シルシを付ける現在地
何を書こうか。引退してからというもの、ふとした時に考えていたが、なかなか気持ちがまとまらない。でも、気兼ねなく自分語りが出来る機会なんてこの卒部feelingsが最後かもしれないな。3年の前期までの話は前回のやつで書いたし、それならとりあえず、その続きから書いてみよう。
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3年目のシーズンが終わった。長らく沈没していたところから這い上がって後期は試合に出ることが出来たけれど、酷いパフォーマンスだった。お世話になった先輩に花を持たせるどころか、足を引っ張ってしまった。残留のかかった帝京戦も、自分が壊した。何より、誰もが立ちたいと望むピッチの上で、怖気づいたプレーを見せてしまった。
思い返せば小学生の頃からだ。試合が怖くて、金曜日の夜くらいから憂鬱で仕方なくなる。いざ試合を迎えれば、練習では出来る筈のプレーがほとんど発揮できない。パフォーマンスに満足できた試合など、これまでのサッカー人生を通して片手で数えられるほどしかない。残す1年で、そんな試合が訪れるだろうか。訪れてほしいな。最後はそうやって終わりたい。
それよりなにより、俺はちゃんと向き合えていただろうか。うまくいかないサッカーから、自分から、目を逸らしてばかりじゃなかったか。こんなんでサッカー人生を終えていいはずがない。残す1年を、未来のためにも意味あるものにしなければ。逃げなかった記憶を作ろう。
3年目の12月は、こんな気持ちだった。
いろいろと自分なりに取り組んで、気合十分でプレシーズンを迎えたのだが、蓋を開けてみれば全くうまくいかなかった。
覚悟はしていたけれど堪える。なんでみんながアウェーで練習試合をしている間に、農グラでLBと試合をしてるんだ?不甲斐ないにもほどがあるだろう。でも逃げずに向き合おう。決めたんだから。というか、そうでもしないと保っていられない。
今日の練習こそ。今日の試合こそ。そんな気持ちでグラウンドへ向かっても、日に日に増していく恐怖や自信のなさが邪魔をして、溢れんばかりにあるはずの思いを不意にする。そんな日々が続いた。
このまま終わんのかな。
一向に改善しないままリーグ戦が近付く中でそんなことを思い始めていた矢先、未曽有の事態で活動休止になった。
自粛期間。切羽詰まっていた就職活動に追い立てられ、必然的にサッカーとは距離を置いた。他方、活動再開に向けて多くの人が動いてくれていた。それを見守ることしかできない中、思った。
こんな有事の時に、微々たる雑用を名乗り出ることしかできないのか。意思決定を下すことも、見落とされている価値を主張することもできず、右往左往するだけか。立場に見合う責任を全く引き受けていない。今に始まったことではないけど、そろそろヤバいよ。
現状を直視し、過去を振り返り、心臓がバクバクするくらいの焦りを覚えた。このままではいけない。
多くの人の尽力のお陰で活動を再開できてからは、とかく次のことを意識した。
“自分の立ち位置は差し置き、「チームのため」を行動原理にする”
立場ある人間として本来当然の話なのだが、内倉や、由香ちゃんや、鶴田やその他にもたくさんの部員がしているのと同じように、チームのために責任を引き受けようと思った。セカンドに身を置いていても、チームの勝利に貢献できることは山ほどある。現状の立ち位置では言葉に重みが出ないのは百も承知だが、恐れず伝えるべきことは伝える。
そうこうするうちに、不思議と自分のパフォーマンスも向上し、トップとして出られるようになった。中断前はずっと遠くにあるものだと思っていたから、純粋に嬉しかった。まだ終わっていなかった。
そして開幕戦。やはり怖いものは怖い。金曜日からしっかり不安だったし、前日の夜は試合の夢を見た。それでも、チームを勝たせることだけを考えれば、不思議と怖さは減った。自分のパフォーマンスを二の次にすることで、ミスに引っ張られることなく、ピッチ上の現象にフォーカスすることが出来た。
その後も勝ち星を積み重ねていったが、内容は決して芳しくなかった。前線の3人におんぶにだっこで、勝ちはするもののチームが志向するサッカーを体現できない。自分自身も、良くないパフォーマンスが重なる中で、チームではなく自分へと意識が向いていく。誓ったはずのことができなくなり、それが更なるパフォーマンスの低下を招いた。迎えた亜細亜との首位決戦、力の差を見せつけられて敗北。個人としても最悪だった。
上智戦の前日、何人かがチームの不出来を憂いていた。試合の前日に話す内容ではないだろうと思いながら聞いていたが、その通りだった。
「チームの雰囲気とのトレードオフの中で指摘が甘くなり、視座が下がっている」
「練習への取り組みのレベルが低く、こんな程度では勝てないと思う」
