ごめんね。

 「みんなに謝らなきゃいけないと思っていて、」


そう切り出した彼の息は少し震えていて、いつもより赤くなった目が真剣さをよく表していた。怒る時より、感謝する時より、自分は悪くないけどパフォーマンスとして謝らないといけない時より、自分が悪くて謝るのが一番堪えるのだ。

さて、私もみんなに謝らないといけないことがある。
少し長くなるかもしれないけどよかったら付き合ってほしい。

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ア式との出会いはふわっとしていた。練習を2回見学しただけで入部を決めてしまったので、新歓係の槇さんやみっつさんでさえ私の名前を把握していないほどだった。
「なんとなく」。
勢いで決めてしまったこの選択を4年間の働きで正当化する、そう入部式で誓った、はずだった。

同期スタッフの2人がテクニカルスタッフとトレーナーという専門的な役職に就いたおかげで、特にこれといった興味もなく入部した私に「その他雑務」みたいな仕事が回ってくるのは自然な流れだった。
そんなふわふわした私でも面白そうと思うくらい、ア式の活動はバリエーションがあった。
先輩のやること為すこと全部が気になって金魚のフンみたいに後をつけていたし、生意気にも「こうやったらいいんじゃないですか?」って提案をしたりしていた。

だけどあんまり「そういう感じ」にならないように、ア式に対して愛着を持たないように気をつけていた。「そういう感じ」になれば自分が頑張ってしまうのはわかっていた。お節介なところ、頼られるといい気分になって引き受けてしまうところは私の良いところでもあり、悪いところでもある。
ア式のためではなくて自分のその瞬間の好奇心を満たすため、というのを自分自身意識しながら、あくまで軽い気持ちで色々なことを進んで経験した。

でもまあ結局「そういう感じ」になってしまったのだ。

2年生の夏に、糸谷さんと彩さんから引き継いで学生GMに就いた。そして今年、2年半も持っていたこの役職を誰にも引き継がずに引退することにした。

今の1年生は私がやっていた学生GMという役職についてほとんど知らないと思うので少し紹介しておく。

私が入部する数年前(5,6年前?)にこの役職は出来たらしい。
「運動部のマネージャー」と言って一般的に想起される甲斐甲斐しい女子のイメージ。大学体育会の学生スタッフの役割がそこに留まらないのは近くで見ていれば当然わかるのだが、周りも本人もなんとなくそのイメージに引きずられて、選手よりも地位が低いような雰囲気が醸成されてしまっていたのだろう。
スタッフもア式の一員である以上、責任のある立場で経験とやりがいを得られるように、そのために作られたのが学生GMだった。

General Managerの名の通りその役割は広範で、ピッチ外で起こる全ての事象について決定権と責任を有しているといっても過言ではなかった。
例えば渉外。OB会、大学、運動会、学連、文京区、スポンサー企業、近隣の住民や店舗、部員の保護者などなど、ア式と関わる様々な人や団体との窓口を担っていた。
部内に対しても、フィジカル、広報、テクニカル、リクルート、グラウンド業務など多岐に亘る活動に対して、ここに力を入れよう、こんなことをやってみよう、こんな風にやろうと舵を取っていた。

そんな大事な役職を「ゆかちゃんやる?」と言ってくれた。

だから「ア式に深入りしないように」と自分の心に被せていた蓋を外した。ア式のために頑張るんだと思った。頼られるといい気分になって張り切るのは私の良いところか悪いところか。

今、振り返ってみてどうだろうか。

率直に感じるのは、何も出来なかったという無力感だ。
やりたいことがないではなかったが、そのアイデアさえ陳腐で面白みのないものばかりだった。目指すクラブ像が曖昧なままだったから、そこへ行く道筋を描くことができなかった。常に決断は遅く、保守的で、緻密さに欠けた。リーダーシップは求められるレベルに遠く及ばず、他の部員からの信頼を得られていたか全く自信がない。
自分はこんなにも何もできないのかという絶望にも近い感情を抱きながら毎日を過ごしていた。最悪だった。
たぶん、人生で一番自分のことが嫌いになった。

