まだ見ぬフットボールの景色を知りたい
吉本章(4年/MF/武蔵高校)
「フットボールは時に残酷で時に美しい」
サッカー界にありふれたこの言葉の意味を少しは理解できるようになれた。
いつだって画面に映るフットボールは魅力的だった。
15-16シーズンのミラクルレスター、シメオネアトレティコの作り上げる強固で綺麗な442ブロック、バルセロナの攻撃的なフットボール、レアル・マドリードの理不尽さ、サッリナポリのフットボールやティキタカ。さらには、ジェイミーヴァーディのプレースタイルにゴールパフォーマンスなどの全て、ドウグラスコスタのドリブル、リオネル・メッシの一挙手一投足、クリスティアーノ・ロナウドのフィジカルにテクニック、コウチーニョの斜め45度ミドル、ジダンの繊細なボールタッチなどなどあげたらキリがないが、そのどれもがトッププロをプロたらしめていて美しかった。
15-16シーズンのミラクルレスター、シメオネアトレティコの作り上げる強固で綺麗な442ブロック、バルセロナの攻撃的なフットボール、レアル・マドリードの理不尽さ、サッリナポリのフットボールやティキタカ。さらには、ジェイミーヴァーディのプレースタイルにゴールパフォーマンスなどの全て、ドウグラスコスタのドリブル、リオネル・メッシの一挙手一投足、クリスティアーノ・ロナウドのフィジカルにテクニック、コウチーニョの斜め45度ミドル、ジダンの繊細なボールタッチなどなどあげたらキリがないが、そのどれもがトッププロをプロたらしめていて美しかった。
一方で現実の自分のサッカーは美しくもなくただただボールを蹴る楽しみだけだった。そして画面に映るフットボールと自分自身との圧倒的な差に辟易とし、憧れなんてものは抱けず別世界のものとして考えただただその凄みを傍観し、まるで別のスポーツかのように捉え、自身のしているサッカーの残酷さを痛感していた。
サッカーというスポーツでは、単純なボール扱い、いわゆる技術が高く上手いチームがボールを保持しながら攻撃を展開でき、身体能力が高く走れる、いわゆるフィジカルが優れている選手が多いチームが守備が強く失点をせずボールを奪える。
そんな当たり前のように思えていた高校生当時の価値観が完全に壊され、自身が体感したこともなく体感することもないと思っていたフットボールに巡り合った。当時高校生の頃、兄を見に行くために東大ア式の試合を見に行った。大学生とはいえ所詮東大なんだから同程度のレベルのサッカーだろうと期待せず足を運んだが、その試合は自身の想像をはるかに上回るものだった。
一見対戦相手の方が技術が高そうに見える試合で東大は、まるで当時ペップグアルディオラが就任し圧倒的なポゼッション率を誇りながら勝ちを積み重ねていたマンチェスターシティが用いていた偽サイドバックにも見える戦術を用い、ボールを圧倒的に保持しながらゴールへ迫り圧倒的に試合をコントロールしていた。目の前で展開されるそのフットボールは自身のサッカーとは異なるように見え、画面に映るフットボールに近い美しさを感じた。さらに幸運なことに家に帰るとそのフットボールの謎の中心であった偽サイドバックの兄にその謎を聞くことができた。
そのあまりにも興味深かったあのフットボールを自分で知り体現したい思い、本棚に大量にあったfootballistaを手に取ったが、あまりにも不可解だったそのフットボールの謎は何冊読んでも何度読み返してもわからなかった。そうして東大を目指すことを決め、東京大学運動会ア式蹴球部に入るために一浪し東大に入学した。
ア式の先輩との最初の交流は合格発表後すぐだった。
兄が家のリビングで選手とzoomでシティ対ナポリを見始め、戦術っぽい会話が兄を中心に繰り広げられた。その内容は、正確には理解できなかったがこれほどまでにフットボールを考えて向き合える環境はまさに自分が求めていたものだった。
そうして入部した一年目はいろんなことを経験した。
入部したての頃は、新しい概念に触れるのがあまりにも楽しくて、気づけば授業中でも電車の移動中でもフットボールが画面に映り、夜中にも家のリビングに映るフットボールの前には兄がいて、フットボールを教えてくれた。
そうして兄のおかげもあり、ポジションはFWではあったが、手前と奥、辺に立つや点に立つ、プレスラインを切るにラインを超えるなど段々とあのフットボールの戦術を、画面に映るフットボールの美しさの謎を少しずつ知ることができた。
夏頃にAチームに上がることができ、公式戦にも出ることが出来たが、Aチームでの試合は全てが残酷だった。
デビュー戦は0-4からラスト30分出るもアシスト未遂とボールを少し収める程度で結果0-6での敗戦。
初スタメンの試合は圧倒的な敗北でプライドがズタズタにされ、その後もスタメンとベンチスタートを繰り返すも出た試合は全敗し、スタメンで出た試合はチームとして内容は良くなるも0-1で4連敗。勝てない理由は明白だった。
点が取れないこと。
