アンチ・アンチロマンチスト
榎本健(4年/DF/暁星高校)
CKのボールを相手DFがヘディングで弾く。
冬晴れの太陽に照らされたボールが、綺麗な弧を描いてバイタルエリアに落下する。即座に両チームの選手が反応したが、体格では相手FWに分があったようだ。たしかに同じ国公立の大学生とは思えないほどガッチリとした体つきをしている。セカンドボールを我が物にしたその短髪でムキムキの相手FWは、水を得た魚のように猛然とドリブルを開始する。最終ラインに一人取り残された自分は、銃口を突き付けられた兵士のように後退するほかなかった。状況は1対2の数的不利。華麗にカウンター攻撃を喰らっている。もし俺がファンダイクだったら、平然と相手からボールを刈り取り、アリソンとハイタッチをしていたであろう。しかし残念なことに、俺にそんな能力は存在しない。「最悪ファールで止めるしかないか」と思っていた次の瞬間、短髪ムキムキ兄ちゃんのドリブルのタッチが大きくなった。
その週の自分のテーマは「ボールホルダーに自分から仕掛けること」だった。アジリティ能力が低く、守備技術も持ち合わせていない自分にとって、ドリブルの得意な選手に良い状態で仕掛けられては勝ち目がない。抜かれないよう一定の距離を保ち、縦か横どちらかの選択肢を限定するのが精一杯である。ならばどうすればいいのか。自分の出した答えは、「相手が良い状態になる前に寄せ切ること」であった。ロングボールをトラップした瞬間、ドリブルのタッチが大きくなった瞬間、どんなに上手い選手であれ、ボールを自分のコントロール下に置けない瞬間は必ず存在する。ならば自分にできることは1つ。相手にボールが入る前にできる限りの準備をし、その瞬間に一気に寄せ切ってボールを奪う。これが俺の暫定解だった。同じ週の木曜日の紅白戦、実際に谷のタッチが大きくなった瞬間に突っ込み、谷に「危ねえよ」と珍しく怒られた記憶がある。今となっては申し訳ないが、その時の自分は試行錯誤の真っ只中。しょうがないと思った。
そんなチャンスがまさか週末の試合でやってくるとは。中高6年間、毎日伊達に神に祈っていたわけではない。「今しかない」と感じ、相手FWに思いっきり突っ込んだ。と同時に、経験したことないほどの衝撃が左膝に走った。5歳の時に、おばあちゃん家の犬に左膝を噛まれたときより痛かった。
2023年2月12日 東北大戦の出来事だった。
気づいたらピッチの外にいた。新家が応急処置をしてくれて、日和が前十字靭帯に問題がないか確かめてくれた。死ぬほど痛かったが、5歳の自分とは違い、泣かなかった。人間歳を取ると痛みには強くなるものだ。そこからはただボーッと試合を見ていた。ハーフタイムには、短髪ムキムキ兄ちゃんがわざわざ謝りに来てくれた。俺が突っ込んだのに、申し訳ないなあ。なんでムキムキはみんな優しいんだろう。歩けるわけでもないので、後半もその場で試合を見ることになった。確か後半終了間際に誰かが点決めて勝ったんだっけ。とにかくボーッと眺めてた。「なんでムキムキはみんな短髪なんだろう」とか考えてたら、90分なんてあっという間だった。
その日、東北大がカウンターの鋭いチームだったこともあってか、トップは酷い試合をしていた。なぜかア式はカウンターサッカーに対して、振り飛車に対する矢倉囲いくらい相性が悪い。でも俺は当時セカンドチームにいたから、全然嬉しかった。「やっとアピールのチャンスが来た」と思ったのを覚えている。加えて自身の調子も悪くなかった。その週には北川や章も褒めてくれた。多分本人は覚えてないだろうけど。とにかくかなり気合を入れて試合に臨んだことは確かだった。
そんな日に怪我をした。
試合後すぐにでも帰って寝たかったけど、幸か不幸か、その日の夜に4年生の追い出しコンパがあった。その通称「追いコン」では、2年生が芸を披露するという恒例行事が存在する。例に漏れず、自分も漫才を披露する予定だったので、帰るわけにもいかなかった。「ピンになるんじゃないか」と不安に駆られる相方の谷に付き添ってもらい、なんとか会場の池袋にたどり着いた。そして、なんやかんやで漫才は出来た。そこそこウケたので後悔はない。大不幸中の小幸いとはこのことか。
翌朝、信じられないほどの痛みとともに目が覚めた。
ベッドから起き上がることもしんどかったので、正直ずっと寝ていたかった。しかし何としてでも東大病院で診察を受けなければならない。足を引きずりながら、必死に家を飛び出した。歩くのしんどい。久しぶりに弱音を吐いた。最寄り2分の好物件に住んでるのに、改札まで15分かかった。これは想定外、おかげで診察に大遅刻してしまった。関係者の皆さん、ごめんなさい。
「後十字靭帯損傷。全治3-6ヶ月だね」
川口先生に、そう診断された。「期間の振り幅でか」と思った。「膝の裏側にも十字靱帯があったのか」と裏をかかれた気分だった。後十字靭帯とは何なのか、生活にどう支障を来すのか、詳しく説明してもらった記憶はあるが、現実として受け入れられなかったのか1つも覚えていない。
とにかくこれが人生初の長期離脱の幕開けだった。
怪我をしてから最初の2ヶ月間は、部活の練習には参加せず、週に1回近くの整形外科でリハビリをするだけの日々が続いた。特にやることもなかったので、北川に唆されて就活を始めてみたりしたが、サッカーのない空虚な日々を彩るほど没頭できるものでもなかった。どうやら自分の大学生活の大半は、ア式での活動が占めていたらしい。退屈だった。ア式との関わりと言えば、週に1、2回谷や北川とZoomで話すくらいだった。面接の練習という名目はあったが、実際はア式やサッカーについて話す時間が大半だった。2人は1年生の頃からリーグ戦で活躍しており、その頃には既にア式にとって欠かせない存在になっていたが、自分と同じくらい悩みを抱えていて何だか親近感が湧いた。谷や北川のサッカー観や将来像を聞く時間は楽しかった。今となってみれば、2人と腹を割って話せた時間は貴重だったのかもしれない。ただどうやら同時期に、谷が自分だけにフォーカスが当たらない様にと、俺が家で就活に明け暮れていると触れ回っていたらしい。おかげで「就活ガチ勢」という変なレッテルを貼られた。タチの悪い奴だ。他にもイシコが連絡をくれたり、希一が励ましのプレゼントを郵送してくれたりと、同期が支えてくれた。だから、あまりネガティブな感情に襲われることはなかった。ありがとう。
怪我から2ヶ月後、部のみんなが新歓に追われている頃、練習にDLとして復帰するようになった。久しぶりに練習に顔を出すと、何年生なのかわからない、部員なのか外部コーチなのかもわからない米田というフィジカルコーチもいた。DL期間はそんな米さんや新家、大智に本当にお世話になった。トレーナーが3人もいたから、基本的に誰かが付きっきりでリハビリメニューを指導してくれて、順調に体を動かすことができた。ア式にはその誰もが欠かせません。だから新家、早く戻って来い。
そんなこんなでリハビリは順調に進み、段々とネガティブな感情は消えていった。ただ一方で、サッカーが出来ないもどかしさが消えることはなかった。
章は後十字靭帯のリハビリ期間にサッカーを見まくって戦術眼を養ったらしいけど、俺にはそれが出来なかった。サッカーのことを考えると、「でも結局今サッカーできないしなー」というネガティブな思考に陥ってしまうからだ。しかしだからと言って、サッカーを全く見なかった訳ではない。むしろいつもの倍は見た。観戦中なんも考えてなかっただけだ。特に大好きなリバプールの試合は欠かさず見た。毎回リアルタイムで観戦できたことは、怪我の唯一の功名だったかもしれない。
中1の時、始めてリバプールを見た時の衝撃は今でも覚えている。
グアルディオラがサッカーのカオスを可能な限り支配しようと試みたのとは対照的に、クロップはそのカオスに勝機を見出した。ボールを即座に奪い返し、直線的にゴールに迫るサッカー。特にサラーが加入して以降は、そのカウンターサッカーにさらに磨きがかかった。何も考えず見ているだけで、ただただ面白かった。その時期はまだファンダイクもアリソンもいなかったから、スマホの画面かと突っ込みたくなるくらいすぐに壊れる守備陣だったけど、3点取られたら4点取り返していた。むしろ今よりエンターテイメント性が高かったかもしれない。相手チームのCKがチャンスだと感じられるのも、世界中でリバプールだけだろう。CKが蹴られてから10秒も経たないうちに、100m先の相手ゴールのネットを揺らす。ボルトより速い。「ボールは人より速い」ことを別の形で体現していた。おそらくあの高速カウンターを止めるには、俺の膝が何個あっても足りないだろう。
離脱期間中、そんな童心を思い出したかのように、リバプールの試合を謳歌した。「ああ、何も考えずに楽しめるから、俺はリバプールを好きになったんだな」としみじみ感じた。
ア式に入部して以降、サッカーの見方が180度変わった。
高口が「サッカーは帰納法」と称するように、プレーの上達には、具体的な局面を上手く集約し、普遍的な意思決定基準を練り上げていく作業が不可欠である。そのためには自分のプレーだけでなく、サッカー選手のプレーをも参考にして、なぜそのプレーが成功・失敗したか仮説を構築し、練習で実際に検証するという試行錯誤が重要である。
