道標

 ほんとにきつかった。今年のリーグ戦はほんとに辛かった。やっと終わったか。


ちょうど去年の同じ時期に、引退の近い先輩と話していた。

『今までずっと生活の一部だったサッカー、特に競技サッカーが生活から消えるってあり得ないな』

そんなことを話しながら、自分の引退する時を想像して、また、そんな状況に今現在ある先輩の気持ちに思いを寄せて、ちょっとうるっときたりしていた。

しかし、いざ自らのラストイヤーでリーグ戦が終わる頃には冒頭に述べたような気持ちでいっぱいだった。どうしてこうなったのか。最後のfeelingsということで、自分の大学サッカー生活を振り返ってみる。


一年生
5月にAチーム昇格。みんなごついし、ユナイテッドのプロみたいな人めっちゃいるし、で練習についていくのが精一杯。スーパーサブ的な立ち位置で数試合には絡むことができたが、セカンド止まりの選手。すごく印象に残っているエピソードは、選手としてア式に戻ってきて、今の3倍くらい尖ってた遼さんにボロカスに言われて、紅白戦で同じチームになっただけで、「うわ、マジかよ」みたいなため息をつかれたこと()

同じように遼さんから愛の鞭を受けたみんなは、これを誰もが通る道と理解して、がむしゃらに努力を続けてほしい。逆に、一年の頃からトップの試合に出て、ちゃんと評価されてる今の一年生や二年生は本当に立派なので、自信を持って欲しい。

まあ、そんなこんなで怪我はいくつかしたけど、持ち前の負けず嫌いと有り余る闘志で食らいついて行って、Aチームには定着して行った。ともあきも言っていたけど、1,2年生の時は周りのレベルに食らいつくだけで勝手に伸びていくから、とにかく自分が試合に出ること、活躍することだけを考えることができていた。


二年生
遼さんが監督就任。怪我により、プレシーズンを棒に振る。なんとか開幕戦には間に合い、後半に初めてウイングとして出場するも、戦術を全く理解せずよくわからないまま敗北。しかし、この年のチームは凄かった。チームはそこからどんどん勝ち点を積み上げていき、数試合を残してあっさり昇格、優勝を決めた。俺個人としてはほとんど途中出場で3点取っただけ。二部を圧倒的な強さで優勝したチームに自分が及ぼした影響はあまりに小さかった。とはいえ、収穫もあった。それはウイングというポジションとの出会いだった。自分が好きなプロ選手は大体ウイングというポジションだったが、意外にもこれまでのサッカー人生でウイングを置くシステムを使うチームにいたことはなかった。ディフェンスラインから丁寧にボールを保持し、いい形でウイングまでボールを届け、ウイングの質的優位でゴールまでいく。今でこそ当たり前となっているが、この年に確立された新しい東大のサッカーだった。

チームで圧倒的だったウイングの4年生が抜けることもあって、来年こそは自分が攻撃を牽引する。それも一部の舞台で。そんな風に思っていた。


三年生
初めての一部の舞台。この年は怪我もなく、順調にプレシーズンを過ごした。

現役のみんなはわかっているだろうが、いうまでもなく、プレシーズンは個人にとってほんとにほんとに大切な時期。来たるプレシーズンでは1日も無駄にせず、貪欲に個人の強みを伸ばす期間として欲しい。

そういう自分はこの時期に、個性豊かな先輩キーパー達にとことん付き合ってもらい、シュート技術を磨いた。その成果もあってプレシーズンでは人生の全盛期とも言えるほど得点を量産した。そうして迎えたリーグ戦。これは想像以上に厳しかった。しかし、自分としては最も思い入れのあるシーズンであり、錚々たる強豪校との勝負が楽しく充実していた。三年目にして、ようやくチームの中心としての働きができたと思った。そして翌年のラストイヤーには、舞台は二部になってしまったけど、圧倒的な存在として二部を圧倒しよう。そう思っていた。