そして点が取れないとなるとFWにテコを入れる。そうしてFWを実質クビになりポジションを一列下げられた。ネガティブな理由でのコンバートであることは明白だったが、幸か不幸かそのコンバートが自分にフットボールの美しさを感じさせてくれた。
アウェイでの東経戦、IHで途中出場の試合、あの試合がフットボールの美しさを自分にも体現できることを感じさせてくれた。その試合は、自チームの10番にキレられ手前を取れと言われ、練習でもしたこともなく、ポゼッションの練習は一番下手な自分が、何も考えずただただ記憶の中にあったトニクロースのようにポジションを取り、ボールを引き取り、パスを出す。フィールド上で一番下手な選手が圧倒的に上手い選手を少し支配できたあの時、フットボールが新たな楽しみを、美しさを教えてくれた。
今思えばその楽しさにかまけ、選手として重要なものを失っていたがそんなことに気付けるわけもなかった。
怪我で出場せず、チームも降格が決まった試合で同じポジションの選手が泥臭くとも決勝点を取り念願の勝利を手にしても、お前なら決めれてないなという今思えば鞭にも程があるだろとも思うことをHCに言われた試合であっても悔しさは通常程度で大して滲まず淡々とシーズンが終わった。
結果的には、出場した試合での勝ち点は0、得点もアシストも0。FWとしてもIHとしても価値はほぼ無いに等しく、チームの降格に貢献した。
そうして迎えた2年目は、サッカーの残酷さに直面し嫌いになりかけた。
チームの陣容は一年目とほぼ変わらず、結果も残せなかった自分はチーム内で12.13番目の選手となり怪我人が出ればスタメンで出れる程度の序列になった。
迎えたチームの初戦、アミノでゴールを取りチームを勝たせることはできたが、自分のパフォーマンスはそれ以外は良くなく点もとり勝った後にも関わらず心が荒んでいて、選手として腐り切っていた。スタメンでも出れず、チームが連勝するのを横目に楽しみを感じられず、自由にできるセカンドでプレーする方がいいやと言い出す始末。勝利よりも自分の快感を優先するクソみたいなサッカー選手だった。
そんな中でも練習を続けてれば、たまたま調子が良くなり持ち前の単純すぎる性格によって調子がいいことでサッカーも楽しく感じられ楽しさを再び体感できるようになれた。あの支配できる感覚に得点に絡める感覚、美しさを、楽しさを手にして、勝利にも貢献できると思えるようになった。その直後だった。
前十字靭帯断裂。全治8ヶ月以上の大怪我。
全てを呪いたくなった。
調子が良いのをわかっているのに前節スタメンで使わなかった監督やコーチ、普段とは違うグラウンド、対戦相手、フィジコ、思いつく限りの全てに対して不満をぶちまけ残ったのは自分自身の未熟さだった。
身体操作にボールコントロール、戦術理解、メンタリティ、その全てが欠点に見え、こんなにも頑張って楽しさを手にできると思ったサッカーの残酷さにまた直面した。
ただただ悔しくて涙が止まらなかった。
あんなに好きだったサッカーが日常から離れ、フットボールの美しさを知り自分でも体現しようと夢中になった日々は当分訪れなかった。
リハビリ中はメンタルをなんとかして保つためにサッカーから離れサッカーを嫌いになろうとした。ア式の練習に来るのも部活後の先輩や同期との交流のためだけで、週2.3来て練習中はDLの人と話しながら適当にリハビリをするだけ。
先輩から冗談半分でフィードバックしてよと言われても即座に無理と返事をしていた。少しでもサッカーに触れてしまうと、自分がサッカーを出来ないことを痛感し感情が爆発してしまうからだった。もう2度とサッカーが自分の足から離れないで欲しかった。
カテゴリーを下げれば、強度が低い社会人サッカーに行けば怪我をせずサッカーを楽しめるかもしれないとも考えたが、カテゴリーを下げア式以外の場所でプレーすることは、フットボールの楽しさをこれ以上知れないこととほぼ同義に見えた。そうしてまだ知りきれていないフットボールの楽しさを知り、一年目の無惨な負けの数々をリベンジするためにア式に残る決断をした。
そうして3年目を迎え無事復帰もできた。
だが、復帰しても一切元のようにはプレーできなかった。
思い通りに動かない体、怪我を恐れデュエルすら恐怖に感じてしまうメンタル、少し頑張ると痛みが出る膝、サッカーを思い通りプレーできなかった。
さらに、当時のア式の育成チームは自分の求めるフットボール像とあまりにも乖離し、そんなフットボールを目指すことも勝ちすらも求めずただ漫然と練習と試合をこなしているように見えた。
自分があんなにも渇望したサッカーをずっとできている彼らが心底羨ましかったのに、彼らの取り組みは自分には受け入れ難かった。
不甲斐ない自分にもチームメイトにも全てにイラついて、試合中も練習中も厳しく愛のない言葉が出てしまっていた。この事は本当に反省している、一緒にプレーしていた人には本当に申し訳なかった。
だが、そうして自分にも高い要求を課し、自分の持つ条件を整理しプレースタイルの変更をしてなんとかリーグ戦でも戦えるような、フットボールが楽しめるような選手を目指した。
