サッカー×東大生=?
講義を聴きながら、その内容を自分の頭の中でサッカーへと繋げてしまうことがあります。
量子力学でトンネル効果について説明されたときには、キーパー真正面のシュートがゴールに入るシーンを思い浮かべてしまいました。
こんな連想は何の役にも立ちません。
講義に集中しろ、という話ですね。
しかし、講義の内容がサッカーや部活動について改めて深く考えるきっかけとなったこともあります。
そんな講義のうち、僕の印象に強く残っている2つについて書かせていただきたいと思います。
1つ目は、「安全学」の講義です。
工学部の学生として、人工物を安全に使用していくために安全やリスクをどう評価していくかを学ぶことは不可欠です。
この講義で、安全やリスクの評価には決定論的アプローチと確率論的アプローチがあると学びました。
決定論的アプローチを簡単に言えば、想定された現象に対して安全を確保するための対策を重ね、その現象による被害を許容範囲内に抑えるべく工夫しようという考え方です。
一方で確率論的アプローチは、起こりうる現象を網羅的に把握し、それぞれの現象について「起こる確率」と「起こった場合の被害」の積としてリスクを定義し、
リスクを最小化する最適なシステムを設計しようという考え方です。
実際の人工物はこの2つのアプローチが組み合わされて設計されています。
サッカーの守備時のポジショニングではどうだろうか?
指導者の方々の教えや自分の経験を思い返し、この観点で見直してみました。
試合中に第一に考えるべきなのはどんな事だっただろうか…
攻撃中の相手の状態から相手の選択肢を割り出し、それぞれの選択肢について
「起こりやすさ」と「起きた場合にどれほど危険な状態になるか」を判断すること。
その上で、相手のそれぞれの選択肢が自チームに与えるリスクを天秤にかけながらポジションを修正し、
リスクを最小化する守備配置を整えること。
まさに、確率論的アプローチでした。
守備の根本は確率論的な考え方にあると感じたのです。
自分の中でどこかぼやけていて感覚だけに頼っていたものを、明確に認識できるようになりました。
試合中のプレー選択だけでなく、プレーをビデオで振り返り守備の成功や失敗の原因を考えるときの
1つの重要な尺度にもなっています。
2つ目は、「ヒューマンモデリング」という講義です。
この講義では、多数の人間から成るシステムの動きを予測するための導入として、
人がチームとして動くときの性質について学びました。
AさんがBさんと共にある作業を協力的に行うには、相互信念と呼ばれる以下の3つの条件があるそうです。
①個人の意図(Aはその作業における自分の役割を果たそうとする)
②相手への信念(Aは、BがBの役割を果たすということを信じている)
③相手の信念への信念(Aは、「AがAの役割を果たすとBが信じている」ということを信じている)
これについてもサッカーを連想し、守備におけるチャレンジ&カバーが好例だと思いました。
リスクを冒してボールを奪いに行く(チャレンジする)選手と、そのこぼれた球を回収する(カバーする)選手が、
ボールを奪うという作業を協力的に行います。
試合中で僕がチャレンジの役割を担うべき状況を想定しましょう。
まず自分がチャレンジの役割だと自覚してそれを果たそうとしなければなりません。(=①)
ここで、味方が僕のチャレンジに対してカバーをしてくれるという信頼がなければ、
リスクを冒してボールを奪いに行くことはできないでしょう。(=②)
さらに、僕がチャレンジの役割を果たすということに対する味方からの信頼を感じてこそ、より一層の責任感をもってボールを奪いに行くことができます。(=③)
このように考えたことで、味方にどんな声をかければいいのか、
そしてどんな声を自分にかけてくれるように要求すればいいのかを整理することができました。
この講義から学んだことは、プレー中に限らず部活動全般にも言えることだと思います。
(この文章で最も言いたいことはここからです。)
相互信念という観点で眺めていて、最近気になったのは部員名簿作成という作業についてです。
この作業を取りまとめてくれた働き者の服部君は、全部員にそれぞれ自分の情報を書き込んでもらうべく、
記入方法の説明、期日の設定と全体への周知、部室での口頭による催促、
期日前日のリマインド、期日後に未記入者のリストアップと催促…
といった、責任者としての彼の役割を充分に果たしました。
この作業に対する彼以外の部員の役割は、自分の情報を期限内に名簿に記入することだけです。
時間にして1分もかからない簡単な役割です。
ところが、再三の催促を無視して期日後何日か経っても未記入の人がいたため、見兼ねた服部君は自分で調べて他人の分まで記入していました。
調べながら、それも複数の他人の分を記入していたため、それなりに時間がかかっていました。
1人当たり1分以上はかかっていたと思います。
