半世紀へのエントランス

4年 稲田創




 私の代は東大ア式蹴球部が誕生してちょうど100年であった.1世紀にも渡り続いてきたア式を次の100年に繋げる学年であると入部式で言われた記憶がある.

 

そんな学年のテクニカルスタッフとして入部した私の4年間を当時のfeelings:思いを交えながら綴る.

 

 

 

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猪の出る田舎から上京したての1年生の春,東大駒場キャンパスにてテント列という行事に参加した.

これは部活やサークルが新入生の勧誘を行うためのもので,キャンパス内の大きな通りに各団体のテントがずらーっと並ぶ.その通りを新入生が勧誘を受けながら歩いていく.

 

テント列の序盤,応援部やアメフトのテントに半強制的に入れられたあと,ア式のテントにも同じく半強制的に入れられた.小学校からやっていたサッカーを高校入学時点で辞めた私は,部活という真面目そうな団体でサッカーをするつもりがなかったので,ア式のテントにはてきとうな気持ちで入った.

だが,我が地元を代表するレノファ山口が好きであることを伝えると,コアなサッカーファン(?)だということでテントの奥に入るように言われ,奥へ行くと女性の先輩がいた.いわゆるマネージャーとしての勧誘かなと思ったが,その先輩は「テクニカル」の一員だった.テクニカルは一般的にはアナリストと呼ばれるスタッフで構成されるユニットであり,サッカーの分析を行う.

 

これがサッカーの分析との初めての出会いである.

 

特に細かい戦術なんて考えたこともなかった自分にとって,このサッカーの分析を行うテクニカルは興味深いものとなった.勉強の方に力を入れたかった当時の私としては,スタッフという立場であっても,サークルではなく部活に入部するというのは少しハードルが高かった.だが,そのテント列の先輩が「テクニカルはほぼフレックスタイムである」と言っていたことや,別に体験しに行ったサッカーサークルがチャラすぎたということがあり,あまり積極的な理由からではないが,面白そうだし真面目そうなア式にテクニカルスタッフとして入部することにした.

 

 

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当時4人だったテクニカルには,私と同期もう1人が加入した.

 

まず,サッカーについて先輩から色々と教わった.その先輩が非常に優秀だったことや,当時の監督である山口遼氏が非常に面白いサッカーをしていたこともあり,私の中のサッカー観は大きく動いた.それからいろいろと本を読み,サッカーについて学んだ.フレックスタイム制を導入しているのがテント列のあの先輩だけだったということを除いては,入部時に想定していた通りの部活生活を楽しく送れていた.

 

 

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それから数ヶ月,サッカーの知識もとりあえず収束に向かいつつあり,また,テクニカルスタッフとしての仕事にも慣れた.テクニカルの基本的な仕事は,スカウティング(対戦相手分析)とデータ分析と撮影で,我々1年生は撮影・データ作成・たまにスカウティングの資料作りを行なっていた.ここで,データ作成とは映像からある情報をデータに落とし込むことを指し,スカウティングの資料作成とは対戦相手の個人分析や映像作成等を指す.

 

ただ,その頃ふと自身の活動に疑問を抱いてしまう.

今やっていることは自分にとって/ア式にとって意味があるのか.

 

部活に慣れてきたスタッフが活動の意義やその必要性について疑念を抱くのはよくあることで私もその一人だった.時間をかけて部室に行き,ただ目の前に並べられた仕事を手際よくこなしていく.大学には部活以外にも面白く自分のためになりそうなことはたくさんある.その機会を失ってまで部活をすることは自分にとって最善の選択なのだろうか.

 

さらに,既に述べたような当時の自分の仕事が,ア式にとって役立つものであると私は考えていなかった.もちろん,やらないよりはマシであるが,褒められるでもない,あるいはマネージャー業務のように直接役立つ訳でもない仕事に意義を感じるのが難しかった.

 

そうして同期はテクニカルを辞めた.

 

彼は別の部活にも所属していたので,ア式での活動が単に面白くなかったというわけではないであろうが,相対的にア式でのモチベーションが低かったのは事実だ.