元々兄の影響もあり戦術理解が秀でいる事は明白で、それが一番の楽しみでもあり一番伸ばせる部分だと思い、戦術理解と呼ばれるよくわからない抽象的なものをストロングにしようと思ったが、戦術理解やフィジカル、技術の境界は明確に決めることができなかったので思いつく限り全てをしていた。
帰納法も演繹法もプレーイメージの改善、練習での仮説の立証も無意識下での定着も認知も判断も全てをプロに近く、合理的であるように、自分がフットボールを上手くなれるように、兄のようにフットボールを解説できるまで歩みを止めなかった。
あのフットボールの美しさを自分でも体現しようと夢中になった日々が再び訪れてくれた。
心底楽しかった。
そうしているうちに育成コーチと一悶着の末、Aチームにも上がることができ、また試合にも絡めるようになった。
アウェー玉川でのロスタイムの逆転勝利、帝京戦のウノゼロ勝利、その二つの勝利の喜びは格別だった。
どちらも再現性はない勝利で、これまでア式で感じてきたフットボールの美しさとも異なっていたが、これまでで一番サッカーが楽しかった。
そんな勝利が一番嬉しくて先輩後輩選手スタッフ関係なくみんなで喜び、勝利という美しさを知ることができた。
その後のことはあまり覚えていないが、勝利の美しさとフットボールの美しさを知ることができた一年だった。
先輩が引退し最後の一年になった。
同時に監督も変わった。自薦で立候補したわけではないが、副将を任せてもらえた。
最後の一年の目標は、
それまで知ることができた勝利の美しさとフットボールの美しさを両立し勝ち点を積み重ねること、チームスタッフ全員が楽しさを享受できるようになるだけでなく見に来てくれる観客も、武田さん、和田さんをはじめとするLBも一緒にプレーしてきた先輩も後輩もフットボールを好きになれるような東大ア式が凄いと思えるようなフットボールと結果を残すこと、
そしてそんなチームの中で谷北川の代と言ってくる先輩達やコーチを黙らせるほどの、圧倒的なパフォーマンスを見せ、憧れすら抱けずなれないと思っていたあの日のプレーメイカー達のようにフットボールを支配してチームで一番欠かせない選手になることだった。
そんな莫大で抽象的な目標を持ち、その中で関東昇格が本気で果たせると思っていた。
そんな目標を定め自分に足りないものを考えた。
全てを変えなければならなかった。
ア式という組織はマネが週3.4程度、テクニカルは週1.2程度グラウンドに来る程度で、そんな彼らや同期や後輩の個性的な選手達をまとめ信頼を得るには、彼や彼女らを知ることも自分自身の実力も足りなかった。
そんな中で最初にとった手はとにかく色々なチームスタッフと話し、自分の実力を過大評価させるために選手に対して合理的に説明し共にプレーし模範となりリーダーとして認めてもらう、そして監督の信頼を得ることだった。
そのためにはなんでもした。
ア式という仲のいい人間達で群れをなす傾向の高い組織で、それまで仲良くはなかったマネやテクと話すことも、監督にうざがられようと試合を一緒に見てもらう事も監督のブログを密かに見て考え方をインストールし監督がフベロさんに信頼されたように練習前後の集合もできるだけ横に行きコミュニケーションを絶やさないようにもした。
それが例えチームメイト達に癒着だと揶揄されようと、指導陣と距離が近いことは明確に自身にとって良いと3年間でわかっていてメンバー選考にも影響しうると思っていたのでやらない奴がアホやろと思い一切変える事はなかった。
そんな事をし監督からもある程度の信頼を得ることができ、チームメイトからも次第に戦術的な要求はほぼなくなり自分を絶対かのように思う選手も出てきていた。
でもそれに伴う実力は自分にはなかった。
戦術眼が高口と同じレベルと見做されても、自分と高口や監督の間には明確に差があって、戦術的にも完成されているとは言えず、技術的にもフィジカル的にもメンタル的にもリーダーとしてふさわしいとは言えずそれを監督に何度も指摘されていた。
本当に苦しかった。
信頼を勝ち取るために自分の実力より大きく見せ、その虚像に向かって何とかもがき成長しようとするもその果てしない壁と自分のパーソナリティに失望する毎日。
それでも練習は訪れて、サッカーの楽しさを全員に知って欲しかったから率先して楽しそうでなければならないと思って、心底楽しもうと、上手くなろうとした。
でも膝の怪我をトラウマに、もう一度サッカーが足から離れる事が怖くて100%で練習をすることはできなかった。
リーダーとして失格だった。
練習で手を抜いてるやつがリーダーとなってしまえばチームは良くならない。だからこそそれを隠し、苦しい時でさえも楽しそうにプレーするしかなかった。
そうして過ごしていたプレシーズンはほぼ勝てなかった。荒とハーフタイムに喧嘩することもあった。そんなチームの状況に焦りはしたが、同時に新監督一年目の最初だしこんなもので後からどうとでもなるだろうと楽観的に捉えていた。