だからア式に入部して以降、サッカーを観戦する際は、その試合からどれだけ学びを得られるかが重要な尺度となった。ただ漠然とシャビの上手いプレーを見るのではなく、なぜシャビが上手いと言われているかを考えるようになった。シャビは自身が何故上手かったかバルサの選手に伝えきれなかったようだけど。とにかくそれは自分にとってコペルニクス的転回と呼べるほどに新鮮で、サッカーをより好きになるきっかけにもなった。
ただジブリのように、背景知識の豊富な大人から物心つく前の子供まで楽しめるのがサッカーの魅力である。離脱期間中の自分は、純粋にリバプールの勝利だけを願うサポーターであった。チアゴがどれだけプレスラインを切ろうと、マティプがどれだけボールを運ぼうと意に介さず、勝ったら喜び、負けたら悲しんだ。
それはア式の試合を見る時も同じだった。何も考えず、「みんな頑張ってるなあ」とか「今のファール痛そうだな」とか、サッカーを始めた頃の自分と同じ解像度で試合を見ていた。だから育成の試合後に、後十字靭帯の先輩でもある潤さんが「今日の俺のプレーどうだった?」と聞いてくれた時も、「良かったんじゃないですか笑」と適当に返すほかなかった。潤さん、ごめんなさい。
4月から始まったリーグ戦では、声出し応援が解禁された。完全にサポーターと化していた当時の自分にとって、選手の個人チャントや東大の応援歌を唄える環境は素晴らしかった。コロナ禍で声出しが禁止されていた分、リーグ戦後に応援で喉が枯れる経験が新鮮だった。ただそんな自分も、リハビリが順調に進むにつれて、考えが変わっていった。これはア式に限らず全てのサッカークラブで起きる現象であろうが、どうしてもチームを背負ってピッチに立っている仲間と、それをピッチの外から応援する自分とを対比してしまう。応援は3試合で飽きた。自分も応援される側になりたいと思った。そうだ、俺は公式戦を観戦しながら「俺の方が上手いな」とふんぞり返る大矢さんや吉平さんの背中を見て育ったんだった。この頃からまたア式を、そしてリバプールをただ純粋に応援することはできなくなった。
でも、まだボールが蹴れる状態ではなかった。
結局復帰できたのは8月、真夏の炎天下での試合だった。丸半年かかってしまった。川口先生の想定の悪い方に振れてしまったが、リハビリは真面目にやっていたので、致し方ない結果だろう。久しぶりのサッカーは、とにかく楽しかった。復帰初日に育成に落とされたけど、そんなの気にならないくらい楽しかった。その頃の育成は新しく入った1年生がいっぱいいて、章がまだ幅を利かせていた時期でもあった。肝心の膝はというと、特に気になることもなく、以前と同じ感覚でプレーできた。できるだけ早くAに昇格して、なるべく多くのリーグ戦に絡もうと意気込んでいた。
ただ現実はそんなに甘くなかった。
勝てない。勝てない。勝てない。復帰してから4年生が引退するまでの3ヶ月、自分が出た試合で1度も勝てなかった。もちろんAにも上がれなかった。これまでのア式の3年間で、一番辛い時期だったかもしれない。去年の育成との落差に、絶望した。自然と1人で考え込むことが増えた。なぜビルドアップがうまくいかないのか。なぜクロスから簡単に失点してしまうのか。自分1人で考え、自分1人で解決しようとした。終いには「なんであいつはAにいて、俺は育成にいるんだ」と現実逃避の思考に陥った。サッカープレイヤーとして、正真正銘のクズだった。
もしあの時、久野さんに、内田さんに、俊哉さんに、真鍋さんに、そして坊ちゃんに、自分の悩みを正面からぶつけることができていたら、状況は好転していたのかもしれない。けど、それができなかった。正直なぜそれができなかったのか、今でもわからない。自分ならできるという慢心故か、プライドが邪魔をしたのか、わからない。
とにかく辛かった。ただ同じ育成にいる4人の4年生の手前、そんなこと口が裂けても言えなかった。彼らが自分の何倍も悔しい思いをして、何倍も苦しんでいることはわかっていた。自分にとって、自分以上に苦しみながらも頑張っている人が隣にいることが、唯一の救いだった。
そんな中迎えた4年生の引退試合。
あっけなく負けた。いつものように失点をし、点が取れず、負けた。どんなに辛い中でも、サッカーに対しては真剣に取り組んできた。それだけに、試合終了の笛を聞いた瞬間はなんとも言えない無力感に苛まれた。
最後の週も、自分なりに精一杯頑張ったつもりだった。水曜日にAに体調不良者が続出したから、いつ呼ばれても良い準備はしていた。練習では人一倍声を出し続けた。金曜日まで、もしかしたらAに呼ばれるんじゃないかと本当に信じ続けた。けど、呼ばれるはずもなかった。
育成の4年生を勝たせられなくて悔しかった。OBコーチに結果で恩返しできなくて悔しかった。Aの4年生とまた一緒にサッカーが出来なくて悔しかった。陵平さんのもとでまたサッカーが出来なくて悔しかった。
試合後、ベンチ脇で泣く山田さんを見て、自分も涙が止まらなくなった。人間歳を取ると痛みには強くなるが、情には脆くなるらしい。山田さんをはじめ、4年生には本当にお世話になった。だからこそ、最後の試合くらい一緒に勝ちたかった。泣いている自分を久野さんが慰めてくれた。でも、本当は笑顔でコーチを引退してほしかった。泣いてばかりで、何も考えられなかった。だから、帰り際に山田さんが「今までありがとな」と声をかけてくれた時も、なんて返せばいいかわからなかった。俺はこの1年間何をやってきたんだろう。明確に答えられる何かが欲しかった。
たしかに兒玉さんが言う通り、ネガティブな感情はポジティブな感情より大きな力になる。挫折や失敗が挑戦への原動力になることは、過去のfeelingsが嫌と言うほど証明している。しかし、物事を失敗という結果から逆算して振り返ることは間違っていると思う。いや、そもそも試合の勝ち負けを成功・失敗の二元論で語ること自体が間違っている。サッカーは複雑系で、様々な要素が絡み合って1つ1つの局面が形作られる。そのため、ある側面から見たら成功した試合も、別の側面から見たら失敗に見える。だから「負けた=失敗した」という前提から試合を振り返るアプローチは、本来上手くいっていたことを覆い隠す可能性がある。
育成の弱さは、個々人が下手なことではなく、チームとして明確な目標がないことに起因している。リーグ戦と異なり、試合の勝敗がア式の未来を決定づけるわけではないため、練習からどうしても無責任なプレーが増えてしまう。近年の育成は、勝利への執着と新しいプレーへの挑戦のどちらをより重視するか、その塩梅に苦しんできた。個人的には、育成コーチは勝利の重要性を説くべきだと思ってしまうが、2年前目の前の勝利に固執したが故に、プレーの幅を広げられなかった自分がいたのも事実である。でも結局は結果と内容がトレードオフの関係ではなく相関関係にある以上、どちらを重視するのかは些細な問題なのかもしれない。「まずは勝った上で内容にもこだわろう」と言えど、「勝つのも大事だけど、今週学んだことに挑戦することが一番重要だ」と言えど、内容が良ければ結果はついてくるし、結果が良ければ必然的に内容も良いことが多い。内容が結果の必要十分条件ではないところがサッカーの面白いところではあるけれど。要するに、勝ち続けた昨季の育成と、負け続けた今季の育成、どちらが良かったなどとは一概に言えないということだ。
たしかにあの3ヶ月間育成は負け続けた。それは紛れもない事実だ。ではその3ヶ月間は失敗だったのだろうか。答えは否。あの期間で間違いなく自分は肉体的、技術的、精神的に成長した。
結局過去の行動に色を付けられるのは、未来の自分自身である。
過去に感じた痛みや苦しみを原動力に変えて、今を精一杯生きることによって、過去の苦い思い出も、淡い青春時代の様に思い返される。残された自分たちが、お世話になった4年生やOBコーチに対して出来る唯一の恩返しは、残りのア式人生に全力を尽くすことだ。そして「あなたのおかげで今の自分があります」と胸を張って伝えることだ。今のAチームには、あの時育成で共に戦ったメンバーがたくさんいる。素直に嬉しい。自分たちがリーグ戦に出たら絶対に見に行くと俊哉さんや内田さんも言ってたから、一緒に頑張ろう。
最後に、あまり伝えられた気がしないので書いておきます。
4年生、そしてOBコーチの方々、本当にお世話になりました。
4年生が引退した後の新体制では、オカピさんが暫定で指揮を取った。
新体制の移行期には、監督人事の議論も相まって、ア式の未来について語られることが多かった。来季は東京都1部でどのくらい戦えるのか、どういうサッカーを志向するのか、各々が自分の見解を存分に披露していた。その中でも「前線の陣容は変わらないけど、DF陣が心配だ」という言葉をよく耳にした。たしかに昨シーズンの3人のCBは全員4年生だったのに対し、前線には谷や北川が残っている。真っ当な意見だった。加えてみんなが予想する来季のスタメンに自分の名前はなかった。これも真っ当な意見だった。真っ当だったからこそ、辛かった。それを認めざるを得ない自分が情けなかった。