役割を果たさない人が何人も積もれば、それは山となり大きな負担となって責任者を苦しめます。
これは、部にとって確実な損失です。
まず1つ、必要以上に時間がかかってしまったことによる時間的な損失があります。
この時間をトレーニングに使えば、彼はもう少しだけでも速く走れるようになっていたかもしれません。
そして、相互信念という観点から見れば、自分の役割を果たさないという言わば「裏切り」とも呼べるこの行為は、
今後の部員同士の協力関係にも悪影響を及ぼし得ます。
今回の部員名簿作成という作業がこのような結果になったことを受けて、服部君はこう思うかもしれません。
「どうせ書かない奴が多いのなら、記入方法の説明や期日の設定、全体への周知などをしても結局自分が書くことになる。これではまるで二度手間だから、次は初めから自分が書くことにしよう。」と。
こうして協力関係が崩壊する危険性もあるのです。上で言ったような時間的な損失を助長してしまいます。
裏切ったのは何人かでも、服部君から見た他の全部員に対する信念(=②)を低下させる結果となってしまいます。
そして、期限を守らなかった部員には服部君への謝罪がなかった人もいたようです。
これは、彼の責任者としての役割意識や責任感を踏みにじる行為に他なりません。
彼の働きぶりに興味すらないようなこの態度は、彼の他部員の信念に対する信念(=③)を全体的に低下させるでしょう。
部員名簿の例に限らず、フィーリングスをいつまでたっても提出しない部員たち、遅刻を繰り返す部員たち…等々は、
自分たちの「裏切り」が確実に他の人に迷惑をかけていることを自覚すべきだと思います。
それも、見知らぬ誰かなどではなく、いつもそばにいて、同じ目標に向かって進んでいる仲間に大きな迷惑をかけているのです。
ましてや、上で言ったように裏切られた仲間が他の仲間と築く相互信念をも弱めているのですから、その「裏切り」の影響は計り知れません。
多くの部員がそれぞれ相互信念を結び巨大なネットワークを形成している組織の中で、
たった何人かの裏切りは裏切られた人の他人への不信感をよび、それがまた協力関係の断絶をもたらすことで負のスパイラルを生む危険性があります。
大袈裟な話のようですが、程度の差こそあれ、目に見えないだけで実際に起こっていることではないでしょうか?
相互信念の低下を防ぐ、もしくは高める方法もあります。
まず、②の信念を低下させないためには、各自が自分に与えられた役割を果たしていくほかないでしょう。
しかし、人間なのでミスすることはあります。
人として当たり前のことですが、ミスをしてしまったとき何も言わずに過ごしてしまうのではなく、
迷惑をかけた人にきちんと謝罪して誠意を見せることが重要です。
その誠意が、責任者として役割を果たそうとする人々の他人への信念が低下するのを和らげると思います。
そして、彼らの③の信念を高めるには、すなわち彼らが自分のする仕事に対し周りから信頼されていると感じられるようにするためには、彼らの仕事に気を配り、手伝えそうならば少しでも手伝うことです。
手伝えることがなさそうなら、せめて労わる言葉をかけましょう。
「ありがとう」「お疲れ様」
こんなありふれた言葉でも、彼らの仕事を頼りにしているということを少しは伝えることができるでしょう。
これらの言葉や姿勢は、チームとして動くときに「人として当たり前だ」という以上に重要な意味を持っているのでしょう。
僕はより一層、雰囲気の締まった組織にしたいと思うようになりました。
部員名簿作成はほんの一例です。目に見えるところで、そして目に見えないところで、スタッフを始めとする多くの部員が責任をもって仕事をしてくれています。大げさではなく、皆さんのおかげでこの部は回っています。
この場を借りて皆さんに感謝を申し上げます。そして何より、試合に勝つことで皆さんに恩返ししたいです。
読んで誰が得するかもわかりませんでしたが、僕の印象に残っている2つの講義について自由に書かせていただきました。非常に冗長な文章になってしまったことを反省しております。
最後に言いたいことは、サッカーと学問は決して切り離すべきものではないということです。
上に書かせていただいたように、学問に真剣に取り組むことでサッカーや部活動への大きなヒントを得ることもあります。
逆に、サッカーをやった経験が学問の理解の助けになったり、新たな発想の切り口を提供したりすることもあるでしょう。
この2つをうまく融合させ、化学反応を起こすこと。
それが、東大ア式蹴球部が持つサッカーに対する、そして学問に対する“役割”の1つなのかもしれません。
読んでいただき有難うございました。
4年 副将
工藤 航
社会的生物である人間の営み全てに通じますね。集団を牽引する人も支える人も、同じ実感を持てれば、『ただひとつ』になる。
返信削除次の試合、勝とうと思わず、一人ひとりが全力で役割を全うするのを期待します。ついてきた結果が、みなさんを強くする