アミノが始まる試合の2日前に急遽CBをやることになった。
マシロも谷にもいない中、本職でもなく練習試合でもやった事のなかったCBだった。
意図は分かっていた。ビルドアップを統率し最低限の守備をする。
でもそんな試合で副将という肩書きだけで能力も伴っていないのにキャプテンマークを巻かせてもらえた。そんな人間がデュエルを恐れ、本職じゃないからと言い訳をすることは許されなかった。自分にプレッシャーがのしかかっていた。
結果的には初戦は辛勝したが、その後日文に屈辱の敗北を喫した。
アミノ敗退後、監督からの檄が飛んだ。お前らの試合前の態度が気に入らない、公式戦の試合前とは思えない緊張感だと言われた。
自分のせいだと思った。
公式戦に関わった数も多くさらにゲームキャプテンとさせてもらっていたのに、チームをまとめ上げれなかった。
昇格組の日文に負けたということはすなわちその時点で関東昇格という目標は非現実的になってしまうということだった。
なんとしても雰囲気も試合の内容も結果もよくしなければなかった。
監督がmtgで見せたプロの準備の仕方を脳裏に焼き付けた。試合前の雰囲気を締めるために選手もスタッフともほぼ話さずイヤホンをして動画を見るという過剰に緊張感を漂わせる方法を取った。
そして雰囲気は良くなった。がしかし自分の実力もチームの落とし込みも足りず開幕2試合での勝ち点は0。
迎えた3戦目、今シーズン2度目の対戦の日文だった。
前節の脳震盪の影響でろくに練習もできていなかったため、スタメンを外れ前半をベンチから眺めていた。チームは内容も結果もクソだった。前半を終えて0-2。ハーフタイムには監督がブチギレた。
そして後半開始とともに出場して2-2の同点まで巻き返せた。そしてラスト1プレー、後輩がPKを貰った。キッカーはその後輩だった。
結果は変わらなかった。
試合後に怪我した谷に怒られた。お前が蹴れよと、責任から逃れるなと。
その時痛感した。
ああ俺はまだ全然リーダーではないのだと、信頼して任せたPKだったが、チームを引っ張るというのは名ばかりで、内容に直結するビルドアップには責任を負っていると思っていたが、結果に対する責任を負いきれないていなかった。それはその後の試合でも顕著だった。
武蔵戦、ここで勝てなければ上位は難しいと思われた一戦でも、CBとして一番求められているであろうビルドアップは自分が中心となってそこそここなせたが、肝心の守備で弱さが出た。
キーパーと接触する覚悟で身体を張りに行けば防げたであろう失点でチームは引き分けた。その後の試合もCBが多くなることは予想ができていたのに、トラウマを糧にできていなかった。
また結果に責任を負えなかった。
次の学芸戦は、自分と歌が絶好調で内容は素晴らしく良くなったが所謂クオリティ差を見せられ自分の能力不足もあり失点し敗北。
しかし敗北の後にも関わらず、関東リーグから降格した学芸相手にここまで出来たとなぜか前向きでこれは次いけるなというコーチ陣や選手の見解だった。
でも、前監督は配信で気にかけてくれていて激励のような煽りメッセージが来た。内容はいいのに結果が出ないだけで心底悔しかった。5戦で勝ち点2、降格圏を争うチームの成績で何も言い返せなかった。その後の結果で見返してやろうと心に誓った。
迎えた学習院戦、自分の調子は絶好調で、守備が良くなって、ビルドアップは普通だったが崩しは最高だった。
結果CBながら2アシストを残しチームも3-0で完勝に近い出来だった。
やっと責任を一試合果たせたと安堵した。でも勝利の美しさもフットボールの美しさも感じることはできず、喜びや嬉しさという感情はあまりなくただ安堵するのみだった。段々と自分が自分に課した虚像の自分に、高口や監督にも遜色ない戦術理解や技術、フィジカルが追いついてきているのに安心して歩みを緩めた。
と同時に、悟った。傲慢かもしれないが、このチームは俺が調子が良ければ勝てるのだと。逆に調子が良くなければ勝てないかもしれないと。
だけど、その後の大東、朝鮮は自分の能力不足もチームの実力不足もあり敗戦。CBとしての守備能力の低さを毎試合感じさせられていた。歩みを緩めたことが露呈した。
その後の一橋、玉川、上智の前期最終3連戦。
陰で監督とここから後期1試合目を含めた4戦で勝ち点10を取れば部室で監督の奢りでピザを頼んでやると話していた。
現実的に可能だと思っていた。
一橋戦はピッチ状況が悪く内容どうのこうのではなかったが、谷のおかげで勝利した。この試合でも喜びや嬉しさという感情はあまりなくただ安堵するのみだった。
ただ続く玉川、上智も内容が一向に良くならなかった。拾えた勝ち点は4であまり芳しい結果ではなかった。その時もまだ楽観的だった。前期折り返し地点で、去年は前監督3年目の晩成期で勝ち点12、一方新監督1年目の成長途中で同じ勝ち点であった。順位はビリから2番目で前監督から再度煽りが来てもまあ今に見てろとまだ余裕があった。上位に行けると思っていた。
でも現実はもっと残酷だった。