俺は自分の悩みや葛藤を吐き出すのが苦手だ。しかも他人の評価や意見も人一倍気にしてしまう。だからDFへの不安や不満は、全て自身への非難のように聞こえた。去年の育成で自分の悩みを素直にぶつけられなかったのも、そのせいかもしれない。けどまあみんなそんなもんか。普段から「辛い、悔しい」なんて言ってる人いないしな。だからfeelingsには価値があるのだろう。
あの暫定期間は、選手1人1人が真摯に練習に取り組んでいて、とても良い雰囲気だった。みんなで新しいチームを作っていこうという気概が感じられた。オカピさんが文字通り人生を懸けてチームを率いてくれたし、新しく主将・副将になった真路、章、谷がチームのマネジメントについて毎日議論していたのを横目で見ていたから、自然と俺も気合が入った。練習も新鮮で、毎日新たな学びがあった。練習試合の日文戦、一橋戦どちらも快勝し、目標とする「東京カップ制覇」が現実的に感じるほど、チームとして成長していた。とにかく毎日の練習が楽しかった。
迎えた東京カップ1回戦、電通大戦。
結果は8-0の圧勝。新チーム初の公式戦として、文句の付けようがない試合だった。選手、ベンチ、そして応援団の誰もがこの上なく喜んでいた。
ただ自分は全く嬉しくなかった。
1秒も出れなかった。8-0で勝ったのに、1秒も出れなかった。交代枠5枚全部使ったのに、1秒も出れなかった。ベンチに俺と仁、そして星だけが取り残された。8-0で勝っている試合に出場できなければ、どんな試合でも出場できないことと同義だ。信用されていないんだなと感じた。とにかく悔しかった。自分の練習でのパフォーマンスに自信があっただけに、悔しかった。試合後何かを察してくれた真路が「おつかれ」と声をかけてくれた。絶対お前の方が疲れてるだろ。90分間フルで出場した奴に気遣われるとは、情けない。
試合後、家に帰って珍しく泣いた。4年生が引退したあの日以来、急激に涙もろくなった。一度決壊したダムは、修復が不可能らしい。歳を取った。もはや歌や章をバカにはできない。この前はM-1のアナザーストーリーを見て泣いた。決勝もロクに見てないのに、泣いてしまった。やっぱり人を笑顔にすることほど、かっこいい仕事はない。神様がいるのなら、笑いのセンスをくださいとわがままを言わせてほしいくらいだ。
続く東京カップ2回戦の成城にも、6-1で快勝した。正直これには驚いた。東京都1部の下位とは言え、仮にも去年同じ東京カップで敗戦を喫した成城に対し、ここまで大差で勝てるとは誰も予想してなかった。ますます「東京カップ制覇」という目標が現実的になった気がした。
肝心の自分はというと、15分ほど出場機会を得た。大勝の中での僅かな時間だったし、イシコが訳のわからないイエローを貰っていたのも大きかったけど、単純に嬉しかった。前回の試合後、高口になぜ試合に出れなかったか聞き、SBとしても起用してほしい旨を伝えたことが功を奏したのかもしれない。首脳陣との癒着が噂される章はこうやって出場機会を得ているのかと納得した。ロビー活動も捨てたもんじゃない。まあ改善を1人で模索していた1ヶ月前と比べて、多少は成長したのかな。チーム状況は間違いなく上向きだった。
迎えた3回戦、帝京戦。
朝早くから、多摩キャンパスでの試合だった。加えて、入試が重なったから控室は用意できない、ルールだからとグラウンド脇にも入らせてもらえないという、「ここは中東か」と錯覚するようなアウェイの洗礼を食らった。明らかに帝京側に落ち度があるにも関わらず、抗議する東大に対して、たった1人毅然とした態度で立ち向かう相手校の女子マネージャーには感服した。これが噂の帝京魂か。
募ったイライラをぶつけるように、アップから全員で死ぬほど声を出した。前回帝京に奇跡の勝利を収めた時はアップで勝ったとイシコが言ってたから、必死で声を出した。当の本人は累積で出場停止を食らっていたから、応援席で黙っていたけど。良い意味でも悪い意味でも真面目な東大生は、験担ぎも本気で信じてしまう。間違いなく俺らの方が帝京魂を持っていた。
その勢いのまま突入した試合開始後1分、真路が相手と接触した。頭部からの出血を見て、さすがにマズイと思った。その直後オカピさんに名前を呼ばれた。もちろん出る準備はしていたが、まさか開始1分で出番が来るとは思っていなかった。真路が心配だったが、その時ばかりは試合に集中しなければならない。勝ってあいつに良い報告をしようと意気込んだ。
入りは悪くなかった。自分でプラスは生めなくとも、やるべきことをしっかり遂行することで、試合を壊さないよう注意を払った。ピッチに入った時、北川は「楽しもう」と声をかけてくれたし、ひかるは「全部蹴って良いよ」と言ってくれたし、章は過剰にサポートに来てくれたし、荒や祐次郎は人一倍チームを鼓舞してたし、谷は通常通り無双してたし、里見は1年生とは思えない抜群の安定感だったし、折田は初スタメンながら躍動してたし、大智は俺より緊張してたし、長田は帝京の応援団と喧嘩してたし、朝からア式の応援の声も大きかったので、やりやすかった。ああいう時に頼りになる仲間が多い。自然と緊張せず、とにかく試合を楽しめた。
前半は東大が優勢だった。何本か決定機はあったが決められず、試合は膠着状態に入っていた。このまま終わるだろうと誰もが思っていた前半アディショナルタイム+3分、アバウトなロングボールが相手FWにこぼれ、目の前でシュートを打たれた。あの光景は今でも鮮明に覚えている。振り返った瞬間、直線かと思われたボールは軌道を変え、ニアのゴールネットに突き刺さった。結局前半を0-1で折り返すことになった。
ハーフタイム、まだ勝てると思っていた。明らかに俺らの方がチャンスが多かったし、主将の真路がいない分、1人1人から自分がチームを勝たせるという気概を感じた。でも甘かった。あの1点が流れを変えてしまった。後半は、前半の優勢が嘘のように、防戦一方だった。相手の圧、強度に圧倒され、パスが2本以上繋がることはほとんどなかった。結局もう1失点し、0-2で敗戦した。そしてそのまま、準決勝・決勝と勝利した帝京が東京カップを制覇した。
試合後、涙は出なかった。多分あの時持てる力は全て出した。全て出し切った結果、負けた。単純に力負けだった。だから後悔は全くないが、強烈な悔しさだけが残った。その日おふろの王様に行って、俺、章、大智、荒、誠二郎、長田の6人で、試合の感想を永遠に語り合った。何が足りなかったんだろうか。誠二郎だけはずっと出場時間の短さに文句を言っていたけど。
今でもたまに思ってしまう。あの日真路が怪我しなかったら、どうなっていたんだろう。悔しいけど、多分俺が出るよりは良い結果だったんだろうな。あのまま帝京にも勝って、優勝してたかな。そしたら今のチーム状況はどうなっていたんだろう。考え始めたらキリがないし、なんの意味もない。けど考えてしまう。あの時自分がピッチに立つ資格がなかったと認めている証拠かもしれない。
帝京に勝てば、西が丘での試合が決定していた。西が丘とは、国立唯一のサッカー専用競技場であり、サッカー経験者ならば誰もが憧れる聖地である。もし西が丘での試合が決定したら、母親を呼ぶ予定だった。ア式に入って以来、まだ一度も自分がプレーする姿を見せられていない。それは単に、公式戦にスタメンで出場したことが1度もないからである。こんなにも出れないものだとは思ってもいなかった。生まれてからずっと母とは2人で暮らしてきた。今は俺が1人暮らしをしているし、ア式のことはほとんど話していないけど、柄にもなくTwitterのアカウントまで作ってア式の情報を追っている。だからせめて、恩返しなどとは言えないが、西が丘でプレーする姿を見せたかった。けど叶わなかった。
「なんで東大に入ってまで、サッカーをやってるの?」
ア式部員に対する常套句である。かくいう自分も母に言われたことがあるし、多くの部員が一度は考えたことはあるだろう。
しかし答えは明白だ。東大だから、もっと言うと、ア式だからサッカーを続けているのである。
今一度考えてほしい。もし早稲田や慶応に進学していたら、部活としてサッカーを続けていただろうか。東大サッカー部がガリ勉を寄せ集めただけの弱小クラブだったら、本当に入部していただろうか。
ア式には、サッカーを知り尽くしたコーチ陣がいて、戦術分析を担当するテクニカルスタッフがいて、アップからリハビリまで指導できるフィジカルコーチがいて、練習の円滑な進行をサポートするグラウンドスタッフがいる。大学に人工芝のグラウンドが2面あって、毎日練習を撮影してくれて、LB会の方やスポンサー企業のおかげで様々な活動に投資ができる。これ以上の環境は大学サッカーにない。
ア式にはロマンがある。田舎の共学ぐらいロマンがある。
高校時代は3、4個カテゴリーが上であっただろう相手と戦って、勝つことができる。肉体的、技術的、精神的に自分たちを上回っている相手に負けて、本気で悔しがることができる。スポーツ推薦もないのに、「関東昇格」という夢を見ることができる。
徹さんがこの前言っていた言葉が、凄く心に残っている。「お前らが下手なのは知ってる。相手の方が絶対に上手いよ。じゃあ何で勝つんだよ。頭で勝つんだろ。」
