子供

松波亮佑(4年/MF/旭丘高校)


四年前,幸運にも東京大学に合格していたことが発覚したあの頃,ある記事を読んだことを思い出した.

 

 

 

 

真剣にサッカーができそうというだけで入部を決めていた東京大学ア式蹴球部,その監督(正確には当時はヘッドコーチだが実質的に監督だったので監督とする)の書いた記事だ.

 

 

 

 

今思えばそこが僕の大学サッカーのスタートだった.

 

 

 

 

「なんかわかるような気がするけどたぶんわかってない,とりあえずもっと知りたい」

認知だの資源だの質的優位だのサッカーの戦術の話では聞いたことのないような言葉が羅列してあるその記事は僕の好奇心を刺激した.

十年以上も続けてきたサッカーには,まだまだ知らない面がたくさんあるようだ.

 

 

 

 

「ア式に入って,これを書いた人からもっといろんな話を聞きたい,指導を受けたい,そしてもっとサッカーを知って,上手くなりたい」

ア式入部の目的は,この気持ちを満たすことになった.

 

 

 

 

上京,一人暮らし,大学生活など諸々の不安は,この期待と共に上京した高校同期とのささやかな集まりで紛らわした.

 

 

 

 

ア式に入部した.

 

 

 

 

やたらと所作と喋り方がプロっぽいコーチの率いる新入生チームでコンディションを上げる一ヶ月が終わり,カテゴリーの振り分けが発表された.

監督から指導を受けるにはAチームに入らねばならない.

確か,その時新入生からは足が速いやつと顔がでかいやつとイケメンなやつの三人がAチームに入った気がする.

つまり僕は入れなかった.

 

 

 

 

とりあえず育成チームで頑張ることになった.

早く上がりたかったが,当時は育成だろうが久々に本気でサッカーができることがとにかく楽しかった.

練習後、疲労を溜め込んだ足を引きずりながら,丸の内線四谷駅のホームから見る東京の夜は、僕に満足感を与えた.

僕はここでもがんばれる.

そんな風に思えた.

 

 

 

 

育成でトレーニングを続けていると,チャンスが来た.

Aチームの練習に呼ばれた.

 

 

 

 

公式戦前のような緊張感とワクワクがあったのを覚えている.

やっと指導を受けられる,でも下手くそだと思われたくない.

 

 

 

 

トップチームで出てる先輩はみんなうまかった.

そんな人たちと一緒にサッカーができるのはすごく楽しかった.

トレーニングメニューもボールを扱うものが多く,飛んでくるコーチングも明確でわかりやすい.

ここで練習できればもっと上手くなれそう.

そう思った.

 

 

 

 

でも自分は特に目立ったプレーができたという感覚はなかった.

覚えているのは一対一でぶち抜かれたことだけ.

まだしばらくは育成かなと思った.

 

 

 

 

だが練習終わり,監督から声をかけられた.

「結構いい感じだったじゃん」

どうやらよかったらしい.

 

 

 

 

何がよかったのか.

そのあとよく振り返ってみた.

 

 

 

 

たぶんポゼッションのトレーニング.

相手のプレスに逆らうようにパスを出し,フリーの味方にボールを送った.

密かに僕が得意だと思っていたプレー

記録には残らないプレー

あまり褒められたことはないプレー

 

 

 

 

そこを見てくれているのかと驚いた.

 

 

 

 

次週僕はAチームに昇格した.

 

 

 

 

Aのトレーニングは本当に楽しかった.

自分より上手い人がたくさんいる

わからないことはたくさんある

頭も疲れる練習メニュー

毎日全力で向き合うだけでどんどん上手くなる感覚があった.

 

 

 

 

上手くできない時はコーチングを聞いてとにかく考える,そして試す.

色々試しているとたまに上手くいく.

上手くいった理由を考え,自分の中で再現性のある法則に落とし込む.

明確な意図と大量のフィードバックに溢れたトレーニングは,それをやるのに最適な環境だった.

 

 

 

 

そうやって一つずつ課題を解決していくと,自分の中に法則が溜まっていく.

そして,ぼんやり考えていると溜まった法則たちが突然つながってさらに普遍的な法則が見つかる.

サッカーの本質のような何か(でもまあそんなものはないと思う)に近づいていける気がした.

 

 

 

 

こんなことを繰り返して生活を送っていると,リーグ戦前期最終節からスタメンに定着した.

 

 

 

 

試合は全然勝てなかった.

だから僕らは二部に降格した.

それでも楽しかった.

 

 

 

 

高校までは対戦することすら叶わなかったレベルの相手との真剣勝負.

考えて工夫して全力を尽くせば僕でも戦える.

そんな手応えがあった.

 

 

 

 

上手くなれるトレーニング,サッカーエリートとの真剣勝負.

