夏の終わりを告げるような微温い風とともに、

 微温いよりも冷やっこいという形容が適切であろう風が吹く頃合いとなってきた。夏の終わりを通り過ぎ、秋がやってきた感じがする。秋は最も好きな季節だ。ちょっと涼しいぐらいがサッカーには丁度いいからというのもあるが、それだけではない。まず秋は食べ物がおいしい。柿と梨は果物界の私的2トップだし、秋刀魚、鮭、薩摩芋、南瓜なんかも旨い。他には、服装に無頓着な私だが秋服だけはちょっぴり好きだ。今年に限っては大学に行くことも少ないだろうし着る機会も減るだろうが。そして何より秋は紅葉が綺麗だ。都の木だからと銀杏が色づく様を目にすることが近年は多いが、やはり槭や椛が真っ赤に染まる景色を見ると心にすとんと落ち着く感じがする。名は体を表す、もとい、名は原風景を形作るといったところか。かつて自分の名の由来を両親に尋ねたところ、誕生時期に槭が紅葉していたからだと答えられたのを今でも覚えている。聞いた当時は安直だなと思いはしたが、当の本人は自分の名を非常に気に入っているため、結果オーライなのかもしれない。ということで、私の呼び名にまだ迷っている一年生がもしいれば、名前で呼んでもらえれば私はとても嬉しい。どうぞよろしく。





最近、自分のプレーが少しずつ良くなっている感覚がある。拓夢は早々にAチームに上がったし、育成内でも隆汰が好プレーを披露しており、同じポジションの新入部員には上手なやつが多かった。育成チームでの全体練習が始まった当初はB2チームに振り分けられたが、過去二年のB2カテゴリの沈み方を知っているが故の一抹の不安を抱えつつも、変に焦ったり落ち込んだりすることはなかった。それは、一種の諦めや開き直りの類によるもので、一般的にはあまり褒められたことではないとは思うが、結果的に今の自分には良い方向に働いたのだと思う。もしかしたら参考になるかもしれないので、書き残しておこうと思う。


再開後、自分でどうにかしようとするのをやめた。自分が下手なことも、自分の能力ではピッチ上の問題を解決できないことも、二年間で嫌というほど思い知らされたから。なにか問題が発生した時、弱点が露呈した時、自分の能力を伸ばすことで解決しようという気はもう無い。皆無というと流石に嘘になるが、基本的には無い。自分よりも優秀なチームメイトが隣にいるのに自分でどうにかしようとするのは
あまりに馬鹿げていると言うほかない、と開き直った。11になればどうせ勝ち目なんて無いのだから、さっさと1111に持ち込んでしまえばいい。そう思えば自然とコーチングの声が出た。ひっきりなしに声をかけるし、攻撃でも守備でもすごく細かいところまで注文を付ける。正直鬱陶しいなと思われているかもしれない。でも、そこまでしないと私はチームから切り離されてしまう。それは困る。私の不得手なプレーはチームメイトに肩代わりしてもらいたいし、弱点はチームメイトに覆い隠してもらいたい。走力がないならあまり走らずに済むように周りを動かせばよいし、対人守備が苦手なら相手がボールを持つ前に片を付けられるように限定をかけてインターセプトを狙えばよいし、二人も三人もプレッシャーを引き受けられるわけじゃないなら味方を先んじて配置して逃がしどころを確保しておけばいい。問題の根本的解決にはなっていないけれど、いずれにしろ現段階では10割の負荷は背負えないのだから、9割の負荷は仲間に肩代わりをしてもらって、まずは残った1割を独力で解決しようとするのは至極真っ当な発想だと思う。そうやって段階的にできることを増やしていけばいい。


昨シーズンは出来もしないのに一人で10割背負い込もうとしすぎていたのだと思う。結局過負荷がかかって何もできなくなり、失敗が続いてグラウンドに立つのが怖くなって、そうして輪をかけて何もできなくなり、相対的に負荷がさらに増える。それをまた一人で抱え込んで……。負の連鎖とはまさにこのことだと思う。サタデーには出場すらしていないし、多少の出場時間をもらえた静岡遠征や双青戦では酷いプレーをした。(双青戦三軍戦、ぼろぼろなプレーを繰り返した自分に向けて立川がブチギレてくれたことを今でも覚えています。とっくに見放されていてもおかしくなかったのに。結局試合中に立て直すことはできなかったけど、このままでは終われないと思えたのは貴方のお陰です。いつか貴方が崩れそうになったとき、手を差し伸べて引っ張れる選手でありたいと思います。ちゃんと怪我を治してピッチに戻ってきてくれる日を待っています。)