 

やはり,同期が辞めれば自分自身のことについても考えてしまう.それなりに考えたが,まだメインの仕事をやっていないし,とりあえずそのような仕事をやらせてもらえるまでは続けてみることにした.ア式のサッカーも先輩のスカウティングもとても面白く,辞めるにはもったいないような気もしていた.

 

続けるなら最低限の責任を持って仕事をしたいということで,撮影もその他の作業も,小さなものだがプライドを持って行なった.


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それから時間は経過する.

 

1年の冬に,カップ戦において初めてスカウティングをやらせてもらい,そのまま2年になってからもリーグ戦のスカウティングもやらせてもらえることになった.

 

このシーズンの前期は当時のテクニカル長と私の2人でスカウティングを行うこととなり,試合は毎週あるため,2週間に1回スカウティングの担当試合が回ってくることとなった.日曜日の試合に向けて5日前の火曜日にコーチ陣でミーティングをする.そのため,1試合にかけられる時間は前担当試合からこの火曜までの9日間しかない.当然,私たちは学生なので勉強もやらねばならない.特に,当時私はほぼ毎日1限から5限まで授業を入れていたので休む暇もほとんどなく過ごしていた.

 

だが,スカウティングは楽しかった.いくつもの試合を見て,監督や他のテクニカルスタッフと議論し戦術等を決めていく.テクニカルにおける活動の意義も感じた.

 

この年,ア式は東京都1部リーグに所属していた.前年まで属していた2部リーグとはレベルが大きく異なり,相手は個のレベルもチームとしての戦術レベルも高い.最初の5節は未勝利に終わる.続いて迎えた第6節vs学習院大学との試合は私がスカウティング担当だった.当時,学習院大学はリーグ下位のチームだったので,絶対に勝たなければならない試合だった.徹夜してスカウティング資料を作り,ミーティングを行う.この日はいつも真面目な ぶち が ねぶっち するなどのイベントがあったが,無事,この試合でシーズン初勝利を得ることができた.私はこのときベンチにも入っていたが,自分がスカウティング担当であったこともあり,めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている.

 

ただ,この試合では,嬉しかったのと同時に煮え切らないような思いも抱く.結果は得られたが間違いなくいい試合内容ではなかった.いい内容でないということは,スカウティングがはまらなかったということでもある.サッカー/スカウティングの難しさを思い知る.

 

このシーズンは4勝のみに終わり,2部リーグへの降格となった.

 

部活の意義を感じる1年だったが,テクニカルスタッフの難しさを感じる1年でもあった.


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2019年の2年の夏にテクニカル長となってから,引き続いてア式3年目を迎える.

 

2020年.

 

この3月頃には前年度に引き続きテクニカルの新歓の計画を立てていた.ビラを作成し,駒場キャンパスでそれを配る.しかし,ビラ配布の禁止令が出てしまう.日本でもコロナの感染が確認され始めた.

 

認知度の低いテクニカルスタッフという役職を新入生に認知してもらうために,テクニカルの俊哉がチャンピオンズリーグの記事を書いた.すると,それがおそらくテクニカル史上最もバズった.これによって俊哉はのちにfootballistaに寄稿することになる.

 

新入生に対するアピールができたかはよくわからないが,テクニカルとしてのブランディングを考えるいい機会となった.いままで部内のみだけの活動をしていたテクニカルに,新たな道が開ける気がした.しかし,少しの嬉しさを感じたのも束の間,コロナの感染は広がっていった.


この年はコロナによってシーズンの開始が遅かった.さらに,3密回避ということでテクニカルはじめとするスタッフの練習参加や対面のミーティングはできなくなった.

 

スカウティングも作った資料を監督にほぼ流すだけになった.試合にもほとんど行くことはできない.

 

1年生の時に感じたのと同じような形で,スカウティングが作業となってしまった.もちろん,選手も頑張っているし,プライドを持ってスカウティングには臨んだ.しかし,特に選手と話す機会はそんなにないし,テクニカルの分析が試合にどれほど役立っているのかは分からない.

 

 

 

そもそも,テクニカルの分析が役立つとはなんなのだろう.

そんな思いを抱くようになった.


テクニカルはスカウティングやデータ分析をはじめとした手段をもってチームを勝利に導くことを目的とする.

 

勝利に導くということは,ある意味では勝利に向けたサッカーの制御をしようとすることに他ならない.サッカーを制御することは理論上可能なのか.

