ア式の一員になって
はじめまして、文科3類8組の赤木雅実です。よろしくお願いします。
ア式に入った理由がちゃんとあるから、入ると決めたのが早いからといって、入部してからはそんなこと関係ないし、実際、最後までア式に入部するか悩んで最も遅く入部した同期が、既にAチームで練習しているという現状があります。だから入部理由を書くか迷いました。
でも、書くことで、わからなくなった時に戻れる、原点のような所ができると思うし、他人にその文章を見せることで、楽で楽しい道という逃げ道を断つことができると思ったから書きます。
僕がア式に憧れたのは、高1の冬だった。
ア式は、年末にいくつかの高校を招待し、大会兼ア式の紹介みたいなイベントを開催している。
そのイベントに僕の出身校の浅野高校サッカー部は招待された。
その大会の運営、ア式というチームの紹介などは、大学生スタッフによって全て行われていた。大学サッカーの世界では当たり前なのかもしれないけれど、大人の関わりが全くなく、全てを学生だけで運営しているということが魅力的だった。
浅野高校サッカー部では、上の立場の人に命令されて動くのではなく、自ら主体的に気づいて、判断して、行動できるようになってほしい、という顧問の永山先生の方針があり、選手主導という体制をとっていた。選手主導では、自分たちだけでやることに対する限界を感じたり、先生の力を借りるとしてもどこまで借りるのか、とか課題が多かった。そんな状況下だったからこそ、選手主導、学生主導を普通にこなしている(こなしているように見える)ア式がなおさら魅力的だった。
また、そのイベントで、浅野サッカー部OBでア式で活躍していた中西先輩と出会った。当時、中西先輩のプレーは見たことがなかったけれど、浅野出身の選手がア式で活躍しているということ自体がかっこよく、憧れた。
去年の春に、中1の時からお世話になっていた、一つ上の浅野の先輩の、満永先輩がア式に入部したことも刺激になった。来年は自分が!という気持ちになった。
浅野サッカー部での6年間の経験で、サッカーをもっとしたい、もっとわかるようにならなければならないと思った。
特にそれは自分達の代になった、高2の夏からの1年間で強く感じた。
中高を通じて怪我を繰り返したが、特に最後の一年は、そこまで重症でもないけど軽くもない、みたいな怪我が多く、復帰に時間がかかることが多かった。自分の代なのにサッカーができないのが辛かった。でも怪我のおかげでサッカーに対してちゃんと向き合うことができた。
また、前述の通り、選手主導の体制だったから、自分達でミーティングとかを行うことが多かった。そこで自分がいかにサッカーをちゃんとわかっていないかを毎回思い知らされた。
高3の夏、現役最後の試合を終えた後に、このまま人生の中で本気でサッカーをやるのを終わりにするのは嫌だと思った。怪我が多かったこともあって、直近の公式戦に状態を整えることで精一杯で、あまり成長できなかったし、サッカーについて分かることができていないままだった。
だから、その後の受験勉強は「ア式」でサッカーをやることが大きなモチベーションだった。
また、チームメイトの中に、サッカーをしたくて一橋大学を目指している選手がいて、そいつとお互い合格し、敵同士として対戦するのが楽しみで、それも勉強のモチベーションだった。
今、育成チームというカテゴリーの中で、OBコーチや3年生の先輩の指示待ちになってしまっていることが多い。高校時代の選手主導で学んだことを生かさなければ意味がない。だから、時に生意気だと思われることもあるかもしれないけれど、ア式が魅力的な部になって、ア式に憧れて入部してくる後輩が増えるように自分ができることを考えて行動したい。
一年会楽しかったです
1年 赤木
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