昨年の育成チーム、特にB2カテゴリには、個人の問題は個人で解決しなければならないみたいな、そういう雰囲気が充満していたような気がする。それ自体は間違っちゃいないと思う。あからさまな問題を抱えたままB1カテゴリやAチームへ上がることはできないだろうし、いずれは独力で解決しなければならない。でも、そうするために段階を踏むということや、チームに頼ってほんの些細な成功体験を積み上げていくことは見落とされていたように思う。少なくとも私は見落としてしまっていた。


もう同じ轍は踏みたくないし、みんなにも踏んでほしくない。あんな苦しい思いはもう御免だ。惨劇を繰り返さないためにも、みんなの頬に浮かんだ憂いを、二度と見逃しはしない。一緒に頑張っていこう。


うまくいかなくて苦しくて頭が真っ白になってしまったら、一度自分の下手さを受け入れ、独力で解決するのをやめてみてほしいと思う。自分が思っているより自分は下手くそかもしれないけれど、できるプレーだって自分が思う以上に沢山あるはずだ。一足飛びじゃなくてもいい、自分じゃできないことは仲間に投げてしまえばいい、今できるプレーから少しずつ積み重ねて、少しずつ力を伸ばしていこう。


最近、自分のプレーが少しずつ良くなっている感覚がある。相変わらず試合は練習試合だろうとド緊張しているけれど、ピッチに立つ怖さはない。9割の負荷を味方に任せることで、1割の負荷だけを背負った状態でなら挑戦的なプレーを選べるようになってきたと思う。戦術とは自分の強みを押し付けるための矛だと思っていたけれど、自分の弱さを覆い隠す盾でもあったのだと今になって気づくことができた。今は盾を構えることで精いっぱいだけど、いつか矛も構えて戦えるようになりたいと思う。






時候の挨拶もどきと長い長い近況の話を前書きとして、本題を綴っていこうと思う。




世界を覆った新型コロナウイルス感染症は私の日常からサッカーを奪っていった。不要不急なのに人が大勢集まるのだから致し方ないとはいえ、プレーできない時間が続くのは悲しかった。活動が停止したのは約4ヶ月。青嵐はとっくに過ぎ去ったころにようやく、制限付きとはいえプレーできるようになった。もともと上等な選手ではなかった上、プレーしない期間がそこそこ長かったため、目も当てられないほど能力が落ち込んでいた。


それでも、プレーするのが楽しくてしょうがなかった。当初は同時に練習できる人数も限定されていて、サッカーらしくはなかったけれど、それでも楽しかった。私は私が思っていた以上にこの競技のことを好いているらしかった。純粋に、プレーすることがすごく好きなのだと気づかされた。サッカーは最高の遊びなのだと。




そう、私にとってサッカーは遊びだ。たかが、遊び。



ア式蹴球部では「関東昇格」がしばしば目指すものとして掲げられる。部のウェブサイトにも確か書かれていたし、入部式のような式典においてもよく口にされる。悲願だそうだ。関東昇格を達成したいと思う気持ちは別に嘘ではないだろうし、あえて口にするのは一種の様式美、お約束といったところなのだと思うが、私はこれがあまりしっくりこない、というかあまり好きではない。部活は遊びに過ぎないのに、なぜそのような大仰な“悲願”が掲げられてしまうのかと、居心地が悪くなる。

遊びとは、なにか目的があってそのためにやるものではないはずだ。遊ぶこと自体が目的だとあえて言うこともできるが、実際のところ遊びはその場の快感を追いかけてやるもので、動機は「楽しいから」で事足りる。目的なんてものはない。機会損失など、考えるだけ馬鹿馬鹿しい。


だから、私がア式蹴球部でサッカーをやるのは、関東昇格のためでも、都リーグ優勝のためでも、リーグ戦出場のためでも、Aチーム昇格のためでもない。そんな目的はない。極端に言えば、試合で勝つことも別に目的ではない。目標としてはまあ、あるかもしれないけれど。それでも、大して意識することはない。


相手の守備ブロックを切り崩すような縦パスを差し込むこと、シュートを叩きこむこと、マッチアップの相手を出し抜くこと、相手のプレーを読み切ってボールを奪うこと、足を延ばして相手のシュートを掻き出すこと、みたいな、そんな「その場の快感」を追いかけて私は今日もピッチに立っている。そんなプレーが楽しくて、気持ちよくて仕方がないからサッカーをやっていて、その楽しさや気持ちよさの中毒症状に陥っているから今日も飽きもせずにグラウンドに足を運ぶ。そこに大仰な目的が入り込む隙間はない。