そんな充実した日々に満足しながら僕の一年目は終わった.

 

 

 

 

 

 

 

 

二年目,僕は副将になり,世界はコロナに覆われた.

 

 

 

 

例年四月から始まるリーグ戦は,九月から始まった.

開幕から終了まで休みなく,毎週試合が行われた.

 

 

 

 

そんな二年目,僕は苦しんだ.

 

 

 

 

ア式の至上命題は一部昇格.

 

 

 

 

負けることの許されない13試合は信じられないくらいに長く感じた.

 

 

 

 

副将としてチームの中核を担うという自覚は,いつの間にか本来は存在しない重荷に変わっていた.

 

 

 

 

負けたら自分のせい

自分のミスが先輩のラストイヤーに泥を塗り,ア式の未来を歪める

 

 

 

 

そんなことを本気で思い込んでいたような気がする.

 

 

 

 

結果は2位で一部昇格.

 

 

 

 

今思えば全試合にスタメン出場した僕は少なからず貢献していたと思う.

 

 

 

 

でもその時の僕はそんなふうには思えなかった.

なかなか思った通りにボールを,試合を運べない.

結局前線の先輩たちがその圧倒的な実力でもぎ取った点をなんとか守り切って勝つ.

そんな試合がほとんどだった.

 

 

 

 

昇格を決めてもあるのは安堵だけ,自分が自分の力でチームに貢献しつかみ取ったなんて思えなかった.

 

 

 

 

勝ち続けることの難しさ,自分の実力のなさを痛感した.

 

 

 

 

試合に勝ててもいないのにちょっといいプレーができたくらいで得意になっていた一年目の自分が恥ずかしくなった.

わかったつもりになっていたがそんなことは全くなかった.

 

 

 

 

 

 

 

 

三年目,監督が変わった.

 

 

 

 

前監督は,僕に,そしてア式に多くの財産と宿題を残し去っていった.

 

 

 

 

新監督は,優秀な同期が連れてきた.

なんとつい最近までJリーガーだった人だ.

 

 

 

 

当然トレーニングの内容やマネジメントの仕方は全然違った.

でもすぐに信頼して良いと思った.

 

 

 

 

常にチーム,勝利のことを考え,プレイヤーにもきちんと目を配る.

トレーニングメニューや戦術もしっかり考えられたものであり,意図を感じた.

プロで何年も戦い抜くには,単に技術やフィジカルが優れているだけでは不十分であり,戦略的,戦術的な思考が不可欠なのだろうと思わされた.

 

 

 

 

 

僕にとって二度目となる一部での戦い.

予想はしていたがこれが前回の比にならないほど厳しいものとなった.

 

 

 

 

22試合のうち18試合に負けた.

僅差から大差まであらゆる負けを経験した気がする.

何もかもが足りなかった.

 

 

 

 

一方で僕個人はすこぶる調子が良かった.

全ての試合にスタメン出場し,自分のベストに近いパフォーマンスを出せたと思う.

三年目でリーグ戦を戦うことに慣れたのか,プレシーズンできちんとコンディションを上げられたからなのか,フィジカルコーチのサポートが素晴らしかったからなのか,運が良かっただけなのかはわからない.

たぶんそれら以外も含めた複合的な要因があるのだろうけど,僕自身のメンタルの変化というのも大きかった気がする.

 

 

 

一年目に感じた楽しさや喜び,二年目に感じた苦しさ,情けなさ

それが僕の心を変えたのだと思う.

 

 

 

それは簡単に言えば,他人を超えることに執着しなくなったということだ.

 

 

 

今自分が誰より上手いか,誰より強いか,そんなことはどうでも良くなった.

 

 

 

そういう雑念がなくなると

上手くなりたい,目の前の試合に勝ちたい

そんな自分の内側にある純粋な思いが明確になった.

 

 

 

そしてチームが勝利するために自らが向上し続けること,それ自体が僕にとっての幸福であり最大の楽しみであるということが明確になった.

別に誰かよりうまいこと,強いことを示すために行動しているわけではない.

ただひたすら自らが進み続け,見たことない景色を見るために行動しているのだ.

 

 

 

 

これは決して他者に目を向けないということではない.

自分の相対的な位置を考えないということでもない.

 

 

 

 

自らが成長するためには,自分を見つめることと同様に外に目を向けることも重要なはずだ.

自分にできないことを誰かができるのなら,それが誰であろうと自分より実力の劣ると思っている人であろうと,真似してできるようにする.

自分一人で悶々と考えるより遥かに早く向上できる.

そこに余計なプライドはいらない.

 

 

 

 

それに,自分がどういう方向で成長すべきかを見定めるためにも外を見ることは重要だ.

チームの戦術,対戦相手やチームメイトの実力,戦績,その他にもいくらでもあるが,そういった自分の外の状況によって向上させるべき部分は変わってくる.