 

サッカーはミスのスポーツだと言われることがある.実際に試合中失点に直結するようなミスが起こることもしばしばある.一方で,ミラクルな得点が決まることもある.これは偶然という不確かさがサッカーに内包されているということであろう.言い換えれば,サッカーはカオスであるといえる.カオスは制御できない.

(カオス:https://youtu.be/jmigdSLIajg でんじろう先生)

 

カオスを前提として,サッカーを制御することを考える.サッカーを1つのシステムとおく.制御が可能であるとは,入力に対してシステムを動作させられることと,入力制御のためにシステムの状態を観測する必要がある.サッカーを状態空間として表現するならば,その表現には,選手の位置・速度・加速度の他にサッカーをするためのさまざまな状態が組み込まれるはずである.さらに,それらの状態を観測する必要がある.おそらく,人間はサッカーの諸状態を把握し,観察し,サッカーを理解することができる.一方で,定量的な議論を行うためにこのシステムを数学的に記述したいという要求もある.しかし,サッカーの諸状態を組み込むならば非常に多い変量に基づく表現となりそうだが,具体的な状態空間表現の方法がわからない.そして,仮にこれを表現できたとしても,観察ができない.すなわちデータを取れない.現在のア式では位置・速度あたりは取れているが,選手の思考や身体の使い方とかサッカーの状態として認めたほうが良さそうな状態は取得できない.将来的には選手に脳波センサがついて思考を取れるようになることもあるのかもしれないが,現状の技術では不可能である.

 

したがって,サッカーは偶然を含んでおり,さらに,その状態を完全に制御することはできないため,不可知性を含むものとして考えるのが妥当であろう.

 

そのようなシステムにテクニカルは挑まないといけない.

 

先に,テクニカルはスカウティングやデータ分析をはじめとした手段をもってチームを勝利に導くことを目的とする,と記述したがこれは正しくない.たぶん,チームを勝利に近づけることを目的とする,という言い回しの方が的確であろう.

 

だが,勝利に近づけることの評価というのも難しい.つまり,結局テクニカルの分析が役立ったかどうかはよくわからない.もちろん,勝敗という結果で評価する手法はある.だが,結果はサッカーの定義であるルールそのものが示すものであり,そのルールの扱い方を考えるのがサッカーの醍醐味であるとするならば,勝敗という結果のみによる評価はおそらくナンセンスである.

 

とすると,テクニカルが役立っているということを認めるには,その概念を自分で確かめる,感じるしかないのか.ある意味でこれは自己満足に帰着したと言えるようであり,議論がなにも進んでいないような退化したような気もする.結局自分が部の役に立っているのか結論は出ないまま2020シーズンを過ごしてしまった.

 

 

その代わりと言ってはあれだが,2020シーズンはデータ分析の強化を行なった.

データ分析を継続してきた先輩2人や優秀な後輩たちの存在によって,必要であれば自らプログラムを書いていくことも厭わない形でデータ分析を進めた.xG を出したり,GPSデバイスを作ったりした.詳しくは以下の記事にあるので興味のある方は読んでいただきたい.

https://todai-soccer.com/2021/04/16/dataanalysis/

https://todai-soccer.com/2021/05/16/inaco/

正直に言えば,この当時,これらのデータを部に還元できたとは言えない.ただ,今まで定性的にしか見ることのできなかったものをデータとして可視化していく作業はとても楽しかった.さらに,データ分析に関連してOBの方のご協力もあり,データ分析を専門にする企業の方とデータの扱い方に議論することもでき,非常にありがたい環境で分析に取り組むことができた.ほぼ全てがオンラインであったが,これに関しては充実していた.

 

 

 

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2021年,最終学年となる.

結局この年もコロナは続いた.ただ,前年と比べてコロナに伴う制限は比較的緩くなった.

 

この年は強化ユニットの努力もあり,新たに林陵平監督を迎え,さらに,11年前にテクニカルユニットの立ち上げに携わっていただいたプロアナリストの杉崎健テクニカルアドバイザーを迎えた.

 

また,テクニカルスタッフはこの時点で十数名となったが,1年生も含め皆それぞれが主体的に動き,スカウティングやデータ分析をはじめとするさまざまなテクニカルの業務を遂行してくれた.

