未来に答えがある



1『強く生きることが君の仕事なんだ』


新チームの始動にあたり、キャプテンマークを巻く人間として自分に課したテーマがある。それが「強く」あること。これには二つの意味があって、一つ目は三年ぶりの都一部に挑むチームをサッカーで引っ張れる選手になること。自分が、東大ア式の歴代の主将と比べてピッチ上で絶対的な存在ではないとわかっていたからこそ、自分自身が強くなれなければそこでチームの成長もガラスの天井にぶつかってしまう気がしていた。殻を破り、選手としての実力を一段階も二段階も上げること。これが一つ目の「強く」あること。


二つ目の意味は、どんなことがあっても「折れない」強さ。たとえその日の自分のプレーがうまくいかなかくても、試合でどんなミスをしようとも、勝利から見放される期間がどれどけ長くなろうとも、自己嫌悪なんか意味のないことはせず、チームのために必要だと思ったことは発信し続ける、自分がするべき行動を取り続ける。これが二つ目の「強くある」こと。確かホームページの今年の抱負に書いた言葉も「ブレない」だった気がする。




「リーダー以上の組織はできない」とは随分と前に監督が話していた言葉だが、それは都二部での昨シーズンの自分たちの戦いや近年好成績を収めているスポーツチーム、はたまた日本や世界に革新をもたらしている企業を見ても明らかだ。逆に20年以上組織を引っ張り続けたリーダーが去って以降、低迷を続ける赤い悪魔こと英国の某チームのように、トップに立つ人間の不出来は組織の低迷に直結する(それでも不思議とファンはやめられないから辛い)。だからこの一年は、高校や大学の入試よりも、大勢の前での発表よりも、好きな人に告白する時よりも、推しと会える数秒よりも、そして15年以上続けてきたサッカーのどの年よりも、自分という人間の中身が試される時間になると感じていた。自分は本物の「勝者」になるのに、組織を「勝利」に導くのに相応しい強い人間になること。それが自分自身に課したテーマだった。




そしてチームは始動。プレシーズンもリーグ戦も、一週間練習して日曜に試合。一週間ずつチームとしてできることを増やしていく。が、こんなにも勝てないものか。ある時期は点は取れるけど失点が減らない、ある時期は守備はできているけど点が取れない。プレスが武器になったかと思えば別の試合では帰陣が遅くなる。ビルドアップが安定したかと思えば、翌週は自陣深い位置でのロストから失点。個人的にも失点に直結するミスもした。スタメンを外れることもあった。後期は開幕直前に怪我をして四試合ほど離脱した。10チーム中9位で都二部降格というのが今年一年の結果だった。


一つ目の強さが絶対的に足りていないことを十分に自覚しながら、二つ目の強さだけは失くしてはいけないと、チームに対して発信し続けた。それでも、コーチ陣から、部員から、偉大な前主将中沖さんのことが引き合いに出される度に自分の力不足を痛感した。だから、某企画で優が「大和は折れない強さがあるよね」と言ってくれたことは嬉しさもひと塩、その時こみ上げてきた涙のほとんどは情けなさによるものだった。ただ、自分も主将になってチームを引っ張りたかったはずの槇さんが、旬悦で色々と話し合った後、最後は任せてくれたから。学年ミーティングで自分が主将になるつもりだと伝えた時に隼が真っ先に「それがいいと思う」と言ってくれたから。ミーティングで報告を聞いているだけの自分の意見をスタッフの子たちが真面目に聞いて実践してくれていたから。遼くん始めコーチ陣が主将として自分を立ててくれたから。どんなに勝てなくても試合後の集合でみんなが自分の言葉に耳を傾けてくれたから。結果は出せなかったけど、実力の伴った強さを身に付けることはできなかったけど、何とか最後まで折れない強さだけは失わずにいられたかなと思う。ついて来てくれてありがとう。本当にごめん。内倉へ、その次以降を担う誰かへ、主将になってきっと色んなものを背負って戦うことになる。いやもう戦ってるか。全てが上手くなんていくわけないから、どうしようもなくしんどい時期はあると思う、思うけどまあリーダーってそういうもの。でも折れない限り、周りは支えてくれる。だからこそ、そこに甘えることなくチームを勝利に導ける強い人間になって欲しい。






