光芒
4年 松本岳
卒論に追われるついこの頃。
適当に音楽を掛けながらPCに向かう毎日を送っている。
そんな中どうやらfeelingsを書かないといけないらしいので、少し4年間を思い出していると、ア式での生活を思い出させるツールとなる曲が流れてきた。
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“何にでもなれる気がしていた 蒼く光る時代
月日を重ねるほどに知る 足りないことだらけの現実
みずみずしい未来が ひからびてゆく”
「高校は怪我ばかりで納得のいく3年間を送れなかったので、ア式では怪我無く、上を目指して頑張ります。」
そんなようなことを入部式で言って始まったア式生活。
結構あるあるだと思うけど、レギュラーはとれると思って入った。
入ってみると想像以上にレベルが高いことに驚いたし、浪人後ということもあり、自分の思うようにプレーできないことに苛立つ自分がいた。また、自分の基礎技術の低さなどの現実を突きつけられ、Aチームなどほど遠いことを認識させられた。
さらに怪我で何度か離脱していく中で、同期ともどんどん実力に差ができていくし、復帰してもアホみたいな戦術でラントレと化した試合では自分をアピールする機会もなかった。
何をやっているのか、何がしたいのかも訳がわからないファーストシーズンだった。
“どこかで狂う 夢の時計の歯車
押し寄せる日々の流れ
生きるのは苦痛?そういうものだろうか
ひたすらに頑張るほど
行きづまる感情が破裂しそう
くずれおちそう”
新人戦でのプレーによって、ラッキーなことにAチームに一瞬だけ上がるといういい経験をしたが、Aチーム定着には程遠かった。それでも少しずつ成長を感じていたが、3月13日、すべてがぶち壊れた。
後十字靭帯部分断裂。
無慈悲に突き付けられた5ヶ月の離脱はそれまでの怪我と比べても精神的に耐え難いものだった。
ただひたすらに長いリハビリ生活。同期や新しく入ってきた後輩が成長する姿、それを外から眺めていることしかできないことが苦しかったし、どこか疎外感のようなものを感じていた。ただ、まだ2年だったということもあって、まだこれからだと自分に言い聞かせ、闘争心をもって毎日の筋トレやリハビリメニューをこなしていた。
復帰後の10月、また怪我をした。
新人戦に出られない悔しさ、自分への失望、怒り、周りへの嫉妬などでいっぱいだった。
“大切な人と別れること ひとりぼっちになること
誰かに笑われてしまうこと 欲しいものが買えないこと
何を嘆いているのか もう一度確かめて”
3年の初めはコロナの流行で人と会わない日々が続いた。
当たり前の生活が失われ、世間が足りていない状況を各々嘆く中、自分も自分自身と向き合う時間が増え、今自分が求めているものは何なのか考えた。
考える必要もなかった。
「サッカーがしたい。」
“むなしいblue僕を包み込んで
行く道を閉ざそうとする
自分を救う それは誰なのか
答えのないまま それでも光をさがしている”
やっと再開した部活。
9月にまた大怪我をした。自分でもあきれるしかなかった。
ア式に入ったからにはAで試合に出たい気持ちはあったが、情けないことにこの時期にはもうAチームでプレーすることは叶わないだろうなとなんとなく感じていた。
これまでの怪我の蓄積で歩くのすら痛い日はあるわ、インステップでボールを蹴るのは常に痛むわで、そんな状態でAの練習や試合の強度についていけるとは思えなかった。
正直Aチーム入りを目指すとかどうでもいいから、ただサッカーがしたかった。
“むなしいblue僕を包み込んで
行く道を閉ざそうとする
自分を救う それは誰なのか
今さら答えはいらない
消えないtruth すべて請けおって
半歩でも進めるなら
景色は少しずつ変わってゆく”
オフが明けると共に自分の怪我も治り、やっとサッカーができるようになった。
正直育成チームのレベルは昨年と比べてかなり下がった感は否めなかったが、個人的にはサッカーできることが何よりも重要だった。
やはりというか、5月にまた怪我をした。
残り5カ月、今さらやめるという選択肢はなかったが、感覚的に軽そうな怪我だと思って病院に行って10週間の離脱と言われたときは、もう終わったんだなと感じた。終わったと感じるということは、どこかでまだAに上がりたい自分もいたんだなと思った。
最後の1年間怪我をしないことが自分にとっての一番の目標ではあったが、どこかで怪我はするだろうとは思っていたため、そこまで気落ちすることはなかった。
自分が怪我しやすいという事実の下で、如何にサッカーを楽しむかを意識した4年目だったと思う。
最後の2カ月は変に上を目指しすぎない期間だったけど、それはそれでサッカーを楽しめた部分もあったと思う。
(常日頃一緒に練習をしていて、上を目指し続けている育成チーム、特にB1の皆には迷惑だったかもしれません。ごめんなさい。)
“光を求め歩き続ける
君の情熱がいつの日か
誰かにとっての 光となるでしょう
誰かにとっての 兆しとなるでしょう”
ただサッカーが好きで、サッカーがしたいがために4年間ア式に所属したが、結局半分くらいの時間しかサッカーできなかったと思う。それでもひたむきに続けていれば、いい経験、楽しい時間も少なからずある。一瞬とはいえ1年でAに上がったこと、ひたすら相手をドリブルで抜き去ること、引退試合で2ゴール決められたこと、多くの同期とラスト2カ月サッカーできたこと(ラストが育成で不本意だったやつもいると思うけど)。
怪我とかで辛い期間を送っている後輩にもそんな瞬間が来ることを願うし、彼らにとって自分があの人ほどじゃないっていう気休めみたいな存在になれていたらいいかなと思う。
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暗めの曲に準じて自分を振り返ったからこそ、こんな感じになったけど、自分のア式での4年間は正直そんなに辛い事ばかりではなかったと思う。
サッカーする場所としてのア式での生活は10回の離脱という悲惨な4年間になったけれど、人と交わる場所としてのア式での生活は最高の4年間だったと感じる。
辛かったこととか、後悔とかそういうマイナスの感情は防衛本能ゆえに記憶に残りやすい。だからこそ過去を振り返る卒部feelingsは重苦しいものになりがちだけど、まだ卒部feelingsを書き始めていない同期もいるだろうから、もっとア式での素晴らしい日々やア式の凄さなどを綴った明るいfeelingsを読めることを期待しています。
最後の最後に、
4年間関わっていただいた方々、本当にありがとうございました。
松本岳
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