情熱的にかつ冷静に
先日、東松島市に復興支援のボランティアに行ってきました。 東松島市というのは、日本三景の一つ松島のすぐ近くで、石巻市の少し南にあります。 津波の被害を受けて、ほとんど何もない更地となってしまった元住宅地やぼろぼろになった駅・学校などを見学した後、私たちボランティア参加者は現地の人々の手伝いをしました。 元々観光地である東松原市では、この夏に海開きをしたいということで、私たちは海岸清掃や周辺の草刈りなどの仕事をしました。 地元で復興に精力的に従事している方のお話を聞く機会があったのですが、とても現実的な人で、だからといってそう悲観的でもなく、私たちに、「辛気臭い顔してやるよりは、楽しくやってくれてかまわない。」と言ってくれた反面、ボランティアの現状について少しこのような愚痴もこぼしていました。 メディアでは石巻市とかが、人口も多いし、栄えてるからよく取り上げられるけど、実際の被害率 の高さは東松島市のほうが大きい。けれども東松島市はあんまり有名じゃないから、うちよりも注目されがちな石巻市とかの方にボランティアとかの人手は流れてしまう。そして、いかにも「ボランティアっぽい」瓦礫撤去とかの仕事をしている。しかし、瓦礫撤去等に関しては国から予算が出て、もう業者も入ってるからわざわざボランティアでする必要がないことなんだ。 こっちではまだまだ人手が足りない状況なのに、石巻市では逆に人手が余ってて、仕事がないから瓦礫撤去を手伝ってるんだ。 他にも、炊き出しだが、一見ほほえましく、実際に仮住宅に住み、生活に苦労している人にとってありがたいのは確かなんだが、それを、再び商売を立て直そうとしている店の近くで行ったりする人たちがいる。そうなれば、復興を進めようとしているそのお店の迷惑になるのは少し考えればわかるはずなのに。 ボランティア活動について普段あんまり深く考えたことのない私は、目から鱗の気分で話を聞いていたんですが、やはり改めて「考える」ことの重要性を認識しました。 「復興のお手伝いをしたい」という気持ちだけではだめなんだということ。ちゃんと現状を分析して、どうすれば良いかを論理的に考えることができなければ、単なる自己満だけで終わってしまう。 自己満かつ他人の役に立つという、質の高いボランティア活動をするには「考える」という行為が必要にな