曲がりくねった道の先に

5年前東大に入ったがア式には入らなかった。そこまでサッカーをしたいと思わなかった。
4年前ア式に入った。大学2年の初めに途中入部。ア式1年として入部した。
入部式で若干変な空気になったのが懐かしい。
1年前サッカーを真面目にやるのをやめた。サッカーは何だかんだ楽しいものだと思えた。
ア式に遅れてでも入ったことは自分の人生にプラスだったのかはまだ分からないけど、
サッカーに全く触れなくなった人生よりは良い気がしています。



さて、大学において学年という概念はあってないようなものである。日本だと難しいかもしれないが、単位次第で早くも遅くも卒業できるべきだ。
そもそも学年が上がるにつれて、留年/休学する人は珍しい訳では無いので、学年はよく分からなくなっていく。
部活においても同様で、過度に学年に囚われるのは時代錯誤だと思うし、ア式は特にそういったことを是正しようと頑張っていると思う。
自分がア式に1年遅れて入ったことは、段々だれも気にも留めなくなっていく。が、それでもやっぱり入った時点で大学の学年が違うというのは変な感じがした。1個上の学年と同期との間くらいに1人浮いてるみたいな気持ち。
そして肝心なサッカー面である。遅れて入って試合にバリバリ出ていたのなら綺麗な美談になる。悲しいことに自分は選手としてはそうでもなかった。
ただでさえ(留年しないならば)1年間他の選手より期間は短い。だが、それを覆すほどの劇的な能力の向上をなすことはできなかった。結局トップの公式戦は愚かAにも上がれずに選手生活は終わってしまった。
最後の1年はもう学部生では無かったけど、やっぱり4年間やるのが良いかなって思って(同期が活躍するのはやっぱり見てて楽しいし)、テクニカルスタッフとして籍を半ば無理矢理置いてもらった。
テクニカルスタッフとしては大した仕事することができなかったけど、チームは昇格した、めでたい。
これが客観的な立場から見た自分のア式生活である。正直あまり誇れるようなものではない。


本心をいうと、もう少し普通なア式生活を送りたかった。
遅れて入っただけで、悪目立ちしてしまったし、それはまあ良いとして、何より最初から選手としてはリミットが一年短いという状態からのスタートとなってしまった。
なんで普通に入学時に入らなかったんだろうと度々考えてしまう。それと同時にそれならそのままサッカーをやめなかったんだろうとも。
学部1年の最初に1回練習参加しに行って(城後さんとボール蹴った、懐かしい)、なんかいいやとなってしまった。自分は受験期とかはア式のホームページとかちょくちょく見ていた気がする。にも関わらず、入学するとなると自分が学びたい分野が決まっていたのも相まってそっち方向の勉強がしたくなってしまった。
機会損失という言葉は学部1年当時は積極的に思い浮かべたことはなかったけど、その時はア式に入ることによる機会損失を嫌う判断をしたんだと思う。如何せん週6でサッカーを4年間するのは怖かった。
遊び呆けるようなタイプの人間では無いので、それなりに自分の興味対象について勉強していたが、同時にそこまで真面目な人間でもないので何か物足りなくなってしまった。月並みな感情ではあるが、やはりサッカーがある日常が欲しくなったんだと思う。


そんな感じで1年遅れてア式に入った。
1年遅れて入ったからこそ、大学でも真っ直ぐにサッカーを選んでサッカーを続けている人を本当に尊敬している。今年の新歓ビデオの内倉の動画とか見て思うけど自分は「やるっしょ」みたいな感じを素直に実行することができなかった。
最初から入っていたら試合で活躍できている選手になっていただろうか。
入ったは良いけど、ア式1年の頃は正直いい思い出が無さすぎてあまり記憶がない。入部して1ヶ月くらいはモチベーションは高かったけど(まあ途中から入るくらいだから)、 色々と現実を突き付けられてしまって、今振り返るとどうしようもない1年間だった。2年くらいからは少しずつ育成の試合に出るようになったけど、Aに上がるのは全然無理だった。
3年目、選手にとっての最終年度である。再始動時にカテゴリーは上がることができなかった。トップは1部が舞台な訳で、そう考えると自分の地力は当然足るものではなかった。
Aに上がるチャンスが全くなかった訳ではなくて、実際Aのウイングが1人減ったりとか怪我とかで少なくなった開幕辺りはセカンドに2,3回くらい呼んでもらった。練習試合なのに高揚感と緊張感でいっぱいだった。でも結果は散々で、もう完全に切られたなって思った。
でもどうしても1分でも試合に出て選手を終わりたかったから、どうやったらワンチャン試合に出る可能性を上げれるかを考えていた気がする。
結論としては点を取りまくることだけが唯一の希望だった。どんなにそれ以外が下手でも、やばいくらい点が決めれれば上がれると思った。ア式のTwitterで練習試合の時に出る情報は得点者のみ、何とかしてoversellingでも良いから自分の価値をAのコーチ陣に売るにはこれしかなかった。
たぶん、これくらいのモチベーションを1年時から保ててたら結果はもっとポジティブなものになっていたんだと思う。
点はたくさん取れた。多分シーズン通して10得点、10アシストくらいとかだと思う。結構頑張った気がする。もちろん、相手はトップがやってた相手に比べたら3~4カテゴリー落ちちゃうんだけど、それでも点を取るのは楽しい。人生唯一のハットトリックもした。


