君のまにまに

坊垣内大紀(3年/テクニカルスタッフ・コーチ/聖光学院高校)



「短所は、カッコ悪いところです」

 

ん、と、女性の面接官の眉間にしわが寄ったのが分かった。だけど、なぜだか、言ってしまおうと思った。 

 

「長所は、自分はカッコ悪いということを、認めることができたところです」

 

-朝井リョウ『何者』より-

 

 

 

 

 

世の中は思い通りにいかない。

 

 

 

一生懸命勉強しても良い点が取れるとは限らない。相手を想っても同様に想っていてくれるとは限らない。愛をどれだけ謳っても、争いのない世界が訪れるとは限らない。

 

過去の行動を悔やんでもその時には決して戻れない不可逆な世界だからこそ、理想と現実は時に望まない乖離を見せる。

 

 

 

 

もちろん、サッカーにおいてもまた然り。

 

たくさん練習したらシュートが100%入るようになるわけではないし、どんな相手からもボールを奪えるようになるわけでもない。どれだけ勝ちたいと願っても、あっさり負けてしまったりもする。そんなすれ違いは時に残酷さを生み、ドラマを生む。

 

 

 

 

ア式蹴球部の選手は、そんな経験を人一倍してきたと思っている。

 

お世辞にもサッカーが強いとは言えない高校でそれなりにキツい練習をこなしていたはずなのにろくに勝てなかった過去を、そしてたまに自分たちより強い相手に勝てた時のあの高揚感、すなわち奇跡の味を身をもって知っている人の集まりなのだ。

 

しかし他の大学の選手の出身校はというと、サッカーをやっていれば知らない人はいないような名門ばかり。全国レベルの高校やクラブのユースチームというのは僕らにとって今まで戦う機会すら無い、それまでの奇跡では手が届く範疇にないレベルなのだ。

 

 

 

それでもア式の選手たちは、そんな相手と戦うことを、これまで以上の「奇跡」を求めることを選んだ。

 

 

さらなる奇跡を起こさんと選手たちは闘志を燃やし、僕らスタッフはあの手この手で勝つ策を考えサポートする。

そう考えると、ア式蹴球部というのは奇跡に躍起になっているカッコ悪い集団なんて思われるかもしれない。

 

 

だが、僕らはただひたすらに祈りを捧げるような真似をしている訳では無い。

よく「奇跡は起こすものだ」と言われるがその言葉はあながち間違いではなく、奇跡を起こすのにも最低限のレベルと行動が必要だと思っている。

 

 

 

 

相手の調子が最悪でパスミスばっかりしてくれるかもしれない。相手の主力選手が軒並み怪我や体調不良で不在かもしれない。打ったシュートを全部こぼしてくれるかもしれない。

 

しかしパスミスを拾って決め切る力がなければ、飛車角落ちの相手に勝ち切るチーム力が無ければ、ボールがこぼれてきそうな位置に走り込むアクションを起こさなければそういうチャンスを勝利という奇跡に結びつけることは出来ないし、チャンスを逃していることにすら気づかないまま「やっぱり負けちゃったね、相手も本調子じゃなかったんだけど」なんていう空虚な感想だけが口から出てくる。 

 

 

 

そんなことにならないために、練習というものはあると思う。ピッチに落ちている奇跡へのヒントをひとつずつ丁寧に、かつ相手よりも早く拾う作業を繰り返すことでしか個の能力が劣るチームは勝ち筋を掴めない。だからこそ僕らは練習を通してヒントを拾う術を、奇跡への道筋の作り方をひと工夫もふた工夫もして身につけないといけないのだ。

 

数年前の僕らがそうであったように、後輩たちはこれから自分たちが中心となってそれを編み出すことにウズウズしていると思う。

そして後輩たちが僕らの「過去」と重なるのなら僕ら先輩は後輩たちにその身をもって「未来」を示す必要があると思うし、それが最上級生としての責務だと心得ている。

 

 

 

 

 

 

ここからの1年は、この部にとって非常に大事な時期になる。上手くいかないことがこれからたくさん起こってもおかしくない。

 

 

 

 

そんな時は、これまで先輩たちと起こしてきた「奇跡」を思い出そう。

 

 

 

カッコ悪かろうがそれが僕らのこれまでのサッカーとの向き合い方であり、今のサッカーのすべてなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に。さっき祈りなんて捧げていないと書いたばかりだが、1個だけお願いごとをしてしまおうと思う。

 

 

サッカーという複雑極まりないスポーツがいつの日か、「奇跡」に魅入られた君の、思い通りになりますように。

 

 


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