われらも集ふ君が庭

 上西園亮(2年/FW/ラ・サール高校)


 僕たちをこんがりと焼いた暑い夏はセミと共になりを潜め、小さな台風も過ぎ去った後に肌寒い秋が到来している。秋の風物詩については十人十色、議論百出といった具合であるが、僕にとってのそれは紅葉である。その様に考えるとまだ紅く染まりきっていない今の時期は、僕にとって秋ではないのかもしれない。

 

 

そんなことをぼんやりと考えているうちにも季節は移りゆき、人々の生活も変化する。東京でも遂に飲食店への時短要請や酒類提供の制限が解除され、かつての日常が戻りつつある。あれほど騒がれたコロナもかつての猛威はどこへやら。平家物語ではないが、諸行無常を感じずにはいられない。この夏に期せずして法学部進学が決定してしまった者として一応、政界にも目を向けてみると、皆大好き安倍晋三にコロナ対策を押し付けられ、令和おじさんなりに頑張ってみたものの人気は低迷。誰が見ても疲れ切った顔で菅さんは総裁選不出馬を宣言。急騰する日経平均株価が皆の気持ちを代弁していた。次の総裁への期待感からかうなぎ上りだった日経平均も、河野太郎が負けて岸田さんになると逆戻り。岸田新総理誕生後も日経平均は正にカオスであり、株式投資に手を出している者の端くれとして歯痒い日々が続いている。

 

 

 そんな季節と時代の変わり目においてただ漫然と流されているだけの、目を凝らさなければ見つけられないような小さな僕も、どうやら人生の変わり目に立っていたようだ。

 

 

 東大ア式蹴球部。その存在を知ったのは今から3年前。高校3年の秋。ちょうど今くらいの時期だったような気もする。

 

  時は平成。敬愛する我らがラ・サール学園サッカー部は部員同士の繋がりは密なものの、全く勝てない事でその名を鹿児島市内外に轟かせ、市内最弱の名を我が物としていた。

その轟き具合は圧倒的なものであり、絶好調なラ・サールと引き分けていようものなら、相手の監督はハーフタイムに怒鳴り散らし、ペナルティを部員たちにチラつかせる始末。その姿を横で見ている我ら最弱ラ・サール軍団は「すまん同朋。しかし今回こそは勝たせてもらうぞ」と意気を荒げる。ウチらだって勝ちたいし、お前らが走らされているところを見たいのだ。

しかし、強い。「窮鼠猫を噛む」という諺があるが、ラ・サール如きに噛みつかれるわけにはいかないのである。ウチらに噛みつかれてしまったが最後、彼らを噛み切る役目は飼い主である監督が担っている。背水の陣に立たされた彼らの表情には毎度鬼気迫るものがあった。元々、練習の量・質において遅れを取っていた我々が決死の覚悟で向かってくる相手に勝てるはずもなく、あえなく敗北。相手が強いのではない。我々が弱いのだ。

 


  歴史に残るいくつかの大敗の間にそんな惜敗も少し散りばめ呑気に邁進していた市内最弱ラ・サール軍団であったが、そんな我々の前に立ちふさがったのが鹿児島実業高校であった。鹿児島実業高校。言わずと知れた古豪であり、全国優勝の経験も1度や2度ではない。OBには前園真聖や遠藤保仁を始めとした日本代表が幾人もおり、鹿児島サッカー界を牽引してきた高校である。先ほど「立ちふさがった」と表現したのが恥ずかしくなるほどの差がラ・サールとはある。まさに「天と地の差」、「月とすっぽん」、「提灯に釣り鐘」。こんなありふれた言葉では言い表せない歴然たる差。

もちろん、やるからには勝ってやんよの精神で臨んだ対鹿実戦。気が付くと前半ゼロゼロ。湧くベンチ。向こう側を見てみると何度か見た光景。相手はまた監督を中心にしてえげつない声量で闘志を高めていた。しかも今回は公式戦。あのラ・サールがあの鹿実と引き分けていると聞きつけ、他校生もぞろぞろと観戦し始めた。

 