「前線3人は素晴らしいが、その他の質が低い」
「後ろの前進がブレーキになっている」
翌日の上智戦は、守備陣を中心に立ち上がりから乱れ、開始早々に失点。またもや前線に救われ逆転できたものの、続く一橋には敗れた。いよいよ昇格すら危ぶまれるようになった。
問題はそれだけでない。Aチームの振舞いに対して、育成チームやスタッフの不満が高まっているのはひしひしと感じていた。
なんとなく上手くいかないまま、なんとなくチーム内の不和を抱えたまま、昇格さえ決めればそれでいいのか。そもそも、このままでは昇格すら出来ないかもしれない。
たぶん誰もが感じていたこと。何も特別な感情ではないが、チームのためにと誓ったのなら、はっきりとそれを言葉にする必要があると思った。だから、次の練習で伝えた。
由香ちゃんのfeelingsを読んで、申し訳なく思った。どんな気持ちであれ、応援し、サポートしてくれている人の前で「応援されている気がしない」という言葉を選ぶべきではなかった。今一度見つめ直そうと選手に伝えたかったというのが、真意。スタッフの皆には心から感謝しているし、尊敬している。本当にありがとう。
そこからの後期の1カ月間。チームが勝つため、昇格するため、遼さんの下で最高のサッカーを見せるため、毎日の練習に全てを懸けた。暑苦しく思われてもいいから、老害だと思われてもいいから、伝えたいことは全て伝えた。
個人としても成長しなければと思っていた。遼さんから耳にタコが出来るくらい「運べ」と言われ、ある日の練習で勇気を持って1回試したら、それがブレイクスルーに繋がった。吉くんが映像と共にLINEで指摘してくれた、運んでいる時にフォワードを見れないという課題も、少しだけ改善できた。今更かよと自分でも辟易したけれど、それまでで一番成長することが出来た期間だった。
昇格のプレッシャーは物凄かったが、それでも最後に心からサッカーが楽しいと思える時間を過ごせるのが、幸せだった。そんなことは夢のまた夢だと思っていたから。
そして玉川戦、不格好ではあるものの、昇格を決めた。ひたすら安堵した。
最終節は一生忘れられない。結局勝てなかったからそれまでなんだけど、渋い試合の多かった昨季のリーグ戦の中では、一番内容のいい試合だったと思う。勝って遼さんに花向けしたかったが、それでも少しは満足してもらえただろうか。
個人としても、大袈裟じゃなく人生で一番いいプレーだった。結局その日も夢の中で試合してたし、朝から何回もトイレ行ったし、直前まで怖かった。でもいざ試合に入ってみれば心から楽しいと思えた。散々ひどいプレーばかり見せてきた両親の前で、最後の最後にまともな姿を見せることが出来て本当に良かった。
雄太との前進も、赤木との小競り合いも、キックオフ直前に隣で「もう泣きそう」って言ってた内倉の声も、全部忘れることは出来ないだろう。
もっと続けたかった。そう思いながら終えられるなんて、想像していなかった。
凄くありがたくて、恵まれたことだと思う。
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これがラストイヤーの話。全て事実で、本当の気持ち。
でも文字を打ちながら、何度も、何時間も手が止まった。ただでさえ締切りを延ばしてもらったのに、なかなか手が進まなかった。
皆それぞれに苦悩があるのに自分語りが過ぎるなとか思うのはfeelingsあるあるなので、それは脇に置くとして、
“長らく燻っていたけれど、最後は花を咲かせることが出来ました”
“貢献できていなかった人間が、最後はチームのために力を尽くすことが出来ました”
そんな風に美談にして、自分の4年間を仕舞い込んでいいのだろうかという葛藤だった。
まず、百歩譲って最後の1カ月はチームに貢献できていたとして、それまで何をやっていたのか。役職を預かりながら、その使命を果たすことなく自分のことで精一杯になった時間がどれだけあったか。3年目の後期、4年目のプレシーズン。最初に副将になった2年の頃もそうだった。松波を見ていると素直に尊敬する。
あの時こうすればよかったとか、そんな後悔はない。自分がとった行動が、とれなかった行動が、その時その時の自分の限界だったのだ。
過去の失敗があったからこそ最後の1カ月があったなんて、一プレイヤーとしてはそう言えても、立場ある一部員としては口が裂けても言えない。自分の状況がどうだろうが預かった使命を果たすのが「責任」のはずだった。ここに書けば許してもらえるだとかそういう魂胆ではなく、言及せずに放置しておくことが出来ない。
それだけではない。最後の1カ月も、本当に「チームのため」だったか。
“自分のサッカー人生を、ア式での4年間を、納得のいく形で終えたい”
“最後の最後に責任は果たしたと、皆に認めてもらいたい”