上手くいかなかった理由はすぐに思い当たる。
私はサッカーが好きじゃなかったのだ。

サッカーが好きなら、若しくは将来もスポーツと関わりを持ち続けたいと思うなら、ア式のためと自分のためは重なるのだろう。先輩方はとても生き生きとして見えていたのに、いざ自分がやると楽しさややりがいよりも義務感や使命感が支配した。

「頑張ろう」と決めてからサッカーの雑誌や本や記事をたくさん読んだけど、サッカーのことをもっと勉強したら面白そうだという興味からではなく、意思決定のための前提知識が圧倒的に欠如していたからだった。
とても久しぶりにトリニータの試合をスタジアムに観に行くようになったのは、もちろん地元クラブのJ1復帰が嬉しかったのもあるけど、サッカークラブを応援する人の心理を少しでも理解したいと思ったからだ。
参加したセミナーの内容や知り合った方々が自分の将来やりたいことに直接繋がるかといえばそうでもない気がした。

「成長したい」「広い世界を見たい」ではなく「部内の誰よりも成長してみんなを引っ張らなければならない」「広い世界をみんなに見せなければならない」と思っていた。

自己犠牲や利他主義が私の信念ではない。
ただ、サッカーが大好きなみんなに失礼だから「サッカー別に好きじゃない」なんて言い訳は口が裂けても言えなかった。気持ちが足りない分は努力で埋めるしかないだろう。

もちろん足りていないのが気持ちだけではないことも理解している。
自分の精神的な未熟さ、コミュニケーション能力・言語能力の低さ、問題を先延ばしにする癖、怠惰で勤勉さに欠けるところ、計画性の無さ、それらが束になって自分に跳ね返ってきた。
環境のせいにしようとしても思い付く原因は全て自分に帰着された。

私がこの役職にいることがア式のプラスになっていないことは明白だった。そもそもの人選だってスタッフの人数が少ない代で為された妥協案で、私である必然性なんてなかったのだろう。

辞めようと思った。さっさと身を引いた方がいい。
なのにそれすら出来なかった。
ここでも決断を先送りにしてずるずると現状維持を続けてしまった。

私じゃなかったらたどり着けたであろうア式の未来を思うととても悔しいし、申し訳ない。
福田さんと先輩方が作って繋いでくださって、任せていただいたこの貴重なポジションを全然生かせなくてごめんなさい。

そして何より、好きじゃない気持ちを中途半端な責任感で覆い隠して関わり続けてしまって、サッカーにも申し訳ないし、サッカーが好きなみんなにも本当に申し訳ない。
ごめんなさい。

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十分長くなっているが、もう一つ謝りたいことがある。
今シーズンのことだ。
(もう昨シーズンになったけど)

一橋に1-3で負けた次の火曜、A練の最後の集合で大谷がコメントした。私はたまたまその日がシフトで、円の一部になって聞いていた。

「今、育成の選手やスタッフから応援されている感じがしない。俺はこのまま嫌われたまま終わりたくない。」

あぁ、全部私のせいだな、と考えていた。
たぶんあの円の中で誰よりもショックを受けていたのは私だった。

応援をもっと盛り上げなくてはいけなかった。
応援団長を務めるようなキャラじゃないなんて言い訳している場合じゃなかった。
声を出せなくても応援している気持ちが伝わるように工夫しなきゃいけなかった。
一年生には「去年までのあの雰囲気」がわからないのだから、もっと丁寧に伝えるべきだった。
試合当日の仕事の多さにかまけて応援席の雰囲気作りを怠った。仕事が多いのだって自分が引き継ぎをサボったからだ。
配信を見ている方々からたくさんコメントをいただいたのに、それを選手にしっかり届ける工夫をしなかった。
どんなに心で応援していても、選手に届いていないなら意味がない。

育成チームのモチベーションも上げなければならなかった。
隼さんに提案される前から国公立大会の話はあったのにスルーしてしまった。結局育成の試合の応援ができたのは11月に入ってからだった。
テクが来ない日の練習ももっとビデオに撮ってあげればよかった。
練習の雰囲気がなかなか上がらない時にできた声かけはなかっただろうか。
Aチームの人にも伝わるように試合の広報をもっとすればよかった。練習試合の写真がInstagramにアップされなくなったのに気づいていたけど指摘しなかった。