  鹿実生と言えば日焼けした真っ黒な肌にごりっごりの肉体。大きくハキハキとした声の礼儀正しい挨拶。そして極めつけは全員坊主の鹿児島弁。深夜の渋谷にたむろしている茶髪パリピなど鹿実生にかかれば「こんばんは」の一言で蹴散らせてしまうほどの圧である。それと比べた時のラ・サール生の貧相さたるや筆舌に尽くしがたい。本当にサッカーをしているのかと聞きたくなる適度な肌色に筋肉を感じさせない肉体。大きな声にデリカシーの無い会話。極めつけは清潔感の無いもっさい髪型に謎のラ・サール語録。例えそこら辺の幼稚園に潜り込んだとしても誰も気付けないであろうし、帰りの会で先生に「さようなら」の挨拶まで出来そうな勢いである。

 


  そんな我々の試合は結局ゼロゼロのまま終了。PK戦も延長戦も無かったためまさかの引き分け。まるで勝ったかのようなラ・サール陣営に、崩れ落ちる鹿実陣営。相手の一年生らしき子はフィールドで泣いてしまっていた。青天の霹靂とはこのことか。当時は何も考えず、素直に喜んでいたが、改めて考えてみると全くもって引き分けた理由が見当たらない。フィジカルでは完璧に負けていたし、技術・戦術理解度どれを取っても圧倒的に負けていた。そもそもラ・サールのしていたサッカーなんて、相手からボールを取れたら取り敢えずサイドのスペースにロングキック。後はそのボールが攻撃陣に収まる事を神に祈り、収まったら収まったで攻撃陣の個人技がどうにかなる事を神に祈る。相手のミスを神に祈り、自分達のミスが失点に繋がらないことを神に祈る。まさにカトリックを信奉する学校にふさわしい神頼み戦法であった。こんなもの太平洋戦争で散っていった神風特攻隊と全くもって変わらない。一体我々は歴史の授業を何だと思っているのだろう。受験勉強が何も活かされていないではないか。

 


  しかし、結果として神は我々に味方した。ここまで来るとサッカーに神秘的な何かを見出すしか無い。恐らく、クリスマスやバレンタインなど、世間が血迷い、神への感謝を忘れてしまう時期に、我々は男のみで粛々と神への感謝を述べていた。そうした敬虔なキリシタンぶりを神は見ていて下さったのであろう。我々が在学中に幾度となく唱えた「アーメン」はしっかりと神に届いていたのである。

 

  

 鹿実と引き分け意気揚々と帰還した我々であったが、如何せん実力はやはり市内最弱。その事実は先の奇跡を完全に無かったものとし、我々は引退への道を敗北の花で飾る仁義なき旅を再開し、気付けば高校3年の5月。いつも通りの不甲斐ない一戦で自分達のサッカーに区切りをつけ、堂々とサッカー部を引退した。

 

 

 僕たちのサッカー生活は確かに楽しかった。個性が強く自由奔放で、誰もまとめることのできない同期に加え、先輩を先輩とも思わぬ傲岸不遜な後輩たち。もちろん先に引退していった先輩たちだって不敵な笑みを浮かべながら僕たちを可愛がってくれた。こんな豊かな面々、どれだけ忘れようとしても夢にまで出てきて沼に引きずり込もうとしてくる。

 あぁ愛すべき我らがラ・サール。隣人愛の名のもとに足の引っ張り合いは当たり前。出る杭は打たれるどころか、めり込んだ杭までもが更に打ちこまれていく正に魔境である。ノリだけで生きる社会不適合者達と共にしたサッカーは僕にとって一生の財産となるであろう。

 

 

 しかし、サッカーそのものを楽しめたかと聞かれると大いに悩まざるをえない。ラ・サールでの6年間で小学生の頃よりサッカーは上手くなったのだろうか。ただ体が大きくなっただけで技術も戦術眼もほとんど成長していない。そんな不甲斐ない思いしかなかった。

 

 