四年生
迎えたラストイヤー。滑り出しは上々だった。プレシーズンのチームは絶好調。トップはほぼ負けなしで、チームとしてやりたいことができていた。また、個人としても全試合で得点を取れていて、この上ない調子の良さだった。

いよいよ今年は得点王狙っちゃうぞー()

そんな風に思っていた矢先、コロナウイルスの流行によって、緊急事態宣言が発令。自粛生活が始まった。正直もうあまり覚えていないけど、めちゃ辛かった。オンライン授業で例年より多い課題。オンラインになったことで傾向が180°変わった院試。インドアを強制されることへの精神的負荷。変化に対応するのでいっぱいいっぱいだった。そんな自粛生活のなかで暮らしに占めるサッカーの濃度はどんどん薄まっていった。日常が当分戻ってこないことは明らかだったし、あえてサッカーとの距離を置いていたのかもしれない。調子も良くリーグ戦を心待ちにしてただけに、早く試合をしたかったはずだが、自己防衛からサッカーのある暮らしが戻ってくることを期待しないようにしていた。今思えば、とても情けないことだ。俺がこんなマインドで生きていた間に、部には活動再開のために動き出してくれている人々がいた。彼らのおかげで考えられうる中で最速の活動再開を果たすことができた。本当にありがとう。

そんなこんなで活動再開。やはりサッカーのある生活は最高だ。プレシーズンの勢いそのままに二部を圧倒しよう!

とはならなかった。プレシーズンの勢いなんてとっくになかった。チームは一からやり直し状態だった。個人としても動きにキレはなく、自分の体ではないように思えた。状況は思いの外悪かった。リーグ戦が開催されるのかすらわからない状況で、さらに対外試合もできない中で、視座を高く保って公式戦に向けて100%の努力を続けることは今まで経験したことのない難しさだった。そんな状況にしてはみんなよくやったと思う。100%の完成度とはいかないまでも、それなりの出来で、とうとうリーグ戦を迎えることができた。実際、その程度でも二部の下位チーム相手にはなんとなくやれていた。

前期第6節、玉川にギリギリのところで競り勝ち、全勝維持。
この頃からだいぶ雲行きは怪しかった。準備できていなかったのはプレーだけではなかった。メンタルの部分がかなり大きかったと思う。

そこからは亜細亜に負け、一橋にも負け、、、
正直メンタルはボロボロだったと思う。昇格すらできないんじゃないかというプレッシャーに押しつぶされるような気持ちだった。点が取れず、チームを勝利に導けない不甲斐なさは常にあった。と、同時にチームの雰囲気に違和感も感じていた。

二部は甘くない。

そうみんな口では言っているけれど、実際に本当の恐ろしさを知っているのは4年生の、それもごく一部だったかもしれない。
それほど質の高い練習をしなくても、なんとなく勝てるだろう。たとえ負けてもなんとなく上位にいて、なんとなく昇格できんじゃね。心の奥底でこう思っていた人は多かったのではないだろうか。

『勝ち負けよりもまずは自分たちのサッカーをしよう』

練習後の集合、試合前、幾度となく聞いた言葉である。俺は正直言ってこの言葉があまり好きではない。監督やコーチ陣が俺らが思いつめないように、落ち着かせるために言うのはいいと思う。だけど、ピッチで相手と戦い、体を張り、得点をもぎ取るのはほかでもない選手自身だ。だからこそ、ピッチに立つ選手は勝利だけを追求する責任がある。

勝とうと思ったって勝てるもんじゃないという意見も当然あると思う。しかし、やはり体育会サッカー部として常に根底にあるべきなのは貪欲に勝利を目指す姿勢だと、俺は思う。決して勝たなければ意味がないと言いたいのではない。ただ、「自分たちのサッカーができればいい」や「たとえうまくいかなくても教訓になる」などというように、初めから負けることを想定して何か言い訳じみたものをつけておくことはナンセンスである。