勿論、そんな快感の積み重ねの先に例えばAチーム昇格とか、リーグ戦優勝とか、関東昇格とかが待ち受けていたらそれはとてもとても喜ばしいことだと思う。でもそれらは結果に過ぎない。結果を求めて遊んでいるわけではないのだから、はっきり言ってどうでもいいことだ。だから、“悲願”が誰かの口から出てくるたびに、それを追いかける情熱を持ち合わせていない自分はここにいるべきではないのだろうかと居心地が悪くなる。


遊び遊びと繰り返したが、私とて半端な気持ちでピッチに立っているわけではない。遊びにこそ全力を尽くすべきものだ。遊びとは、真剣に遊んだほうが往々にして面白くなる。ふざけたルールの遊びはよくあるけれど、ふざけて遊ぶ遊びはあまりない。あったとしても、全力でふざけなくては白けてしまうのが目に見えている。遊びとは、全力で遊びつくす覚悟を持って挑まなくては面白くならない。だから、私もサッカーを遊びつくすつもりでピッチに立っている。


大仰な目的は掲げていないし、そこに間違いなくみんなと温度差はあると思うけれど、ことピッチ内においては変わらぬ情熱を注いでいる自負はある。




しかし、やはりピッチ外においては温度差が如実に表れているように感じる。遊び場としてア式蹴球部を選び、今でもその感覚が変わらないために、ピッチ外での創造的な仕事へのモチベーションが皆無なのが温度差の原因になっていると思う。そもそもそういう活動が付随するなんて入部の時には知らされてなかったし、と愚痴を吐くこともできるが、そうでない捉え方をしたい。


まず、大前提として部員のほとんどはピッチ外の活動を目指して入部したわけではない。特に選手は。最近は流れが変わってきているようにも感じるけれど、それでも大半はピッチ上の出来事に惹かれて入部を決めたのだと思う。そんな中で、ピッチ外でも何かしらの創造的な役割を果たそうと思えることはその時点でとても幸せで、とても素敵なことなのだと思う。そういったピッチ外の活動においてはア式蹴球部の持っている資源や基盤、東大のサッカー部という立ち位置やネームバリュー、影響力その他を存分に活用してもらえればよいと思う。使えるものはとことん利用して、活動を成功させてほしい。過信は禁物だろうけど、実際に組織の規模はそこそこ大きいと思うし、日本社会での東京大学の見られ方が少々特殊だというのも事実だと思う。それが良い向きに作用するのかは知らないけれど。


そういうピッチ外の活動に関するモチベーションの無い私は、みんなに対して若干の引け目を感じてしまうのだけれど、それはきっと逆だ。入部当時にはなかった活動意欲を抱いているみんながむしろ特殊で特別で幸福なのだろう。だからといって私が不幸なわけではなくて、プレーできる場所があるのはそれだけでとても幸せだ。より幸せな人たちを見て、自分の幸せを蔑ろにするのは愚の骨頂だと思う。
それに、ア式蹴球部の第一義はやはりピッチの上にあるはずだ。考えて見てほしい。サッカーをやらない我々に、先に挙げた資源、基盤、立ち位置、ネームバリュー、影響力その他が備わっているのだろうか。これらの要素はサッカーをプレーする集団という性質を軸にして集まってきたものに違いない。


だから、ピッチ外での活動に関わる気が起きなくとも、ただサッカーを真剣にプレーしているというだけで、ピッチ上のサッカーに関わっているだけで、私は、そしてあなたはこのチームにいていい人で、このチームに必要なのだ。そう私は思う。


先日ユニット紹介があって、主に一年生にピッチ外の活動に参加することが新たに要求されたと思う。まずは色々な活動に首を突っ込んでみてほしい。そこに面白さを見出せること、もっと関わりたいと思えることはとてもとても幸せなことだから、そのきっかけが目の前をよぎったと思ったら是非とも掴んでほしい。勿論、学業や選手・スタッフとしてやること、その他課外活動なんかがあるだろうから、その点で無理はしてほしくないけれど。でも、どの活動もしっくりこなかったとしても、それはある意味当然のことだから、引け目を感じる必要も、無理をして活動に関わり続ける必要も無い。ピッチで起こることがこのチームの第一義で、選手として、あるいはスタッフとして、ピッチ上でとことん真剣にサッカーを遊びつくすことが、何よりものチームへの貢献になるのだから。






では、サッカーをやれない状況がやってきたら?