2『その一瞬一瞬が生きてる意味』


では何を変えれば「降格」という結末を変えられたのだろうか。ここに何かしら答えを出さないことにはまた同じ失敗を繰り返す、自分もみんなも。後期の帝京戦後、残留の目がほぼ潰えた時からずっと頭からこの問いかけが離れなかった。一年前に戻って当時の自分に「このままだと一年で二部に戻ることになるよ」と伝えることがもしできても、そんな危機感は言われなくても持っていたはずだし、そうならないためにはどうするべきだと伝えれば良いのだろう。現役を引退し、OBコーチとして後輩たちの練習を見ている立場になっても、いつも頭の片隅でそのことを考えていた。




やる気がなかったわけがない。頑張っていなかったはずもない。目指すべき姿は明確だった。そんな中で、自分の一年間を振り返った時に思い当たったことは、「行動を変え続けることができなかった」ということ(もっと言えば四年間、いやこれまでのサッカー人生のほとんどでそうかもしれない)。この一年間、90分の試合、練習の中で、勝つため上達するために行動を変え続けたかどうか。つまり、できるようになりたいプレーがあった時に、そのプレーを選んだ結果起きるかもしれないミスを、必要なミスとして責任と一緒に受け入れ、それでもそのプレーを選び続けたかどうか、またはそれを選ばなかった他者に対して要求を欠かさなかったかどうか。ミスへの恐怖、ポジションを奪われることへの恐怖、自分に跳ね返ってくる要求への恐怖、意識下でも無意識下でもこういった恐怖に負け、行動を変え続けることができなかった。他にも例を挙げればキリがないし、他の人も思い当たる節は少なからずあるのではないか。繰り返すが頑張っていなかったわけではない。「さあ今日も強くなるために頑張ろう」と毎日グラウンドに足を踏み入れていたはず。でも意識をあることに向け続けるというのは思っているよりも難しくて、今意識していることが些細な他の刺激(それは疲労だったり前述した恐怖だったりする)によって三歩動いた後には意識の外に放り出される、なんてことはざらにある。そういう無意識な一瞬が積み重なるといつのまにか大きな差が生まれている。今季の結果は、自分が勝利のためにすると決めた行動を細部まで連続してやり切れなかったことに対する当然の帰結なのだろう。


勘違いして欲しくないのだけど、上でつらつらと書いてきたことは、真面目な人ほどできるというものでもない。それは(事実かは別として)自分たちは真面目であると思っている東大ア式が、都一部の他の大学にサッカーで勝てなかったことからもわかる。むしろ真面目だと思っている人ほどいわゆる「他の刺激」に対して過剰に反応してするべき行動を取れていないようにすら見える(このするべきことに集中しきれないことこそが精神的な弱さなのかもしれない)。他大学の選手たちがどんな心理でサッカーをしているのかはわからないが、「OBコーチになると上手くなる」という格言がア式にはあるように、選択したプレーの結果、自分への評価、試合の勝ち負けというコントロールできないことが意識の外にあり、(ついに来季覚醒を予感させるFW伊地知くんをして言うには)脱力しているときの方が、取るべき行動を取り続けられる、ことが多い。もちろん真面目にやるべき事に集中し続けられる人はそれでもいいだろう。




ただここで残念なことは、突きつけられた「NO」に対して正面から向き合ってまがりなりにも辿り着いたこの結論をもって、「サッカー」で悔しさを晴らすチャンスは、もう自分にはないということだ。だが今季僕ら四年生と同様に悔しい思いをしたに違いない後輩たちにはまだ「サッカー」で借りを返すチャンスがある。この先の人生、いろんなチャンスがあるのだろうけど、「リベンジ」できるチャンスの回数は本当に少ない。これまでだって一生懸命上手くなろうと練習してきたのだと思うが、そのやり方ではダメだと突きつけられたからこそ、一瞬の隙間を埋めるためにどの瞬間にも尋常じゃない意識を向け続けなければいけない(いや脱力し続けなければならない?)。一回の練習のたった一秒、その一瞬一瞬を無駄にすることなく、こだわりを持ち続けること。自分もOBコーチとしてそこは妥協せず伝えていくつもりだ。