でも結局Aには上がれないで終わった。 1年3ヶ月前の慶應との練習試合の最後の45分が最後の試合だった。
ミドルサードで全くボールが納まんなくて試合を見に来ていた色んな人から煽られた笑。いや動画を見るとマジで納まってなかったからしょうがないけど。
でも自分が自信を持てていたクロスで2アシストして3-2で勝ったから楽しかったです。
それでも試合が終わった後、悔しいのと寂しいのとで大泣きしてしまった。悔しいのは結局東大のユニフォームを背負って出られなかったこと、寂しいのはやっとサッカーの本質的な楽しさの一片を味わえた気がするのにもう真面目にやる機会がないから。
自分が最後にやったチームだからバイアスがかかっているとは思うんだけど、去年の育成チームはやってて楽しかった。恥ずかしい話ではあるが、今でもたまに試合を見てしまう。藤山さん、寺山さんは本当にお世話になりました。ありがとうございました。


選手としては、めっちゃ重ね重ねになってしまうけど、1分でも何でも良いから公式戦に出たかったという思いしかない。ユニフォームを着て、応援の中でサッカーをできたのは双青戦だけだった。双青戦でロングシュート?を決めた時の多幸感はすごかったし、あれを公式戦で感じてみたかった。



流石にサッカーのために留年する気にはならなくて、かといって3年で終わってしまうのも後味が悪かったので、テクニカルスタッフになった。あと一緒に育成でやっていた人がトップで活躍するところは近くで観たかったのかもしれない。
だけどスタッフとしては謙遜抜きで最低限の仕事をしただけになってしまった。
たまに撮影、審判、後は部室のwifiが使えないからyoutubeにひたすら試合の動画あげる係をしていた。(強いて貢献をあげるなら新歓記事と体調報告botな気がする)

本来だったらうまく活用できていないGPSデバイスを何とかするべき役割だった。それを期待されてテクニカルになるように井上さんに勧められたんだけど。
選手からスタッフに移って一番感じたことはスタッフは思ったより大変だなあということ。
時間的、肉体的には楽だけど精神的にはかなり選手の頃よりも自分にとっては難しかった。スタッフは内発的な動機を出すのがマジで難しい。
選手だとそもそもサッカーが(辛いこともあるだろうけど)楽しい。そして仕事もサッカーをするための責務として割り切ることすら可能である。
スタッフだとサッカーのプレー以外のどこかに楽しさを自分で見つける必要がある。何が楽しいかは人によって異なるしスタッフを一般化して動機づけるの困難だと思う。
最初はGPSデバイスを何とかすることに対して、モチベーションを出す事ができた。3年間ア式にお世話になったこともあるし、できそうなことが構想レベルとしてはあったから。でも思ったより大変だった。
そもそも仕事としてはサッカーと乖離している点がかなり難しかった。デバイスから得られる時系列データから何とかいい感じのことを読み取るといった仕事で、そこそこ頑張ったんだけど疲れてしまった。他の人と一緒にやろうとしなかったのが反省。もう少し他人を巻き込みつつコツコツ進めるべきだったと思います。

結果としては、風呂敷を広げるだけ広げて、自分がやるべき仕事の認識はしていたんだけど、正直手に負えずに1年間終わってしまった。多分もう300時間くらい集中して費やせば形になるはずだったんだけど、そこまでするモチベーションはなかった。本当に申し訳ない。
玉川戦で皆が歓喜している中、自分も嬉しかったとはいえ、スタッフとしての貢献の無さに辟易してしまった。
自分はスタッフになる資格があったのか怪しい。本当に恥ずかしい話だけどモチベーションが下がってしまうと「何でこいつら楽しそうにサッカーしてんのに、俺は審判して撮影してパソコン取り込んで、家の回線圧迫してyoutubeに上げんといけんの?」って感じることもあった。
それほど拘束時間、仕事量が多くないかつ、1年しかスタッフやっていない自分でもそんな風に感じてしまったので、多分だけど色々悩んでいる人も少なくないじゃないかなって思う。皆が皆、人として強いわけではないだろうし。

そんな時でもやっぱり試合を見るのは楽しかった。毎週末Aか育成どっちかの試合は大体見に言ってたと思うけど、どっちのカテゴリーでも試合を観た後はやる気が出た気がする。


スタッフは、内発的に仕事にモチベーションを持つことが理想的なのは言うまでもない。ア式の価値を向上させたり、勝利に直結する仕事は楽しいだろうし、責任感もある。だけど、楽しくないが誰かがやらないといけない仕事だってたくさんある。

