強いチームに

今まで、続けることになんの疑問さえ持たず、生活の一部として当然そこにあったサッカー。当たり前の日常を奪われた新型コロナウイルスの流行以降、この競技の楽しさをより鮮明に感じるようになった。



22人のそれぞれ意図を持った選手達と、それ自体は意図を持たないが選手達の意図に揺られ続ける不確実でかつ規則的な動きをみせるボールが、90分もの間連続してピッチ上で複雑な現象を生み出す。複雑で、ランダムさも兼ね備えた現象に対しては、その構成要素である一人一人の選手でさえも単独で立ち向かうことは難しい。


だが、ピッチ上で起きている複雑な現象は22個の目ならちゃんと多角的に捉えられるし、ピッチ上の好ましくない現象を打破する方法も11個の脳でなら考えられるし、22本の足でならその現象を望ましいものに変容させていくこともできる。11人が独立してピッチ上で事象を動かそうと模索するのではなく、11人が相互に作用する一体となってチームとしてピッチ上の現象を好ましい方に変容させていく。11人と11人とが、敵陣のゴールを目指して、現象をデザインし、変容させていく。この刹那的で連続的な駆け引きが繰り広げられる90分間はとてもとても濃密なんだと気付いた。


11人を1つのチームに変えていくことを可能にするのは、11人に共有されたゲームモデルであり、共有された経験であり、共有されたピッチ上での瞬時の認知と思考である。それらの共有のために、コミュニケーションをとることはサッカーにおいて必要不可欠だ。





コロナがだんだんと収まってきて、多くの人の尽力のおかげでサッカーができるようになってから、コミュニケーションの量・質を上達させろと指摘されることが続いた時期があった。この時期に、考えたことがある。


今でも鮮明に思い出される、緊迫感のある楽しかった試合では、自分の行動のベクトルは常にチームの勝利へと向かっていた。自分が良いプレーをすること、ミスをしないことよりも、チームが勝つことを本気で考えて行動していた。その時は、結果的に自分もいいプレーができていたし、自然にいいコミュニケーションがとれていた。


ア式に入ってからのことを考えると、余計なことを考えずただ一心にチームの勝利を追求できた試合はまだそう多くないことに気づく。


小さい頃は無心でボールを追いかけ、駆け引きを楽しみ、サッカーにどんどん夢中になっていった。だが年を重ねるにつれて、徐々に失敗が怖くなったし、人の評価を気にするようになったし、自分の考えを外部に発信をすることに少し躊躇するようになった。


けれども、あの小さい頃から比べて、今ではピッチ上の現象を把握する術も、正確な認知や勝利するための思考の方法も、より多く身につけられている。


声を出すという行為は本来難しい行為じゃない。一つのチームとしてどのような現象のデザインを目指していくのか、複雑系の一端を担う一員としてどのようにピッチ上で振る舞うべきなのか、簡潔に言えば、どうやって勝利に向かうべきなのかということを、今まで培ってきた経験を基に考え続ければ自ずと声は出てくるだろうし、チームの全員が主体的にそうできるチームは強くて崩れにくいと感じる。


つまり、質の高いコミュニケーションは、それ自体を目的とするのではなく、11人が本気で勝利を追求し続ければ自然とできるはずで、それができないのは勝負に対する無意識的な妥協があるからで、そこには自分たちの甘さがある。その妥協を絶対にせず、とことん勝利を追求できるチームは、当然質の高いコミュニケーションを行なっているし、強いのだと思う。





リーグ戦が始まってから、嬉しいことに未だ無敗。だけどここからが正念場だし、このチームが強くなれるチャンスだと思う。苦しい時でも、勝つためのコミュニケーションを取り合えるチームになろう。そんな強いチームの一員としてピッチに立てたなら、とても誇らしいだろうし、最高に気持ちいいと思う。


その感情を味わうためにも、個人的にもっと成長する必要があると痛感している。


最近、同じ攻撃陣の、スタメンで出続けてる四年生たちとの差を痛感することが増えた。当然去年もうまかったけど、最近は彼らのプレーに凄みを感じることが多くなった。一緒にプレーできる時間はそう長くないからこそ、急いで彼らから盗めるものは盗まなくちゃいけない。そして、今シーズンは、そのめちゃくちゃ頼もしい先輩たちの背中にできるだけ手を伸ばして、自分なりのプレーでその背中を押してみせる。そのために、もっと考えて、もっとこだわって、もっと戦って、もっと発信して、チームを勝利に導ける選手になる。


チーム全員がただ一心に勝利を追求できた試合はどれだけ濃密で楽しいだろうか。その景色、感情を今シーズンたくさん経験したい。そして最後には、「この強いチームの優勝に自分は貢献できた」と胸を張って喜びたい。心から笑って、四年生と歓喜の瞬間を迎えたい。


そのために、できることは全部やろう。




2年 大矢篤

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