 その様な漠然とした不完全燃焼感を抱いていた僕は大学でもサッカーを続けようと思っていた。せめてもう少しだけ上手くなりたかった。そんな矢先、志望校であった東大のサッカー部に行き着いた。その頃のア式は熱いキャプテンの下、2部を破竹の勢いで勝ち進み、数試合を残して東京都リーグ1部昇格を決めるという暴れっぷり。ツイッターをフォローしては毎試合の結果に感動し、イイネを押してはまだ見ぬ先輩達のかっこ良さに胸踊る日々を過ごしていた。しかし、残念なことに、僕は受験を乗り越えねばならなかった。ア式入部を果たすためには東大に受かる必要が有るのだ。そのため僕は死に物狂いで受験勉強を開始した。となるのがベストであったのだが、あぁ愚かなり我が人生。受験勉強もせずに悪友たちと夢を語り、夜中にカップ麺を貪り、サッカーボールを蹴っては担任団に指導され、布団に潜り込んでは夢を見て、思い出したかのようにミニトマトに水をやり、その収穫を楽しみにする日々。それでも受かるだろうと高を括っていたが当然のごとく不合格。残ったものは何も無かった。悪友たちは地元に帰り、カップ麺のストックも底を尽き、下宿で愛用し1年間洗濯もしなかった布団は変色していたためにお別れせざるをえなかった。僕があんなに大切に育てていたミニトマトも、そろそろ実を付けるかと心待ちにしながら学校から帰ると、いつもの場所にはいなかった。下宿主の爺さんがゴミと間違えて捨ててしまったのである。あの悲しみさえ無ければもっと受験勉強に打ち込めたのではないか。そんな一抹の不満を残しつつ受験を終えた僕は、就職するか浪人するかで悩んだ末、大人しく浪人することを実家にて決意した。先輩や友達の話を聞いたのも大きかったが、僕の性根を叩き直そうと自衛隊入隊を本気で勧めてくる母親の狂気も背中を押してくれた。 

 

 

 僕が生まれ育った町の名は、鹿児島県指宿市。そら豆、オクラの生産量が日本一であり、市の中心に位置する池田湖は九州一の大きさを誇る。開聞岳は薩摩富士と称されるほど綺麗な形をしており、何より天然温泉がわんさかある。家にある風呂の蛇口を捻れば温泉が出るなんてウチらにとっては当たり前の出来事である。車さえあれば観光する場所としてこんなに楽しいところもない。たまらん三兄弟という謎のゆるキャラだっている。薩摩半島南端で暖かいという理由からか東洋のハワイを自称し、ヤシの木を道路脇に植え、市役所職員はアロハシャツを着用という、自分で作った設定のために自分自身を変えていく厨二病じみた活動にだって全力を尽くしている。そんな可愛らしい指宿市を離れ、僕は福岡へと北上した。目的地は河合塾福岡校。浪人生活の始まりである。

 

 

 浪人生活。高校時代、教師たちが脅し文句の様に使っていたその言葉は想像していたような地獄では決してなかった。河合塾の自学を重んじるスタイルは僕の性に合っていたし、高校の頃と違って、要らないと思った授業には参加しないことも出来た。今思うと小さな大学のような環境であった。

 例年、福岡には多くのラ・サール生が集まるわけであるが、鹿児島の呪縛から解き放たれた僕達は、同じように鹿児島の絆で寄り集まり新たな青春を謳歌した。そのうちに、僕は河合塾の寮内でも新たな友達ができ、様々な地域、学校から集まった彼らと接した事で沢山の経験を積むことができたし、彼らのおかげで浪人生活は楽しいものとなった。

 浪人という現象はとても珍しいものであり、ほとんどの人はそれを経験しない。時には辛いこともあるかもしれない。僕も受験直前期には発狂しそうになり、毎夜、一人で会話しながら数学の問題を解いたものだ。しかし、それでもやはり僕にとって浪人生活はかけがえの無い大切な時間であった。

 浪人期の友人たちとは色々な経緯を経て友情を深めた。夜な夜な秘密裏に行われたボードゲーム大会や密談。無愛想な寮長との冷戦や勉強会。その経緯を挙げていけばキリが無いが、僕達が最も燃えたものはサッカーであった。サッカーはボールさえあればいつでもどこでも何人でもできるため、手頃だった。

サッカーボールとスパイクは母親に送ってくれと頼むとすぐに送ってくれた。勉強しろと口酸っぱく言いながらも、サッカーボールとスパイクという、およそ勉強には用いられないであろう2点セットを送ってくれた母親には、またもや内に潜む大いなる狂気を感じざるをえなかった。しかし、これを狂気だと感じていた僕は愚かだったと言わざるをえない。大いなる母の愛だったのだと気付くのには実に2年を要した。 