Aチームの見られ方ももっと演出できた。
練習が長引いて育成練の開始を遅らせてもらったりメニューを変えてもらったりしてずっと迷惑をかけていた。もっとテキパキとグリッドを作れたかもしれないし、遅れがちだった練習開始時間について意見を出すことだってできた。
荷物を運んでくれないと文句を言うんじゃなく、部室を出る時に「これ持って行こう」と声をかければよかった。
全部を選手のせいにするには、やらなかったことが多すぎる。

スタッフのみんなへの働きかけは今年はゼロに等しかった。
選手と直接会う時間が少なかったから、だからこそスタッフの発信の場をもっと作るべきだった。
みんなが頑張っていることを、選手に見えない部分を「察する」努力を求めるんじゃなく、想像しなくても見えるようにしたかった。
そういえば、選手からスタッフへの感謝は度々口に出されるが、私はスタッフのみんなに何回「ありがとう」と伝えられただろう?自分がやっていない仕事を誰かがやってくれているのは、選手から見たスタッフも私から見たスタッフも同じだ。
スタッフ同士の交流も減ってしまった。チーム感が一番なかったのはスタッフではないだろうか。
GMの役割を実質上無効にすると決めたから、同時にスタッフ長の役割が宙ぶらりんになってしまったのか。
いや、チームへの声かけはどの立場からもできるはずだ。私にはスタッフ長としてじゃなく、スタッフの一員としての意識が足りなかった。

正直に言ってしまえば、今年のチーム運営が難しかったのは80%くらいコロナのせいだ。
「全部自分のせい」はさすがに自意識過剰だ。

でも、その状況はどうにもならないんだから、その中でできることを全力でやらないといけなかった。
やれる余地が残ってしまっているのは自分が悪い。

「応援されてない」なんて一瞬でも選手に感じさせてしまって申し訳なかった。
大谷にあんなこと言わせて本当にごめん。

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長々と懺悔の意を述べたが、謝ったところで今更何になるわけではない。それに、何度時間を巻き戻しても私は同じ過ちを繰り返すだろう。結局それが私という人間の限界なのだ。

だから、こんな限界の見えている私が、それにもかかわらずここまでやってこられたのは全て周りの環境のおかげだった。
本当に運に恵まれた。

先輩方が、同期が、後輩たちが、関わってくださった色んな人が、私を私の限界まで引っ張り上げてくれた。
感謝してもしきれません。本当にありがとうございます。

ここで小声ながら主張しておきたいのは、大人は私が思っていた数百倍私たちの味方だったということだ。

もちろん大学生も一応大人ではある。
しかし、自分の言動の尻拭いも自分で出来ない半人前だ。

部のガバナンス機能は大学や運動会が担ってくれていて、最終的な責任は大学教職員である部長先生が持ってくださっている。財政的にも、OB会がなければお金を稼ぐことやスポンサー契約を結ぶこと、コーチを雇うことすらできない。
悔しいかもしれないが、結局のところ私たちは大人に守られているのだ。本当に感謝しなくてはならない。

そんな大人たちがくれたアドバイスが自分たちのやりたいことを妨げる方向だった時、彼らと自分たちの間に勝手に線を引き、言い負かそうとしていないだろうか。もしくは、話が通じない、時代遅れだと言って対話を断ち切っていないか。
「学生主体」「自主運営」という言葉がもてはやされ、大人たちをわざと避けている嫌いが大学生にはあるような気がする。「自由」を手に入れて何でも自分でやってみたい、やれるはず、そんなお年頃なのだ。

それは"親の制止も聞かずに自分で着替えようとして、結局上手くいかずにぐずる3歳児"と何が違うのだろうか?