後期1戦目の成蹊戦、高校同期も観に来てくれた試合で、ここで勝てば軌道に乗れるぞと慣れた足取りでCBのポジションにつく。
いつもと同じように、いつも以上のビルドアップをしようとするが、相手の圧力に屈した。
ビルドアップの開始である自分がプレスラインを切りに行かず屈してしまい、分があまり良くないフィジカル、トランジション勝負に巻き込まれてしまった。判断を元から変えチームが積み上げてきたものを発揮する土台を作れなかった。
内容も次につながるものはなく、守備の弱さを再度露呈し完敗。試合後集合で滅多に怒らない高口が怒った。これじゃあ意味ないじゃん、何のためにトレーニングしてきたんだと。
観に来た観客にフットボールの楽しさ、美しさを見せたいと目標にしていたくせに、自分が裏切った。友達にも恥ずかしい試合を見せてしまった。東大ってこうなんだと思わせてしまった。
敗戦の責任の多くは自分にあった。内容だけは絶対に責任を負う覚悟をしていたと思っていたが、その覚悟に足る実力と能力が足りなかった。
フットボールの残酷さにまた直面した。
それからみるみるうちにコンディションは落ちていった。CBというデュエルの回数が多いポジションで闇雲にプレーしたりもするから打撲も増え、心身共に弱くなっていった。朝まで寝れない日も多かった。
続く帝京戦は入念に練られたゲームプランを用いて、ラッキーで先制するもミスも重なり敗北。後半はベンチからチームの敗戦を眺めるだけだった。
続く今シーズン3戦目の日文戦、心身ともにコンディションも悪くリーダーとしても失格だと思っていた最中、監督が冗談半分で前日にお前がキャプテン嫌だなあと言ってきた。
メンタルがズタボロになっている中の発言でなんてデリカシーのない発言だとも思ったが、その通りだと思ってしまったから、あまり考えずならキャプテン変えていいですよと口からこぼれ出ていた。
その試合はスタメン2試合目の1年のCBがキャプテンマークを巻くことになった。
前日練習後にそれをロッカーで報告すると谷やマシロやイシコから怒られた。でもそんな責任を負った中で、いいプレーができると思うほど当時の自分に自惚れていなかったので、まあ監督の決めたことだからいいんじゃねと見栄をはった。
ふと冷静になるとイラついた。
信頼されていると思っていた監督にリーダーとしては認められていなかった。
勝てていないチームにテコを入れるのは定石とは言えその矛先が自分のリーダーとしての未熟さだとは思わなかった。試合直前まで内心、監督にも前日変えていいですよと言ってしまった自分にもイラついて、その一年が壊れても知らんからな俺のせいじゃない、クソみたいな試合になって負けるか、俺のおかげでやっと勝つ程度がちょうどいいなとも思っていた。
心底リーダーではなかった。
結果チームは史上最悪の前半コーナーキックで3失点でハーフタイムまで立て直せず後半巻き返すも敗戦。全てにイラついた。
監督、コーチ、チームメイト、ベンチ外テクニカル、スタッフ全部に不満を一人で吐き出した。そしてまた自分の未熟さが残った。
今シーズン一度も勝てていなかった日文戦で信頼されなかったこと、負けたら降格圏になる試合で負けたこと、ゲームキャプテンでなくともチームを立て直せなかったこと、4点取り返せなかったこと、自分のパフォーマンスの低さ。
昇格するチームの副将ではなかった。
その次の試合はゲームキャプテンを務めここ5. 6年一度も負けていなかった武蔵戦だったが敗戦。チームは最悪の状態で夏の中断を迎えた。
メンヘラなフィジコが俺がいると負けるんだ、俺が良くないんだと言い出す始末。
実際彼がどのくらい貢献できているのかはわからないが自分の目には彼は最大限の貢献をしてくれていた。彼にこんなことを言わせてしまうチームにしてしまった。
何かを変えなければ、全てを失い何も得られないと思った。
チームが負ければ、サッカーの残酷さが表面化し、どんなフットボールスタイルであろうと楽しさや美しさなど微塵も感じられなかった。
さらには負けると退部者が増えていくらしいと誰かのfeelingsに書いてあった。
事あるごとに谷とましろとは話していたが、リーダーとして何かをしなけばならないはずだった。チームを再生させるような何かを。
でもその時自分が下した決断は副将としてリーダーとして決して良いものではなかった。
それはチームのごく一部の人間を除いて何も期待しないことだった。
マネもテクも選手もコーチもごく一部には期待するが、彼らのその時点での能力以上を求めないようにした。
おそらく、自分という人間は期待値や評価に対して、現実のアウトプットが乖離したところに感情が生じてしまい、期待値や評価を高く設定してしまうと、達しなかった時に失望や怒りといった負の感情が生まれてしまう。それは自身にかけた期待値であっても生じていた。
でも自分にかける期待値を下げることはプライドが許さなかった。
ただ自分のメンタル状況を保たなければならなかった。だから自分を守るためにリーダー失格とわかっていようと何も期待しないことにした。