「たとえうまくいかなくても目の前の相手に絶対負けない」

「負けることへのアレルギーを持つ」

「なんとしても勝つ」

そういう風に腹を括って、ヒリヒリする試合をして勝つから、喜びも格別だし、それこそ見てる側にエネルギーを与えることができると思う。そして何より、すべての選手がそれだけの気合いを持ってすべての試合に取り組んでいれば、少なくとも納得のいかない変な負け方はしないはずだ。そして、これでも負けてしまったときに初めてそのプロセスが教訓となるのだと思う。

この勝利のマインドは試合の時だけ意識してできるものじゃない。練習のたかが一つのミニゲームだろうと、もっと勝負にこだわって欲しい。負けてるのに平気な奴が多すぎる。



今更いうなよってね()
おっしゃる通り()


当時は違和感というだけで言語化できていなかったのと、結局は自信がなくて4年間を通して一度も集合では喋れませんでした()
なんとなく思ったことをちゃんと言語化して周囲に伝え、いい影響をチーム全体に波及させる。これはほんとに難しいけど大事なことで、後悔しないために必須なことだ。杉山とかあんま言えなさそうだけど、頑張るんやで()


あくまで俺の意見で、かなり偉そうなことを言ってしまったが、最後ということで許してほしい。もう俺は大学サッカーをやり直すことはできない。来季一部を戦うことになる後輩達の参考に少しでもなればと思う。強いメンタルで、大胆に、強豪達を叩きのめしてほしい。

来年は一部だし、失うものもないだろうから、昨季よりはよっぽどやりやすくて、思う存分暴れられると思うけど!
4年がいなくなってやばいとかは毎年言われることだし、人が変わればサッカーもスタイルも変わってしかるべきだから、自分たちの進むべき方向だけは共有しあって、いいチームを作っていってください!
さっきも言ったけど、1年から一部経験してたり、トップで活躍したりしてる選手が多いんだから、自信を持って頑張ってくれ。





さて、リーグ戦の振り返りをしてたんだった。
結局俺たちはチームの不調を誰も根本的に解消することはなく、勝てば昇格という試合を何個も落とした。そして後期玉川で辛勝して、なんとか一部昇格。不甲斐なさでいっぱいになった。個人として、二部相手に格別の差を見せることはなく、チームを引っ張る存在とは到底言えなかった。内倉や大谷くんがアツい涙を流す隣で、なんとも言えない表情をしていたと思う。こうなったら切り替えて、亜細亜戦で点をとって、有終の美を飾ろう。こう思うわけである。

迎えた最終節。亜細亜戦。肉離れの影響で後半からの出場だったが、出し切るだけなので問題ない。

前半終了時 0-0
今まで見た中で、一番の出来だった。間違いなく亜細亜を圧倒していた。最後だからみんなも吹っ切れていたのだろう。今季圧倒的成長を遂げた、愛しの雄太も絶好調だ。


後半点を取って、勝ちきる。舞台は完全に整っていた。


そして迎えた後半18分。雄太から最高のロングボールがきた。こいつは俺のやりたいことと、ほしいところがわかっている。1年の初期から仲が良かったこいつとこうしてトップの試合で息のあったやりとりをできたことはこの上ない幸せである。そしてそのボールを俺は収め、右足でシュートを打つと見せかけて、切り返す。いつもだったら、初めのタイミングで打って相手に当てるか、切り返した後に取られるかだった。しかし、このときはもう一度左足で切り返して完全に敵を剥がせた。後は角度のないところから、逆サイドネットに突き刺すだけ。しかし、ボールはわずかにゴールから逸れていった。




こうして4年間の大学サッカー生活は幕を下ろした。うまくいかないまま、未曾有の長い長いリーグ戦が終わった。個人としても不甲斐なく、チームを勝利に導くことはできなかった。不完全燃焼。