谷は玉川の選手に「なんで東大は勝てるの?」と聞かれた際、「俺たちは軍隊だから」と答えたらしい。なかなかに的を得ていると思う。良い意味でも悪い意味でも真面目な東大生は、コーチ陣が提示したゲームモデルを適切に理解して、愚直に努力することができる。俺たちが対戦相手に勝負を挑めるのはこの1点だけである。ただこの1点だけで試合に勝利することができるのも、サッカーの魅力である。
今一度考えてほしい。東京都1部で勝つということは、選手の層だけで言えば、日本がドイツやスペインに勝つようなものである。それだけの奇跡である。ただ逆説的に言えば、一平さんも言っていたように、俺たちが努力を怠った時、思考を止めた時、ただの弱小クラブと化してしまう危険性を孕んでいる。それだけは忘れないでほしい。
ア式にはロマンがある。令和ロマンのM-1優勝くらいロマンがある。
単なる大学の部活が、「日本一価値のあるサッカークラブになる」という理念を鼻高々と掲げられる。日本のどのサッカークラブよりも人数の多い分析スタッフが、自チームのみらなず、シントトロイデンや日本代表の分析も行っている。キック専門家のタディさんやエリース東京の分析官であるきのけいさん、解説でお馴染みの陵平さんといった先進的な人材をサッカー界に輩出している。
学年・役職関係なく能力のある人材が、ティール組織という土壌の上で活躍している。学生のみで、監督を招聘し、中高生のサッカー大会を開催し、スポンサーを獲得している。そんな活動が認められて、某世界的リンゴマークメーカーのCMにも抜擢された。ただこれも、活動の多寡がメンバーの主体性に一任されている以上、努力を怠った瞬間単なる部活動に変容してしまうことを忘れてはならない。
もしリーグ戦を中位で終われば良い方だとか、サッカーをしに来た以上ピッチ外活動に興味はないだとか、ア式にいることは機会損失だとかいう人がいれば、少し残念に思ってしまう。人にはそれぞれ色々な価値観があって、その多様性を受容する文化がア式にはあるけれど、それでも一緒にロマンを追い求められないことに、どこかもどかしさを感じてしまう。もし自分がア式にいる意味を見出せなくなった時は、一度ア式の全てのリソースを使って自分のやりたいことをやってほしい。辞めるという決断を下すのは、その後でも遅くない。
自分にとってア式は青春である。青春と聞くと、人はすぐに田舎の共学を想起するが、青春とは何もそんな一部の人しか享受できないものではない。洗濯物を干すのもHIPHOPであるならば、練習後にジュースを賭けてロンドをするのも、やよい軒で大食い対決をするのも青春である。双青戦のパンフレットに「あなたにとってア式とは?」という問いかけの答えとともに、部員の顔写真が載るページがあるが、同じく「青春」と回答した一平さんに2年連続で負けて、自分は掲載されなかった覚えがある。そう言えばつい最近、新歓のアンケートでも同じ問いかけをされた。双青戦の担当者はセンスがなかったみたいだけど、大輝、お前はわかってるよな。
このfeelingsを書き始める少し前、今シーズン限りでクロップが退任するとの発表があった。クロップに魅了されてリバプールを好きになった身としては、麦わらの一味からルフィがいなくなるくらいショッキングな出来事だった。退任発表後初の公式戦、クロップを労うかの様なYou’ll never walk aloneの大合唱に感極まってしまった。ユニフォームを掲げて全身全霊で応援する現地のサポーターに感情移入してしまった。リバプールを応援し始めた頃の自分と比べて、やはり随分と歳を取った。20歳までは歳を取るのが嬉しいが、21歳からは単なる死へのカウントダウンである。
クロップがいなくなった後のリバプールを想像する。もしかしたらゲーゲンプレスが失われてしまうかもしれない。格下のエバートンに負けてしまうかもしれない。しかし時代は流転する。「終わった」とまで言われた矢倉囲いが復活した様に、古豪と呼ばれたミランやインテルが息を吹き返した様に、いつかまた必ず強いリバプールが帰ってくる。だからたとえマージーサイドダービーに敗れても、ウソップが船長になろうとも、サポーターは信じて応援し続けるべきである。アンフィールドでクロップの試合を観戦するという夢が潰えたことは残念だが、今シーズンの残りの試合くらい純粋なサポーターとして応援しよう。
先日、クロップの後任と噂のシャビアロンソ率いるレバークーゼンが、絶対王者バイエルンを3-0 で粉砕した。選手個々人の能力で言ったら、バイエルンに分があるだろう。しかし、ピッチ上の11人が共通の原則のもと連動してプレーすれば、選手の個人差を凌駕するほどの組織力を発揮できると証明してくれた。
サッカーにはロマンがある。
世界中の人々が、人生を懸けて熱狂する理由がそこにある。
ラストシーズン。ア式に入部してから、約何年経ったろう。とうとう来てしまったこの時が。毎年その時々を懸命に努力してきた自負はあるが、最高学年としての重みは普段のそれとはやはり違う。今シーズンの目標は、主力として関東リーグ昇格に貢献することだ。別に冗談で言っているわけではなく、割と本気で可能だと思っている。ア式のHPに掲載される個人目標には3年連続「怪我をしない」と記したが、あれ以来どうも体が脆い。そろそろ変えようかな。まあただ歳取っただけか。
この1年、間違っても良いシーズンだったとは言えない。ONE PIECEで例えるならば、ロングリングロングランド編のようなシーズン。でもドロピザ曰く、ガイモンでさえ最終章を暗示しているというし、意味のない物語など存在しないのだろう。結局過去に色を付けられるかどうかは、未来の自分に懸かっている。ア式での日々を振り返るのは一旦終わり。また来年笑って振り返ろう。100万回ダビングされた言葉ではあるけれど、あえて書き記しておきたい。
ラストシーズン、悔いのない様に頑張りたい。
結局「3年間悔しい思いをしたから、最後の1年間頑張る」という、feelingsのテンプレートのような内容になってしまった。外部の方にも伝わるように書くつもりが、内輪ネタが多くなってしまった。けどこれが自分の本音だし、TKも教科書を捨てるだけが美学じゃないと言っていたからしょうがない。もちろん破り捨てた教科書をクラッチ代わりにロールするくらいの男にはなりたかったけど。
自称feelings評論家の高口や上西園が読んだら、「振り返りは4年のfeelingsですれば良い」だの「俺の方が閲覧数が多い」だの言いそうだが、余計なお世話である。高口はfeelingsを書こうとしたら伝えたい言葉が降ってくる的なことを言っていたが、少しバズったくらいで調子に乗るな。最近のア式は高口を持ち上げすぎたようだ。あとそうだ上西園、お前も早く戻ってこい。
オフが明けてから、早くも1ヶ月が経った。自分の調子は悪くないが、対外試合ではなかなか結果が出ていない。プレシーズンとは言え、アミノが近づいてきたこともあり、チームには少し閉塞感が漂っている。
「結果と内容は切り分けて考えるべき」と徹さんは言っていた。負けた以上原因は存在するが、大事なのはその原因を出来る限り解像度高く捉えることである。なぜ負けたのかと抽象的に考えるのではなく、なぜ点を取れなかったか、なぜ失点してしまったかと細分化して考えるべきである。決定力を高める、ゴール前で体を張るといったことは確かに重要な要素だが、なぜもっと決定機を創出できなかったのか、なぜ相手FWに素早く寄せられなかったのかとより再現性の高い改善策を模索するべきである。そのように敗因を突き詰めていくと、結局は辺に立つ、正対する、ディアゴナーレを組むといった原理・原則に立ち返ることになる。つまり、自分たちに出来ることは、コーチ陣が提示したゲームモデルを適切に理解して、愚直に努力することだけである。
一番やってはいけないことは、敗北という結果を受けて、今までの過程までも間違っていたと決めつけてしまうことである。だから「負けた=失敗した」という前提から試合を振り返るアプローチは嫌いである。自分たちは「内容が良ければ結果もついてくる」と信じる立場でサッカーをしている。徹さんのゲームモデルは間違いなく信じ抜くに値するものだと思う。それは選手自身が一番理解しているはずだ。少しでも疑問点があるのならば、正面からその疑問をぶつけるべきであろう。しかし、今まで積み上げてきた過程を否定したり、結果が出れば何でも良いと投げやりになってはならない。コーチ陣が提示したゲームモデルを適切に理解して、愚直に努力し続ける。これが自分の辿り着いたサッカーへの向き合い方である。
ただサッカークラブの最終目的が勝利である以上、結果からも決して目を背けてはならない。内容を突き詰める。結果にこだわる。この一見相反する2つの目標を両立させなければならない。だから俺たちは努力し続ける必要がある。勝ち続ける必要がある。これまでのア式人生を肯定するためにも、関東昇格というロマンを追い求めるためにも。
気づけば今年も、部内には新歓ムードが漂い始めた。リーグ戦の開幕が近づいてきた証拠だ。こんなにも期待感に満ちたシーズンは、サッカー人生で初めてかもしれない。今日もまた、いつもと変わらずグラウンドに足を運ぶ。
We have to change from doubters to believers.