私たちは半人前だ。だけど、少なくとも子どもではない。

大人になるということは、半人前であることを認めることではないだろうか。
自分の能力を過大評価も過小評価もせず、足りない部分を他人に埋めてもらうこと。自分の意見を主張するのはいいから、伝わるように丁寧に言うこと、他人の意見も同じくらい丁寧に聞くこと。

誠意を持って接すれば多くの人は思った以上に味方だ。素直に受け入れられない意見は、よく聞けばその背景に自分では気づけなかった視点がある。
相手の年齢や地位が上だから敬うのではなく、彼らがその年月で培った経験や知識を以て敬意を払うのだ。

これは部員同士でも同じことだ。
「ア式はフラットな部」ってよく言うけど、ちょっと違うよ。
ア式にも上下関係はある。

ただし、それは学年という一次元的な序列ではない。
分野ごとにそれについて詳しい順に序列がある。
筋トレのことは筋トレについて一番詳しい人が一番上だし、ブランディングのことはブランディングについて一番勉強して一番考えている人が一番上だ。意思決定の際にも当然その人の意見に重み付けされる。
わかりやすいのはユニットだが、守備について、相手校について、ホームページの管理について、など細かい単位でそれぞれに変わる序列がある。言うなれば多次元の序列だ。

フラットなのは序列の上に行く権利だ。下級生でも、先輩より多くの知識を身につけ、先輩より深く思考することで序列の上の方に立てる。逆に、上級生が色んな序列の上の方にいがちなのは学年の数字のせいじゃなくて、下級生より長くア式で過ごして経験や知識を身につけてきたからだ。

自分にない経験や知識を持っている人に対して、学年に関係なく敬意を払うこと、その分野については自分が半人前であることを受け入れることがア式の組織を心地よく保つのではないだろうか。

帰するところ、私に一番足りなかったのは「大人になること」だったのかな。

「フラットな」組織に所属して、色んな方面に優秀な先輩や後輩や同期に囲まれて、協力的な大人たちに支えられて、どうして私は孤独に戦っていたのだろう。
誰にも負けないようにと虚勢を張って誰に勝ったと言うのだろう。
知らないことは素直に知らないと言えばよかった。そうすれば自分で知るよりもっと早くもっと深く教えてもらえたはずなのに、もったいなかったな。

遼さんに言われた、「ゆかは人を下に見ている態度が出すぎ」という言葉がずっと引っかかっているのは、同じことを中学生の時に言われたことがあるからだ。
自分にプライドがあって、だけどそれで全部だと知られるのが怖くて、強気な態度で自分を隠すことに必死だったあの頃と何も変わっていない。
まだ子どもだ。
でもそろそろ、それに気づいたなら大人にならないといけない。

私はみんなのことが羨ましかった。
何かをそんなに好きになれることってあるんだなと感心するくらい、みんなはサッカーが好きみたいだった。自分の弱点を指摘されることはきついことだろうに、ちゃんと向かい合って一つ一つ乗り越えていった。コーチや先輩からだけじゃなく、後輩や応援していないプロチームからも学ぶ姿勢を崩さずにどんどん吸収していく。
すごいなぁと思っていた。心から尊敬していた。

私自身がサッカーを好きかはあまり自信がないけれど、サッカーのことを好きなみんなは大好きだった。
みんなが好きなサッカーに、私も関わらせてもらえてとても嬉しかった。
ずっと一緒にいさせてくれてありがとう。
本当に感謝しています。

内倉が言うように、サッカーは自分からは逃げていかない。逃げているのはいつだって私の方だ。
4年間は結構短くてお近づきになるにはもの足りなかったけれど、人生はまだ長いから今からでも好きになってみようかなと思う。
楽しみだな。

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さて、最後になりますがこのようにブログを書く機会をいただいて、そして読んでくださってありがとうございました。

小学校から高校まで、読書感想文を始め原稿用紙に書く宿題は全て母にゴーストライターをしてもらっていた私は、自分のことを長い文章にするのはfeelingsがほとんど初めての経験でした。

また、不特定多数の人が閲覧できる場所に公開されるということで、時には思わぬ方から反応をいただくこともありました。

内容的には何かを訴えたかった訳ではなくいつも自分語りの域を出ませんでしたが、文章としてアウトプットすることで自分を省みて思考を整理することができました。自分の感情の輪郭をあらわにすることは、思っていたより繊細で緊張する作業でした。

自分の話をしているのに、それを読んだ他の人が何かを考えるきっかけになることがあるのも面白かったです。今回ももし良かったら読んだよと教えてください。私は嬉しいです。

4年間お世話になりました。
またどこかでお会いしましょう。



4年  佐原由香

コメント

  1. 試合観戦に行くと、いつも笑顔で、そして気さくに迎えてくださるのが印象的でした。今後のご活躍を期待しております。

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