サッカーを通じて芽生えた友情は、サッカーを通して深まっていった。サッカーしようと言えば誰とでも仲良くなれたし、サッカーで疲れた後に話しているとそれだけで友達になれた。野球少年やイケメン君、陽キャや陰キャ、運動が得意な奴や苦手な奴、多浪や一浪、はたまた小学生。みんな個性豊かだったし、色んな刺激を僕に与えてくれた。めちゃくちゃ上手い人達と一緒にボールを蹴れたのもとても楽しかった。

 

 

 その頃の僕はあまりア式には執着していなかった。ツイッターでのア式のフォローはとっくに外していたし、入りたい気持ちも次第に薄れていった。しかし、受験が近付くにつれてア式への思いは再燃していった。浪人期に知り合った奴らみたいに僕も上手くなりたかった。

久しぶりにツイッターを覗いてみるとア式は東京都1部リーグで苦戦していた。前年にはあんなにも2部を圧倒していたア式が1部ではこんなにも通用しないのかと素直に驚いたが、それでもア式はカッコ良く見えたし、たまに読むFeelingsには、先輩たちの熱い気持ちや悩み、晴れやかな気持ちや不甲斐なさなどが描かれており、ストイックで真面目な部員の姿がそこにはあった。部員だけではなく、スタッフのFeelingsも僕の心を熱くした。何より、皆のサッカーが大好きな気持ちが溢れていて、僕もそんな人たちと一緒にサッカーがしたいと思えた。

 

 

 そして来る2度目の3月10日。無事、志望校合格を果たした。短くも長い充実した浪人生活だった。もう1年したいとは決して思わないが。

 

 

 高校を卒業し、1年間のクッションを置いてからの大学入学。6年間の狂気じみたラ・サール生活での洗脳もこの期間に無事洗い流され、ようやく訪れたまともな学生生活。ア式に入るぞとそれなりに意気込んで上京してきたわけだが、時は20203月下旬。コロナ禍が既に始まっていた。大学での対面授業やサークル・部活動は全面停止。思い描いていた大学生活とはだいぶ違ったものが始まろうとしていた。

 

 

 ア式も活動していないようだし、活動再開をじっくり待つかと思い立った僕は手始めにNetflixを見始めた。初めての一人暮らし。日本全国どこにでも生息しているラ・サール生だが、東京には特に多く生息しており、上京して初めの頃はふらっと遊びに来る彼らの相手や、浪人時代の友達との再会で忙しくしていたものの、それらも一段落すると時間が有り余っていた。Netflixでは洋の古今東西を問わず、アニメから映画まで名作が鑑賞でき、漫画や小説が元から好きな僕はどんどんNetflixにのめり込んでいった。

 そうこうするうちに、冬も終わって春が近づき、大学も授業を始める気配を見せ始めた。その頃には家が近いという理由で知り合った同じクラスの奴と仲良くなっており、そいつとの半同棲生活が始まっていた。共に米を買い、飯を食い、挙句の果てにはプリンターまで折半して買った。まさか出会ったばかりの奴と、彼女よりも先にこんな生活をするようになるとは思いもしなかったが、とても真面目で勉強もできるそいつは、付き合ってみると意外と面白い奴だった。こうして東京での僕の生活が段々と形になってきた時期になっても、どうやらア式は活動再開が許されない状況にあった。

 

 

 取り敢えずア式の活動再開まではのらりくらりと過ごすことにした。東に美味しいラーメン屋があると聞けば彼女と共に食べに行き、西にドライブに行こうと言われれば静岡まで付いていった。南に病んだ友達が居れば嵐の江ノ島まで電車に乗り、北に授業が有れば北は迂回し無人の渋谷を深夜徘徊した。センター街で踊り狂う外国人や、警察といちゃつくパリピ達をコーラ片手に眺めているうちに月日は過ぎ、気付けば8月になっていた。遂にア式蹴球部も条件付きではあるものの活動再開を許可されたようであった。

 

  