3『花のない桜を見上げて満開の日を想ったことがあったか』


今年、部内で行われている全ての活動を把握した上で、広報やリクルートなど部内の組織を整備し、各ユニットでの活動報告を全て記録に残し、SNSで発信するコンテンツや高校生との関わり方などについて色々と注文を付けた。企業協賛獲得にも動き出した。全ての活動において、まだ目に見える成果は上がっていない点で、中途半端な形で後輩に引き継ぐ形にはなったけど、クラブ運営のレベルは上がったと思っている。


それ主将の仕事じゃないだろ、もっと目の前の戦いにエネルギーを注ぐべきだったんじゃないのかという意見もあるだろう。結果が出なかった以上そこに反論も言い訳もできないし、都二部降格という今年の結果が東大ア式に取って一歩後退であることは間違いない。ただ、サッカー推薦を持たず、入学へのハードルが高い東大ア式だからこそ、たとえ後退する年があろうとも510年のスパンで見て成長していくためのビジョンは絶対に必要だ。目の前のシーズンを一生懸命戦い抜くこと、それはもはや必要条件でしか無い。それだけではもう関東昇格を成し遂げることは難しくなっていることを受け入れる必要がある(一回昇格することはもしかしたらできるかもしれないが、たぶんすぐに降格する)。高いスキルを持った選手が継続して入って来て、四年間で劇的に成長できる組織になって初めて関東で戦えるようになる。




では、推薦で選手が取れなくても質の高い選手が継続的に入ってくるには?
東大を目指せるポテンシャルのある質の高い高校生が憧れ目指したくなるチームになる。その為に広報を通じて積極的に「カッコよく」東大ア式という存在を発信する。リクルートを通じて各高校との繋がりを拡大、強化し、高校生と接触、東大ア式を目指してもらう。


じゃあ、憧れられるチームってどんな存在?
当然サッカーが強いクラブ。上手くなれるクラブ。地域から、(卒業生を含む)東大生から応援され、農グラが、御殿下が、いずれは西が丘が、満員になるくらいファンがいるクラブ。後にサッカー界で働く足掛かりになるクラブ。競技に特化する強豪大学に対するアンチテーゼ。


部活というあり方そのものが競技面で見直され始めている今だけど、大学・高校の名を背負って戦う集団というのは、戦っている当人にとっても、応援している人々にとっても、強烈なアイデンティティの拠り所になっていることは間違い無いし、そこに見出せる価値は計り知れないものがある。


そういった場所に東大ア式がなっていく必要があると考えた時に、双青戦にはもっと力を入れるべきなんじゃないのかな、というのは僕の独り言。だってサッカーでも野球でもアメフトでも早慶戦があれだけ盛り上がっている(見に行った事ない部員には見に行くことを強くお勧めします)。日本を二分する難関大、東大vs京大のダービーにはもっとポテンシャルあると思う。




とまあ頭の中では好きなだけこういう未来を描けるのだけど、何とかそのスタートラインに立てたかどうかというのがこの一年の取り組みの結果で、しかもこれらのことは既に筑波や早慶なんかではかなり取り組みが進んでいて(というか地位が確立されていて?)、特別先進的なことではない。わざわざこの章の文中で「東大ア式」と書いているのも、世間一般では「ア式」といえば「早稲田のア式」であるという現実があるから。目指すべき背中はまだまだ遠いけど、だからこそ最高のお手本であることは間違いないし、今始めないとその差は開く一方だ。


