ありのままの自分

宮野隼輔(1年/DF/桐朋高校)


入部して何ヶ月か経った今、feelingsを書く
自分と向き合う、自分のこれまでの人生を振り返るいい機会として出来るだけ見栄や虚勢を排除して書く。

まずは今までのサッカー人生について。

サッカーを始めたきっかけは保育園の友達からだろうか、5歳くらいの時に親にやってみたらということで始めた。
まっすぐなドリブルすらもままならない、そんな0からのスタート。リフティングも1、2回がせいぜい。(今もリフティング上手くないが…)中でも1番のやりがい、嬉しい、楽しい瞬間はゴールを決めた時だった。DSのカセットを買ってもらう約束だったが、それ以上に決めるのが嬉しかった。

小学校低学年の頃、アニメの影響もあってかゴールキーパーにハマっていた。チームは味方の超上手い子が点決めまくってそれで勝つ。そんな割とあるある?な感じである。

小学校中学年では、その上手い子が6年生とかの試合に帯同し始めて、自分たちは一気に弱小チームになった。本当にずっと負け続けてた。それでもサッカーがずっと好きだったし、チームメイトとの時間も楽しかったからやめる選択肢は一ミリもなかった。

小学校高学年、受験と重なり始めて段々と参加することが減っていった。それでも、受験のネガティブな感情をサッカーはいつも和らげてくれた。

中学入学後は小学生の時やっていた楽器を続けるという選択肢もあったが、なんだかんだで1番サッカーが好きでやりたいということでサッカー部に入った。みんな自分よりもずっと上手くてびっくりした。ずっとミスばっか。ディフェンスラインの繋ぎで自分のとこでボール取られて失点。そんなことが何回も続いた。上手い奴のやり方を真似しようと頭では思っても、どうすれば良いか結局のところボール持った瞬間から分からなくなった。一年生では自分のクラスがサッカー部自分1人だったのもあったり、自分がめちゃくちゃ下手くそだったりで、馴染むのにはかなり時間がかかった。正直言って一年の頃は全く馴染めてなかったし、ずっと馬鹿にされながらプレスに怯えてプレーしてた。

二年生以降、同じクラスにサッカー部の人がいるようになったのもあって、また一緒に帰るのを受け入れてくれた仲間がいたのもあって、段々と馴染めるようになった。ただ、今一言で自分の当時のキャラを言うなら良くも悪くも滑稽な奴である。ベンチ外は当たり前、変なことして笑われる。完全なネタキャラである。笑わせるのではなく、笑われる。一発芸でなんの捻りもない服脱ぐだけで大ウケが取れてた時代だった。信じられない。そんな中、自分は笑わせれてたと思ってたのもあってその状態に対してはそんなに悪い気はしてなくて、むしろウケることが嬉しかった。一発芸のやる前の緊張感を覆すようなウケは本当に気持ちよかった。部活仲間ともよく遊んでたので今振り返ると1番楽しかった時期の一つだと思う。同時に、一発芸をやるなんて人生で無かったのと、服脱いでこんなにウケを生むなんて事なかったので、「自分はこんなキャラでいいのか、こんなキャラだったのか?」と悩んだ。アイデンティティクライシスである。「本当は主力でいたいのに…」という思いを胸にしまいながら。


コロナの緊急事態宣言による中断期間、中高一貫校のためそのまま中3から高1へ。高1の自分は部活では何とも言えない日々を過ごしていた。トップチームでスタメンで出てる同期を横目に尊敬しながらただ部活をこなす日々。
ただ、そんな自分に大きな転機が訪れる。学校に高校時代から当時までの体験談を話しにきてくれた方々の中に野球部で現役地方医学部の方がいた。部活と受験の両立を高1からずっと勉強して成功させた、そんな方だった。「なにこの人すげー」と尊敬したと同時に、「両立のため、高三の最後までこんなに頑張ってもこの偏差値帯か、今の自分だったらもっとやばい、勉強しなきゃ。」とめちゃくちゃ焦りを感じた。
高1の9月、この時期からずっと毎日塾に通い始めた。初めはとりあえず行く、段々と閉館下校目指す。そう、つまり受験勉強をこの時期から本気でスタートさせた。校内順位は199/300、医学部なんて志望していいか疑うほどのレベル感である。しかも志望校はあの方よりもずっと高い、京医。高すぎる理想。何者かでありたかった。(全然勉強してないからこそ目標との距離がわからず逆に高い目標を立てれた)

理想は目指し始めた瞬間、目標になる。叶えばそれは大きな自身の財産になる。ただ、高すぎる目標は多大な苦しさを伴うのも現実だ。

高2にあがると成績はかなり伸びた。(周囲が勉強に本腰を入れてないのもある)校内順位も40/300
大出世である。そしてその勢い、起業したいという思い、河野玄斗とベテランち、パスラボの宇佐美すばる、などのYouTuberに惹かれたのもあって志望校を東大理三にした。(理三に行き医者にならずに起業というルートへの憧れもあった)何者かになりたいという思いが強すぎたか、理想が高すぎたか、プライドが高いのは確かだが。


とにかくそれからは理三を目指して本気で勉強していた。それと同時に部活も本気でやっていた。隙間時間は全て勉強、部活の有無に関係なく毎日塾通い。筋トレもこの時期くらいから始めた。本気で頑張っていながらも現実はそう簡単ではない。理三どころか東大、京大すら目指す事が怪しい成績。三年生のいるトップチームに混ざる人がどんどん増える中、自分は一年生のいるとこで練習。中学の頃よりは序列がほんの少し上がったおかげで自分でも序列が変わりうることが少し希望は持てていたが、ずっと下のままな日々。最後まで続けたいが合格の方が優先。だからこそいつまでやるかはずっと考えてた。同じ悩みを抱えた仲間とマラソンコースを走りながら愚痴や悩みを言ったりした。そんな日々がしばらく続いた。(無理しすぎで毎週木曜日にガタがきたが…)