2024年2月12日 あれから1年何か変わったかな。
冬晴れの太陽に照らされたボールが、綺麗な弧を描いてバイタルエリアに落下する。即座に両チームの選手が反応したが、体格では相手FWに分があったようだ。たしかに同じ国公立の大学生とは思えないほどガッチリとした体つきをしている。セカンドボールを我が物にしたその短髪でムキムキの相手FWは、水を得た魚のように猛然とドリブルを開始する。最終ラインに一人取り残された自分は、銃口を突き付けられた兵士のように後退するほかなかった。状況は1対2の数的不利。華麗にカウンター攻撃を喰らっている。もし俺がファンダイクだったら、平然と相手からボールを刈り取り、アリソンとハイタッチをしていたであろう。しかし残念なことに、俺にそんな能力は存在しない。「最悪ファールで止めるしかないか」と思っていた次の瞬間、短髪ムキムキ兄ちゃんのドリブルのタッチが大きくなった。
その週の自分のテーマは「ボールホルダーに自分から仕掛けること」だった。アジリティ能力が低く、守備技術も持ち合わせていない自分にとって、ドリブルの得意な選手に良い状態で仕掛けられては勝ち目がない。抜かれないよう一定の距離を保ち、縦か横どちらかの選択肢を限定するのが精一杯である。ならばどうすればいいのか。自分の出した答えは、「相手が良い状態になる前に寄せ切ること」であった。ロングボールをトラップした瞬間、ドリブルのタッチが大きくなった瞬間、どんなに上手い選手であれ、ボールを自分のコントロール下に置けない瞬間は必ず存在する。ならば自分にできることは1つ。相手にボールが入る前にできる限りの準備をし、その瞬間に一気に寄せ切ってボールを奪う。これが俺の暫定解だった。同じ週の木曜日の紅白戦、実際に谷のタッチが大きくなった瞬間に突っ込み、谷に「危ねえよ」と珍しく怒られた記憶がある。今となっては申し訳ないが、その時の自分は試行錯誤の真っ只中。しょうがないと思った。
そんなチャンスがまさか週末の試合でやってくるとは。中高6年間、毎日伊達に神に祈っていたわけではない。「今しかない」と感じ、相手FWに思いっきり突っ込んだ。と同時に、経験したことないほどの衝撃が左膝に走った。5歳の時に、おばあちゃん家の犬に左膝を噛まれたときより痛かった。
2023年2月12日 東北大戦の出来事だった。
気づいたらピッチの外にいた。新家が応急処置をしてくれて、日和が前十字靭帯に問題がないか確かめてくれた。死ぬほど痛かったが、5歳の自分とは違い、泣かなかった。人間歳を取ると痛みには強くなるものだ。そこからはただボーッと試合を見ていた。ハーフタイムには、短髪ムキムキ兄ちゃんがわざわざ謝りに来てくれた。俺が突っ込んだのに、申し訳ないなあ。なんでムキムキはみんな優しいんだろう。歩けるわけでもないので、後半もその場で試合を見ることになった。確か後半終了間際に誰かが点決めて勝ったんだっけ。とにかくボーッと眺めてた。「なんでムキムキはみんな短髪なんだろう」とか考えてたら、90分なんてあっという間だった。
その日、東北大がカウンターの鋭いチームだったこともあってか、トップは酷い試合をしていた。なぜかア式はカウンターサッカーに対して、振り飛車に対する矢倉囲いくらい相性が悪い。でも俺は当時セカンドチームにいたから、全然嬉しかった。「やっとアピールのチャンスが来た」と思ったのを覚えている。加えて自身の調子も悪くなかった。その週には北川や章も褒めてくれた。多分本人は覚えてないだろうけど。とにかくかなり気合を入れて試合に臨んだことは確かだった。
そんな日に怪我をした。
試合後すぐにでも帰って寝たかったけど、幸か不幸か、その日の夜に4年生の追い出しコンパがあった。その通称「追いコン」では、2年生が芸を披露するという恒例行事が存在する。例に漏れず、自分も漫才を披露する予定だったので、帰るわけにもいかなかった。「ピンになるんじゃないか」と不安に駆られる相方の谷に付き添ってもらい、なんとか会場の池袋にたどり着いた。そして、なんやかんやで漫才は出来た。そこそこウケたので後悔はない。大不幸中の小幸いとはこのことか。
翌朝、信じられないほどの痛みとともに目が覚めた。
ベッドから起き上がることもしんどかったので、正直ずっと寝ていたかった。しかし何としてでも東大病院で診察を受けなければならない。足を引きずりながら、必死に家を飛び出した。歩くのしんどい。久しぶりに弱音を吐いた。最寄り2分の好物件に住んでるのに、改札まで15分かかった。これは想定外、おかげで診察に大遅刻してしまった。関係者の皆さん、ごめんなさい。
「後十字靭帯損傷。全治3-6ヶ月だね」
川口先生に、そう診断された。「期間の振り幅でか」と思った。「膝の裏側にも十字靱帯があったのか」と裏をかかれた気分だった。後十字靭帯とは何なのか、生活にどう支障を来すのか、詳しく説明してもらった記憶はあるが、現実として受け入れられなかったのか1つも覚えていない。
とにかくこれが人生初の長期離脱の幕開けだった。
怪我をしてから最初の2ヶ月間は、部活の練習には参加せず、週に1回近くの整形外科でリハビリをするだけの日々が続いた。特にやることもなかったので、北川に唆されて就活を始めてみたりしたが、サッカーのない空虚な日々を彩るほど没頭できるものでもなかった。どうやら自分の大学生活の大半は、ア式での活動が占めていたらしい。退屈だった。ア式との関わりと言えば、週に1、2回谷や北川とZoomで話すくらいだった。面接の練習という名目はあったが、実際はア式やサッカーについて話す時間が大半だった。2人は1年生の頃からリーグ戦で活躍しており、その頃には既にア式にとって欠かせない存在になっていたが、自分と同じくらい悩みを抱えていて何だか親近感が湧いた。谷や北川のサッカー観や将来像を聞く時間は楽しかった。今となってみれば、2人と腹を割って話せた時間は貴重だったのかもしれない。ただどうやら同時期に、谷が自分だけにフォーカスが当たらない様にと、俺が家で就活に明け暮れていると触れ回っていたらしい。おかげで「就活ガチ勢」という変なレッテルを貼られた。タチの悪い奴だ。他にもイシコが連絡をくれたり、希一が励ましのプレゼントを郵送してくれたりと、同期が支えてくれた。だから、あまりネガティブな感情に襲われることはなかった。ありがとう。
怪我から2ヶ月後、部のみんなが新歓に追われている頃、練習にDLとして復帰するようになった。久しぶりに練習に顔を出すと、何年生なのかわからない、部員なのか外部コーチなのかもわからない米田というフィジカルコーチもいた。DL期間はそんな米さんや新家、大智に本当にお世話になった。トレーナーが3人もいたから、基本的に誰かが付きっきりでリハビリメニューを指導してくれて、順調に体を動かすことができた。ア式にはその誰もが欠かせません。だから新家、早く戻って来い。
そんなこんなでリハビリは順調に進み、段々とネガティブな感情は消えていった。ただ一方で、サッカーが出来ないもどかしさが消えることはなかった。
章は後十字靭帯のリハビリ期間にサッカーを見まくって戦術眼を養ったらしいけど、俺にはそれが出来なかった。サッカーのことを考えると、「でも結局今サッカーできないしなー」というネガティブな思考に陥ってしまうからだ。しかしだからと言って、サッカーを全く見なかった訳ではない。むしろいつもの倍は見た。観戦中なんも考えてなかっただけだ。特に大好きなリバプールの試合は欠かさず見た。毎回リアルタイムで観戦できたことは、怪我の唯一の功名だったかもしれない。
中1の時、始めてリバプールを見た時の衝撃は今でも覚えている。
グアルディオラがサッカーのカオスを可能な限り支配しようと試みたのとは対照的に、クロップはそのカオスに勝機を見出した。ボールを即座に奪い返し、直線的にゴールに迫るサッカー。特にサラーが加入して以降は、そのカウンターサッカーにさらに磨きがかかった。何も考えず見ているだけで、ただただ面白かった。その時期はまだファンダイクもアリソンもいなかったから、スマホの画面かと突っ込みたくなるくらいすぐに壊れる守備陣だったけど、3点取られたら4点取り返していた。むしろ今よりエンターテイメント性が高かったかもしれない。相手チームのCKがチャンスだと感じられるのも、世界中でリバプールだけだろう。CKが蹴られてから10秒も経たないうちに、100m先の相手ゴールのネットを揺らす。ボルトより速い。「ボールは人より速い」ことを別の形で体現していた。おそらくあの高速カウンターを止めるには、俺の膝が何個あっても足りないだろう。
離脱期間中、そんな童心を思い出したかのように、リバプールの試合を謳歌した。「ああ、何も考えずに楽しめるから、俺はリバプールを好きになったんだな」としみじみ感じた。
ア式に入部して以降、サッカーの見方が180度変わった。
高口が「サッカーは帰納法」と称するように、プレーの上達には、具体的な局面を上手く集約し、普遍的な意思決定基準を練り上げていく作業が不可欠である。そのためには自分のプレーだけでなく、サッカー選手のプレーをも参考にして、なぜそのプレーが成功・失敗したか仮説を構築し、練習で実際に検証するという試行錯誤が重要である。