今年一年で既に各ユニットが色々と取り組み始めたことも知っているから心配はあまりしていない。ただ結果が出なかった今季のピッチ上と同様に、ちゃんとこの一年の振り返りをして、失敗があったなら同じ轍を踏まないように来季に繋げること。一部員がいる四年間で成果を出すことは難しくても、だからこそ目の前の戦いと並行して未来のために今動き、それを下の世代に引き継いでいくこと。今年一年で事あるごとに言ってきた「ビジョン」を持つこと。今はまだ花のない桜でも、5年後10年後(もっと先かもしれない)の満開の日を想いながら行動していくこと。




ここにいない誰か(ここにいる今の1.2年ならそれに越したことはない)がいつか関東昇格を決めたピッチで栄光の架け橋を大声で歌う日が来る。その時は僕も会場に駆けつけるので、一緒に歌わせてください。






4『夢ならここにある』


御殿下がどこにあるかなんて何も知らずに来た(実際初めての練習参加の時には、東大前駅(弥生キャンパス内)から安田講堂(本郷キャンパス内)まで歩いた挙句新見さんから「部室は農学部(弥生キャンパス内)の方だよ」と非情なLINE)。あやふやな夢を探して、色んな新歓に顔を出して。「部活でやらなきゃつまらないよ」と熱心にアメフトに勧誘してくれていた当時のウォリアーズ主将加藤さんと中村さんに言われ、ア式を選んだ(読んでくれてますかね、東京トンテキ連れて行ってもらってア式かアメフトかの二択にしてくれたこと、今でも本当に感謝してます)。ただ初めから心に火が付いていたわけではなかった。次々辞めていった同期と同じように四年間続けるモチベーションもなく、トップで公式戦出て(大池風に言えば)「ア式に勝ったら」辞めようと思っていた。今年と同じように都一部の舞台で勝てないチームもどこか冷めた目で見ていた。そんな自分も終盤にはリーグ戦に出してもらえるようになった。当日の朝に急遽スタメンに抜擢された雨の國學戦。何も出来なかった。このまま終わりたくないと思った。既に降格が決まっていた中で迎えた最終節帝京戦。CBでコンビを組んだ符さんが負傷退場。担架で運び出されるとき、泣いていた。あの符さんが。急遽CBに降りた加里武さんの隣でプレーして初めて知った。背中で語るってこういうことか。ああ、四年生はこんなにもア式に懸けているのか。その時初めてわかった気がした。それでも井の中の蛙は空の青さを知ることができないと思った。短期留学に行きたいとのぼりさんわたるさんに直談判。初めて部を離れて降り立った米国西海岸。九千km距離を置いてみてやっと確信する。僕の居場所はア式だ。ここで勝ちたい。二年目、プレーで引っ張ることができた自信はないけど誰より声を出した。「俺らの代にできそうなやついないから」的な感じで一個上の代に頭下げられたり、遼くんと合宿の試合帰りに色々話したり何だかんだあって副将に。プレーにも自信が出てきた後期開幕直前で半月板断裂の大怪我。後期中に一旦は復帰して中沖さんの出場停止もあって土砂降りの中、初めてトップチームでキャプテンマークを巻いた。でも昇格には遠く手が届かず、シーズン後には人生で初めての手術。不便過ぎた松葉杖での一人暮らし。半年に及ぶリハビリ。三年目、ピッチには戻れたものの調子戻らぬまま前期を棒に振って、なんとか後期に復活。するも永遠に構造の変わった右膝を庇ったせいか今度は疲労骨折。なんとか昇格決定まで戦い抜きまたリハビリへ。そして四年目。キャプテンマークを巻いた前期、勝てなかった。こんなはずじゃなかった。夏、もう自分もバトンを渡す側。一選手として後期の巻き返しを図る。が、開幕三日前に肉離れ。三週かかって復帰するも思い通りにプレーできない。代わりにSBにコンバートされたスーパールーキー杉山は出色の働き。四年目の後期、ほとんど試合に絡むことはなかった。一年の終わりからトップで出してもらえたことや同期たちがみんな例外なく覚醒とも言える急成長を遂げたことを考えれば、自分が選手として辿り着いているべき場所はもっと上でなければいけなかった。自分の背中、後輩たちには、同期や先輩たちにも、どう見えていたのだろう。