 

この年のテクニカルユニットは,私が1年生の頃には考えられなかったくらい面白いことをしていたと思う.私が1年生の時には,スカウティングやデータ分析を用いた部内の分析のみを行なっていたが,その3年後には,試合中のリアルタイム分析をはじめとしたいろんな分析手段を手にし,部内にとどまらず海外のプロクラブの分析まで行うようになった.正直,今後もこのような形でサッカーに携われる環境をもっている後輩のみんなが羨ましい.

 

 

 

その一方で,2021シーズンの成績は奮わなかった.2年ぶりに東京都1部リーグに場所を移したが,スカウティングを行った身としては,どの大学も2年前より戦術がきちんと構築されていた.難しいシーズンになることは考えられたが,結果は2勝3分19敗.想定よりも悪い結果となってしまった.だが,選手のみんなは最後まで戦ってくれた.

 

テクニカルスタッフとしてこの結果を招いた事実を見過ごすことはできない.もっとできることがあったのではないかと考える.だが,幾度も議論を重ねながらスカウティングやデータ分析を行ったテクニカルみんなの努力の量はとても大きなものであったし,部活外での勉強などもある中,キャパシティ限界でやっていた人も多くいた.おそらく何かできることはあるのだろうが,この当時はこれが限界であったと思う.課題は今後見つけ出し改善していくしかない.

 

この考え方は逃げなのであろうか.無論,逃げるは恥だが役に立つ,であるので逃げたっていいが,なるべく逃げたくはない.

 

それとも,テクニカルの活動そのものに本質的な限界があるのだろうか.換言すれば,チームに役立つことへの限界が存在し,テクニカルがチームに役立つことのできない領域が存在するのであろうか.

 

 

テクニカルがチームに役立つことができているのかどうか.

 

 

この疑義が再び生じる.私の4年間のア式生活の中で3度目である.

煮え切らない思いを抱えたまま,私は引退を迎えることとなった.

 

 

 

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12月某日,2021シーズンを締める納会が開かれた.

OBの方々も集まる中で,このシーズンの報告が行われた.

 

 

吉岡前主将がシーズンの総括を行う.様々なユニットの成果に触れた後,テクニカルにも触れてくれた.

その中で,このシーズンからテクニカルが始めたリアルタイム分析について,

 

 

 

「テクニカルは,テク自身が満足するだけでなく,実際にチームに役立つ仕事をしてくれた」

 

 

 

という旨のことを言ってくれた.

 

 

 

 

 

この言葉は私の4年間を認めてくれた.

 

 

 

 

 

実際にチームに役立つ仕事をすることはチームで働く上での前提であるはずであるが,実際に役立っているという実感を得ることができずにいた.だが,たったこの言葉一つでそれを実感することができた.煮え切らない気持ちに必要だったのは感謝されることだったのかもしれない.

 

リアルタイム分析の実現には相応の試行錯誤が必要であった.感謝されるのに必要な努力とその実現を行うことができたのだろう.この4年間の締めくくりにこの言葉をもらえてよかった.ありがとう.

 

 

 

 

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謝辞

 

私を支えてくれた皆さん,私に関わってくれた全ての方々,ありがとうございました.この場を借りて御礼申し上げます.

 

特に,同期のみんな,テクニカルの先輩後輩,サッカーを教えてくれた両監督,LB会の皆様,そして家族,

皆さんのおかげで今の私があります.これまで本当にありがとうございました.

 

 

 

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最後に,テクニカルのみんなへ

 

 

引退した人が遺言みたいなものを残すのは違う気がするけど,少しだけ書きます.

 

テクニカルの仕事は面白いけれど役に立っているかどうか分かりにくいものだと思う.でも,今やっていることはいつかきっと大きな意味を成すはずです.基礎研究チックなことは当然のこと,他の活動もすぐには役立たなくても,来年,数年後,数十年後には何かしらの形になっていると思います.ぜひ自信を持っていろんな活動に取り組んでください.

数十年後のア式のテクニカルが世界に名を轟かせているような,そんな未来が待っているといいですね.

 

今まで本当にありがとうございました.

年末のテク会で会いましょう.

 

 

 

 

 

テクニカルスタッフ 稲田創





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