中断明けの学芸戦は出場停止で、チームは大敗した。
チームが終わりかけていた。降格するチームの雰囲気が出ていた。
そして、指導陣も焦りを感じたのかマイナーチェンジだと受け取ることもできるが、大多数の選手にとってゲームモデルの変更にも見えるであろうことがmtgで話された。
大敗を喫し、降格を何としても止めなければという策だったのであろう。
そうして迎えた学習院戦、自分は初めてプレーする右SB。意図はおそらく割り切りに見える判断と以前のような判断を下すかという繊細な判断をピッチ内で指揮することだっただろう。
だが、守備では大きな穴を出さないようにプレーをし、結果中くらいのミスが頻発し奔走し、またビルドアップも指揮できず途中で交代させられた。その後チームは相手に退場者が出るもセットプレーから失点し敗戦。
完全に弱いチームの負け方だった。
試合後全てに絶望し、チームメイトには兄とご飯に行くと嘘をつき、一人で飯を食い帰宅した。
帰宅後高口からラインがきた。俺のせいで今日負けた。ごめんという旨だったと思う。
確かに高口の言う通りあの変更がなければ勝ててた試合だったかもしれないしでも内容はそこまで悪くなかった。
敗因は細かいことを言えばきりがないが、端的にはチームのメンタリティの欠如だった。どんな変更であってもプレーを判断するのは自分達で、迷いすぎず絶対に勝ちに行く姿勢が足りなかった。失点すると全てが終わりかのような雰囲気になるチームだった。勝者のメンタリティなど微塵もなかった。勝ち方が分からなかった。
そうして迎えた大東戦も帝京戦のようなゲームプランを引き下げていくも0-1で敗戦。自分は打撲でほぼ出れなかった。スカウティング担当の駿平に嫌みたらしくお前が出てれば勝てた気がする、お前の責任だと言われてしまった。
その時点での後期の勝ち点は0。前期は勝てる相手に引き分け、引き分けを狙える相手に敗戦と勝ち点をこぼしたのに対し、後期は前期勝ちまたは引き分けた相手に負けていた。
過程を大事にしてきたはずなのに、過程の成果が出るであろう時期でも結果は一切ついてこない。
本当に降格が目の前になった。
自分達のやってきたこと全てが不正解だと突きつけられている気分だった。
自分達を信じてやってきたはずが何も信じられなくなった。
でも、人に期待しなくなってからメンタルも安定したのが功を奏したのか自分のコンディションもあがり上手くなった。
完全にMFに戻り、稀代のプレーメーカー達が見ていたであろう景色に近づけるようになった。
残り4試合は死にもの狂いで戦うしかなかった。
勝つために不器用ながらもリーダーとして選手mtgをマシロと開いて、高口と話した軌道修正を何とか試みた。
希一に章は結局繋ぎたいだけでしょと言われ、そんなことはない、勝つ為の最善がこれだと思ってるといった。
嘘ではないけど本音を少し隠していた。
残留がかかっている中で、勝つ以外の目標を言えるわけがなかった。
本音は、シーズン初めに一人で勝手に立てた勝利の美しさとフットボールの美しさを両立し勝ちを掴むことだった。
無秩序にプレーし、勝ってしまえば、これまで1年間積み上げてきたものが無駄だったと意味付けられてしまう恐怖を、フットボールの美しさは結局上手い人間でしか体現できないものだという残酷さを知ってしまうと思っていた。
東大ア式がこの一年積み上げてきたフットボールがただのロマンであり東大は勝利よりもロマンを追い求めていたと外から見られてしまうと思ってしまった。
そんなことは絶対に認めたくもなかった。
このフットボールこそが全てのフットボールのスタイルの中で自分達のチームの勝利に対して一番合理的で勝ち点を拾えるものだと、ロマンなどでは決してなくこのチームの勝利にはこのフットボールが一番でありそこに美しさも存在しているだけだと証明したかった。
だからこそ朝鮮戦は死ぬほど良いパフォーマンスをしなければならなかった。
そうして迎えた朝鮮戦、自分のパフォーマンスは最高だった。セカンドボール回収にビルドアップ、守備に崩し、点をとる以外全てできた。試合後に高口にキャリア最高なんじゃないと言われるほどに良かった。でも引き分けだった。チームメイトにいらつきを隠せなかったけど切り替えるしかなかった。
もうこの時は自分は副将という肩書きと少しリーダーぶった過去で少し人望をもらえている程度で集合でも喋る機会を減らして、リーダーらしいことはマシロにほぼ任せ自分のプレーを向上させチームを勝たせることを第一に考えていた。マシロ本当にごめん、本当にありがとう。
一橋戦は両者負ければ降格がほぼ決まる中で、山場だと思っていたが幸運が重なり退場者二人でたことによりあっさりと勝てた。
次の玉川戦も降格圏同士の試合で、負けられないものではあったが、前節あっさり勝って気が緩んだのかチームのパフォーマンスは悪くラッキーでPKからの先制をしたにも関わらず敗戦。ここでも自分ではなくマシロの檄が飛び、最終節に向け何とかチームは息を吹き返しにかかった。
迎えた最後の上智戦は覚悟を示したかった。