こうして振り返ると嬉しかったのは昇格を決めた三年の後期くらいのもので、それ以外のほぼ全ては悔しかったこと苦しかったことで占められている。めちゃくちゃ楽しかった、全部出し切ったと言って引退できるほど綺麗な四年間でもない。ただこの選択をして良かったとは心から思う。ア式の夢がいつしか自分の夢になり、それを追い求めたこと。自分の為だけじゃなくて、誰かの為に、情熱を注げたこと。僕の誇りだ。組織の為にこれだけ動けて凄いねって言葉も貰ったりしてそれはもちろん嬉しかったのだけど、少し前の淡青祭で、応援部主将の宮下が語っていた言葉を借りれば、「愛を注いだア式というクラブはもはや自分の一部」であるから、僕はただ自分に、自分の夢に情熱を注いだだけなのかもしれない。でもそれはそれで、誇れることに違いない。思えば、四年前に卒業した藤枝東高校サッカー部の試合結果、大学入試の速報で今でも一喜一憂するし、日本という国の誇りを踏みにじる(特に某国の)あらゆる言動には心底腹が立つし、自分が生まれ育ったドイツや藤枝、静岡、日本には(抽象的な表現にはなるが)頑張ってほしい、あわよくば自分に何かできなないかと考えてしまう。どうやら僕はアイデンティティを自分の周囲にも強く拠るタイプの人間のようだ。。。(この表現で正しいんですかね、言いたいことが伝わってくれればいいです)


話が逸れた。この四年間は間違いなく充実した時間ではあったのだけど、ただア式生活で得た何かが今後自分の人生で何か役に立つのかどうか、現時点で確信を持って言えることはない。語学留学に行った人や、インターンをしている人、起業してビジネスを成功させている人のように目に見えるスキルが身についた訳ではないから。別にサッカーじゃなくても、運動部じゃなくても、誰かと本気で何かに打ち込んでいれば、挑戦して失敗して克服して成長する、仲間と感動を分かち合うということはたぶん経験できるから。自分がア式の未来の為に(特に最後の一年に)取り組んだことが正しかったかどうかも今はまだわからない。


でも、「好きだったサッカー」をずっと深く理解できるようになって、もっと好きになれたこと。「好きだったサッカー」で、期待と責任を背負うことの重みを、自分の弱さと正面から向き合うことの大事さを、仲間と一つの夢に向かって熱中できることの素晴らしさを、支えてくれる人たちの存在がどれだけ力をくれるかを、また知ることができたこと。


そして、論理的で感情的な、残酷で美しい、サッカーという世界一スペクタクルなスポーツの世界に、いつかまた戻ってきたいと思えるようになったこと。


これらだけでもア式を選んだ意味はあった。僕らが入部したての頃に添田さんが話してくれた「これだけの環境があってア式でやらないことの方がよっぽど機会損失だ」という意味が今ならわかるし、関東昇格という夢を後輩たちに託した今、自信を持って言える。


「名もなき若者よ、夢ならここにある。」




そして僕の夢は、ここではないどこかへ。遠回りして辿り着いた大学院で、思う存分研究して、プロジェクトに参加して。いつか日本の街をもっと魅力的で元気にする。そこにJクラブと関わりが持てたりなんてしたらもう最高。




ア式は関東に向けて正しい道を進んでいるのか。四年間のア式生活で得たものは何なのか。自分はこの先何かを成し遂げることができるのか。


すべては、未来に答えがある。


あーーー、この先の人生、超楽しみだ。






東大ア式蹴球部に関わる全ての皆様
一年間、多大なるご支援ご声援を賜ったこと、この場を借りて感謝申し上げます。ご期待に沿う結果を残すことが出来ず、申し訳ない気持ちでいっぱいですが、皆様の支えを感じながらサッカーに打ち込めた日々は何にも替えがたい宝物です。今後とも東大ア式蹴球部の応援の程、何卒よろしくお願い致します。




年中高山病、治す気ありません。


四年 前主将
松坂大和

コメント