だからア式に入部して以降、サッカーを観戦する際は、その試合からどれだけ学びを得られるかが重要な尺度となった。ただ漠然とシャビの上手いプレーを見るのではなく、なぜシャビが上手いと言われているかを考えるようになった。シャビは自身が何故上手かったかバルサの選手に伝えきれなかったようだけど。とにかくそれは自分にとってコペルニクス的転回と呼べるほどに新鮮で、サッカーをより好きになるきっかけにもなった。
ただジブリのように、背景知識の豊富な大人から物心つく前の子供まで楽しめるのがサッカーの魅力である。離脱期間中の自分は、純粋にリバプールの勝利だけを願うサポーターであった。チアゴがどれだけプレスラインを切ろうと、マティプがどれだけボールを運ぼうと意に介さず、勝ったら喜び、負けたら悲しんだ。
それはア式の試合を見る時も同じだった。何も考えず、「みんな頑張ってるなあ」とか「今のファール痛そうだな」とか、サッカーを始めた頃の自分と同じ解像度で試合を見ていた。だから育成の試合後に、後十字靭帯の先輩でもある潤さんが「今日の俺のプレーどうだった?」と聞いてくれた時も、「良かったんじゃないですか笑」と適当に返すほかなかった。潤さん、ごめんなさい。
4月から始まったリーグ戦では、声出し応援が解禁された。完全にサポーターと化していた当時の自分にとって、選手の個人チャントや東大の応援歌を唄える環境は素晴らしかった。コロナ禍で声出しが禁止されていた分、リーグ戦後に応援で喉が枯れる経験が新鮮だった。ただそんな自分も、リハビリが順調に進むにつれて、考えが変わっていった。これはア式に限らず全てのサッカークラブで起きる現象であろうが、どうしてもチームを背負ってピッチに立っている仲間と、それをピッチの外から応援する自分とを対比してしまう。応援は3試合で飽きた。自分も応援される側になりたいと思った。そうだ、俺は公式戦を観戦しながら「俺の方が上手いな」とふんぞり返る大矢さんや吉平さんの背中を見て育ったんだった。この頃からまたア式を、そしてリバプールをただ純粋に応援することはできなくなった。
でも、まだボールが蹴れる状態ではなかった。
結局復帰できたのは8月、真夏の炎天下での試合だった。丸半年かかってしまった。川口先生の想定の悪い方に振れてしまったが、リハビリは真面目にやっていたので、致し方ない結果だろう。久しぶりのサッカーは、とにかく楽しかった。復帰初日に育成に落とされたけど、そんなの気にならないくらい楽しかった。その頃の育成は新しく入った1年生がいっぱいいて、章がまだ幅を利かせていた時期でもあった。肝心の膝はというと、特に気になることもなく、以前と同じ感覚でプレーできた。できるだけ早くAに昇格して、なるべく多くのリーグ戦に絡もうと意気込んでいた。
ただ現実はそんなに甘くなかった。
勝てない。勝てない。勝てない。復帰してから4年生が引退するまでの3ヶ月、自分が出た試合で1度も勝てなかった。もちろんAにも上がれなかった。これまでのア式の3年間で、一番辛い時期だったかもしれない。去年の育成との落差に、絶望した。自然と1人で考え込むことが増えた。なぜビルドアップがうまくいかないのか。なぜクロスから簡単に失点してしまうのか。自分1人で考え、自分1人で解決しようとした。終いには「なんであいつはAにいて、俺は育成にいるんだ」と現実逃避の思考に陥った。サッカープレイヤーとして、正真正銘のクズだった。
もしあの時、久野さんに、内田さんに、俊哉さんに、真鍋さんに、そして坊ちゃんに、自分の悩みを正面からぶつけることができていたら、状況は好転していたのかもしれない。けど、それができなかった。正直なぜそれができなかったのか、今でもわからない。自分ならできるという慢心故か、プライドが邪魔をしたのか、わからない。
とにかく辛かった。ただ同じ育成にいる4人の4年生の手前、そんなこと口が裂けても言えなかった。彼らが自分の何倍も悔しい思いをして、何倍も苦しんでいることはわかっていた。自分にとって、自分以上に苦しみながらも頑張っている人が隣にいることが、唯一の救いだった。
そんな中迎えた4年生の引退試合。
あっけなく負けた。いつものように失点をし、点が取れず、負けた。どんなに辛い中でも、サッカーに対しては真剣に取り組んできた。それだけに、試合終了の笛を聞いた瞬間はなんとも言えない無力感に苛まれた。
最後の週も、自分なりに精一杯頑張ったつもりだった。水曜日にAに体調不良者が続出したから、いつ呼ばれても良い準備はしていた。練習では人一倍声を出し続けた。金曜日まで、もしかしたらAに呼ばれるんじゃないかと本当に信じ続けた。けど、呼ばれるはずもなかった。
育成の4年生を勝たせられなくて悔しかった。OBコーチに結果で恩返しできなくて悔しかった。Aの4年生とまた一緒にサッカーが出来なくて悔しかった。陵平さんのもとでまたサッカーが出来なくて悔しかった。
試合後、ベンチ脇で泣く山田さんを見て、自分も涙が止まらなくなった。人間歳を取ると痛みには強くなるが、情には脆くなるらしい。山田さんをはじめ、4年生には本当にお世話になった。だからこそ、最後の試合くらい一緒に勝ちたかった。泣いている自分を久野さんが慰めてくれた。でも、本当は笑顔でコーチを引退してほしかった。泣いてばかりで、何も考えられなかった。だから、帰り際に山田さんが「今までありがとな」と声をかけてくれた時も、なんて返せばいいかわからなかった。俺はこの1年間何をやってきたんだろう。明確に答えられる何かが欲しかった。
たしかに兒玉さんが言う通り、ネガティブな感情はポジティブな感情より大きな力になる。挫折や失敗が挑戦への原動力になることは、過去のfeelingsが嫌と言うほど証明している。しかし、物事を失敗という結果から逆算して振り返ることは間違っていると思う。いや、そもそも試合の勝ち負けを成功・失敗の二元論で語ること自体が間違っている。サッカーは複雑系で、様々な要素が絡み合って1つ1つの局面が形作られる。そのため、ある側面から見たら成功した試合も、別の側面から見たら失敗に見える。だから「負けた=失敗した」という前提から試合を振り返るアプローチは、本来上手くいっていたことを覆い隠す可能性がある。
育成の弱さは、個々人が下手なことではなく、チームとして明確な目標がないことに起因している。リーグ戦と異なり、試合の勝敗がア式の未来を決定づけるわけではないため、練習からどうしても無責任なプレーが増えてしまう。近年の育成は、勝利への執着と新しいプレーへの挑戦のどちらをより重視するか、その塩梅に苦しんできた。個人的には、育成コーチは勝利の重要性を説くべきだと思ってしまうが、2年前目の前の勝利に固執したが故に、プレーの幅を広げられなかった自分がいたのも事実である。でも結局は結果と内容がトレードオフの関係ではなく相関関係にある以上、どちらを重視するのかは些細な問題なのかもしれない。「まずは勝った上で内容にもこだわろう」と言えど、「勝つのも大事だけど、今週学んだことに挑戦することが一番重要だ」と言えど、内容が良ければ結果はついてくるし、結果が良ければ必然的に内容も良いことが多い。内容が結果の必要十分条件ではないところがサッカーの面白いところではあるけれど。要するに、勝ち続けた昨季の育成と、負け続けた今季の育成、どちらが良かったなどとは一概に言えないということだ。
たしかにあの3ヶ月間育成は負け続けた。それは紛れもない事実だ。ではその3ヶ月間は失敗だったのだろうか。答えは否。あの期間で間違いなく自分は肉体的、技術的、精神的に成長した。
結局過去の行動に色を付けられるのは、未来の自分自身である。
過去に感じた痛みや苦しみを原動力に変えて、今を精一杯生きることによって、過去の苦い思い出も、淡い青春時代の様に思い返される。残された自分たちが、お世話になった4年生やOBコーチに対して出来る唯一の恩返しは、残りのア式人生に全力を尽くすことだ。そして「あなたのおかげで今の自分があります」と胸を張って伝えることだ。今のAチームには、あの時育成で共に戦ったメンバーがたくさんいる。素直に嬉しい。自分たちがリーグ戦に出たら絶対に見に行くと俊哉さんや内田さんも言ってたから、一緒に頑張ろう。
最後に、あまり伝えられた気がしないので書いておきます。
4年生、そしてOBコーチの方々、本当にお世話になりました。
4年生が引退した後の新体制では、オカピさんが暫定で指揮を取った。
新体制の移行期には、監督人事の議論も相まって、ア式の未来について語られることが多かった。来季は東京都1部でどのくらい戦えるのか、どういうサッカーを志向するのか、各々が自分の見解を存分に披露していた。その中でも「前線の陣容は変わらないけど、DF陣が心配だ」という言葉をよく耳にした。たしかに昨シーズンの3人のCBは全員4年生だったのに対し、前線には谷や北川が残っている。真っ当な意見だった。加えてみんなが予想する来季のスタメンに自分の名前はなかった。これも真っ当な意見だった。真っ当だったからこそ、辛かった。それを認めざるを得ない自分が情けなかった。
俺は自分の悩みや葛藤を吐き出すのが苦手だ。しかも他人の評価や意見も人一倍気にしてしまう。だからDFへの不安や不満は、全て自身への非難のように聞こえた。去年の育成で自分の悩みを素直にぶつけられなかったのも、そのせいかもしれない。けどまあみんなそんなもんか。普段から「辛い、悔しい」なんて言ってる人いないしな。だからfeelingsには価値があるのだろう。