結局四年間の大学サッカー、最後に訪れた決定的なチャンスで決めきれなかった。しかもずっと遼さんに苦手だよねと言われていた角度。あそこで決めていれば、1-0で勝っていた。かもしれない。このシーンだけは本当に何度もフラッシュバックする。


結局チームが苦しいとき、点が欲しいときに確実に点をもぎ取れる選手にはなれなかった。

原因はいくらでもあるだろう。しかし、今シーズン一番思い当たるのは向上心の部分である。着実に弱みを潰し、強みを伸ばす。こういった努力、もっといえばそれらについて考えることも怠っていたのだと思う。チームの主力、トップオブトップ、そういった何となくの客観的な評価に満足し、一番甘えていたのは自分かもしれない。






来季、新チームが始動すれば、1年の頃から1部で出ていたあいつらは間違いなくチームの主力になる。質の低い練習にイラつくことだろう。チーム練習では何でもできる状態。チームに良きライバルがいない。そういう状態に陥るかもしれない。だが、勝つべき相手は一部の相手であり、チームで一番使える選手という称号は何の意味もない。一部相手に何でもできる状態がひとまず個人としてのゴールである。これを常に忘れずに、現状を分析し向上を続けて欲しい。そのための方法として、そもそもの自チームのレベルを上げることや、個人の自主練習などがあるだろうが、常にこれらにエネルギーを注いで欲しい。


来季こそは何となくやって、何となく負けて、一部強かったねで終わらないで欲しい。
絶対勝つ。絶対勝てる。嘘偽りなくそう思えるような日頃の努力とマインドセットで勇敢に戦って欲しい。頑張れみんな。







いよいよ最後になるが、なかなか感謝を伝える機会がない人たちに感謝を伝えたい。

まずは、このような非常事態の中、リーグ戦を開催しようと尽力してくれた全ての人。本当に頭が上がりません。ありがとうございました。

今まで一緒にプレーしてくれた全ての人。色々な個性を持った人がいて、本当に楽しかったです。特に最後の年、和田ちゃんとともあきは最高のパートナーでした。ほんとにやりやすかったし、楽しかった。欲を言えばもっと大暴れしたかったね。またいつか続きをやろう。

遼さん。遼さんの考え抜かれててマネジメントされた練習はほんとに今までで一番楽しい練習でした。本当に恵まれた環境でサッカーできていたなと強く思います。また、ウイングとして一から育ててくれてありがとうございました。遼さんに教わったことを生かして、今後のサッカー人生もエンジョイしていきます。

いつもグラウンドに来て、応援に来てくれた人。今年はコロナで例年と違うことだらけで運営も大変なことがたくさんあったと思う。それでも、毎試合グラウンドにきて準備してくれて、見守ってくれる部員がいて、ほんとに心強かった。
特に後半にかけて徐々に盛り上がってくれた応援にはとても救われたし、最終節は亜細亜までわざわざ応援に行きたいという人がたくさんいて、最後まで見届けてくれて本当に嬉しかった。ありがとう。

常に支えてくれたスタッフの人。特に今年のスタッフはコロナのせいで、様々な制約があって、自分が好きなサッカー、しかも試合ができる選手とは違って、ただ選手をサポートするためだけに筑波やら浦和やらに遠征して、金銭的にも肉体的にも精神的にも負担を強いられていた。それでも誰一人辞めずにサポートを続けてくれたスタッフはみんなすごいし、感謝しかない。俺には絶対逆立ちしてもできない。繰り返すが、スタッフ全員である。スタッフ全員に対して敬意と感謝を伝える。

最後に、小一からのサッカー人生を支えてくれた両親。日頃からあらゆる面で支えてくれて、毎試合観に来てくれて、本当にありがとうございました。


クソ長くなったけど、お付き合いいただきありがとうございました。





サッカー人生最後のゴールはまだまだこれから
松本周平


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