古野遼太をぶっ壊す!!!

東大に入り、そしてア式に入り早くも半年以上が過ぎてしまいました。歳をとるにつれて時間の進み方は早くなる一方ですね泣。
最近、「一年前の自分って何してたかなあ?」なんて考えることが多くなった気がします。情けないですが、現状上手くいっていない自分がいるからかもしれません。
丁度feelingsが回ってきたので、今回は僕が東大に合格するまでの人生を振り返っていこうと思います。


小学生の頃の自分を一言で表すと、「クソ真面目」
おそらく僕のことを知っている人ならば、誰もこのことを信じないでしょうが、紛れも無い事実です。
僕は小学五年生の頃から日能研に通い始めましたが、学校の授業を疎かにすることなく、宿題も必ず提出期限までに出すような子供でした。旅行先にも勉強道具は持っていくし、テストで良い点が取れないと悔しくて泣いてしまうこともありました。
そもそも日能研に通い始めた理由も「難関中学校に合格して、よりレベルの高い授業を受けたかったから」です。
我ながら志の高い素晴らしい少年ですね笑。
では、その後の六年間で一体何があったのでしょうか?


僕は鹿児島の進学校で、第一志望のラ・サール中学校に合格しました。
ラ・サールは中高一貫で、東大や医学部合格を目指す生徒の多い男子校です。
中学三年間、僕はサッカー部に所属し、CBをやっていました。いわゆる下手の横好きです。ア式のように自分たちの目指す明確なゲームモデルがあるわけでもなく、攻撃はFWの個人技頼み。CBの僕の仕事はと言うと、ひたすらディフェンスをするだけでした。ボールを奪ったらとにかく裏のスペースへロングボールを蹴り、ラインを上げる。もう一人のCBとしっかりコミュニケーションをとり、チャレンジ&カバー。サイドを変えられたらスライドする。後方から相手のマークの指示。気を付けていたのはこんなところでしょうか。もちろんプレス回避やビルドアップなんて出来ません。それに対し、ア式のCBには非常に多くのことが要求されます。客観的にはまだまだ課題はあると思いますが、僕には決して真似できませんし、本当にハイレベルなことに挑戦しているんだと心の底からリスペクトしています。


この頃からあるサッカーチームを応援するようになります。マンチェスター・シティです。まあ理由は「ダビド・シルバがいたから」という単純なものです。そのシルバもウイイレでスペイン代表で使っているうちになんとなく好きになったのですが。でも試合を見始めるとシティの奏でるパスサッカーに魅了されました。今のシティと比べると発展途上で、メンバーもガラッと変わってしまいましたが、やはり個人的にはペジェグリーニ時代が一番好きです。今年の7月に日産スタジアムでシティの試合を観たのは良い思い出です。東京に来て本当に良かった。


話が逸れてしまいましたが、そんなこんなで中学生の頃は部活に専念していました。勉強も最低限はこなしており、好成績を維持していました。


高校生になるとサッカー部を辞め、いろいろあって水泳部に入りました。ちなみにプールに入ったのは全部で二回くらいで、息継ぎも出来ません笑。これは帰宅部といった方が適切でしょう。
部活を辞めたので確かに暇な時間は増えましたが、勉強時間が増えることはありませんでした。中学生の頃は日曜日は毎週試合があってあまり遊べなかった分、友達と映画を観たり、カラオケに行ったりするようになりました。モンストやクラクラといったソシャゲにも手を出し、家に帰るとゲーム三昧の日々が続きました。さらには乃木坂46や欅坂46にはまり、YouTubeで関連動画を観てはニヤニヤする毎日。
最初のうちは今までの蓄積もあり成績が下がることはありませんでしたが、徐々に分からないことが増え始め定期試験の順位も下がっていきました。
この時にはもう既に今の僕が完成していました。極度の面倒くさがり屋。どこまでも自分に甘い。
真面目だった頃の面影はありません。