結局、(10月ぐらいか)三年生が抜けるまではトップチームに上がれることはなかった。なんなら、薄々このままの練習では上がることは三年生が抜けるまではないだろうと感じていた。だからこそ、「抜けて同学年の主力の人たちと練習できるようになったのはむしろチャンス」とさえ思っていた。実際、段々と状況は変わっていった。筋トレのおかげで競り合いに勝てる、練習の強度に追いついてやれるようになる、自分の声の指示で味方動かして上手く守備ができて勝てる、鼓舞できるようになる、などとめちゃくちゃ成長できた。やれるようになれた。


時は12月、いつものようにグランド整備をする早朝、中高で初めてスタメンに選ばれた。嬉しさよりも驚き、まさか自分が選ばれるなんて。本当に。あがり過ぎて頭が真っ白になった。そんな中、監督と相方のCBの同期が落ち着いてリラックスするよう声掛けてくれたのは一生忘れられない。恥ずかしくも足がきた70分くらいまで、しっかりと仕事を全うできた。交代時の監督が「よくやったな!」と言ったあの表情。達成感。すごく嬉しかった。(結局試合は1-1の引き分けで、年内最後の試合、実は少し前にCBスタメンの1人が辞めたというタイミングの良さもあったが。)


サッカー部員としては最高の形で次の年を迎えたわけだが、悩みすぎてあまり記憶がない。(主に受験、いつまで続けられるかなど)ただ、覚えてるのはすごく仲良しの、受験仲間でもある同期がやめたり、怪我して治っても結局スタメンでなくなったり、同日模試で部活続けても受からないと強く感じたり。そんなこんなで高2の2月、監督に退部の意思を伝えた。


引退ではなく退部である。監督からの言葉で一つ強く覚えたのは「勝者としての、上に立つ者としての振る舞いを大事にしなさい」というものである。スタメンに立つことがほぼなかった部員に向けて、起業を目指す自分に向けて、東大を目指す生徒に向けてとしてか、いずれにせよ負けることの方が下に立つことの方が多かった自分にとって意識したこともなかったことだった。だからこそインパクトは強くて、でも何を言ってるかは分からなかった。
だからこそ、今振り返ってこの言葉の大事さ、重みが分かるようになりつつある。ありがとうございました。そして、最後まで続けた同期を色んな面で尊敬してます。

ここまででかなり書き過ぎてしまったので受験期(現役、浪人)はあっさり?書かせていただきます。

現役期
上位層の壁の厚さに直面しながらも、部活がなくなったことで勉強時間は増えて、勉強だけに集中できるようになり心の余裕も少しできた中、とにかくひたすら勉強し続けた。もちろん大変ではあるけど、そこは受験生として、ちゃんと頑張り続けたと思う。
夏過ぎ辺りに流石に現実を見据えて志望を理ニにした。判定は夏がピーク、それ以降は全く振るわない。そんな中、受かる未来を信じていたが現実は厳しくがっつり落ちた。3/10夜、食卓を前にふと感情が溢れ大泣きした。併願校に行く選択肢もあったが、1週間程本気で悩んだ末に東大への強すぎる想いで浪人。

浪人期
現役の時よりは時間があったので勉強はそこそこ頑張った。現役の勉強を見直したことが活きたりもした。ただ、それよりもメンタル的に大変なとこが多かった。判定も夏は良かった一方、秋でボーダーレベル。また、先生に質問し過ぎてたせいか、授業の問題を簡単と言ったと聞き間違えられたせいか、板書の訂正を指摘する側だったからか、めちゃくちゃ嫌われていて悪口もかなり言われていた。普通に辛かった。引き起こした原因は自分の行動ではあるが、いつでも叩ける人がいたらその攻撃の機会を伺ってるみたいな空気を感じる。(そんな自分でさえもずっとピリピリしていた)競争社会とはこういうものなのか、分からないが、浪人が楽だったとは口が裂けても言えない。それでもなんとか頑張ることは止めなかった。なんとか直前期には成績上げれて、3/10ほんの少し余裕もって合格。
番号を見た瞬間涙が堪えられなかった。安心、喜び、色々な感情が溢れた。
チューター、家族との相談、先生、友人(予備校や高校同期など)との会話のおかげもあってなんとか乗り切ることができた。本当に感謝しかない。よく面倒みてくれた祖母が亡くなる前に合格伝えられたのも嬉しかった。支えてくれた皆さん、改めてありがとうございました。


ところで、これまでを振り返っても、高2の2月に部活を辞める選択肢が最善かはわからない。「もっと早くに辞めてれば…」「たとえ最後まで続けてても…」と、考えれば「生きるのが自分下手だな」なんて思ってしまう。
けど、その時その時でより良い選択だと思って選んできたんだから正しいと思いたい。それの中でしか得られない経験があると信じて。
プライドの高さが他人との関係の邪魔、上手く生きることの邪魔になる。けど、上手く抑えて、改善しようとしながらも無理な部分は必要悪だ。それ以上にプライドが原動力となって高い目標の達成に役立つから。高すぎるプライドと共に歩む人生だから。

最後に部員として
迷惑しかかけてないけどそれをプレーで恩返しできるように頑張ります。いつもアドバイスや檄を飛ばしてくれてありがとうございます。反発してしまうこともありますが止めないで下さい。ア式のテク、マネージャー、コーチ陣、他の選手などのおかげで今ある素晴らしい環境に甘んじず、真剣に、一生懸命頑張ります。

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