 8月末に1度だけ体験入部しに行った。まともにサッカーをしたのは久しぶりだったし、全然運動していなかったこともあり、すぐバテてしまったが、想像していた何倍も凄いア式に感動した。グラウンドが人工芝なのはもちろん、何人もいるスタッフ。コーチ陣も数人いて、練習はテキパキ行われていたし、先輩達はただの体験入部でしかない僕にも細かなアドバイスをくれた。体験入部してみてア式の事がもっと好きになった。そして、ア式に入部しなかった。わけが分からない。好きな子に嫌いと言ってしまう小学生男子よりも不可解な言動。この謎を解明するためにノーベル心理学賞が新設されるのではないかと噂されるほどである。

 

 

 思わぬサイコパスぶりを発揮した僕はその後、遂にア式のインスタもフォローし、SNSの投稿を眺めてはリーグ戦や1年生を草葉の陰から応援し、暇になるとFeelingsを読むネットストーカーと化した。

 

 

 夏が終わり、秋が来て、秋も終わるとまた冬が来た。長らく積読状態であった『ねじ巻き鳥クロニクル』や『変身』を読み終えた頃、世間はまた新たな春を迎えた。ア式蹴球部は1部昇格を決め、再挑戦の年へと突入していた。僕にとっても正に再挑戦の年。再度ア式入部へ向けて準備を始めた。Feelingsを片っ端から読み漁り、モチベーションを高めた。ワクワクしながらア式の練習参加を待った。

 

 

 7カ月ぶりの体験入部。東大前駅の改札前に集められた一年生を見て若干のデジャブを感じながら東大へと向かった。体験入部に来ていた1年生は皆サッカーが上手だった。どう控え目に見てみても僕が1番下手だったし、誰よりもサッカーが分かっていなかった。でも楽しい。ア式しか勝たん。

 この頃の僕はあまのじゃくな小学生男子など既に卒業していた。好きな子がいつどこで活動しているのか、今後どのようにして付き合っていくのかをしっかり考え、微笑みを浮かべその子のもとへ向かう立派な成人男性へと変貌していた。

 

 

 気持ちが悪い。なぜ僕はこのようなゲスい比喩しか書けないのだろう。村上春樹ならば、パスタを茹でる描写だけで読者に爽快感を与えられるし、湘南乃風ならば、パスタだけで大親友の彼女の連れを聴衆に連想させる。一方で僕はと言えば、提出期限を1週間も過ぎながら冗長な自己満文章をつらつらと書き連ね、先輩たちの熱いFeelingsとはかけ離れた、幼稚なFeelingsを完成させようとしている。司馬遼太郎を愛読し、村上春樹を敬愛し、芥川龍之介を嗜んでもこのレベルである。文章の綺麗さ以前に中身が無い。これも全て幼い頃に『でんじゃらすじーさん』などで爆笑してしまっていたせいであろう。あれで笑わない小学生男子が居るのならば僕の前に連れてきてほしい。喜んで両頬を差し出そう。

 

 

 ともかく、一年生は皆上手だったうえに、熱い気持ちを持った人が多かった。まさか新歓時期にプレー内容について怒られる経験をするとは思わなかった。皆凄いよほんと。

 想像していた通り、いや、想像以上にカッコいい皆と共に、僕は遂に東大ア式蹴球部入部を果たした。

 

 

 新しく誕生した106期ア式蹴球部員の中に紛れ込む20歳の2年生に気付くものは誰もおらず、ア式に入ってしばらく、フレッシュな一年生たちの会話に加わる隠れおじさんとして余生を謳歌していた。もちろん僕とて1年生の気持ちでア式に入部しているわけだが、記憶は2年生である。皆が第2外国語の単語集を買うか議論を交わすなか、中立の立場を取っては、そんなもの誰も買わんぞと心の中で教え諭し、クラスに友達ができないと悲痛な訴えを聞いては、そのうち絶対できるぞと確信をもって励ました。1年生同期たちのフレッシュさに当てられたのか、勉強に対し不真面目な人生を送ってきた僕が真新しいルーズリーフの束を買ってしまう有り様である。そんなもの使い切れるはずもなく、今となってはオシャレなインテリアと成り果てて部屋の隅っこに転がっている。

 

 