自分のエゴだった。内側にある責任感や利他的な精神から来るものではなく、他でもない自分自身の焦りからの欲求だった。
チームの勝利を強く意識してプレーすることが、自分自身のパフォーマンス向上に繋がった。
チームの前で言葉を発することが、与えられた立場に対して抱えていた背徳感を拭い去った。
チームに対する自己効力感が、苦かったはずのア式生活の後味をさわやかにしてくれた。
動機が何であれ、結果としてチームに貢献できていたとすればそれでいいのかもしれない。でも引退して2カ月近くが経った今、未熟さゆえの自己矛盾を無視できなかった。役職を背負う器ではなかった。
昇格を決めて歓喜と安堵を分かち合っていた時、うっすらと目を潤ませた内倉が近寄ってきて、抱擁しながら言った。
「お前は本当によく頑張った」
昇格の喜びを分かち合って、というより、単純にこの言葉に感動して涙が出た。
あいつほどの選手が、あいつほどこの部に貢献してきた人間が、最後の最後にピッチに立てないことはどれだけ苦しいだろう。勝手に同情するのも失礼かとは思いつつ、やはり気にはなっていた。
自分がペラペラと集合で喋ることがあいつの居場所を奪ってないか。それまで散々無責任だった人間がエゴに基づいてこんな風に振舞っていいのか。尊大だけどそんな風なことを勝手に考えていた。
でも全然違った。涙しながら讃えてくれた。そりゃ心の奥底にはいろんな思いがあっただろうが、自分なら到底出来ないことだと思った。勝手にしていた要らぬ心配も、自分がいかに狭量か物語っていた。
責任を負うというのはこういうことか。自分がどこにいようと一緒に闘って一緒に喜ぶ。何もかも自己利益と結び付いていた自分とは大違いだな。その時思った。
結局後味が悪くなったけれど、これも本当の気持ちだ。
でもこんな風に思えるようになっただけ成長したのかな。1年生の時のfeelingsとか読み返すと、薄っぺらすぎて背筋が凍る。それだけこのア式蹴球部という環境は、共に活動した仲間は、自分にとってレベルが高かった。レベルってなんだよって感じだけど、年々高まっているように思う。このまま突き抜けてほしい。
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既にめちゃくちゃ長くなっているけど、自分語りで終わるわけにもいかないので、後輩に対して自分なりのメッセージをひとつだけ。
主に内省的な人に向けて。「自分の外にベクトルを向ける」こと。何回目だよって思われるかもしれない。
人は上手くいかない時ほど、自分の内側にベクトルを向けてしまう。反省するのは勿論大切だが、あまりに内省的になりすぎると視野狭窄に陥って必要な情報が得られなくなる。ミスを気にするあまり(仮に首を振ったとしても)近い敵や味方しか認知できないだとか、自分の不調に気をとられるあまりずっとそこから抜け出せなくなるだとか。
どこにベクトルを向けるかは人それぞれでいい。自分の場合は、試合中ならチームの勝利であり、具体的な行動で言うなら、プレーが切れる度に同じことを注意喚起し、リスク管理の声を常に掛けた。ミスをした時ほど強く意識すること。セカンドに対する扱いへの怒りを前面に出しながらプレーした結果、不調から少し抜け出せたこともあった。
試合中は外に向け、練習中は内に向ける、でもいい。ベクトルの方向の使い分けも、ベクトルを向ける対象も、皆それぞれに合うものがあるはず。
どれだけ技術的な課題と向き合っても、恐怖や自信のなさといったメンタル面の課題があれば、それが邪魔をする。上に書いたことでなくても、自分の心に合う解決方法を模索してほしい。メンタルが安定するだけで飛躍的にサッカーがうまくなったり楽しくなったりする人が、何人かいるような気がする。ポテンシャルを発揮できることを願っています。
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4年間、山あり谷あり。谷の方が長かったな。
そのすべてが、自分の現在地だった。
ア式もサッカーも、自分にとっての鏡だった。
向き合うことで知る自分の無力さも、向き合えない自分の未熟さも、はたまた自分に出来ることも、ア式だったから、サッカーだったから、知ることが出来た。
そうやって現在地を更新し続ける作業こそが成長なのだとすれば、間違いなく、自分はこの4年間で成長することができた。
ア式蹴球部という環境と、関わってくれた全ての人に、心から感謝しています。
母さん、父さん、じいちゃん、ばあちゃんも、本当にありがとう。
ア式でサッカーすることを選んで、正解だった。
さて、
ここが出発点 踏み出す足は
いつだって 始めの一歩
大谷 拓也
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