ただ勝つだけではなく内容も素晴らしく東大は降格するチームではないと。
この一年の価値を少しでも取り返すために。
本当に楽しかった。
ボールを支配して点を積み重ね、守備でもゲームをコントロールし4-0の圧勝。チームが1年間目指してきたフットボールがやっと身を結んだ。観客が一番多い試合で、一番内容が良いその年の東大らしい試合を展開できた。
そして、自分が4年間なろうとしていた選手像にやっと少し近づけた。ゲームを支配し、他の21人とは少し異質なプレーをしてチームを勝たせるトニ・クロースやシャビのような存在に。
あの日みていたフットボールの美しさと勝利の美しさの一端を知れた。
試合後に相手の監督にも絶賛され、相手の監督経由で徹くんがあいつは俺の頭を表現してくれていると言ってたと知った時、本当にうれしかった。滅多に褒めないし、ただずっといじってくるだけの監督に認められた。
この1年間の自分の歩みをチームの歩みを、少しは認められるようになった。
フットボールは最後にその美しさを見せてくれた。
そんなハッピーエンドで締めくくるには、フットボールは残酷すぎた。
正直言えば上智というそこまで大差のないあるいは東大の方が優位にあるかもしれないチーム相手に完勝してもその喜びは試合後の一時的なものだけだった。確かに先に書いたことは本音ではある。
でも、欲を言えばそれをどの大学相手でもできるようになりたかった。最後の試合が普通の公式戦の一戦であって欲しかった。そういう目標を立てた。
人間は過去を美化したがるけど、やっぱり自分にはこの1年間は引退して何ヶ月も経った今も美化できない。この一年は自分の不甲斐なさと実力不足が残ったシーズンだった。終わりよければすべてよしでもなかった。結果も下から3番目の順位。
フットボールは残酷で時に美しい程度だった。
自分がもっと皆んなに戦術的なフィードバックをしていたら、下級生の頃のように先輩後輩関係なく一緒に動画をみていたら、セカンドの試合がないことに警鐘を鳴らしていたら、自分のパーソナリティをもっと変えれていれば、守備で主導権を握るのを兄に言われた時にもっと真剣に捉えていれば、、、仮定はつきない。
フットボールはもしかしたらもっと美しかったのかもしれない。
そんなたらればを言っても何にもならないただの自己満な文章を書いてしまった。
そんな中ふと思い出した。東大ア式の理念。
社会・サッカー界に責任を負う存在として日本一価値のあるサッカークラブになる。
部員全員がサッカーの楽しさを享受する
ある時誰かと話した。この理念はア式には適してないと思う。と
サッカークラブなのにピッチ内の要素じゃなくてピッチ外の要素みたいな日本一価値のあるサッカークラブになるって変じゃないかと、勝ちではなく楽しさを享受するってどうなのかと?
その時は深くは考えず、東大がピッチ内で日本一になるなんて無理だからなんじゃない?東大生が100人近くいる集団ならサッカー部としていろんな価値を出せるはずだしみたいなことを言った気もするが、今の自分が東大ア式に期待することを少しだけ述べさせていただく。
東大ア式のフットボールは、フットボールの残酷さに打ちひしがれた人たちにフットボールの楽しさや美しさを魅せ、期待を抱かせるようなフットボール愛が湧き出てくるようなフットボールであってほしい。
それが必ずしもフットボールの中身が現在のようなポジショナルとは限らず、ストーミングやリレーショナル、カテナチオのようなものなのかもしれない。さらにはフットボールのスタイルが変幻自在になるようなものでも、勝利だけで楽しさや美しさを見せれるような勝利の仕方を追求できるチームなのかもしれない。
東大ア式に限らず、サッカーをやってきた人間は少なからず大会での敗北やチーム内競争、サッカー自体がつまらなくなる指導、などの残酷さを体感している。それが東大に入るような非サッカーエリートであれば尚更だ。
そんな非サッカーエリートの集合体で、アマチュアで競技カテゴリーが決して高いとは現状言えない東大ア式だからこそ魅せれる価値がある。
同じように残酷さに打ちひしがれた人達の身近にあって、再びサッカーの熱を吹き込む力があるはずだ。
自分が過去に吹き込まれたように。
東大ア式というアマチュアにも関わらずプロのような環境を用意でき、東大生が何人もいる組織であれば、フットボールの勝ちも美しさも楽しさも永遠に追い求められると思う。
そんな組織であることを夢見ています。
欲を言えば、自分達の代を含むア式が、そして自分がその最たる例であって欲しかった。一年の頃から期待された代で、勝ちもフットボールの中身も追い求めることも出来ると思っていた。全員が必ず見にくる公式戦で、後輩に、スタッフに、同期にもっとフットボールを好きになってもらえる最大のチャンスだった。
でも現実は実力が足りなくて達成できなかった。同期のfeelingsを読んでもフットボールが好きになった人はあまり多くなく、フットボールを嫌いにさせてしまったかもしれない。