あの暫定期間は、選手1人1人が真摯に練習に取り組んでいて、とても良い雰囲気だった。みんなで新しいチームを作っていこうという気概が感じられた。オカピさんが文字通り人生を懸けてチームを率いてくれたし、新しく主将・副将になった真路、章、谷がチームのマネジメントについて毎日議論していたのを横目で見ていたから、自然と俺も気合が入った。練習も新鮮で、毎日新たな学びがあった。練習試合の日文戦、一橋戦どちらも快勝し、目標とする「東京カップ制覇」が現実的に感じるほど、チームとして成長していた。とにかく毎日の練習が楽しかった。
迎えた東京カップ1回戦、電通大戦。
結果は8-0の圧勝。新チーム初の公式戦として、文句の付けようがない試合だった。選手、ベンチ、そして応援団の誰もがこの上なく喜んでいた。
ただ自分は全く嬉しくなかった。
1秒も出れなかった。8-0で勝ったのに、1秒も出れなかった。交代枠5枚全部使ったのに、1秒も出れなかった。ベンチに俺と仁、そして星だけが取り残された。8-0で勝っている試合に出場できなければ、どんな試合でも出場できないことと同義だ。信用されていないんだなと感じた。とにかく悔しかった。自分の練習でのパフォーマンスに自信があっただけに、悔しかった。試合後何かを察してくれた真路が「おつかれ」と声をかけてくれた。絶対お前の方が疲れてるだろ。90分間フルで出場した奴に気遣われるとは、情けない。
試合後、家に帰って珍しく泣いた。4年生が引退したあの日以来、急激に涙もろくなった。一度決壊したダムは、修復が不可能らしい。歳を取った。もはや歌や章をバカにはできない。この前はM-1のアナザーストーリーを見て泣いた。決勝もロクに見てないのに、泣いてしまった。やっぱり人を笑顔にすることほど、かっこいい仕事はない。神様がいるのなら、笑いのセンスをくださいとわがままを言わせてほしいくらいだ。
続く東京カップ2回戦の成城にも、6-1で快勝した。正直これには驚いた。東京都1部の下位とは言え、仮にも去年同じ東京カップで敗戦を喫した成城に対し、ここまで大差で勝てるとは誰も予想してなかった。ますます「東京カップ制覇」という目標が現実的になった気がした。
肝心の自分はというと、15分ほど出場機会を得た。大勝の中での僅かな時間だったし、イシコが訳のわからないイエローを貰っていたのも大きかったけど、単純に嬉しかった。前回の試合後、高口になぜ試合に出れなかったか聞き、SBとしても起用してほしい旨を伝えたことが功を奏したのかもしれない。首脳陣との癒着が噂される章はこうやって出場機会を得ているのかと納得した。ロビー活動も捨てたもんじゃない。まあ改善を1人で模索していた1ヶ月前と比べて、多少は成長したのかな。チーム状況は間違いなく上向きだった。
迎えた3回戦、帝京戦。
朝早くから、多摩キャンパスでの試合だった。加えて、入試が重なったから控室は用意できない、ルールだからとグラウンド脇にも入らせてもらえないという、「ここは中東か」と錯覚するようなアウェイの洗礼を食らった。明らかに帝京側に落ち度があるにも関わらず、抗議する東大に対して、たった1人毅然とした態度で立ち向かう相手校の女子マネージャーには感服した。これが噂の帝京魂か。
募ったイライラをぶつけるように、アップから全員で死ぬほど声を出した。前回帝京に奇跡の勝利を収めた時はアップで勝ったとイシコが言ってたから、必死で声を出した。当の本人は累積で出場停止を食らっていたから、応援席で黙っていたけど。良い意味でも悪い意味でも真面目な東大生は、験担ぎも本気で信じてしまう。間違いなく俺らの方が帝京魂を持っていた。
その勢いのまま突入した試合開始後1分、真路が相手と接触した。頭部からの出血を見て、さすがにマズイと思った。その直後オカピさんに名前を呼ばれた。もちろん出る準備はしていたが、まさか開始1分で出番が来るとは思っていなかった。真路が心配だったが、その時ばかりは試合に集中しなければならない。勝ってあいつに良い報告をしようと意気込んだ。
入りは悪くなかった。自分でプラスは生めなくとも、やるべきことをしっかり遂行することで、試合を壊さないよう注意を払った。ピッチに入った時、北川は「楽しもう」と声をかけてくれたし、ひかるは「全部蹴って良いよ」と言ってくれたし、章は過剰にサポートに来てくれたし、荒や祐次郎は人一倍チームを鼓舞してたし、谷は通常通り無双してたし、里見は1年生とは思えない抜群の安定感だったし、折田は初スタメンながら躍動してたし、大智は俺より緊張してたし、長田は帝京の応援団と喧嘩してたし、朝からア式の応援の声も大きかったので、やりやすかった。ああいう時に頼りになる仲間が多い。自然と緊張せず、とにかく試合を楽しめた。
前半は東大が優勢だった。何本か決定機はあったが決められず、試合は膠着状態に入っていた。このまま終わるだろうと誰もが思っていた前半アディショナルタイム+3分、アバウトなロングボールが相手FWにこぼれ、目の前でシュートを打たれた。あの光景は今でも鮮明に覚えている。振り返った瞬間、直線かと思われたボールは軌道を変え、ニアのゴールネットに突き刺さった。結局前半を0-1で折り返すことになった。
ハーフタイム、まだ勝てると思っていた。明らかに俺らの方がチャンスが多かったし、主将の真路がいない分、1人1人から自分がチームを勝たせるという気概を感じた。でも甘かった。あの1点が流れを変えてしまった。後半は、前半の優勢が嘘のように、防戦一方だった。相手の圧、強度に圧倒され、パスが2本以上繋がることはほとんどなかった。結局もう1失点し、0-2で敗戦した。そしてそのまま、準決勝・決勝と勝利した帝京が東京カップを制覇した。
試合後、涙は出なかった。多分あの時持てる力は全て出した。全て出し切った結果、負けた。単純に力負けだった。だから後悔は全くないが、強烈な悔しさだけが残った。その日おふろの王様に行って、俺、章、大智、荒、誠二郎、長田の6人で、試合の感想を永遠に語り合った。何が足りなかったんだろうか。誠二郎だけはずっと出場時間の短さに文句を言っていたけど。
今でもたまに思ってしまう。あの日真路が怪我しなかったら、どうなっていたんだろう。悔しいけど、多分俺が出るよりは良い結果だったんだろうな。あのまま帝京にも勝って、優勝してたかな。そしたら今のチーム状況はどうなっていたんだろう。考え始めたらキリがないし、なんの意味もない。けど考えてしまう。あの時自分がピッチに立つ資格がなかったと認めている証拠かもしれない。
帝京に勝てば、西が丘での試合が決定していた。西が丘とは、国立唯一のサッカー専用競技場であり、サッカー経験者ならば誰もが憧れる聖地である。もし西が丘での試合が決定したら、母親を呼ぶ予定だった。ア式に入って以来、まだ一度も自分がプレーする姿を見せられていない。それは単に、公式戦にスタメンで出場したことが1度もないからである。こんなにも出れないものだとは思ってもいなかった。生まれてからずっと母とは2人で暮らしてきた。今は俺が1人暮らしをしているし、ア式のことはほとんど話していないけど、柄にもなくTwitterのアカウントまで作ってア式の情報を追っている。だからせめて、恩返しなどとは言えないが、西が丘でプレーする姿を見せたかった。けど叶わなかった。
「なんで東大に入ってまで、サッカーをやってるの?」
ア式部員に対する常套句である。かくいう自分も母に言われたことがあるし、多くの部員が一度は考えたことはあるだろう。
しかし答えは明白だ。東大だから、もっと言うと、ア式だからサッカーを続けているのである。
今一度考えてほしい。もし早稲田や慶応に進学していたら、部活としてサッカーを続けていただろうか。東大サッカー部がガリ勉を寄せ集めただけの弱小クラブだったら、本当に入部していただろうか。
ア式には、サッカーを知り尽くしたコーチ陣がいて、戦術分析を担当するテクニカルスタッフがいて、アップからリハビリまで指導できるフィジカルコーチがいて、練習の円滑な進行をサポートするグラウンドスタッフがいる。大学に人工芝のグラウンドが2面あって、毎日練習を撮影してくれて、LB会の方やスポンサー企業のおかげで様々な活動に投資ができる。これ以上の環境は大学サッカーにない。
ア式にはロマンがある。田舎の共学ぐらいロマンがある。
高校時代は3、4個カテゴリーが上であっただろう相手と戦って、勝つことができる。肉体的、技術的、精神的に自分たちを上回っている相手に負けて、本気で悔しがることができる。スポーツ推薦もないのに、「関東昇格」という夢を見ることができる。
徹さんがこの前言っていた言葉が、凄く心に残っている。「お前らが下手なのは知ってる。相手の方が絶対に上手いよ。じゃあ何で勝つんだよ。頭で勝つんだろ。」
谷は玉川の選手に「なんで東大は勝てるの?」と聞かれた際、「俺たちは軍隊だから」と答えたらしい。なかなかに的を得ていると思う。良い意味でも悪い意味でも真面目な東大生は、コーチ陣が提示したゲームモデルを適切に理解して、愚直に努力することができる。俺たちが対戦相手に勝負を挑めるのはこの1点だけである。ただこの1点だけで試合に勝利することができるのも、サッカーの魅力である。
