのかと最初は思ったがどうも違うらしい。「自分はただ野球に夢中だった。」そう語っていたのだ。
他の動画では「努力」と「夢中」の違いについて語っていた。その中で一番印象に残った言葉は「『努力』している奴は『夢中』な奴には勝てない。」この言葉だった。
自分が努力を続けられない原因がイチローのこの言葉に詰まっているように感じた。もちろん自分は成長したいと思っているし、そのためには頑張ることが必要なこともわかっている。ではなぜ続けられないのか。努力の捉え方がそもそも間違えていたのだ。
イチローが「夢中」なやつに比べて「努力」しているやつがやってしまう努力の「捉え方」として以下の二つを挙げていた。
①努力の効果はすぐに出てくるもの。それも決まって+のものが出る。
②努力によって得られた対価を自分自身の変化ではなく、他人からの評価に求めていた。
①②のように自分は努力というものを捉えていた。こう書き起こしてみれば①②の両方が間違った捉え方なのは一目瞭然だ。だけど無意識にも自分はこう捉えてしまっている。
①は一番やりがちな考え方だ。すぐに効果が出ることを期待するから、仮に間違った努力をしてもそれを正しいものに修正することなくその場でやめてしまう。違うそうじゃない。辞めるのではなくそれがちゃんと成長に繋がるまで修正し続けることが努力なのだ。「人間というものは前進することも大事だが、時には後退することも大事なのだ。その後退、つまりは遠回りに思える道が実は成功への一番の近道なのだ。それを実行し続けたから今の僕がある。」そうイチローは言っていた。
②は自分の弱さの大きな原因であると思う。これこそが夢中な奴と「努力」しているやつの大きな違いだと思う。努力の見返りを他者に求めてしまっているのか、自分に求めているのか。その二つの違いはとてつもなく大きい。前者は他者がいなくなった時点で努力は続かないし、他者から認められるソコソコの量しか努力しない。だけど、後者はいつまでも続けられるし周りからすごい努力していると思われても自分ではまだまだだと思っていることが多い。考え方の時点で前者が後者に勝てるわけがないのだ。
今の自分は「夢中」な奴ではない。「努力」している奴だ。Instagramで日記をつけだして最近は頑張れていると思っていたが、それも他者からの評価を求めていたに過ぎなかった。
ではなぜ自分は「夢中」な奴になれないのか。それは努力の対価を自分に求めていないから、つまり自分の「変化」を楽しめていないからなのではないか。「変化」そのものを楽しめるようになってやっと「夢中」のレベルに達することができる。とても簡単なことだった。OBコーチのなかしんさんがよく「サッカーノート」つけなさいって言っていたのも「変化」することの楽しさをわかっていたから、それを自分たちに伝えたかったらあれほど口すっぱく言っていたのかもしれない。「変化」は時間が進めば必ず現れるものだ。たとえその瞬間には変化していなくとも、その時点の行為が未来の自分に何かしらの変化を与える。だから時間は無駄にできない。一回一回の練習を大切にしなくてはならない。「変化」を楽しめたやつが勝ちなのだ。
「変化」することを楽しむ。その先にはきっと明るい未来があると信じて残り2年存分にサッカーを楽しみたいと思う。
小川原 元陽
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