よく皆、スタッフに感謝しましょうみたいなことを言う。実際自分が選手のときは感謝していたつもりだった。だけどいざ自分がスタッフになると、色々行動が足りてなかったなと反省している。自分は選手をやめてスタッフになるまで気づかなかった。

やっぱり試合の審判を毎回やってくれたり、練習試合に毎回帯同してくれたり、無償で運営してくれたりと普通では考えられないことをやってくれている。
プレイヤーは当たり前のようにこれらを享受できるということを忘れがちだけど、この環境は本当にスタッフだったり、OBコーチの努力によって形成されていることを今一度認識するべきである。
プレイヤーはこれにはピッチ上でのプレーで返すしかないと思うし、(自分は何もできていないので除外して欲しんですが)周りを見渡して、スタッフがどんなことをやってるのかをみてみてください。

でも「スタッフは仕事をやってくれているんだから...」みたいな同情心を持つべきだと言っているわけでは決してない。捻くれたアマチュアリズムは良くない。
スタッフに対してプロフェッショナリズムを求めるのは必要だと思うし、スタッフの仕事に対するフィードバックを減らしてしまうのは避けるべきだ。
スタッフに敬意を払いつつ高い仕事のレベルを求めるのは両立すると思う。スタッフは選手が高いパフォーマンスで試合に臨めるようにサポートするべきだし、同時にプレイヤーは部員同士敬意を払って欲しい。
特にシーズン中だと選手が忙しいからスタッフが選手の分まで仕事をする、みたいな場面も多いと思う。それは仕方ないし、スタッフがやるしかないんだけど、やっている人がいるってことを認識してピッチ上で闘って欲しいと思います。




ネガティブな話題が多くなってしまった。引退feelingsの性質上しょうがなかったりするけど。
できなかったこと、悔しかったことが多かったが、それでも一年遅れてでも部活に入って良かったと思ってる。
ア式に入ってなかったら、本当にパソコンを弄るだけの大学生活だった。それはそれで楽しいと思うんだけど、ア式に入ったことで色々ある大学生活を過ごせた。
応援で井上さん達と騒いだこととか、玉川戦で伊地知がアシストしたところを観れたりとかか、大池さん、城後さんが点を決めた時とか、農学部の屋上でワイワイしながら試合を観たりとか。楽しい時間は色々あった。

そして、ア式に入ってない人生よりはサッカーの楽しさを感じることはできた。
ア式に入ってなかったら、今も何も考えないままサッカーを観ていたと思う。ポジショナルプレーとか戦術的ピリオダイゼーションとかは単語すら知ることはないだろうし、サッカーを見るとき局面を意識して見ることもなかったんだと思う。
欲を言えばもう少しサッカーが上手くて、遼さんに直接指導を受けたかったなという気持ちはある。

そしてテクニカルについて。1年間ありがとうございました。あまり上手くいかなくてごめんなさい。
これはよく言われていると思うけどア式の未来はテクニカルにかかっていると言っても過言では無いと信じている。
今東大はブランディングに力を入れ始めて3年くらい経つはずである。自分は”東大ブランド”みたいなものでブランディングを進めるのはあまり好きでは無く、やはりブランディングされる側にそれ相応の中身が詰まった価値があることが成功への必要条件だと思う。

その中身の詰まった価値を提供できるのが東大だとテクニカルが1番現実的である。サッカーの分析等を科学的に最先端の技術・知識などを用いて行う、これを日本サッカー界で先陣を切って提供できるのは筑波大か東大である。
サッカーに関して、現状プレゼンスが大きいのは筑波なのは謙虚に認めるべきである。自分ができなかったことを託すようで申し訳ないが、参考にできることは参考にしつつ、データ分析なりスカウティングのクオリティを高めていって欲しい。
ここから数年の活動次第で、日本を代表するサッカー分析組織になっていることも夢ではないと思います。中間さん、小椿さん、井上さんの系譜を継いで頑張ってください。めちゃめちゃ期待してます。




最後のfeelingsで自分語りをしてしまったこと、あまりかっこ良い文章を書けなかったことが新たな後悔である。これは文才が露骨に出てしまうのでしょうがない。大池さんとか赤木とかはすごい。
まあでも、自分は分野柄、就活とかですら自分がサッカー部に所属していたことは人に話す機会がないと思うので、まあ良いとします。
自分は皆と肩を並べられないかもしれないが、途中入部した自分を受け入れて、4年楽しい思いをさせてくれてありがとうございます。楽しかったです。


あと唐突ですけど自分と似たような境遇(一年間プレイヤーが短い)な人は陰ながら応援しています(石丸とか、小泉とか、(赤塚もだったんだけど..!)) 。
来年からは単なるア式の1ファンとして、パソコンの前でyoutubeで観戦したいと思います。
お世話になった先輩、後輩、同期の皆さん、そして何より提出を3週間遅れてしまったのに見逃してくれた静香ちゃんに感謝します。ありがとうございました。


4年 上野

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