今一度考えてほしい。東京都1部で勝つということは、選手の層だけで言えば、日本がドイツやスペインに勝つようなものである。それだけの奇跡である。ただ逆説的に言えば、一平さんも言っていたように、俺たちが努力を怠った時、思考を止めた時、ただの弱小クラブと化してしまう危険性を孕んでいる。それだけは忘れないでほしい。
ア式にはロマンがある。令和ロマンのM-1優勝くらいロマンがある。
単なる大学の部活が、「日本一価値のあるサッカークラブになる」という理念を鼻高々と掲げられる。日本のどのサッカークラブよりも人数の多い分析スタッフが、自チームのみらなず、シントトロイデンや日本代表の分析も行っている。キック専門家のタディさんやエリース東京の分析官であるきのけいさん、解説でお馴染みの陵平さんといった先進的な人材をサッカー界に輩出している。
学年・役職関係なく能力のある人材が、ティール組織という土壌の上で活躍している。学生のみで、監督を招聘し、中高生のサッカー大会を開催し、スポンサーを獲得している。そんな活動が認められて、某世界的リンゴマークメーカーのCMにも抜擢された。ただこれも、活動の多寡がメンバーの主体性に一任されている以上、努力を怠った瞬間単なる部活動に変容してしまうことを忘れてはならない。
もしリーグ戦を中位で終われば良い方だとか、サッカーをしに来た以上ピッチ外活動に興味はないだとか、ア式にいることは機会損失だとかいう人がいれば、少し残念に思ってしまう。人にはそれぞれ色々な価値観があって、その多様性を受容する文化がア式にはあるけれど、それでも一緒にロマンを追い求められないことに、どこかもどかしさを感じてしまう。もし自分がア式にいる意味を見出せなくなった時は、一度ア式の全てのリソースを使って自分のやりたいことをやってほしい。辞めるという決断を下すのは、その後でも遅くない。
自分にとってア式は青春である。青春と聞くと、人はすぐに田舎の共学を想起するが、青春とは何もそんな一部の人しか享受できないものではない。洗濯物を干すのもHIPHOPであるならば、練習後にジュースを賭けてロンドをするのも、やよい軒で大食い対決をするのも青春である。双青戦のパンフレットに「あなたにとってア式とは?」という問いかけの答えとともに、部員の顔写真が載るページがあるが、同じく「青春」と回答した一平さんに2年連続で負けて、自分は掲載されなかった覚えがある。そう言えばつい最近、新歓のアンケートでも同じ問いかけをされた。双青戦の担当者はセンスがなかったみたいだけど、大輝、お前はわかってるよな。
このfeelingsを書き始める少し前、今シーズン限りでクロップが退任するとの発表があった。クロップに魅了されてリバプールを好きになった身としては、麦わらの一味からルフィがいなくなるくらいショッキングな出来事だった。退任発表後初の公式戦、クロップを労うかの様なYou’ll never walk aloneの大合唱に感極まってしまった。ユニフォームを掲げて全身全霊で応援する現地のサポーターに感情移入してしまった。リバプールを応援し始めた頃の自分と比べて、やはり随分と歳を取った。20歳までは歳を取るのが嬉しいが、21歳からは単なる死へのカウントダウンである。
クロップがいなくなった後のリバプールを想像する。もしかしたらゲーゲンプレスが失われてしまうかもしれない。格下のエバートンに負けてしまうかもしれない。しかし時代は流転する。「終わった」とまで言われた矢倉囲いが復活した様に、古豪と呼ばれたミランやインテルが息を吹き返した様に、いつかまた必ず強いリバプールが帰ってくる。だからたとえマージーサイドダービーに敗れても、ウソップが船長になろうとも、サポーターは信じて応援し続けるべきである。アンフィールドでクロップの試合を観戦するという夢が潰えたことは残念だが、今シーズンの残りの試合くらい純粋なサポーターとして応援しよう。
先日、クロップの後任と噂のシャビアロンソ率いるレバークーゼンが、絶対王者バイエルンを3-0 で粉砕した。選手個々人の能力で言ったら、バイエルンに分があるだろう。しかし、ピッチ上の11人が共通の原則のもと連動してプレーすれば、選手の個人差を凌駕するほどの組織力を発揮できると証明してくれた。
サッカーにはロマンがある。
世界中の人々が、人生を懸けて熱狂する理由がそこにある。
ラストシーズン。ア式に入部してから、約何年経ったろう。とうとう来てしまったこの時が。毎年その時々を懸命に努力してきた自負はあるが、最高学年としての重みは普段のそれとはやはり違う。今シーズンの目標は、主力として関東リーグ昇格に貢献することだ。別に冗談で言っているわけではなく、割と本気で可能だと思っている。ア式のHPに掲載される個人目標には3年連続「怪我をしない」と記したが、あれ以来どうも体が脆い。そろそろ変えようかな。まあただ歳取っただけか。
この1年、間違っても良いシーズンだったとは言えない。ONE PIECEで例えるならば、ロングリングロングランド編のようなシーズン。でもドロピザ曰く、ガイモンでさえ最終章を暗示しているというし、意味のない物語など存在しないのだろう。結局過去に色を付けられるかどうかは、未来の自分に懸かっている。ア式での日々を振り返るのは一旦終わり。また来年笑って振り返ろう。100万回ダビングされた言葉ではあるけれど、あえて書き記しておきたい。
ラストシーズン、悔いのない様に頑張りたい。
結局「3年間悔しい思いをしたから、最後の1年間頑張る」という、feelingsのテンプレートのような内容になってしまった。外部の方にも伝わるように書くつもりが、内輪ネタが多くなってしまった。けどこれが自分の本音だし、TKも教科書を捨てるだけが美学じゃないと言っていたからしょうがない。もちろん破り捨てた教科書をクラッチ代わりにロールするくらいの男にはなりたかったけど。
自称feelings評論家の高口や上西園が読んだら、「振り返りは4年のfeelingsですれば良い」だの「俺の方が閲覧数が多い」だの言いそうだが、余計なお世話である。高口はfeelingsを書こうとしたら伝えたい言葉が降ってくる的なことを言っていたが、少しバズったくらいで調子に乗るな。最近のア式は高口を持ち上げすぎたようだ。あとそうだ上西園、お前も早く戻ってこい。
オフが明けてから、早くも1ヶ月が経った。自分の調子は悪くないが、対外試合ではなかなか結果が出ていない。プレシーズンとは言え、アミノが近づいてきたこともあり、チームには少し閉塞感が漂っている。
「結果と内容は切り分けて考えるべき」と徹さんは言っていた。負けた以上原因は存在するが、大事なのはその原因を出来る限り解像度高く捉えることである。なぜ負けたのかと抽象的に考えるのではなく、なぜ点を取れなかったか、なぜ失点してしまったかと細分化して考えるべきである。決定力を高める、ゴール前で体を張るといったことは確かに重要な要素だが、なぜもっと決定機を創出できなかったのか、なぜ相手FWに素早く寄せられなかったのかとより再現性の高い改善策を模索するべきである。そのように敗因を突き詰めていくと、結局は辺に立つ、正対する、ディアゴナーレを組むといった原理・原則に立ち返ることになる。つまり、自分たちに出来ることは、コーチ陣が提示したゲームモデルを適切に理解して、愚直に努力することだけである。
一番やってはいけないことは、敗北という結果を受けて、今までの過程までも間違っていたと決めつけてしまうことである。だから「負けた=失敗した」という前提から試合を振り返るアプローチは嫌いである。自分たちは「内容が良ければ結果もついてくる」と信じる立場でサッカーをしている。徹さんのゲームモデルは間違いなく信じ抜くに値するものだと思う。それは選手自身が一番理解しているはずだ。少しでも疑問点があるのならば、正面からその疑問をぶつけるべきであろう。しかし、今まで積み上げてきた過程を否定したり、結果が出れば何でも良いと投げやりになってはならない。コーチ陣が提示したゲームモデルを適切に理解して、愚直に努力し続ける。これが自分の辿り着いたサッカーへの向き合い方である。
ただサッカークラブの最終目的が勝利である以上、結果からも決して目を背けてはならない。内容を突き詰める。結果にこだわる。この一見相反する2つの目標を両立させなければならない。だから俺たちは努力し続ける必要がある。勝ち続ける必要がある。これまでのア式人生を肯定するためにも、関東昇格というロマンを追い求めるためにも。
気づけば今年も、部内には新歓ムードが漂い始めた。リーグ戦の開幕が近づいてきた証拠だ。こんなにも期待感に満ちたシーズンは、サッカー人生で初めてかもしれない。今日もまた、いつもと変わらずグラウンドに足を運ぶ。
We have to change from doubters to believers.
2024年2月12日 あれから1年何か変わったかな。
あの頃から企んでた目標、叶えられるよう応援してます
返信削除ア式のファンです。応援しています!
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