そこを考えずに自分のできるようになりたいことだけをできるようになってもそれはただの自己満足にすぎない.

チームの勝利という目的に寄与しないのなら,それはもはや向上とは言えない.

 

 

 

 

当然,完璧に雑念や余計なプライドがなくなったとは言えない.

それでも間違いなく,以前に比べて心がクリアになった.

僕は真っ直ぐサッカーに取り組めるようになった.

 

 

 

 

僕らは負け続けた.

それが示すのは,実力が足りないというシンプルな事実だ.

いくら自分でいいプレーができたと思っても,試合に負けるならそれはまだ足りないということなのだ.

それでも完全に僕の心が折れることはなかった.

 

 

 

 

雑魚であることに甘んじるつもりはない.

しかし,自らが正しく向上の道を歩むには,スタートラインに立たねばならない.

そしてそれは自らが雑魚であることを認めることなのだと思う.

 

 

 

 

だから僕は,それを認めた.

負けるたびに自らに雑魚の烙印を押しまたスタートラインから歩き出す.

 

 

 

 

そんなことを繰り返して三年目が終わった.

 

 

 

 

 

 

 

 

ついに四年目,ラストイヤー.

 

 

 

 

自らが向上し続けること.

その取り組み方にもう迷いはなかった.

 

 

 

 

その上で,自分だけでなく,チームメイトも向上させること

つまりチーム全体で向上することを目標とした.

 

 

 

 

ただこれは,そこまで自分の意識を変えたという感覚はない.

チームの勝利のため.

そこを考えて自然と行き着いたところだった.

 

 

 

 

チーム全体で向上するためにできることをやる.

そしてあとはとにかく最後までやり切るだけ.

そう思った.

 

 

 

 

チームは二部リーグ,二年目と同じく昇格が至上命題だった

 

 

 

 

プレシーズンから僕もチームも悪くなかった.

メンバーにほとんど変化がなかったこともあり,昨年から地続きのような形で進められた.

 

 

 

 

実際チームは開幕から順調に勝ち点を積み重ねた.

しかし僕は怪我をした.

 

 

 

 

内転筋を痛めた.

よくあることだった.

特に焦りもなかった.

 

 

 

 

二試合離脱し,復帰.

上位を争う大事な二連戦.

辛くも勝てた.

 

 

 

 

喜びも束の間,僕はまた怪我をした.

頬骨の骨折.

 

 

 

 

生まれて初めての骨折は頬骨だった.

入院し手術することになった.

 

 

 

 

また離脱.

その間チームのみんなは頑張ってくれた.

毎度ヒヤヒヤしながらも結局勝ち点を取ってきてくれた.

 

 

 

 

自分が離脱している間に他にも大怪我をするメンバーで出た.

今季のア式は呪われていたのかもしれない.

 

 

 

 

4試合ほどの欠場を挟み,中断直前に復帰.

以降は離脱もなく出場し続けることができた.

だがやはりコンディションは上がりきらなかった.

 

 

 

 

迫り来る引退を前に四年間のベストパフォーマンスを出すのは難しかった.

 

 

 

 

結果は2位で一部昇格.

二年前と同じだ.

 

 

 

 

昇格を果たす.

最低限の目標は達成できた.

後輩たちに一部の舞台への挑戦権を渡すことはできた.

 

 

 

 

だが僕個人は思い描いていたようなシーズンにはできなかった.

度重なる離脱,上がらないコンディション.

チーム全体で向上する以前に自分自身のパフォーマンスを向上させられなかった.

 

 

 

 

最後だから上手くいく

頑張ったから上手くいく

そんな都合のいいこと大体起きない.

 

 

 

 

そんなことを感じながら僕は大学サッカーを引退した.

 

 

 

 

 

 

 

 

いろんなことがあったこのア式での四年間.

 

 

 

 

多くの人に支えられて,守られて,自分の好きなことに向き合い続けられた四年間であった.

 

 

 

 

ずっと与える側ではなく与えられる側だった.

 

 

 

 

内向的な僕は,ア式の外に出て勝負したり,自分の強みを他者へと還元するようなことは何もできなかった.

 

 

 

 

僕ができたのはひたすら向き合うこと.

 

 

 

 

支えられている,守られている

そういう自覚はありつつも何も還元できない僕はとにかく真剣にサッカーに向き合った.

未熟な僕にはそれしかできなかった.

僕は最後まで子供だった.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に,

 

 

 

 

僕がこの四年間好きなことを好きなだけできたのは,ひとえに支えてくれた人たちのおかげである,心から感謝を表したい.

 

 

 

 

そしてまだまだ子供な僕も,いつか与えられたものを多くの人に還元できるような大人になる.

そう決意して締めたいと思う.

 

 

 

 

 

 

 

 

4年 松波亮佑

 

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