遊びには、まず“遊び場”が必要だ。




遊び場を失う経験を私たちはもう既にしている。新型コロナウイルス感染症の影響で部活動が停止したのが今年の3月の終わりで、制限付きとはいえ再開したのが7月の終わり。その間約4ヶ月、私たちは遊び場を失った。


思うに、遊び場を奪うのは社会的ハードルが低いのだろう。遊びは不要不急だ。無くなってもだれも困りはしない(ように思われているし、そういう言説は多い)。遊んでいる暇があったらさっさと勉強しなさい!というセリフは小中高生に向ける親の常套句だろうし、実際に言われた人は多いと思う。近頃は遊具が撤去されたり、球技や花火を禁止したりする公園が増えているように感じる。遊びが何かしらの不都合を引き起こしたとき、不都合を回避する方策を実施するよりも遊び自体を縛ってしまえばよいという傾向があるが、それも遊びは無くなってもよいという感覚によるものだと思う。


私たちにしたって同じだった。画一的に課外活動を禁じていた大学側には、感染症下で講義や研究活動をどのように実行するかの方が検討の優先順位が高かったというのも事実だろうが、課外活動という名の遊びはなくてもかまわないだろうという思いもあったに違いない。遊びを切って捨てるような社会的風潮が広がる現代においては、遊び場を確保することは非常に難しく、感染症の蔓延のような非常事態では拍車がかかる。もう痛いほどわかったはずだ。


だから、自分たちの遊び場は自分たちで守らなくてはならない。


部員のみんなには、自分たちの遊び場を、活動の場を守るということにもっと真剣になってほしいと思う。遊び場とは、ただサッカーをする場所としてのグラウンドという意味ではない。グラウンドは当然として、ボールなどの用具、一緒にプレーするチームメイト、試合を進めてくれる審判員・運営者、指導してくれる監督やコーチたち、たくさんのサポートをくれるスタッフのみんな、ともにサッカーを楽しむ対戦相手、私たちがより質の高い活動をするための部室といった設備、私たちの活動を理解し支援してくれるOBや大学、地域の人との関係性、そういった遊ぶための環境を全部ひっくるめて遊び場だ。例えば、みんな面倒くさがる感染症予防策の順守は、単に部内の感染拡大を抑制するだけではなくて、大学からの理解を得ることにも繋がる。練習後にボールをちゃんと探すことだって、部室を清潔に使うことだって、グラウンドからの荷物の持ち帰りのような雑務をきちんと済ませて誰かに負担を集中させないことだって、スポーツマンシップに則って対外試合に臨むことだって、全部私たちの大切な遊び場を守るための行いだ。みんな本当にできているか?よく考えてほしい。個人的には、このあたりがすごく蔑ろにされているところがこのチームの悪いところだと思う。遊び場を奪い去るのは一瞬で、なのに取り返すにはとても大きな労力が必要だ。今大学のグラウンドで練習できているのは、実施できる感染症対策を考案し、それをもとに交渉してくれた人がいるからだ。その労力は計り知れない。


奪われる苦しさはみんなもう知っているはずだ。だから、それを思い返せば守るための行動は自然と出来ると思う。


そして、先に述べたピッチ外の活動に意欲的になれない人たちに向けて。遊び場を守るのは当然構成員全員でやらなければいけないことだし、それは些細なことの積み上げが大半だけど、一方で大がかりな活動もあって、それを扱っているユニットがいくつかある。部内環境とか審判とか試合運営とかコロナ予防策とか主務とか。これらのユニットの一員として、このチームを、私たちの遊び場を守り維持していってほしいと思う。


みんながア式蹴球部の存在にただ乗りするようになってしまっては、このチームは沈むと思う。存在目的だの悲願だのいっている場合ではない。だから、みんななりの形で、このチームの発展か、維持のどちらかに貢献してほしい。


私は、ピッチ外でみんなの創造的な活動には関わるつもりはさらさらない。けれど、みんながそうやって意欲的にピッチ内外で活動できるこの場所を、このチームを、遊び場を守っていきたい。そのために力を尽くそうと思う。






新型コロナウイルス感染症の影響で活動ができない間、プロの映像を見ることが少し増えた。酒井ゴリの対人守備が半端ないとか、キミッヒがアホほど上手いとか、ドウグラスコスタの常時倍速ドリブルがやっぱ大好きとか、いろんなことを思った。なかでもキミッヒはやっぱりとんでもなく上手い化け物サイドバックだったし、まさにこんなプレーがしたいと思った。紛れもないお手本だった。


試合をみるのは面白いけれど、それでも、やっぱりプレーするのが好きだと相変わらず思った。だから今グラウンドに出て練習や試合ができるのが幸せでたまらない。もっとこの幸せを噛み締めていたいと思う。そして、この幸せを手放したくないと思う。この幸せを青嵐に連れていかれないように、できることをやろうと思う。後悔してからでは、遅い。





淡い紅掛けの空の色に染まっていく、そんな時間帯や景色がすごく好き
三年 大田楓

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