後悔は尽きないが、フットボールは終わらない。まだ見ぬその奥深さに残酷さも美しさも孕んでいるのだろう。その一端を垣間見えた矢先に終われるはずがない。まだ見ぬフットボールの美しさを知りたい。
最後に
LB会の方々、スポンサー企業の方々、保護者の方々、ア式蹴球部を応援してくださるすべての方々に感謝いたします。東大ア式が「学生主体」と謳いながら様々な活動ができるのは、皆さまがあってこそです。今後ともよろしくお願いいたします。
陵平さんへ
陵平さんの下でサッカーをできた3年間は苦しいことも多かったですが、本当に楽しかったです。試合に一年から出れたこともあると思いますが、陵平さんの下でなければ感じられないことはたくさんありました。勝利の美しさを教えてくれてありがとうございました。願わくば陵平さんの下でストライカーの楽しさを知りたかったです。また、大人気解説者になった今でもア式を気にかけてくれて本当に嬉しかったです。
この先もっとビックになって活躍して、自分はあの人の下でプレーしたことがあるんだと自慢させてください。
徹くんへ
1年間ではありますが、あなたの下でプレーできて本当に良かった。ポジションも目まぐるしく変わり、その度にフットボールが理解できて最高に楽しかったです。でも、あなたのフットボールをもっと早く知って体現したかった。あなたの下でもっと勝利を積み重ねたかった。あなたの表現するフットボールの美しさも楽しさもみんなと分かち合いたかった。
そして、あなたの横で今年チームを一緒に率いる覚悟と能力とやる気が欲しかった。今もなお悩む。奇しくも手に入れたあなたの下でもう一年プレーする権利を使わないのは愚かなことなのではと。でも再びフットボールは美しいと信じて、茨の道にも見える道を進む覚悟もつけられていない。だから今は別のフットボールの美しさを求めにいくつもりです。徹くんの今後を心から応援しています。
遼さんへ
深く関わったことはありませんし、直接会ったのも今年少し練習で会った程度ですが、遼さんの作るフットボールが大好きです。遼さんが最近のfootballistaに書いていたプレーメイカーたちへの恩返しという内容に心が揺さぶられました。遼さんの作り上げるフットボールの美しさを兄と共に遠くから応援しています。
先輩同期後輩へ
こんなにも未熟で生意気な自分とプレーしてくれた選手、支えてくれたテクニカル、マネージャー、いろいろなことを教えてくれたコーチ、全てに感謝しています。
先輩でも篤や久野や潤や八代には特にお世話になりました。また遊んでください。そして新屋さん、メッセージお待ちしております。
同期はあげたらキリがないので、名前は出しませんが、みんなと一緒で本当に良かった。ありがとう、また集まってサッカーをしましょう。
後輩でも特に琴葉と錦には本当に感謝しかない。君らがいなければ僕らは試合すら出来なかった。僕らの代の試合運営をしてくれて本当にありがとう。あと一年ア式を支えてください、お願いします。
両親へ
なに不自由なくサッカーをここまで続けさせてくれて本当にありがとうございました。理も含めると9年ア式に関わっていて二人とも夜遅くに帰ってきて作り置きしてくれているご飯を食べてサッカーを見て昼まで寝てという生活でもサッカーも大学も続けられたのは両親のおかげです。これからは理と共に恩返しをしていきます。これからもよろしくお願いいたします。
本当の最後に、理へ
面と向かっては両方気恥ずかしくて伝えられないと思うので一方的に書かせてもらいます。
あなたが東大ア式に入っていなければ、ア式で指導者として教えてくれなければ、ア式の試合を見ることもほぼア式でサッカーをするために浪人して東大に入ることもサッカーの奥深さを知って、こんなにも楽しめることもなかったと思います。本当にありがとう。いつの日かヒロミさんに章くんは理くんと同じ道を歩んで尊敬しているんだねと言われた時も恥ずかしくて言えませんでしたが、兄としては尊敬できない部分も少なからずあるけど、あなたのサッカーに関してだけは本当に心から尊敬しています。
あの日あなたが2年目のOBコーチをやることを拒否しなくて本当に良かった。あなたに最初に中盤は絶対やらせないと言われたことも、山学戦でもうチームは無理だからお前の成長のためだけに試合しろと言われたことも、成蹊戦後にお前の限界かと怒られたことも、東経戦でそうそういう手前だよと褒められたことも全部覚えてます。そして、就職して実家を出てからも相談に乗ってくれて本当にありがとうございました。あなたのもとでプレーできた1年間は幸せで、最高の指導者でした。
そして最後に、最近新たに見つかった3002個目の課題
「新しい家族達を幸せにする」
を生涯かけて頑張ってください。弟としてなんでも手伝います。
そしてこんな経験をさせてくれて
サッカーありがとう。
そしてまだ見ぬフットボールの景色を知れる日まで。
東大ア式4年 吉本 章
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