月日は流れ、とうとう高校三年生になりました。「流石に勉強しないとなあ」と頭では分かっていたのですが、なかなか手につきませんでした。勉強する習慣というものは一朝一夕には身につきません。
昨年の夏、サッカーのW杯がロシアで開催されたのは記憶に新しいでしょう。学校の先生には「受験生なんだから、絶対に観るな」と念を押されましたが、もちろん僕はほとんど全試合観ました。「受験は一年に一回だけど、W杯は四年に一回だからW杯の方が大事だよね〜」なんて本気で言っていました。
眠い時は「こんな時に勉強しても効率上がんないよね〜」と言って寝て、観たいテレビ番組がある時は「ここで我慢しても集中できないよね〜」と言ってガッツリ観ました。
高校三年生になると同時に確かにゲームやアイドルから手を引き、友達と遊びに行くこともなくなりましたが、これでは意味がないですよね。
正直こんな奴が受かる訳がないと今になって考えれば思いますが、当時の僕は本気でなんとかなると思っていました。こういう奴って根拠のない自信だけはあるんですよね。不思議です。はい、ブーメラン乙。


夏休みは図書館に毎日通い、朝から晩まで一応勉強しましたが、効果的だったかは分かりません。
夏休みが明けると最後の大イベント、体育祭への準備が始まります(先日はご迷惑をお掛けしました)。僕は応援団に入ったので、体育祭までのおよそ一ヶ月間ひたすら演舞の練習に励みました。正直この間ほとんど勉強していません。この時期の一ヶ月間をほぼノー勉で過ごすことは致命的ですが、皆その位力を入れていました。
体育祭が終わると学校の雰囲気が一気に受験モードに切り替わります。そこでようやく僕もスイッチが入りました。体育祭を全力でやり切ったことが逆に勉強にプラスに働いたのかもしれません。
この時期になると志望校を決めなくてはなりません。模試の判定はよくありませんでしたが、思い切って東大を受けることに決めました。「100%受かる大学に合格するよりも10%しか受からない大学に合格する方が面白いしコスパよくね」という浅はかな考えからです。浪人は死んでもしたくなかったのにこの強気な姿勢。素直にすごい。
ここからは一瞬で時は過ぎ、冬休みになりました。冬休みは死ぬ気で勉強していました。おそらくあの時より勉強することは一生ないでしょう。センター試験や二次試験が迫ってくる中で、自分の実力のなさに絶望し、浪人に怯え、ただただ机に向かっていました。

年が明けるとすぐにセンター試験です。緊張しましたが特にミスすることもなく満足のいく点数を取ることが出来ました。
ここで調子に乗るのが古野容疑者。黙って二次対策に切り替えればいいものの、過去の反省を全く活かさず、友達と公園でサッカーをしたり、ゲーセンに行ったりとセンターが終わった開放感からなのかしばらくの間遊びまくります。内心「もう今から勉強しても結果は変わらないっしょ」と思っていました。
そうこうしているうちに卒業式を迎え、二次試験までの間家に籠って過去問演習に取り組むようになります(正直遅すぎる)。蓋を開けてみると数学と化学が全く解けません。センターボケと不勉強の相乗効果で学力が急激に低下していました。時間がほとんど残されていない中、急に焦り始めます。浪人が現実味を帯びてきて「どうしようどうしよう」と途方に暮れました。



そんな中で僕を救った魔法の言葉、「なんとかなる」
僕の座右の銘でもありますが、何回も自分に言い聞かせ東大に合格することを信じて疑いませんでした。
そこからは二次試験の前日ギリギリまで詰め込み、無事に合格することが出来ました。歓喜の涙を流し、自分はすごいんだと自信に満ち溢れていました。


なお現在。
やはり人間は簡単には変わりません。痛い目に合わないと分からないんですよね。
世の中にはなんとかならないこともある。この半年間で身をもって学びました。


今feelingsを書いているのも期日を大幅に過ぎてしまっています。佐野さんが意図的に飛ばしてくれないかなあなんて少しだけ期待していましたが (冗談です)、そんな甘くないですね。さすがです。



YouTuberのブレイクスルー佐々木さんによると、先延ばし癖のある人は三つの最悪な事態に陥りやすいそうです。
①かえってストレスを増大させる
②集中力を低下させる
③収入が下がる
(詳しくは動画を観て下さい!)
やっぱりそういったところから今の自分を変えていきたいですね。



信じることは必要条件
1年 古野遼太

コメント