 1年生に擬態し、もはや自分が2年生であることを忘れてしまった頃、僕が2年生であることは皆の知るところとなってしまった。どこまで隠し通せるのか、ギネス記録に挑戦していた自分としては残念だったが、皆の驚きの表情は僕を満足させた。悲しいことに、趣味の欄に「人をびっくりさせること」と書いていた小学生の頃から僕という人間は変わっていないようである。

 

 

 東大ア式蹴球部。入部するか迷うくらいなら、入部するべきところ。

 ここにはサッカーに熱い気持ちを向ける選手が沢山いる。僕なんかじゃ想像もつかない経歴を持ったサッカーエリートだっている。もちろん、選手だけじゃない。練習や試合を円滑に進めてくれるマネージャー。サッカーを科学的に分析し、選手に還元してくれるテクニカルスタッフ。サッカー上達の指導をしてくれるOBコーチに監督。他にも色んな人たちがア式には所属していて、皆それぞれ自分の目指すものに向かってる。

 中途半端に2年生から入部した僕からしたら、ア式蹴球部員だってだけで、みんな無条件にかっこいい。そりゃあ途中でア式を辞めていく人だって沢山いる。いるけど、その人たちだって僕と同じようにア式に残った皆をかっこいいと感じてると思う。ア式の人たちは、「東大生だから」とか「東大生なのに」とか以前に、1人のサッカー好きとして真面目にサッカーに臨んでる。だから、かっこいい。

 

 

 入部して気付けば半年。まだ半年しか経っていない。とても濃い半年をア式には送らせてもらった。入部してから何度感動したことだろう。サッカーがどれだけ考えるスポーツなのか教えてもらったし、東大ア式蹴球部がどこまでも進化し続けていける優秀な組織であることを知った。

 日々の練習からして既に感動の連続である。専門知識を遺憾なく発揮するフィジカルコーチの作ったメニューをしばらく行った後、ロンドが始まる。数回のロンドを終えると、監督やOBコーチがピックアップしたテーマに沿って作成してくれたメニューを行う。その間、マネージャー達は練習の撮影や、次のメニューのためのフィールド作りだけでなく、ボール拾いなどまで様々なことを精力的に行ってくれている。選手たちは複数いるOBコーチから手厚い指導を受けられるだけでなく、練習後は、自分のプレーを動画で確認でき、文章として記録されたログを見れば、コーチ陣がどのようなことを言ったのかまで確認できる。こんな恵まれた環境、想像したことさえ無かった。

 それだけではない。ア式を高3から追いかけた結果、いつのまにか名前まで覚えていたプレイヤー達が実際に目の前にいるのである。僕にとってこんなに嬉しいことはない。そこら辺の有名人に会うより遥かに嬉しい。

 

 

 自分で言っていて恥ずかしいが、ア式に入ってから僕は格段に上手くなった。それでも皆に比べると格段に下手なのだから恐ろしい。ここまで下手だと伸びしろしか無いため、逆にどこまで上手くなれるのか楽しみですらある。

 毎日の練習では上手くいかないことの方が圧倒的に多いし、憂鬱な気分になることも多々ある。しかし、どれだけ憂鬱になろうが僕の気持ちは明るい。憂鬱だけど楽しい。鬱だ鬱だとぼやく自分が既に楽しい。鬱なのに楽しいア式ってやっぱり最高なんだと思う。

 

 

 ア式の凄さを再認識しているうちに、なんだかこのFeelingsの終わらせ方が分からなくなってしまったため、最後は僕の好きな文章で締めようと思う。何の脈絡も無いままにその文章を突然入れ込むが、これまで散々まとまりの無い文章を並べてきたことを考えると、かえって首尾一貫していて良いかもしれない。

 

 

 

 実際に僕が結婚の申し込みに彼女の家に行ったとき、彼女の両親の反応はひどく冷たいものだった。まるで世界中の冷蔵庫のドアが一度に開け放たれたみたいだった。

(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 読後感エグい。

コメント

  1. まさに天才の所業。
    第2話も楽しみにしております!

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  2. Definitely talented essay.

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  3. ただただおもしろかった
    それに尽きる

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  4. 同郷の者として言わせて貰おう、あなたは素晴らしく美しいです。

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  5. 素晴らしい。文体が、僕のいた頃の文芸部の部誌に掲載されていたもののようです。

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